2026/04/03

反応ないのに疲れた

 朝、雨の中を寺へ。

授業の時はテンション上げるけれど、みんなシラッとしていて反応が薄く、

途中でむなしくなる。復唱も小さい声で文の途中まででやめてしまう。

大学も寺もそんな感じ。語学学習なんてやってもしかたないという流れになってきたのだろうか。

前はこんなじゃなかったのに。

宿題もやってこないで、「他の先生は宿題なんか出さないんだから、宿題を出さないでください」という。本当かな。

授業中に口頭で練習するだけではわかったかどうかわからない。

書いてもらうと、実際はわかっていない点がどこかがわかるし、知識が定着もする。

宿題も一問一答式の問題を出すことにした。前のように作文を書かせると、みんなAIで作成したような長文を出してくる。そんなの学生が書く意味も、わたしが添削する意味もない。

きっと所要時間一分以下だろう。

前学期までの学生は授業が終わると入口のところまで送ってくれたのに、

今学期の学生は、私が「また来週」というと、「はい」というだけ。

まあ、いいけどね。

授業が終わったあと、大雨の中をバスに乗って帰る。

家に帰ったら、どっと疲れた。


2026/03/31

王安憶『長恨歌』

 この本は先日読み終わった。

王绮瑶という女性の青春期から死去までの物語。

少女王绮瑶は友人のコネで映画の撮影所に出入りしたり、日用品の宣伝ポスターに写真が使われたりするようになる。

そして、お金持ちの家庭出身の文学少女やカメラマン程先生の後押しで、ミス上海コンテストに出場して、三位の「三小姐」となる。

王绮瑶は美人だが、トップスターになるような際立った存在ではなく、日用品のポスターにちょうどよいくらいの美しさで、コンテストに三位になる程度の上海の典型的な女性なのである。

ミス上海三位となったことから、彼女は国民党の大物の李主任に見初められ、三番目の妾として囲われる。

その後、李主任は飛行機の墜落事故で死ぬ。

王绮瑶は内戦から逃れ、母方の祖母の家に疎開する。そこで、都会的な彼女にあこがれる阿二という少年に出会う。阿二は王绮瑶につりあう男性になるために上海へ向かう。

その後、王绮瑶は上海に戻り、注射をすることができる資格をとってアパートの一室で開業する(こんな仕事があったんですね)。こうして細々と生活をしていたが、裕福な厳夫人と付き合うようになる。

王绮瑶はこの厳夫人を通じてその甥の康明遜と密かに交際するようになるが、過去の素性を明かせない王绮瑶は良家の息子である康明遜と結婚することはできない。身ごもった子どもも康明遜の子どもであることを周囲に隠さなければいけないので、ハーフの青年を騙して関係を持ち、彼の子どもであることにする。

王绮瑶は出産し、一人で子どもを育てる生活をするが、若い頃に知り合ったカメラマン程先生が蔭に日向に彼女を助ける。しかし、この程先生は文革中に自殺に追い込まれる。

いつのまにか、娘は成長したが、この娘は王绮瑶のようにお洒落で美しい娘ではなかった。しかし、結婚が決まって夫とともに渡米する。

王绮瑶の家は若い友人たちが出入りするサロンのようになり、そのうちの若い青年老克拉と王绮瑶は恋をする。老克拉はオールド上海の雰囲気のある王绮瑶に魅力を感じたのである。

王绮瑶の家に出入りする若者の中に、大金持ちの御曹司だという触れ込みの青年がいたが、彼は実はあやしい為替取引などをしている貧乏人だった。彼は王绮瑶がかつてのミス上海であり、国民党の大物が残した財産を持っていることをかぎつける。彼によって王绮瑶は殺される。

簡単にいうとそういう話だ。

この小説を作者王安憶は「『長恨歌』は、とてもとても写実的な作品です。」と言っているとAmazonには書いてある。作品の中に、博物館のジオラマを詳細に説明していくように上海の街や人々の暮らしなどを描いていく表現が多いので、そういうことを言っているのかもしれない。しかし、なんとも現実味のない物語である。李主任や程先生のような身近な大切な男性がなくなっても、王绮瑶がそれをどのように受け止めたのかなどは描かれない。

