2021/04/30

霊隠北高峰のロープウエイに乗ってみた




 今日はお寺で授業。

昨日、仏学院の人たちはみんなコロナのワクチン接種を受けたということで、

顔色がなんとなく優れない。めまいがしたり、吐き気がしたりするそうだ。

そこで、授業も少し緩めにやることになった。

その後、いつも通り、食堂で食事をいただいた。出家者が日常生活で必要とするものは基本的にお寺が支給するのだということで、そうした支給品は食事の時にテーブルの一人一人の決まった場所に置かれることになっているらしい。こういう形で石けんやタオルなどが定期的に支給されている。今日はそれぞれの席に下着のパンツが置かれていた。青とピンクとクリーム色のものがランダムにおかれている。わたしが教えている出家者の女子が「わたし、ピンクはいやだ。青がいい」と言って他の人と交換していた。あまりに「女子っぽい」のはいやなのだという。なんとなくそういう光景もおもしろいなと思った。

その後、帰るときにたくさんビワをもらった。それを背負って、霊隠寺まで行って、今日は北高峰ロープウェイに乗ってみた。いつもそこを通りかかるとき、あまり乗り場に人がいないと思っていたが、上まで行ってみると意外と人がたくさんいるのだった。上には鐘があったり、霊順寺という小さい寺院があったりする。そこに入るのはまた別料金である。遠くには近代的なビルや西湖が見え、近くには寺院が見えて、なかなかいい眺めだった。

背負ったビワが重かったが、それからいつもと違う路線のバスにのって帰宅。バスの窓からは、きらきら光る波頭のむこうに白堤が見えてまたそれはそれで美しいのであった。今日はまだそれほど人がいないが、明日からの休みは人であふれるのであろう。

人があまりいないときに、こういう光景を見られるのは幸せなことだと思った。

2021/04/29

「後進国二ホン」の紹介はつらい

 わたしは「日本概況」の授業も担当している。

今年からこの名前になったが、ほとんど同じ内容の授業をずっと何年かやっている。

テキスト通りに授業を進めるわけでもないし、テキストのすべての章を使うわけではないが、一応テキストを指定している。前にも書いたが例の北京大学出版社のやつだ。

テキストの中にはいろいろな章がある。「日本の交通」、「日本の経済」、「日本の企業」、「日本の政治」、「日本のメディア」など。しかし、その内容は十年以上前なら先進国らしい感じに思えるものだったのだろうけれど、今では中国のほうが先を行っていて今さらわざわざいうほどのことでもないことや、時代遅れの制度が書かれていたりして、どういうスタンスでこの本の内容をこなしていったらいいのかさえ分からない。そういうわけで、途中まではテキストに沿って進めるが、かなりの部分は自作の内容で授業をしている。

先週は環境問題を取り上げた。テキストを見ると、日本では高度経済成長期に現れた大気汚染や水質汚染などの公害問題もいまではすっかり解決して環境基準を達成しているだとか、日本ではゴミの回収を始めとしてリサイクルのための行動が根付いているとか、子どもにも「もったいない」などの言葉を教えたり自分で清掃する習慣を身につけさせたりする教育を行っているとか、新しいエネルギーの開発に力を入れているとか、いろいろなことが誇らしげに書かれているが、いままさに中国では「日本の核汚染水の海洋放出」が大問題となっているのであり、それを前にしたら、こまごまとしたゴミの分別なんかたちどころにふっとんでしまうほどちっぽけなことなのである。そして、ついに先週の授業では、日本人のわたしに対してそれを言うのをもうしわけないと思っているような雰囲気ではあったが、「だってそんなことより、日本は核汚染水を海に捨てようとしているではないか」と言う男子学生がいて、冷や水を浴びせられたような気分になった。

それにくわえて、こんなにコロナが広まっても、利権のために手をこまねいている政治家だとか、ジェンダーギャップ120位だとか、「ああ、日本人って世の中に乗り遅れたんだね」という雰囲気である。子どもたち(学生たち)は、アニメかなんかで喜んではいるが、それは「子どもだから」であろう。

そういうことを愚痴っていたら、中国人の先生に「でも、日本だって文化いいと思いますよ。文化ほこっていいんじゃないですか」と慰められた。そう、この「は」は対比の「は」。他の物は「よくない」ということだろう。ほこっていいものから、「経済」も消えたし、「技術」も消えた。これから、だんだん肩身が狭くなりそうだ。



