2023/01/31

一公園から浄慈寺まで

 昨日は銭王祠を見学した後、一公園から「柳浪聞鶯公園」を通過して浄慈寺まで。

 ↑銭王祠


一公園から浄慈寺までの道は、六公園のあたりよりも人が少なくて、景色も美しく、気分がよかった。浄慈寺の道を挟んで前には雷峰塔があり、そちらのほうが観光客であふれていたが、前にも行ったし、昨日はそちらはパスして浄慈寺のほうにいった。運よく無料開放日だった。

通りからみると、寺の門しかみえず、そんなに大したところにみえないので、いままで素通りしていたのだが、仏学院に行くようになってから、鎌倉時代に道元が日本から行ってこの寺の住持を務めたこともあり、85年に日本曹洞宗永平寺が寄贈した大梵鐘があるということを知って、一度行ってみようと思っていたところだった。




中に入ると、外からみるのと違って大きくて立派な寺院だった。中には、小さな美術館や済祖殿もある。釈迦殿は石段を上ったところにあって行くのに骨が折れたが、そこからの雷峰塔などの景色はとてもよかった。

帰りはバスで途中まで戻り、地下鉄に乗り換えて買い物して帰宅。

少し歩きすぎたせいか、疲れた。帰るころには、足の小指の爪が薬指に当たって痛かった。それに、荷物が重く思われてしかたがなかったのだが、帰宅してリュックの中をよく見たら、底に前日買った醤油が入れたままになっていた。


↑浄慈寺の大梵鐘。鐘をつくのは有料。



2023/01/30

映画「満江紅」

 昨日は買い物ついでに映画を見に行った。

最近は中国も物価があがって映画のチケットも76元。

学校から無料券をもらったが、うちから遠い場所の映画館でしか使えないので、自腹で買う。

中国のチケットは時間帯や映画館や作品によって価格が違う。もしかしたら、張芸謀の正月映画だから高かったのかもしれない。

「満江紅」というのはもちろん杭州ゆかりの武将岳飛の「満江紅」のことだ。南宋が舞台で、いま女の子の間で爆発的に人気がある易〇〇〇(字を出すのが面倒)が主役を演じる。

時代劇の言葉が難しすぎてついていけなかったが、金の使者が持ってきた密書を主人公らが捜す話で、陰謀に次ぐ陰謀、裏切りに次ぐ裏切り、どんでん返しに次ぐどんでん返しという凝ったストーリーの中で刺したり刺されたりの血なまぐさいシーンが繰り返される。

走狗だとおもっていた主人公が実は愛国者だった(もしくは心を入れ替えて愛国者になった)というところが、感動のつぼらしい。

というわけで、見るつもりもなかったのに正月から中国愛国映画。最近、張芸謀も陳凱歌も愛国映画多くない?

映画を見てから、いつも通りサイゼリアで食事して帰宅。

その後、家でずっとだらだらと本を読んで夜更かしした。

いまさらなのだが、「木嶋佳苗」についての本にハマっている。この人おもしろすぎる。

以前に買った本だが手元にないので「毒婦たち 東電OLと木嶋佳苗のあいだ」という本もまた買いなおして読んだ。次は本人の手記を買って読んでみよう。

2023/01/29

歩いて歩いて

 今日も湖畔の散歩。

むかし、よく中国のじいさんに連れられてあちこちに行ったのだが、

いろいろな場所の位置関係がわからなかった。

この数日、自分であちこち歩いてみて、やっと何がどこにあるのかつかめてきた。

家にいると、気分がどんよりするが、外に出て冷たい風に吹かれて前へ前へ歩くと気持ちが晴れてくる。

もっと早くこういう習慣を身につければよかった。

夕方になって気がついたら、今日は中国では普通の会社などは振替出勤日だ。

それなのに、人出が多かった。

帰りにMUJIカフェに行って、プレートに乗ったセットを注文したが、

来てみたら、白米など糖質が多すぎて半分以上残してしまった。

あと一か月くらいは、食べるものにも気をつけて、新学期までには心身ともにすっきりとしたわたしになりたい。



              ↑マルコ・ポーロ


             ↑秋瑾

〇うちの息子の母校の高校は、次の年度からインド人が校長になるらしい。この人はすでに前年度から副校長を務め、次年度から校長になることもとっくに決定していてニュースにもなっていたらしいのだが、今まで知らなかった。

