2021/02/28

昨日

 やっと水曜日に消えてしまったファイルをすべて作り直した。これで一科目分。

それとお寺の授業の一回目のPPTも作った。ここは一回ごとに様子を見て作っていく予定。

あと、もう一科目分は今日と明日でぼちぼちやろう。

〇夜になってから、ビリビリで張芸謀監督の「活着」を見た。ずっと昔に見た覚えがある。

このころの張芸謀はいい。でも、「HERO」のあたりからつまらなくなった気がする。「HERO」ってなんだったんだろうね。人をひもでつるしてヒュンヒュンとばしたりして。

「金陵十三釵」も原作にはない納棺師なんか出して、ヒーローものみたいにしないほうがよかったんじゃないかと。

なんとなくハリウッドっぽいものを目指したあたりからかな、つまらなくなったのは。

陳凱歌も最初の「黄色い大地」のころはよかったけど、だんだん正気の沙汰とは思えない映画を作るようになったし、どうしてみんなそうなっちゃうのかな…。


2021/02/27

グーグルのクラウドを使ってみよう

グーグルのクラウドにとりあえず写真などを保存することにしました。 Icloudも使っているのですが、勝手にIpad内のデータが同期されていて、何がなんだかわからない状態になっているので、大事なものはグーグルに置いておくことにします。

しかし、グーグルだとVPNの調子が悪いとアクセスできなくなってしまうので、無くしてしまいたくないものだけをそこにバックアップすることにして、やはり普段の保存用には外付けHDDを買うことにしようと思います。


〇昨日はプライムビデオで「ルーム」という映画を見ました。かなりシリアスな内容かもしれないと思いましたが、ストーリーがサクサクとあまり掘り下げられることなく進んでいくので、見るのにそれほど精神力を必要としません。しかし、この映画のストーリーが終わったあとに、登場人物のそれぞれの本当の試練が始まるような気がします。たとえば、息子が成長して自分の出生の秘密を理解するようになった時や、主人公の女性が新しい家族を作るためや仕事を探すために社会に踏み出した時などに。

〇夜になってから、授業のファイルの作り直し。でも、なぜか珍しく頭痛がしてきたので、早めに寝ました。


2021/02/26

 壊れたHDDはAmazonで買ったものだ。

11月の渡航前に慌てて買ってパソコンのデータを移した。

今使っているFujitsuのパソコンは超軽量だが、そのせいかHDDの容量が少ない。だから、動作がおかしくならないようにするために、パソコン内のファイルを移しておく必要があった。

その後、中国の自分の部屋についたのが11月の23日。そこにいくつもあったUSBメモリの中身も移した。

しかし、後から調べてみると、渡航前に移したデータ以外はすべてフォルダだけしかなかった。写真類を保存していたUSBからは、「切り取り」で移動させたので、そのUSBにあった写真はすべてなくなってしまった。

Amazonでこの製品のレビューを見てみようと思ったが、注文履歴から製品のページを見ようと思っても、もう製品のページが削除されてしまっている。販売元は中国江蘇省の会社。会社のレビューには「二、三回で壊れた」などのコメントがあった。


写真を保存していたUSBはそのまま上書きなどをしていなかったので、ネットで復元ソフトを購入して復元してみたら、ほぼ全部復元できた。

しかし、水曜日に作業したファイルはすべてダメになってしまった。

東芝とかのメーカー品でも、値段は変わらないのだから、そちらにすればよかった。だけどわたしは見た目で選んでしまったのだ。以前もそういうことがあった。学習しないわたし。

次は東芝のを買おう。

〇昨日は、まだ日本にいる先生の本人不在の引っ越しの手伝い。

日本にいるのに、大家の都合で退去してほしいと言われてしまったそうだ。運がいいことに同じフロアで同じような部屋が空いたので、そちらに引っ越すことになったのだ。このようなことがいつ起こるかわからないから、清く正しく生活して誰が急に入っても恥ずかしくない生活をしなければ。同僚の先生は清く正しく生活をしている人なので、その点は大丈夫なようだった。しかし、物が多くてわたしの五倍以上はあっただろう。