2021/04/28

なんだかんだでいそがしい

 余華の「第七天」は半分くらい読んだ。

このところ、作文の宿題を見たり、学生たちの卒論の日本語を直したりしていて忙しかった。

学生たちが卒論を提出する期限は、23日だったらしいのだが、遅れて出す学生が多いとのことで、なかなか私のところに送られてこなかった。今日、3件来たがあと1件がまだ来ない。

たしか日本の大学だと、何月何日何時ちょうどという期限があって、それを超えると受け付けてもらえなかったような気がするが、こういうところは中国は緩い。

学生が遅れてだすと、結局、最後の段階を担当する私たち外国人教師が五一の休みにやることになる。そう思うと、「遅れて出す奴なんか、受け付けてやらなければいいのに」と思うのである。

2021/04/22

「許三観売血記」読了 次は…

 昨日、帰宅のバスの中で「許三観売血記」を読み終えた。

「許三観売血記」の結末は「活着」のように悲惨ではない。

許三観はぼろぼろになって上海の病院に入院している息子のところにたどり着く。息子は幸いなことに回復している。その後、三人の子どももそれぞれ成長して結婚し、子どもをもうける。許三観はすっかり老いたが、彼と妻の生活の負担も減った。

最後に彼はレストランの前を通りかかり、かつて血を売ったあとに滋養をつけるために食べていた「ブタのレバーの炒め物」と「黄酒二両」を思い出す。彼はそれを注文するお金を得るために血を売りにいくが、高齢であるために断られてしまう。「今後、もしまた家族が窮地に陥ったら自分はどうしたらいいのか」と思い、ショックを受け、泣きながら町中を歩き回る。妻はそんな彼をレストランにつれていき、「この先、私たちが生活に困ることはもうないのよ」と言って、レバーと酒を彼が欲しがるだけ注文する。そこで、彼は自分の人生の試練が終わったことを知る。…という内容だった。

次はやはり余華の「第七天」を買ったが、まだ最初の部分を読んでいる。主人公はどうやらこれから自分を火葬するために出かけていくらしい。火葬場につくと、裕福な人や貧乏人などさまざまな人が自分が火葬されるのを待っている。そこに中国の格差社会が反映されているのである。主人公はどうやらあまり恵まれないらしく、これから火葬されるというのに自分の棺桶もないし、埋葬する墓もない…。という理解できるような理解できないようなとりとめのない話が続いている。この先、どういう展開になるのだろうか。


2021/04/20

今日のこと

 今日はワンピースを後ろ前反対に着て

授業をしてきてしまった。朝8時15分から11時20分まで。誰も気づかないといいけど(*´Д`)

〇「許三観売血記」はだんだん悲惨な流れに。

時代は、「活着」のように大飢饉、文革、下放と流れていく。

毛沢東の指導のもとで迷走する中国で、庶民は右往左往、振り回されて生きるしかない。

そこで何かあるごとに、許三観は売血をしてしのいでいくが、そのうち下放した息子(本当の息子ではない長男)が重い肝炎になって上海の病院に入院する。許三観は知り合いという知り合いから借金をして入院費用を工面しようとするが、それでも足りない。そこで売血で資金を得ようとするが、売血は三か月に一度しかできないことになっている。前に売血をしたことを知っている病院ではなく、違う病院に行けば続けて売血できると入れ知恵されて、彼は途中の町で頻繁に売血をしながら、上海へ向かうことにする。その命がけの道行きの様子がもう悲惨。

あと、少し、この話も目が離せない。

2021/04/19

こんどは「許三観売血記」

 土日はだらけた気分のまま学生の卒論の修正。

わたしたちに回ってくるのは中国人の先生と学生が仕上げた後の最後の段階なので、かんたんに日本語の表現を修正すればいいというのだが、修正するも何も機械翻訳みたいで何を言っているのかまったく意味不明のものもあったりして意外と時間がかかった。

木曜日にやっていた時に、まったくわけのわからない卒論にあたってしまった。その結果、頸椎が痛くなり、頭痛まで発症。そのあとやる気がなくなって、金曜日の午後も土曜日もごろごろ過ごし、やっと日曜日になって手持ちの分を全部直した。しかし、これからまだ8件来る予定。