母一人子一人の家庭で育てた娘も、その成長の過程にはあまり触れられず、いつのまにか思春期の頃になってしまう。

王绮瑶の生活も疎開先から上海に戻ったころは、患者に注射をする仕事をして質素に生活していたようだが、そのうち、あまり仕事のことは書かれなくなり、娘の友人とファッションに夢中になったり、サロンのように若い人を家に呼んだりしてすごすようになる。いったい何をして生活をたてているのだろうか。李主任が残してくれた金の延べ棒に頼って生活をしていたのだろうか。最後に彼女を殺した青年長脚が奪い取った箱を開けた時に失望したところから、そんなに李主任が残した金はなかったようにも思える。そういうところもよくわからない。それにいくら美貌で雰囲気があるからといって、最先端の娯楽がある上海で、そうしたところで遊ぶ若い子たちが母のような年齢の彼女のアパートの部屋に集まって過ごすようになるというのも、何だかありえないような気がした。

なんとなく王绮瑶という存在を通して、上海の街の時の流れを遠くから見下ろしているような感じの物語だった。

たしかに上海の街や人間模様の描写は、ある時は鋭く、ある時は繊細で、今私が住んでいる路地のような中国江南の都会のゴミゴミして湿度が高く人間臭くかび臭い場所がポエムのように描かれていて、そこに読書の楽しみはあったが、物語は現実離れしてつかみどころがないように思え、あまり私の好みではなかった。

〇しかし、第三部はよかった。ラストで王绮瑶の命を奪う長脚という青年の存在が、鮮やかに大都会の闇というものを表している。根っからの悪人ではないのに、都会の虚飾の中で出自をいつわり、インチキを行うようになる。こういう悲しい魑魅魍魎が生まれたり、潜んでいたりするところがいかにも都会の怖さだという気がした。そして、互いに後ろ暗い背景を持つ者同士が争い、長脚は王绮瑶に本当の姿を見破られ、王绮瑶も滑稽な本当の老いた姿を晒して死ぬ。オールド上海の匂いたつような雰囲気に酔わせておいて、こういうエッジが効いた残酷さで締めくくるところが怖い。長脚に「おばさん」と呼ばれて、王绮瑶が怒るところも、テネシーウィリアムズの『欲望という名の電車』のブランチみたいな気味悪さを彷彿とさせるものがあってよかった。

2026/03/30

『家族ゲーム』

 昼すぎに帰宅して、やることもあるのにそっちのけで40年以上も前の映画『家族ゲーム』を見た。

松田優作主演。

隣の席の先生が『家族ゲーム』がこれまで見た中でいちばんショックを受けた映画だったというのだが、わたしもそれを見たはずなのに松田優作が図鑑をもって船に乗っている姿しか思い出せなかった。どんな話だったっけ?

それで家に帰ってからアマプラで見たのだが、ストーリーは家庭教師が中学生を指導して高校に合格させるというそれだけの話だった。あまりにも単純なので、思い出せなかったのだろう。でも、それなりに面白い。家庭教師も学校の先生も。

あんなふうに成績の悪い生徒の答案用紙を窓からポンポン捨てられたらいいのに。そういう時の教師の顔つきだとかがおもしろかった。

しかし、なんとなく眼をそむけたくなるような家庭の様子なども、妙に淡々とそれでもこれでもかこれでもかと描かれていて、途中で見るのをやめたくなったが、最後まで見た。

なんだか切ないような、すっきりしたような結末だった。

でも、わたしはああいう家庭教師みたいな人はきらいだな。

〇昨日、『長恨歌』も読み終わった。それについては、そのうちここに書くかもしれない。

中国語で「一步错,步步错」という言葉がある。たしか曹禺の『雷雨』の中で侍萍も自分の人生をこの言葉で表していたような気がする。「最初の一歩を間違ったら、その後どんどん間違ってしまう」というような意味だが、『長恨歌』の主人公の人生もそういう人生。張愛玲の『第一炉香』の主人公もそう。侍萍の場合は少し違うのかもしれないが、若い女が人生の初期段階で安易に女を売り物にしてチャラチャラ生きようとすると、将来ろくなことにならないという、まあそういう話ともいえる。