わたしの部屋は、でかいビスクドールがガラスの目を光らせて二人並んで座っているし、そのほかに市松人形もあるから、人によっては気味が悪いと思う部屋かもしれない。




2021/02/25

外付けHDDが壊れて

 昨日は作文の授業のPPTを一日かかって直して、外付けHDDに保存した。

夕食を食べに行って戻ってもう一度見てみたら、14本のファイルがどれも開けなくなっていた。HDD内の他のフォルダも見てみたら、このHDDを11月に買って最初にまとめて保存したもの以外はすべてフォルダの中身が消えていた。

写真類はUSBから「コピー」ではなくて「切り取り」で移動させたので、すっかりオリジナルもなくなっている。


何がどうなったのかが飲み込めて、ネットでファイル復元ソフトを購入して、いろいろな始末をして、念のためにHDD内のすべてのフォルダをUSBメモリにバックアップして、寝たのが4時。写真はだいたい復元できたが、一日がかりで直したファイルはもう一度やり直し。

USBやパソコン内のファイルを守るためにHDDを買ったのに、かえってこのHDDのせいでファイルを失うことになった。別に特に安いものを買ったわけでもないのに、こんなにすぐに壊れるとは。

今日は昼から他の先生の引っ越しを手伝うためにでかけるので、明日もう一度新学期用のファイルは作り直す予定。

2021/02/24

 「一个女人的史诗」を最後まで見た。

文革がおこってみんなそれぞれたいへんな思いをしたが、最後にはみんなまずまず平穏な暮らしに戻る。タガが外れた感じだった娘も大学生になり、夫の昔の恋人もふたたび現れるが彼女は彼女で別の人と結婚することになっており、年長の人たちは死んで、おしまい。


彼女と結婚できなかった年長の首長は、彼女の不幸せな結婚を陰ひなたになって助けてくれて、これが感動的なことになっているが、客観的に見れば、既婚男性が情実で自分が好きな女性を助けているわけで、違う扱い方をすれば、別の下品な物語にもなるであろう。


ドラマを見終わったら、小説のほうも読んでみようかと思っていたが、最後まで見て興味があまりなくなったので、エイミ・タンの自伝を買ってみた。原著は英語なので、中国語の翻訳本。まだ最初のほうしか読んでいないが、厳歌苓に比べると読みやすい。難しいスラングなどが出てこないせいもしれない。


〇しかし、夜になって念のため次学期の授業のPPTを見てみようと思ったところ、作文の第一課のPPTが見つからないのだ。昨年、ネット授業をするためにいろいろ加工したときに、中途半端なファイルをたくさん作ってしまい、それを整理するときに間違って削除したのだろう。しかたがないので、スライドショーのファイルをスクリーンショットして加工し、PPTに貼って新しいファイルを作っている。昨年のネット授業のせいで、また面倒なことがおこってしまった。

2021/02/23

昨日もドラマの続き

 「一个女人的史诗」の続きを見た。

劇団内の風紀を乱したということで、蘇菲は結局下放されることはなかったが、主役級の女優から外され、男のほうは工場にやられる。

その後、蘇菲は夫に献身的に尽くす生活を送るが、夫は病気がちにもかかわらず相変わらず他の女性と曖昧な関係を続ける。その後、文革が始まって、ブルジョワ出身で文化人である夫は例にもれず労働改造へ。一家は生活に窮するが、蘇菲は足しげく夫の下に面会に通い、やっと夫の心が彼女に向きかける…。

というところまで。


弹幕を見ていると、みんな夫の欧陽を罵倒しているが、もとはといえば、蘇菲が一方的に酔っぱらった欧陽のところに行って子どもを作ってしまい、彼は意中の人との交際をあきらめざるをえなかったのだから、彼にも言い分はあると思う。