〇ごろごろしながら、また余華を読み始めた。余華は読みやすいので結局また手に取ってしまった。今度は「許三観売血記」。人生のここぞというときに血を売って金をかせぎ乗り切っていく男の話。男は血を売って結婚資金を作り、町いちばんの女性と結婚する。その後、三人の息子をもうけるが、そのうち最初の一人が実は結婚前に女性がつきあっていた男性の子だったという話。

2021/04/17

気が緩んだ

 きのう、多すぎた仕事の一部が減ったのを知ったら、一気に気が緩んだ。

寺を後にした時には、家に帰ったら、午後も夜も仕事をするつもりだったのだが、共産党100周年の作文の仕事がなくなったと知ったら、やる気がなくなり、午後は昼寝をし、夜はYOUTUBEを報道番組を見たり、娘と長電話したりして、一日が終わった。

今日もおきたら10時すぎ。

 仕事が減ったと言っても、まだやらなければならない仕事があるのだからぼんやりしていてはいけないのだが、次にみる卒論もまだ来ないし、なんだかこの週末はぼんやりしてしまいそうだ。

〇中国では日本の核汚染水排出がさかんに報道されているようだ。これと共産党100周年での愛国心の高まりが重なって、また反日的な雰囲気になったりするといやだなと思っている。そうなりませんように。


2021/04/16

急に少し楽になった

 昨日までに私が学校からやれと言われていた仕事はすごく多かった。

毎週の宿題の採点(70人分)。卒論の修正(16人分)。来月のイベントの準備。それに、共産党100周年の作文70人分を見て20人を選び、それを修正すること。

昨日、そのことで同じ学校の先生とSNSで文句を言い合っていた。たぶん、その先生は、その後、学校に意見をしたと思う。

今日、お寺に言ったら、すばらしい陽気で、お寺のお坊さんに「午後もしよければお茶を飲んでゆっくりしていってもいいですよ」と言われたのだが、「忙しいので」と振り切って帰ってきた。そうしたら、帰りのバスに乗っている時に、「100周年の作文の件はやらなくていいです」という連絡が入っているのを発見した。

なーんだ。だったら、お寺でのんびりしてくればよかった。残念だったな。

それにしても、仕事が減って、ほっとした。というわけでブログを書いている。

〇しかし、日本はどうなるんだろう。半年たったらきっと通常に戻っているのだろうと何度も思ったが、いまになってもどうにもなっていない。こうして何年もどうにもならないまま時間がたっていくのであろうか。


2021/04/15

またやっちまった

 昨日の午後、学校で一人半分の卒論を直した。

いつもできる子だったのに、卒論の文はやたらに慣れない小難しい言い回しばかりつかっていて、何を言っているのやらよくわからない。やっているうちに頭痛がしてきたが、なんとかやり終えた。

家に帰って、それをUSBからパソコンに移した。わかりやすいようにデスクトップに。

そして後から修正済みのものと未修正のファイルを間違えないようにUSBメモリ内のファイルを消した。

後から気づいたのだが、デスクトップにあるのはショートカットだけ。どうして?

先日買ったプログラムで消したファイルを再生しようとしたが、うまくいかない。

…というわけで、一からやりなおしになった。

さっさとUSBメモリのファイルを消したのが間違いだった。こういうことはよくしてしまう。

今日は早めに帰ったので、昨日の分を挽回するつもり( ;∀;)

2021/04/13

春月ねいさん、かんちがいなさらないで…

いえ、たまたま読んだらそういう本だったわけで、そういう本だから読んだわけではありません。

昨日家に帰ってから、また少し読んだ。

兄は手術を受けて胸を直し、家に帰る。

ちょうどそのとき妻は弟に連れられて上海にいき「処女膜再生手術」を受けていて留守である。兄は町の人の話から弟と妻の関係を知る。胸の手術の後も化膿してしまう。

兄は二人にあてた手紙を書いて投函し、心神喪失状態で自殺をしてしまう。

その後、弟と妻はそれを知って嘆き悲しむ。弟は兄をなくした悲しみから仕事の場を退く。妻も深く嘆き悲しむが、その後、弟に用立ててもらった金で売春宿を経営して、案外図太く生きていくのである。