2026/03/29

出かけてみた

 昼過ぎから西湖畔にでかけてみた。

もともとは楊公堤を歩いてみようと思ったのだが、なんとなく先に来たバスに乗って銭塘門外へ。そこから西湖畔を通って植物園まで行き、バスに乗って帰宅。

人が多すぎた。やはり授業がない平日に行くべきだった。

               銭塘門外のあたりの桜。かなり咲いている。
          周辺はポーズを作って写真を撮る人ばかりで歩くのもたいへん。 

           昨日の断橋。曇っていてこんな感じ。橋の上には人がぎっしり。

帰宅してから、少し『長恨歌』を読んだ。あと20ページくらい。

https://mementmori-art.com/?cat=7
この人のブログがおもしろくて、何時間もかけて読んでしまった。
でも、その後、しっかりとストレッチもして、一日の任務完了。




2026/03/28

桜と青団

 今日は午前中はお寺で授業。

朝から雨が降っていたが、途中から曇りになり、人出が多かった。

もう明前茶の季節になった。天竺路に龍井茶をだす新しい大きなお店ができていた。

ところどころに五分咲くらいの桜も見えた。

帰りに西湖のほうに回って歩いて帰ろうかと思ったが、お腹がすいたし、疲れてもいたので、そのまま帰宅してお坊さんからもらった餅(ビン)と自分で買った青団を食べた。

そういえば、昨年、母が危篤になり、急いで日本に帰る飛行機の中で青団が出た。日本に帰って病院に行ったら、病室の窓から曇天の下で咲いている桜が見えたっけ。

母はもう桜を見るような容態ではなかったけど。

あれから一年。短いような長いような一年だった。

2026/03/26

なんとなく一日がすぎた

 隔週水曜日は授業がないので、昨日は午前中にペン習字。

それから学生の宿題を見て、昼過ぎにネットで買った本を取りに行った。

普通は近くの菜鳥という取次店に届くか、家に届くのだが、菜鳥に行ってみたら本はなかった。入口の機械にわたしの電話番号を入力してみたが、わたしの到着荷物は0件。

しかし、スマホアプリではもう受け取ったことになっている。

注文した書店に連絡して、結局、注文をとりけして返金してもらった。

そのあと、近くの書店とスーパーに行って帰ってきた。

夜になって『長恨歌』を第二部まで読む。あとは第三部だけ。

この本はネットで見るとかなり評価が高いのだが、主人公は次々と男性に関わりながら流されるまま生きているような感じ。周囲の人はそれぞれ不幸の中で死んでいく。何だかおもしろいようなおもしろくないような。

〇コパさんがおっしゃるように、わたしも学生のペンの持ち方が変だと思っていました。

親指以外の指を握って、人差し指の横の部分と伸ばした親指の間にペンをはさむような変な持ち方。やはり女の子たちの爪が長いからかもしれません。



2026/03/23

万年筆で『蘭亭序』

 午前中は授業。お昼は会議。午後からは学生のノートの添削。

今日の朝、いつものように腕時計をはめようとしたら、電池切れなのか止まっていた。

二年に一度、電池を交換しているが、もうそんなに時間がたったっけ?

教室には時計があるし、パソコンの画面で時間をみることもできるが、腕時計がないと何かと不便だった。

家に帰ってから、長い間使っていなかったスマートウォッチに充電してみたが、これはスマホとペアリングしないと時間が合わせられないのだった。しかし、やってみたら、なかなかできずにてこずった。その後、もう削除してしまっていたアプリをまたダウンロードして、いろいろなデータを入力して、使えるようにした。それでずいぶんと時間を使ってしまった。

昨日、「唐詩・宋詞」の字帖もやり終えてしまったので、今日から新しい字帖にとりかかる。

一冊は「名人名言」。これは有名人の格言のようなものが書いてある。

もう一冊は、これ。毛筆で書くのは大変なので、万年筆で。

表紙は簡体字だが、中はそうでなくてよかった。

少しやったら疲れたので、後はまた明日。




2026/03/20

午前中でぐったり

 今日は午前中は寺の授業。

春めいてきたせいか、霊隠寺周辺はものすごく混んでいる。

昼頃の帰りのバスは足の置き場がないほどの混み方。

乗っていた人が「西湖に行きたいのだが、どこで降りればいいんだろうね」と話しあっていた。地元の人らしい小ぎれいなおばさまが、尋ねられたわけでもないのに「西湖って言っても、とても広いのよ。西湖のどこに行くの?」