実際には彼女の感情に流されて考えが足りないまま行動したことが大本の原因なのだが、やたらに周囲に小ずるい人間ばかりが登場して、おとしいれたりいれられたりということが続き、その中で「彼女だけがピュア」という状況が同情を引くようにドラマが作られている。それを見ているのはイライラするし、とても疲れる。

しかし、それだけに先を見ずにはいられないのである。うまくできたドラマだともいえる。

2021/02/22

ぶらりと湖畔に行ってみた

 昨日はぶらりと湖畔に。

人がいっぱいで疲れた。

写真はきれいだが、きれいではないものもたくさん見た。

帰ってからはまた「一个女人的史诗」の続きをみた。

夫の欧陽は、妻とは違って教養があって文才があるタイプの女性に惹かれるらしく、今度もまたそういうタイプの女性と親しい関係になる。

妻の蘇菲は、夫の女性関係にやきもきする日々をすごしているが、そんなときに年下の同僚に片思いされる。勝手によってきて、気を引いたりすねたりする面倒くさそうやつ。暗闇で抱き着かれたところを人に見られて、若い男のほうは蘇菲のほうが言い寄ったのだと嘘をつく。こうして男の行為は不問に付されるが、年長の蘇菲は懲戒処分として下放されることになりそう…。

というところまで。

面倒くさそうな男女のやりとりが続く。わたしはこういうのはあまり好きではないのだけれど、つい先が気になってしまう感じ。(←結局、好きっていうことか…)



昨日撮った写真 試しに写真を載せてみます


 

2021/02/20

 テーマ:

昨日もだらだらとドラマ視聴。

もうそろそろ来学期の準備もしなければならない。

だいたい去年と同じ内容だが、少し変えるつもりなので。

それに学生に準備するものも連絡しなければならない。

中国ではなんでも直前にならないと連絡をしないので、あまり早く連絡をすると必ず「忘れました」、

「見落としました」という学生がでてくる。

今週の末くらいに連絡するのを忘れないようにしよう。

 

ドラマでは、主人公の蘇菲が酔っ払った欧陽(彼女の意中の人)のところに行って関係を持ってしまう。

その後、妊娠したことがわかり、欧陽には他に付き合い始めた恋人がいたのだが、蘇菲と欧陽は結婚する。

その時代のことであるし、そうするしかなかったのである。もちろん、欧陽は不承不承結婚するのである。

 

その後、子どもも生まれ、もともと蘇菲に愛情を感じていない欧陽だったが、だんだんと結婚生活になじんでいく。

その後、同僚に妬まれたり、陥れられたり…などのできごとがいろいろあり、三反五反運動がはじまって、

周囲の人たちも巻き込まれていく…。

 

というあたりまで見た。ここまでで三分の一。

主人公があまりにも考えなしにその場その場の感情で生きているような気がしてしまう。

主人公の世故にたけた母はそういう娘を憎たらしいほどにズケズケと叱るのだが、そちらのほうに共感するわたし。

あー、年をとったんだな。

 

 

 

2021/02/19

一个女人的史诗

 おとといから「一个女人的史诗」というドラマを見始めた。

これも厳歌苓原作。

若い頃の趙薇が主演しているから、かなり前のドラマのはず。

 

主人公は昭和時代の少女漫画の主人公みたいなかわいくて単純なドジっ子。

ささいなことで家出をして文工団に入る。

舞台上でも失敗してしまって「てへっ」てな感じでも、みんなニコニコしながら見守っているような。

自分の命を救ってくれた若い男子に恋をするが相手はそっけない。

そのいっぽうで「ニコニコしながら見ていた観客」の中にいた首長(かなり偉いらしい)に見初められる。

年の差がかなりあるし、他に好きな人がいるので、主人公女子は乗り気ではないが、周囲の人にだんだんと

外堀を埋められてしまう。首長は革命に若い年月をささげてしまったためにその年齢まで結婚できなかった人で、

なかなか人柄もよいので、断るに断れない感じ…。

 