あと、数ページ残っているが、そういう話だ。 

中国の経済が急成長をとげた生き馬の目を抜くような時期は、日本でも「中国が熱い」などと報道されていたが、

こういうめちゃくちゃに欲望のままに走り回る人が多かったのかもしれない。

国有企業のような恵まれた場所で安心しておとなしく仕事をしているだけでは世の中から取り残されたり、そうかといって一獲千金を狙って飛び出して行っても成功するとも限らない。また、一度の賭けに打って出たかどうかで天国に行くか、地獄に行くかが決まる。おそろしい時代ともいえるが、確かにあのころの中国はそんなだったのかもしれない。

だけれど、そこで勝つか負けるかは、人が幸せかどうかとはまた違うのだ。人生の賭けに敗れて、社会の底辺で妻と言い争いばかりしているように見える研屋はそれでも幸せだというし、

自殺した兄も誰も恨まずに「自分は幸せだった」と手紙に書いて死ぬ。

そのほかにも、いろいろな人々のいろいろな人生が描かれる。ほんとうに人生は一筋縄ではいかないものなのだ。そういう気がした物語だった。

〇しかし、この小説の兄のような人はよくいる。まじめで遠慮深い。しかし、それが結局は他の人も不幸にしてしまう。遠慮しすぎるのは必ずしもよいことではない。

小説の中でも、弟は当然、兄に手を差し伸べようとするが、兄は別に意地を張っているわけでもないのに、遠慮してしまうのである。弟の会社で要職についたとしても自分はその任に堪えないからと。しかし、弟の会社では、能力のない人たちが弟とかつて縁があったからという理由でたいした仕事もしないのに高額の報酬を得ているのである。結局、兄が弟の援助を受けなかったことで、妻を窮地に立たせて、その結果、彼を裏切るところまで追いつめられるのだ。そして彼が死んだことによって、妻も弟も悲しみのどん底におとしてしまう。

これほどでもなくても、こうやって遠慮しすぎてかえって周囲の人を困らせる人っているよね。ありがとうと言って、援助の手にすがったほうが、みんなの幸せになるのに。


2021/04/12

あともう少し余華「兄弟」

 あと一割残すところまで読んだ。

下部はえげつなさすぎる。処女コンテストとか、なんとかとか、かんとかとか…。

通勤のシャトルバスの中で隣の人にのぞき込まれたら困るような内容が、またしつこくこれでもかこれでもかと続く。正直うんざりして少し飛ばして読んだ。

ふたりの対照的な兄弟のうち、破天荒でわがままで下品な弟はビジネスで大成功して巨富を築き、

ハンサムで誠実で知的な兄は、弟の思い人と結婚するが、国営企業での仕事もなくし、健康も損ない、妻とも遠く離れ、どんどん奈落に落ちていくのである。詐欺師にそそのかされて、男性なのに商売の宣伝のためと言われて豊胸手術をおこなって無様な体となり、それでもそれほど儲からず、一人で異郷をさまよいあるくことになり、その留守中に、妻と弟は彼を裏切って関係を持つ。

…もう目をそむけたくなる。しかし、この人が書く物語だから、行きつくところまで行くのだろう。兄はたぶん身体をむしばまれ、無一文になるだけでなく、人間として最低限のプライドも極限までズタズタにされてみじめに死ぬんだろうな。あと、最後わずかのページ、読みたくもあるし、読みたくなくもある。

2021/04/11

いちご大福つくろう

 白玉粉 35g

砂糖  40g

水   60g

いちご  5個

こしあん 60g

片栗粉  適量


白玉粉、砂糖、水を耐熱ボールに入れて、泡だて器でまぜます。

電子レンジで30秒ぐらいずつ加熱しては、木べらでまぜます。これを何度か繰り返します。

ちょうどよいもったりした感じになったら、片栗粉を敷いたまな板の上に出して、全体に片栗粉をまぶして5等分します。それを平らにのばします。

いちごをこしあんでつつみます。それを5等分した餅でつつみます。

15分くらいでできると思います。

いちごをあんでくるむときは、下からあんでくるみ、

あんをもちでくるむときは、上からくるむと、上から見たときに、いちごの赤味が

ほんのり見えてきれいです。

2021/04/10

昨日の写真 これからまた天気が崩れるそうです






 

今日もたぶん読書

 春節の長い休みに崩れまくっていた私の生活も、早起き型に切り替わった。

11時半には眠くなり、朝6時ごろには目が覚める。いままでの遅寝生活では、いつもやるべきことを後回しにして深夜になってからゴソゴソとやり始めていたので、早起き生活になってからやらずに放ってあることが増えた。今日と明日の土曜日と日曜日でそれを片付ける予定。