部活動では日本語を禁止してすべて英語を使うなど、英語教育に力を入れるらしい。

何事でも変化させるって難しいから、こういう人が来て、今までとは全く違う発想で学校を変えていくことが大切なのかもしれない。

変化するって、いいこととも限らないが、それでも変化の予感ってワクワクするよね。

2023/01/28

運動不足なので

 運動不足なので、毎日バスにのって適当なところにでかけ10000歩くらい散歩している。

昨日は断橋から蘇堤のあたりまで歩いてバスに乗って帰ってきた。

断橋は人がぎっしり。この土日くらいまではまだ休みをとって観光している人が多いのかも。

帰りのバスも渋滞した道を行くので、歩くのよりも遅かった。

観光地や繁華街のそばに住んでいるのに、普段は郊外にある学校と市街地の住宅街にあるアパートを往復しかしないので、こうして歩いてみると今さらながらいろいろな発見がある。

今日はこれからどうしようかな。

2023/01/27

教養がないのは悲しい

 浙江省博物館に行ってみた。

以前は入口でパスポートを出せば入れたが、いまはウィチャットのミニプログラムで予約しないと入れなくなっていた。やってみたらかんたんだったが、中国は海外からの観光客などには厳しいところになったと思う。博物館では予約の時にパスポート番号を入力すればよかったが、以前、虎跑公園に行った時には、チケット売場で「スマホでQRコードをスキャンして買え」と言われ、やってみたが、中国人の身分証明書番号がなければできず、スタッフに言ってやってもらった。おかげで雨の中で10分以上待たされた。

中の常設展示は以前と変わらなかったが、地下で特別展示をしていた。「天下己任 宋代士大夫の精神世界」。青磁だの書だの、いろいろ展示してあったが、教養のないわたしにとっては、何を見てもたいして印象に残らず。こういうものって、知識や教養があるかないかで、得られるものが全然違う。たぶん、このブログを見ている諸姉なら、興味深くみて、いろいろ得るものがあるんだろうなと思ったら、悲しかった。(しかし、これを見に来ている多くの中国人もわたしと同様だろうと思う。)




2023/01/26

春節終われ!

MUJIカフェに行って食事したいけど、春節終わらないと人が多すぎ。

除夕には、学校の同僚の先生に誘われて、食事に行った。

レストランの窓から、武林公園であげている花火が見えた。

こんな除夕らしいことをしたのは、中国にきてからはじめてだ。

しかし、その後はまた何もない日に戻ってしまった。やっと体力が戻ってきたので散歩に行ったり、どうでもいい本を読んだりしている。

このあたりは観光地だから、市の中心部へ向かう地下鉄は時間によってはとても混む。

行ってみたいところもあるのだけど、今は行かずにもう少ししたら行こう。


↓西湖畔の「惜別白公」。こんな近くで写真を撮ったのは、人多すぎるから。



2023/01/20

活動しよう

 ずっと家にばかりいたので、太ってきたし、筋肉も落ちてきた(ような気がする)。

そういうときなのに、居留許可証の延長のために健康診断に行って来た。

ああ、やっぱり。

体重は少し増えていた。これはあと一か月ある休みのうちに元に戻そう。

それと、血圧が「要観察」。一度目に計ったら150くらいあった。

「ええっ、普段はこんなにないのに」と言うと、もう一度計らせてくれた。今度は146。

こんなに高かったのは初めてだったので、ショックだった。体重が少し増えたせい?