いままで見たところはそんなストーリーである。

演じている俳優のせいかもしれないが、主人公女子が懸想している男子よりも、老幹部(と言っても40代らしいが)のほうがいいんじゃないかと思えてしまう。若い方の男子は、気難しそうでちょっとイタイ感じ…。

 

 

2021/02/18

小姨多鹤 と美容院

 今日は美容院に行った。

この間、ショッピングセンターを歩いていたら日本式の美容院があったので入って予約だけとったのだ。

それで今日行ってみた。

 

北京では近所の適当な美容院に行っていた。

南方に引っ越してきてからは中国の美容院には行っていなかった。

半年ごとに日本に帰るのでそのときに行って、あとは適当にやりすごしていたのだ。

しかし、今回はまだ当分、日本に帰れそうもない。前回、髪を切ったのは10月ごろ。

近所にもいくつか美容院はある。しかし、中国の美容院だと前の人が使ったようなものを首に巻かれたりして、

なんとなくいやだったのだ。しかも、いまはコロナの時期だし、できれば避けたいなと。

どうせ切るだけなのだし、多少高くたって知れている。…というわけで日本人が経営しているところに

行ってみた。

切ってくれたのは中国人だったが、ていねいで親切だった。

うまく話がつうじなければ日本人の老板から伝えてもらうこともできるらしい。

 

次からもそこにしよう。海外にまできて日本人の店に行くのはどうかと考えるむきもあるかもしれないが、

それでなくてもいろいろとストレスが多いのだし、それくらいはいいだろう。

 

〇「小姨多鹤」は読み終わった。

小環は中国人女性の典型であり、多鶴は日本人女性の典型と書いてある読後感もあったが、

わたしは多鶴には共感も親近感も感じなかった。

中国人からみた多鶴は中国語もあまり話せなくて、何を考えているのかわからない女性ということになっているが、

わたしのような日本人からみてもなんとなく共感しにくい。

ドラマはどうかしらないが、この小説をみると、小環のほうがずっと魅力的な人物にみえる。

おおざっぱで、けんかっぱやくて、率直で、世間ずれしていて、でも、愛情深い。

それに対して、多鶴はどうなんだろう?

もともと張倹に対して愛情がなかったのに、張倹がにわかに彼女に愛情を持つようになると、なぜか同時に彼女も張倹を愛するようになって、

ところかまわず愛欲に溺れるとか、その常軌を逸した感じがもう何がなんだかわからない。

多鶴はガラス窓も床も毎日磨きこみ、家族の服にぴしっとアイロンをかけ、でしゃばらず、おじぎばかりをし、夫(正式にはそうでないが)が返れば跪いて靴を脱がせ、いつもにこにこしている。

多鶴の謎にみちた背景や悲惨な経歴、それに敵の日本人を愛するという背徳感が刺激になって、夫の会社の後輩の

男性ふたりがあわよくば多鶴とどうにかなろうとするのだが、多鶴もはっきり拒絶するわけでもなく、隙が多すぎる女性という感じがする。

なんだか、こういうのが日本人女性のステレオタイプなのかと思うと辟易してくる。最近、わたしは妙にそういうことが気になるのである。

 

また、この小説はなぜかこまごまと食べ物や衣服の説明をしているかと思うと、肝心なことがさらりと書かれていたりする。

最後のほうで、日中国交正常化にともなって、多鶴が日本に帰国することになる。多鶴は張倹を日本に連れて行って治療を受けさせるために、正式な妻としての届けをを出す。こういう小環にとっては残酷なことがさらりと記述されている。結局、多鶴が日本につれていった夫が死に、娘家族と息子の一人が多鶴の呼び寄せで日本に移住し、もう一人の息子も遠くに住むことになって、あんなに家族につくした小環はひとりで最後に残される。犬だけが話し相手である。

 

この結末は心に刺さった。なんだか、わたしの現実に重なって…。

 

 