そういわれても観光客のおばあさんたちはよくわからない様子。

「西湖なら、植物園でも六公園でも銭塘門外でも」

おばあさんたちはみんな植物園で降りて行った。

わたしもそこから住宅地のほうに向かうバスに乗り換えた。そこでやっと人ごみから解放された。

このところ寺の授業は行くのも帰るのも疲れる。

授業は前回から新しい人たちの授業。

法師が言っていたほどレベルは低くないような気がする。

でも、そのうち一人が宿題を提出しない。前回の授業で、教科書の朗読を録音して送るようにいったのに。

「休み時間に先生の前で読むのではだめですか」

「だめです。何度か練習してから録音してください」

「わたしは自分で計画して勉強するので、宿題はしなくてもいいですよね」

「だめです。計画するのはあなたではなくて、わたしです」

「だったら、宿題を少なくしてください」

「だめです。みんなやっているのですから」

そんなにまじめでもないのに、どうしてこういうことを言うんだろう。他の学生は言わないのに。

最後に「宿題をやりたくないなら、毎回小テストをしましょう」と言ったら、他の学生が「だったら宿題のほうがいい」といい、その学生もしかたなさそうに同意した。

こんな具合だったので、授業も疲れた。家に帰って食事して爆睡。

2026/03/18

ぎっくり腰っぽい

 昨日、肩の調子がよくなったと書いたばかりなのに、今日は朝からぎっくり腰になりそうないやな感覚がある。椅子から立ったりするときも、そろりそろり。そういう動作は学生から見たら、年寄りっぽくみえるのだろうか。

『長恨歌』も読み進めている。

主人公の王綺瑶はミス上海で三等賞となり、三小姐と呼ばれるようになる。

王綺瑶は上海女性の典型ともいえる人物だから、一小姐や二小姐のような突出した存在ではなく、三小姐あたりが妥当なのだろう。

その後、彼女は19歳で李主任という権力者に妾として囲われるようになる。

李主任には親が決めた正妻のほかに、北京と上海にひとりずつ妾がいる。そんな手練れの李主任にとっては、小娘一人篭絡するのはたやすいことである。

王綺瑶にとっては李主任が世界のすべてであるが、李主任にとっては王綺瑶は女性の一人にすぎず、女性は彼の世界のさらに一部でしかない。

ああああ、またこういうありがちな展開になってきた。この先はお決まりの転落人生かな。

2026/03/17

春になったせい?

 昨日も今日も午前中に授業をして帰宅すると、どっと疲れて昼寝をしてしまう。

夜もしっかり眠くなる。春になったせいかもしれない。

読書とペン習字とストレッチはペースを落としながら、毎日続けている。

外は相変わらずそんなに暖かくならないけれど、肩が痛いのもいつの間にか治ったようだ。

2026/03/16

『長恨歌』と和田秀樹『本当の人生』

 日曜日は『長恨歌』の続きと和田秀樹『本当の人生』を読んだ。

『長恨歌』では、主人公の王綺瑶が「ミス上海コンテスト」に出場して三位になり、彼女にコンテストに出るように勧めたカメラマンの程先生との間にほのかな関係が生まれるところまで読んだ。あまりたくさん読めなかった。

それと『本当の人生』。これは新書で読みやすい本なのでさらっと読めた。

以前はこの著者があまり好きではなかったが、最近YOUTUBEで彼の動画を見ているうちに、とても共感するようになり、好きになった。

『本当の人生』では、第二の人生はしがらみや常識や世間体を忘れて、本当の自分がしたいことを前向きに楽しんでいきましょうということが書かれている。

わたし自身これからは(これからも?)もちろんそうやって生きていくつもりだが、こういう本を読むとさらに勇気づけられる。女性に生まれると、周囲のケアをして当然と思われがちで、わたしの母などはそれだけで人生が終わってしまったような気がする。それは母が望んだことかもしれないけれど、それを見てきたわたしはそんなふうにはなりたくない。自分のお金も時間も健康も、これからは自分の最後の時間を楽しむために使いたいと思っている。


           これがわたしが大学において使っているPC.
           よく見えないが、富士通のマークが入っている。
           もしかしたら、春月先生とおそろい?