家に帰ってさっそくオムロンの血圧計を購入。届いたので計ってみたら、

何回計っても、120くらいにしかならない。

ネットで調べたら、病院などで計ると高くなることがあると書かれていたが、これまでこういうことはなかった。

とすると、わたしの血圧は正常なんですか。異常なんですか。

2023/01/19

編み物する人

 気持ち悪い学生、気持ちが理解できない学生。いますいます。

いちばん気持ち悪かったのは、去年、別の学科の「日本語語音」の授業を受け持った時。

わたしはそういう初歩の授業をほとんど受け持ったことがなかったのだけれど、その時は教師の都合がつかなくて、わたしが一週間に二コマ受け持った。

学生からみると、「語音」なんて「ちょろい授業」なので、いかにも気を抜いている感じがする。

まあ、自分が学生でもそうなるだろうからそこまではいい。

でも、授業中に机の上に毛糸だまをだして、何やら棒編みで何かを編んでいる学生がいるのだ。出席の時に名前をチェックするとクラス委員長。

わたしと目が合っても平然と編み続けている。

しかたがないので「授業中はしまってください」と言ったらしまったが、

次の授業ではまた棒編み。

そういう学生って気持ちわるくないですか。話が通じていないわけではないけど、

平気で相手のいうことを無視できるとは。

だったら授業に出ないで寮で編み物していればいいのに。そこまで編み物って大切なんですか。仕事かなにかなんですか。

いろいろ思ったが、次からは何も言わないことにした。平常点はそれなりに低くしたけど、当たり前でしょう?



2023/01/15

相変わらずゴロゴロしている

 雨ばかりが多いので相変わらず家でゴロゴロながら、本を読んでいる。

「からくりからくさ」も読んだし、「傲慢と善良」も読んだ。

「からくりからくさ」は登場人物の何世代にもわたる人間関係が複雑すぎて前回は途中で何がなんだかわからなくなりながら読み進めたが、今回もそうなった。最後にりかさんに重い役割を負わせすぎじゃないのか。内容がさらにオカルトチックになるので苦手な人は苦手かも。

「傲慢と善良」もおもしろそうと思って読んだが、そうでもなかった。途中で、主人公の女性が「ストーカーに追われている」という狂言芝居をうって結婚に持ち込むあたりはおもしろかったが、被災地にボランティアにいって癒されて再生みたいな結末が苦手。傷ついていやされるべきは被災地の人々のはずなのに、そこに逆に、心に問題を抱えた人が癒しや再生を求めていくなんていうファンタジーが蔓延したら、被災地の人たちの負担を増やすことにしかならないんじゃないのかと懸念してしまう。

そのあとは「鬼が来た 棟方志功伝」を読んでいる。おもしろいが、これも読んでいるといろいろ辛くなるので、上を読んだら下を読まないかもしれない。天才棟方志功は魅力的で大好きだけど、奥さんたいへんだったね。わたしならごめんだわ。

2023/01/13

日本語を学ぶ意味

 ここニ三年、感じるのは中国人にとって日本語を学ぶ価値は年々なくなっているのだろうということだ。

 いまの五六十代の人たちが若かったころは、日本に留学すれば先進技術が学べたし、仕事にありつけば、中国にいるよりもずっといい生活ができたし、貨幣価値がまったく違ったから仕送りだってできた。しかし、いまは、どれも手に入らなくなった。

 わたしがいる大学では、日本語学科以外の日本語履修者が非常に多くて、日本語学科の教員の数も年々増やしている。それは、いまの中国の大学受験で日本語を選択すれば英語を選択するよりも高得点が狙えるからで、受験勉強の一環で日本語を勉強した学生が「省力化」のために第二外国語として日本語を履修するからだ。大学入試の日本語が英語と同程度の難度になったら、大学の日本語履修者も減るだろう。

 わたし自身、もし自分が中国人の親だったら、子どもが日本語を学ぶことに賛成するだろうかと思うことがある。対日感情などの問題はとりあえず脇に置くとして、「大学では別の専攻にして、日本語は趣味の範囲でやったら」と言いそうな気がする。学生に「あなたが魅力を感じた日本の文化」のようなテーマで作文を書かせると「わたしが日本語学科に入ったのは、大学入試で失敗して希望する学科に入るのに十分な点数がとれなかったからです(つまり、もともと日本文化などに興味はない)」と率直な意見が書かれていることがある。それを見ても嫌な感情もわかない。それもそうだろうなと思うのである。衰退する日本でごめんねとわたしが謝る筋合いでもないのに、思うことさえある。