2021/02/16

春節

 中国で春節をすごすのは初めてだ。

しかし、わたしのこのごろは家でネットで記事を読んだり、本を読んだりするだけだ。

近所は住宅地なので、朝から晩まで老人の大音響のカラオケが聞こえるだけだ。

通りにでてみると、マクドナルドやコンビニのような店は開いているが、個人商店は果物屋以外は

ほとんどしまっている。昨日は繁華街まで画展を見に行ったが、とくにこれと言って

普段と変わりがない。

お寺も最初は無料開放すると言っていたが、結局は春節中は開放しないことになったらしい。

 

普通の年だったら、もっと正月らしい何かがあるのだろうか。

2021/02/13

「43回の殺意」

 日本でまた大きい地震。

息子がウィチャットで教えてくれたけど、そのときにはネットニュースで見ていた。

こういうのって、あとからだんだんといろいろな被害がわかってニュースになるんだよね。
あまり大きな被害がでませんように。

〇「43回の殺意」という本をKindleで買って読んだ。
あの川崎中一殺人事件の本だ。
ただの好奇心から買って読んだが、読んだら実に胸糞で眠れなくなった。

どうしてこの事件に興味があったかというと、わたしが若い頃その現場付近に住んでいたことがあったからだ。つまり大師線の沿線に。

そこがどういう土地柄か知らなかった。
不動産屋につれられて新築のかわいらしいマンションを見に行って気に入り、
あまりよく考えずにそこに住むことに決めた。
仕事がいそがしかったので寝に帰るだけであり、そうしているうちに結婚してそこを離れることになった。だから、土地柄が悪いと感じることもなかった。
しかし、大師線沿線の〇〇駅の近くに住むことに決めたと、取引先の人に言ったら、
「えっ。あそこ?」という微妙にひっかかる反応をされた。
たぶん、彼はそこの土地柄を知っていたのだといまにして思う。

殺された子の親を責めるわけではないが、この子も違う環境に生まれていたらこんなことにならなかっただろうと思わずにいられなかった。
少なくとも、深夜にでかけるのが当たり前ではない環境だったら?

2021/02/12

BL

 今日は初一らしいが、別にどうということもない。

食べるものがなくなったので、あとででかけなければならないが。

昨夜は深夜まで甲高い声で騒ぐ人たちがいて、
今朝は早朝から甲高い声でカラオケをする人がいる。

まあ、正月だから?

〇ねいさんのところに書かれていたことをみて思ったのだが、わたしにはBLというものが理解できない。Amazonアンリミテッドの契約をすると、本のリストにBLコミックがぞろぞろと上がってくるから、こういうものをそれこそアンリミテッドに読んでいる人も多いのだろう。わたしが子どものころにも竹宮恵子などが人気だったから、最近こういう傾向がはじまったわけでもないのだろう。日本だけでなく、中国でもBL愛好者の女の子がたくさんいる。
以前、学校の子たちと食事にした時に、あるBL好きの女の子が「BLコミックを読めば、LGBTの理解にもつながるし、いいことなんじゃないか」と言っていたが、そういうことはないと思った。だって、BLはただの妄想だし、かえってステレオタイプや偏見を強める作用があるかもしれないではないか。勝手に妄想を膨らまして自分の欲求を満たすという点では、レズビアンものAV愛好のおっさんと変わらないのではないか。おっさんたちがいくらレズビアンものを見ても、LGBTの人たちが生きやすい世の中になるはずがなく、かえって気持ち悪い偏見が強化されるだけである。

わたしがBLになんとなく嫌悪を感じるのはそのあたりである。

2021/02/11

小姨多鹤

 ひきこもりはやめよう、今日こそはでかけようと思っていたが、

あいにくじとじとした雨。
家にはでかけなくても十分なくらい食べ物があるし、今日もでかけないかも?