昨日はいいお天気だった。朝から寺で授業。到着したのは8時前だが、お寺の生活区域にはたくさんベッドのマットレスや布団が干してあった。市街地はごみごみしているが、寺の周辺はほんとうに雨が降っても晴れても美しい。平日だったが春爛漫の行楽日和のせいか、参拝客がたくさんいた。

お寺で出してもらった龍井茶もおいしかった。去年のものだというが、色がうすいのに、香りが高い。お寺で出してもらうお茶はいつもおいしい。昨日はほかに供物のお菓子や果物も分けてもらった。

今日の土曜日は出家した学生たちは遠足に行くらしい。今日もお天気が晴れてよかったね。

たいへんなこともあるのだろうけれど、お寺の生活は世外桃源のように見える。

〇春月ねいさんは、サンのつぎはサツキだそうだ。

たぶん、わたしは何度やってもサツキにはならないだろう。

ああいうアニメに出てくる女の子ってどうしてあんなに働くんだろう。

というか、そういうアニメを作る男性って、どうして女の子があそこまで働く姿を平気で描けるんだろう。

ジブリの映画ってそうだよね。サツキとか、ハウルの動く城とか、コクリコ坂とか、ジブリ以外にも「雨と雪」とか。

こういうことを平気で描ける感性だから、現実の女性が仕事をして家事をして育児をしてふらふらになっていても気が付かないんだろうなといつも思う。わたしが最初にトトロをみたのはまだ結婚する前でそのときはあまりなんとも思わなかったが、その後、子どもたちと一緒にトトロを見たときには、サツキの生活って残酷だなと思ったのだった。お父さんは知的でやさしい人に描かれているが、それでもそういう生活を娘にさせている張本人である。

その無自覚。その鈍感。それが日本の現実なんだよね。

2021/04/09

ちょっといそがしい

 今年から卒論の最後のしあげを手伝うことになったので、これからちょっと忙しくなりそう。

昨日もう少し送られてきたのだが「かんたんに日本語の文法的間違いを直す」だけでは意味が通らないところがあるので、やる気をなくしてとりあえず放置。土日でやろう。

今日は寺の授業。

2021/04/07

余華「兄弟」上部だけ読み終わった

 ぼちぼち余華の「兄弟」を読んでいる。

馮驥才の「三寸金蓮」は纏足を施すくだりの記述で挫折してしまったが、この本はそれ以上におそろしい。

文革で次から次へと人が惨殺されたり、絶望の末に自殺したりする。しかも、その表現も生々しい。丁寧な描写といったらよいのか、しつこい描写といったらよいのかわからないが、これでもかこれでもかと人間の尊厳がずたずたに踏みにじられていくような地獄の世界が描かれる。文革の時って、ほんとうにこんなに狂っていたのだろうか。興味がある人は一度読んでみるといいと思う。勧めないけど。

下部はこの家族の中でふたりだけ生き残った兄弟が再び一緒に住むところから始まる。

今日、近所の本屋で紙の本を見たが、その厚さからして「兄弟」は「活着」の四倍くらいは分量があるのだった。まだ先は長い。

下部は「改革開放」の時代の物語なので、殺したり殺されたりの凄惨な場面はないだろうと思うが、この作者ならやはりそうそう平穏な内容ではないだろう。期待もしているが、恐ろしくもある。

今日はいろいろあって疲れ果てたので、明日また続きをよむつもり。

2021/04/06

麺を食べる時の音

 先日ここに書いたのは、北京大学出版社の「現代日本社会」(中国語版)2019というテキストのことだ。これより先に同じく北京大学出版社「新日本社会」(日本語版)2015というテキストがあり、ここ数年これを授業のテキストとして使っていた。編集に日本人も加わり、これといった間違いもなく、比較的よく日本の様子を伝えていると思ったからだ。