2023/01/07

昨日は「りかさん」

 昨日は「りかさん」を読んだ。

この本はずっと以前にも読んだことがある。いつのまにかkindle版がでていたので買って読んだ。


こういう人形の話は怖いと思う人もいるのだろうけど、人形好きにとってはある種の憧れだ。

この本にも書いてあるように、人形は人の心の重荷を預かってくれる。

でも、それができるのは、力がある人形だけ。「リカちゃん」ではなくて、「りかさん」でなくてはその力がない。

わたしもお人形と暮らしているが、普通の人からすれば「散財」にしか見えないだろう。

いまの部屋には大きなビスクドールが二つと市松人形一つがある。ビスクドールは長い時間を人の間を渡り歩いてわたしのもとに来た人形で、市松人形は愛知の人形師さんのもとを訪ねて迎えた人形だ。

朝、眼がさめたら一声かけ、出かける時や帰宅した時にも一声かけることが、生活の一部になっている。

この人形たちには「力」がある(つまり魂が宿っているように見える)ので、人によっては写真だけでも怖がるが、好きな人はそこが好きなのだし、むしろその魂の気配がなければ意味がないともいえる。わたしの殺風景な部屋にも、人形と生きた時間がかもしだす何かが宿っている。

〇「りかさん」では、最後に切り落とされた桜の老木の枝を煮て、縮緬を染めるepisodeがでてくる。それで「りかさん」の新しい着物を作るのだ。

そこには人工的な染料にはないアクの色があり、それが悲しくいとおしいのだと。

人も生きていると、純粋ばかりではいられないが、それがその人が生きたかけがえのない結果であるのだという意味かもしれない。




2023/01/06

体調不良なのか怠け慣れたのか

なんだかやる気がしない。

それほど体調が悪いわけでもないのだが、なんだか気力・体力がなくなった気がして、

ぼんやりしている。特に急いですることもないし、外は寒いしで、怠けているだけかもしれないが。

家でぼんやり読みやすそうな本を読んでいる。「おいしいご飯がたべられますように」という小説を読んだ。

ああ、こういうのあるある。なぜかこういう不公平が職場でまかり通ることがある。

「弱さ」と「女子力」を振りかざしてみなに大切にされているが、よくみると、面倒なことを人に押し付けて、自分のやりたいことしかしない図々しい人。

たとえば、体調不良で早退したのに、次の日に「昨日はご迷惑をおかけして」とわびながら、手作りの菓子を配るような人。体調不良で帰ったのに、なぜ菓子なんか作れるんだと当然みんな思いそうなのに、みんななぜかそうは思わず、逆に気を遣って「おいしいですね。プロみたい」とほめちぎる。

そんな様子に違和感を持つ自分だけが「性格が悪いのかな」と思ってしまったりする。

うちの母はこの小説にでてくる女性みたいに弱くはなかったが、平然と「女子力」を振りかざして男性からは歓心を買い、女性からは反感を買う人だった。

学校のPTAだとか、親戚付き合い、近所付き合いだとかで、母はいつも男性からは人気者で、女性からは嫌われていて、わたしもそのとばっちりを受けた。

わたしが大人になって結婚してからも、母が自分の価値観を押し付けてきたが、妹と適当にかわしてきた。母はいつもわたしたちのことを「気が利かない」と思っていたことだろう。

それにしても、そういうことは世代の差かと思っていたのだが、いまでも小説になるくらい、こういう人っているものなのだろうか。

しかし、小説の中でも、この女性は「おじさん」からは大事にされているが、若い男性からはひそかにうとましがられているから、世の中の考え方も変わっていくのかもしれない。

その後、YOUTUBEで茂木健一郎がこの小説の女性について肯定的に語っているのをみて、「彼も一世代前のおじさんだからそう思うのかな」と思ったりした。