〇「芳華」も、「金陵十三釵」も、「帰来」も、みんな厳歌苓が原作を書いているのだ。
このひとはそういえば、あの胸糞映画「シュウシュウの季節」の原作者でもあるのだった。
この人の人気の理由のひとつは、性の問題などをタブーとせずにバリバリ書いてしまうところにあるんじゃないかと思う。

いま、彼女が書いた「小姨多鹤」という小説を読んでいる。
ドラマにもなったらしいが、劇中で「日本人女性の多鶴」が変な寿司を作って「おいしい!」と思わず日本語で声をあげてしまい、日本人だとばれるという片段をビリビリで見て、見る気をなくしたので、小説のほうを読んでいる。
日本人であることを隠そうとしているなら、なぜ「寿司」を作るのか。
それもサーモン寿司。たぶん、1950年代。
そんな時代には日本でもサーモンを寿司にすることはなかったはずだし、まして中国で生で食べられる魚が手に入ったのか。
海苔巻きの上に醤油をつけたサーモンの刺身を乗せて食べるのだと。
もうそのでたらめさが無理。

第二次世界大戦の末期に、ある夫婦の妻が日本兵の暴力によって子どもが産めない体になる。そこでその夫の両親が子どもを生ませる道具として残留日本人の若い女性を買って息子にあてがう。その後、この「三人の夫婦」がどのようにして彼女が日本人であることを隠しながら、中国人の妻を三人の子どもの「母」、日本人女性を子どもたちの「叔母」という体裁にして生活していくか…。それも、プライバシーもあまり守られない夫の会社の社宅のような環境で…。

そういう話である。これだけ読んでも、人々の劣情から生じる好奇心をくすぐりそうなストーリでしょう?

この小説の主人公の中国人夫婦は確かにすごく中国人風。
雑な生き方をしているけれど、人間味があって懐が深い。
これはすごくわかりやすい。中国人が考える中国人の良さを集積したような人物像って、こういうものなのだろう。
しかし、この多鶴のほうはどうだ?作者は日本に取材に三回行ってこの人物像を作ったそうだけれど、たしかに「取材三回」の人物像だなと思う。
まるで日本人女性のステレオタイプでもう辟易してきた。しかし、今さら知ったわけではないが、こういうのが日本人女性のステレオタイプなんだなと改めて確認できる。

昨日までで三分の一読んだが、先を読み続けるかは考え中。

2021/02/10

盒马

 盒马で買い物するのがたのしくてつい買いすぎた。


昨日はまずカフェでコーヒー飲んでから、盒马で買い物して買ったものを置きに戻り、その後またでかけてMUJIで買い物して家の近くにきてからまた盒马によって買い物して帰った。

盒马で買ったモンブランのケーキはおいしかったが、日本円にすると400円くらいだから、日本の価格に比べてもそう安くないのだった。水餃子も一食分で500円以上。でも、おいしかった。
やはりモノの値段と言うものは、品質とある程度は比例するのである。
本来そうじゃなければいけないよね。

日本は、品質を高くしても値段を安くしますということにしたところから、おかしくなった気がする。
それで何がわるいといわれそうだが、結局、価格とは評価であり、高品質低価格というのは、とりもなおさず高品質でも評価しないということだからだ。
わたしがいた翻訳業界でもそうだったが、まじめに仕事をする日本人に「中国人ならもっと安く仕事をしますよ」と言って値下げをせまってきた結果がいまだ。中国人は高品質のものには高価格をつけている。才能がある若い人には高給を出している。そうやって内需を増やして繁栄している。(もちろん、これといって能力がない人は貧乏だけど)

低料金でも最初は精神論にたよって品質は保てるだろうが、そのうち、薄利多売のほうが有利だという圧力にだんだん負けて、高品質を目指さなくなるだろう。
日本の多くのスーパーでは、しょうゆでも麺でもいつのまにか高価格帯のものが消えていって、安くてそこそこ品質のものだけになった。一生懸命いいものをつくっても、それを評価して高く買う人がいなくなれば、技術は低下していくだろう。