しかし、この日本語版のテキストだと、学生たちが予習や復習のときに読んでこないので、今年から中国語版の「現代日本社会」のほうを使うことにしたのだ。

件の箇所については、

2015年版の「新日本社会」では、

「日本ではラーメンや蕎麦などの麺類は音をたてて食べるのが美味しい食べ方だとされています。」となっている。これなら、特に問題がないと思う。

しかし、2019年版の「現代日本社会」では、同じ個所が

「在日本吃拉面或荞麦面时发出声音是为了表示这碗面十分美味。」となってしまっている。

これはどうしたことだろう。もともと日本人が書いたときには正しかったのに、中国人が翻訳したときに先入観があったために誤訳してしまったのだろうか。

中国語版のすべてに目を通したわけではないが、他にもこういうことがあるかもしれないので、来年からはやはり日本語版を使おうかと思っている。



USBメモリ

 〇最初に壊れたのは、去年の夏に日本で買ったUSBメモリだ。これが壊れるのは二回目なので、もしかしたら不良品かもしれない。

このUSBメモリから復元したフォルダを転送して壊れたほうのUSBメモリも4年前に日本で買ったもので、IpadやIphoneにも使えるもの。かなり高かった(4000円以上)。

この二つのUSBメモリはまた使えるようになったが、またおかしくなるんじゃないかと思うと安心して使えないような気がする。やはりUSBメモリはデータの持ち運びなどにしか使えないと痛感した。

2021/04/05

またUSBメモリが壊れた話と映画「我的姐姐」

 昨日の夜、USBメモリが壊れてしまったので、前に買ったデータソフトでデータを復元し、もう一つのUSBメモリにそれを保存したら、それも壊れてしまった。データソフトで復元しても、きれいに全部復元できるわけではなく、ファイル名も数字に変わってしまう。復元したUSBメモリ二つ分の膨大なファイルの中から開かないファイルを削除したり、必要なファイルの名前を変えたりしていたら、深夜。もう何がなんだかわからなくて、そのまま捨ててしまったフォルダも多数。娘にどうしたらいいか電話で聞いたら、「そもそも一時的な持ち運び以外にUSBメモリに保存するのが間違っている」とにべもなく言われた。息子にも電話してみたが、USBメモリが壊れて困ったことはないという。

今度こそUSBに保存するのはやめようと思い、学校で使っているPPTやまた使いそうな文書類をえり分けて「百度网盘」にアップロードした。それにもすごく時間がかかった。これからは、本当に必要なファイルはクラウドに保存することを心がけようと思った。一応、ネットで新しいハードディスクも買ったけど。

それにしても、どうして一度に二つもUSBメモリが壊れたんだろう。壊れたUSBメモリのデータを移すと転送先のUSBメモリも壊れるんだろうか。

もうなんだかわからないけど、疲れたのである。

〇昨日の昼間は最近の話題作らしい「我的姐姐」という映画を見に行った。

主人公は安然という二十代の女性。男の子が欲しかった両親は彼女が女の子だったことに失望して、「一人目の子が障碍者なので二人目がほしい」という申請をするために健常者の彼女にむりやり障碍者のふりをさせようとする。その後、安然は医学部を受験しようとするが、両親は「女の子にそんな学問はいらない」と彼女に黙って志望を書き換え、その結果、安然は看護士になる。安然が家を出た後に両親に男の子が生まれる。両親が交通事故で死ぬまで、安然は弟に会うことはなかった。両親の葬儀の時に、初めて安然は6歳の弟に会う。安然は仕事のかたわら北京の大学院に入って夢をかなえようとお金をためながら勉強してきたが、親戚一同が彼女に弟をひきとるように求める。みんな「姉は弟のために犠牲になって当然」と考えているのだ。板挟みになる安然。その後、いろいろな葛藤があって、最後に彼女は自分の夢を捨てて、弟を引き取ることにする…。という話。

つまり、女の子が夢をかなえるよりも、「家族の情」のほうが大事ということらしい。弟は最後にお金持ちに引き取られることになるのだが、「今後、弟に会わない」という誓約書にサインを迫られて、安然は逡巡したあげく自分の夢をあきらめて弟を引き取ることを決断するのである。彼女の母の年齢である私はここで「自分の人生を捨てないで」と思ったが、周囲の中国人は鼻をすすって泣き始めた。それを見て、私はもらい泣きするどころか、逆に白けたが。

武漢でコロナが爆発的に流行した時も、中国では「女性の犠牲をネタにして人を感動させるのはやめて」という声があったが、この映画もそういうものだ。結局、こういうものを中国人が美談と思う限り、社会に「女性は自分を後回しにするものだ」という圧力が存在してしまうだろう。そして、この映画のヒットはさらにそういう風潮を強めることになるだろう。なぜいまどき時代に逆行してそんな映画をつくるんだかね。