2026/03/14

映画『拼桌』

 今日は土曜日買い物に。

買い物ついでに映画も見た。『拼桌』。「相席」という意味だ。

舞台は上海。主人公は編集者の女性A。ある作家から原稿をもらいたいが、断られている。

恋人Bもいるが、彼女とのデートも忘れるくらい仕事に忙しい。

昼食のために行くレストランでいつも相席になる男性Cと次第に食べ物についての話しをするようになり、意気投合。

そんなある日、Bからダイヤの指輪を渡される。とまどうA。

あるとき、BとCがバスケットボール友だちであることをAは知る。

A、B、Cとその仲間たちで食事をしている時に、Bが「自分は北京で大きな仕事をすることになった。だからBと結婚して一緒に北京に行くんだ」とみんなに言う。

まだBとの結婚を了承していないAは憤慨する。AとBが恋人同士であることを知ったCは他の女性と見合いをすることにする。

Aは作家に祖母が作った唐辛子の薬味?をプレゼントし、故郷の味に喜んだ作家は彼女に原稿を渡す。作家はなんとBの父親だった。

AはBに別れを切り出し、Bは北京には行かないから別れないでくれと言ったが、結局、AはCを選ぶ。

…という話。あまりおもしろくなかった。自分の仕事にしか興味がない男性を捨てて、生活感覚のあう男性を選んだというよくあるストーリー。レビューを見たら、星7つくらいを付けている人が多かった。まあ、そんなものでしょう。

それとは別にちょっと気になったことがあった。

Cが見合いで日本式の焼肉屋にいく場面がある。相手の女性がレタスで肉を包んで食べていると、Cが「日本では食材の味を大切にするから、そんなことはしない」と言い、女性に焼いた肉に砂糖をつけて食べるようにいうのである。何それ?と思った。

2026/03/13

「知らない間にサブスク」に気を付けてください

 昨日、なんとなくクレジットカードの明細を見ていたら、「キプロス」で数千円使ったことになっていた。さらに見てみると11月から毎月明細に載っている。

ネットで調べてみると、あるPDF編集サイトの請求だということがわかった。たしか昨年の评估の時に書類をPDFで提出するようにいわれて一度そのサイトを使ったことがある。

一度使って150円のはずだったが、それが自動継続されて毎月数千円になっていたのだった。最初にそのサイトに支払いをした時に来たメールを探してみると、そこにそのまま自動継続になると確かに書かれていた。ちゃんと見なかったわたしが悪い。また、カードの明細も何か月も見なかったわたしが悪い。でも、最初にサイトを見た時には自動継続などと書いてあったおぼえがない。

ネットで検索すると、わたしと同じようにそのサイトで一度のつもりで課金してサブスクになっていて驚いた人が何人もいた。

そうやってわかりにくいやり方で、一度だけの課金だと思わせてサブスクにするやり方なのだろう。

そのあと、昨年の评估の書類を作るために学校の中国人の先生にやるように言われて、あるスマホアプリをダウンロードして1元課金したことを思い出した。1元課金すれば、できあがったPDFに広告の文字が入らないからということだった。あれはそういえば、その後どうなったのだろうと思って、アプリを見てみると、それもその時払った1元は7日間の試用期間の料金で、その後、自動継続になり、三ヶ月ごとに二回66元が支払われていた。

同じ時にそのアプリをダウンロードした先生の何人かにそのことを話したら、みんな自動でサブスクになっていたことを知らなかったと言って、解約した。

わたしたちにそのアプリに課金するように言った中国人の先生も、自動継続になることは知らなかったのだろう。他にも同じアプリを使っていた人が何人もいるようすなので、一応、その人にそのことを言ったほうがいいと思うのだが、SNSで言うと、どういう気持ちで言っているか相手に伝わらないし、気まずくなるといけないので、来週あったら慎重に伝えてみようと思っている。

このように一度使用しただけだと思っていたのに、知らない間にサブスクになっていることがあるので、注意しましょう。