いま中国がだんだんそれと逆の方向に進みだしている。
こういう形で日々母国の没落を体感している。

2021/02/05

金陵十三钗 (小説)②

 昨日は、昼前から「金陵十三钗」を読み始めたらやめられなくて終に読了。


映画と小説では設定がずいぶん違った。
映画では、納棺師として教会を訪れたアメリカ人が義侠心にかられて少女たちを守るヒーローになるという
現実にはあり得ない感じの設定だが、やはり小説ではこんな人物は現れず、もともと教会にいた西洋人の神父と副神父が少女たちを守るのである。こんな安っぽいハリウッド的改変をしたのは、張芸謀がアメリカ受け、もしくはオスカー受賞を狙ったから?

そして小説では、神父自らが「純粋な少女たち」の代わりに「もはや純潔ではない娼婦」を差し出すことをあまり葛藤することもなく決意するのである。
招かれざる客である娼婦たちが、教会という神聖な場所で、これもまた無理やりに教会に紛れ込んだ軍人や教会のコックの劣情を煽り立て、副神父までがよろめいてしまうのだから、まあそれも当然という流れとなっている。しかし、イエス・キリストは遠藤周作が言っているようにそうした虐げられた弱いものこそ憐れむのではないだろうか。そんな考えでいいのか、神父?

その後、神父が娼婦たちにその話を切り出す前に、娼婦たちが自ら犠牲になると言い出すことによって、小説の中では彼女たちが神聖で尊厳あるものとして読者に印象づけられるから、まあ、神父がいったんはそう考えたとしてもいいでしょうと作者が考えているということなのだろうか。

2021/02/04

執長竿入城

 日本語の本と中国語の本と古漢語のテキストを並行して読んでいる。


古漢語のテキストは、やはり外国人が勉強するには、中国人の子ども向けよりも、外国人留学生向けのほうが勉強しやすい。

昨日は、「執長竿入城」。テキストの「古代笑話」という章にでてくるのだが、
わたしの頭が悪いせいか、どこがどう笑えるのかわからない。

たとえ城門を通れたとしても、長い竿を切ってしまったら、竿として使えなくなってしまうから、しかたがないということなのだろうか。
誰か教えて。

〇同じ章に「懶婦」という話も載っている。これは同じような話をなんどか読んだことがあるが、主人公は子どもだったり、夫だったりした。しかし、原作の主人公は女性だったということなのだろうか。それとも、もともといくつかのバージョンがあったのだろうか。

2021/02/03

金陵十三釵(小説)①

 昨日から「金陵十三釵」を読み始める。

 設定がいろいろと映画と違う。
 映画では主人公だったアメリカ人の納棺師がそもそも出てこない。
 アメリカ人の納棺師は死んだ神父を葬るためにやってくるのだが、その神父が死なずに
 教会の統率者となっている。
 「単騎なんとか」がそうであるように、張芸謀はこういうやり方で外国人の有名な俳優を戦略的に使うのだろう。そうすれば、海外でも話題になるし。中国映画はあまり日本では上映されないが、「単騎なんとか」が日本で上映され親しまれたのは高倉健が主演だったからだろうし、「金陵…」がアメリカで上演されたのもアメリカ人の俳優が出演したからだろう。張芸謀は商売上手なのである。

〇「初恋がきた道」は、結局、まだアクがでていなかった章子怡のかわいらしさが売りの映画だったのだと思う。ストーリーだって単純だし。当時は中国映画というと単に娯楽のために見るのではなく、知識人とかマニアとかが中国の特殊な雰囲気を感じとったり、何かのメッセージを得たりするために見るものという感覚がまだあったような気がする。それが陳腐ともいえる恋愛映画だったので、「それだけ?」と思ったのだ。当時、大学時代のクラスメートと食事したときに、「あれ見て、それだけ?と思った」という話をしてうなずきあったのを覚えている。たぶん、章子怡のかわいらしさに胸がキュンとした人だけが感動したような気がしたのだろう。