日本も他国のことを言えない国だが、中国も依然として男尊女卑の国なのだと思った映画だった。



2021/04/04

挫折 挫折

 エイミタンの自伝は紙の本なので持ち歩けないし、寝ながら読むのもよみにくい。

わたしは家ではベッドのヘッドボードにアイパッドを挟めるスタンドをとりつけて寝ながら本を読んでいる。紙の本だと手で持たなければならないし、電気スタンドからの光の当たり具合にも気を付けなければならない。電子書籍に慣れてしまうと紙の本は読みにくい。しかし、後からまた読みたい箇所を見つけるときには紙のほうがみやすい。

こうしてエイミタンの自伝はつんどくになった。

その後、前から読んでみようと思っていた馮驥才の「三寸金蓮」を読もうとしたが、

子どもの足に纏足を施すくだりのあまりにも痛々しい記述に心が折れて、これも挫折。読んでいると、気のせいか自分の足まで痛くなりそうな気がするのだ。

その後、余華の「兄弟」。これも最初のところで、トイレで女性の尻を盗み見る話が延々とつづき、やっとそこを読み切っても、そのあとも胸の悪くなるようなできごとや表現が続いてげんなりしたが、その先に感動の物語があるようなので、いまがんばって読み進んでいるところである。

〇先日の北京大学出版社のテキストにある「日本人が麺を音をさせて食べるのはおいしいと伝えるため」という記述について、これまで同僚の日本人の先生、日本人の留学生、家族などいろいろな人に聞いたが、やはりこれに賛同しない人が多いようだ。わたしは、この説はネットに中国人が書いて、コピー&ペーストを繰り返す内に中国人の間で日本のマナーとして「常識」になったものだと思うのだ。しかし、このテキストの編集には日本人の日本語教師も参加している。この人はこの記述を見たのだろうか。日頃から学生には「レポートを書くのに誰かの説を参考にする時には、誰がどういう根拠で言っているかをきちんと確認するように」と指導している。しかし、北京大学出版社と「ただのおばさん」である」私では、どちらが「権威」があるかと人に聞いたら、当然、みな北京大学出版社と答えるだろう。困ったものである。


2021/04/02

ただで入れる

  今日は午前中はお寺で授業。

そこで授業をして、いつものように昼食をいただいたあと、来学期はあと二コマ授業を増やしてもらえないかと打診された。「籍をおいている大学の授業次第なので、大学の来学期の授業のスケジュールが決まらないと、ここに来る余裕があるかどうかわからないから、一応いまは承諾するがそのときまた話をしましょう」と言ったが、なんとなく「もう決まり!」みたいな感じで話しが進んでしまった。今週は、こちらからの連絡に何の応答もせず、宿題もださずに欠席した学生がいたが、やはりお寺だからなのか、先生も学生も浮世離れしている感じがする。

わたしは寺で「仏学院」の工作証をもらっている。今日初めて知ったが、これで霊隠寺にも入れるそうだ。もちろんただで。それを聞いたので、予定にはなかったのだが、午後から霊隠寺の中を散歩してみた。明日から連休だからなのか、寺だけでなくそとの土産物屋やレストランなども人がいっぱい。来週から少しずつゆっくり観光しようと思う。

しかし、今日は少し歩いただけなのに疲れたのか、途中で買い物をして帰ったらなんだかぐったり。

〇今日も授業の合間の世間話で知ったが、中国では尼は僧よりも身分が低いので尊重されないらしい。一般の人もそう思っているそうだ。日本ではどうだろう。女性の僧侶のほうが珍しいから尊重されるような気もするが。そういえば、「阿Q正伝」でも、阿Qが尼に対してよからぬ想像をしたり、からかって泣かせたりしているが、あれもそういう考えの表れなのだろうか。


2021/04/01

みなさんはどう思いますか。

 「そばを食べる時に音を出すのはおいしいと思っていることを伝えるためだ」と北京大学出版社のテキストに書いてあります。私は同じ大学の日本人の先生や留学生の何人もにこのことを聞いたことがありますが、たいていの人は「麺を食べるときにそんなことを考えていない」との答えでしたが、みなさんはどう思いますか。