2021/02/02

金陵十三釵(映画)

 昨日、「金陵十三釵」を見た。夜、息子からウェイシンで電話がかかってきたので、

見るように言ったが、そんな重そうな映画は見たくないと言われた。
それもそうだ。「シンドラーのリスト」や「火垂るの墓」と同じくらい重い。

南京事件のときに、女子学生十四名が教会に逃げ込んでくる。その後、娼館の娼婦もむりやりに教会に逃げ込んでくる。
その後、教会に飛び込んできた流れ弾で女学生一名が死亡。

その後、日本軍の兵士たちが乗り込んできて狼藉を働く。そのどさくさで女学生一名が死亡する。
数日後、日本軍の将校がやってきて、女子学生十三名を日本軍のパーティに招待する。もちろん、いかないという選択肢はない。そこで余興に歌を歌ってほしいというのがその理由だが、もちろん誰も歌を歌うだけで済むとは思っていない。
そこで女性学生に変わって、娼婦たちがみずから身代わりになって日本軍の下に赴いて、そのすきに女子学生たちはトラックの荷物の下にかくれて南京を脱出する。

〇ストーリーは以上のようなものだ。
わたしは日本人として、南京事件についてまったく日本の罪行を否定するつもりはまったくない。しかし、それ以外の部分で、これを見て納得がいかなくて、胸が苦しくなった。

物語の中で娼婦たちの何人かについて、自らが娼婦になった経緯が語られる。もちろん、なりたくてなったはずがなく、その当時の中国社会の悲惨な境遇の中でそうならざるをえなかったのだ。彼女たちは自分たちの社会における位置づけを知っている。そういう自分たちだからこそ、少女たちの純潔を守るために犠牲になりましょうと自ら言うのだが、そこがなんだかな。

この映画はどこが「感動的」だというのだろうか。
中国の社会で性的虐待を受けてきた女性なら、日本人の下でまた性的な虐待を受けてもいいということなのだろうか。いったん踏みつけられて汚れてしまった女性は、また他人に踏みつけられていいということなのだろうか。

中国の社会は、女性の「純潔」について今でも日本よりも重視する社会である。
日本からのAVの流入もあるが、そういう面でのこともあって、日本人女性は「開放的だ(つまり性的に)という偏見も根強い。
女性の価値をそこに置く中国の観念がこういう物語を感動物語として生み出したのではないかと思えてならない。

こういうことは多かれ少なかれ日本にもある。

たとえば、沖縄などで一般女性を守るために売春施設は必要悪なのではないかというような議論があると聞いたことがあるが、女性は女性なのであって守られるべき女性と守らなくていい女性があるわけではない。いったん何かの理由で「守られなくてもいい女性」の範疇に入れられてしまったら、もうその内面の葛藤は無視していいものなのだろうか。

2021/02/01

もう二月

 もう二月。


先週、このアパートに入居した日本人の先生が間に合わせの生活用品を買ってもらうときに、
わたしも便乗して電気ヒーターを買ってもらえた。

今日は雨降りで寒いのでそれを使っている。
しかし、スマホで週間予報を見ると、もうそんなに極端に寒い日はないようだ。
12月が一番寒かった。そのころはまだ通常通りに授業があり、
それも朝いちばんから始まるので、6時40分に家を出ていた。
わたしの部屋は大丈夫だったが、水道管が凍って水がでなくなった部屋もあったらしい。
そうなるとエアコンでは部屋は温まらず、布団乾燥機で布団を温めて早い時間に寝ていた。

その愚痴を他の中国人の先生に言っていたのが、伝わったのかもしれない。

〇今日もでかける気がしないので、家でビデオをみたり、勉強したりするつもり。
古漢語のテキストは、わかる部分には注釈がついているのに、わからない部分には注釈がついていない。そこでもう一冊、語言大学の外国人向けのテキストを購入した。
これを先にやっていれば、大学院時代の勉強ももう少し有意義なものになったのかもしれないと少し後悔。