今週は試験監督と採点で忙しい。
その合間をぬって、今日は学科でわたしの送別会をしてくれた。
ケータリングで用意した料理やケーキを会議室で食べた。
今日は午後から中国人の先生たちは会議があって学校に来ている人が多かったらしく、ニ三人を覗いてほとんどみんなが出席してくれた。
花束と記念品をもらったが、花束は持ち帰っても家に花瓶もないので、今回も大学の事務室に飾らせてもらった。
記念品はこんな銅製のかざりもの。中国で日本語教師。 翻訳者→大学院生→日本語教師。 https://x.com/ymznjp
今週は試験監督と採点で忙しい。
その合間をぬって、今日は学科でわたしの送別会をしてくれた。
ケータリングで用意した料理やケーキを会議室で食べた。
今日は午後から中国人の先生たちは会議があって学校に来ている人が多かったらしく、ニ三人を覗いてほとんどみんなが出席してくれた。
花束と記念品をもらったが、花束は持ち帰っても家に花瓶もないので、今回も大学の事務室に飾らせてもらった。
記念品はこんな銅製のかざりもの。ダラダラした生活の中でやっとこれを読了した。
1998年ごろに読んだことがあるのだが、今回買った2024年版は増補版だった。
この作品は第一部と第二部に分かれている。
第一部は戦火の中を生きた幼年時代。四川省に住んでいた一家が祖父の求めに応じて湖南省に行って祖父と同居するが、
日中戦争の戦火が迫り、一家五人で徒歩で四川省に戻る。その後、父が上海に職を得て、上海に定住するが、今度は国共内戦が勃発し、一家は台湾に渡る。
第二部は、高校教師との初恋、作家志望の最初の夫との結婚、彼女を世に出した皇冠出版社の創業社長平鑫涛との再婚が描かれる。
高校教師とは親によって引き離される。文学者としての芽がでない最初の夫は、ベストセラー作家として成り上がっていく妻への嫉妬と焦りからギャンブル依存症になり、離婚。
皇冠出版社の社長平鑫涛は妻と三人の子どもがありながら、瓊瑤に言い寄ってくる。瓊瑤は「あなたの家庭を壊すことはできない」と言い、距離をとろうとするが、平鑫涛は「君がそういうなら死んだほうがましだ」と崖にむかって車を走らせ、瓊瑤は車の前に飛び出して平鑫涛に死を思いとどまらせる。(このあたり、中年のふたりのあまりにもメロドラマのような大げさな行いに感動するというより、なにやってんだと白けた。)
このあと、二人の関係は進んでいき、ついに平鑫涛は前妻と離婚して、二人はめでたく結婚する。
たしか、以前の『我的故事』はここまでの内容だった。
2024年版は、最初の夫のその後、父母の死、中華圏で大ブームとなった『還珠格格』のこと、平鑫涛と瓊瑤の事業の拡大、平鑫涛の病気と死などについてが書き加えられている。
平鑫涛は家族を捨てたが、前妻は芸術家と再婚したし、平鑫涛の実子たちも平鑫涛と瓊瑤の事業の成功によって裕福な環境で育つことができたし、最後に会社も実子たちに譲ったのだから、「まあ、いいんじゃないの」というような感じのことが書かれているが、
やはり捨てられた家族にとってはそう簡単に済むことではなかったらしく、平鑫涛に延命治療を行うかどうかをめぐって、平家の子どもたちと瓊瑤の間にいさかいが生じる。
さらに、平鑫涛が亡くなると、その遺書には、財産のほとんどを子どもたちに譲ると書かれていて、瓊瑤にはわずかな土地しか譲られなかった。それ以外にも彼女が存在を知らなかった金庫がみつかり、そのカギは平家の子どもたちが持っていた。
平家の莫大な財産は、瓊瑤の小説とその映画化によって築かれたものであり、そのために彼女は一生のあいだ馬車馬のように働いたのに…。
付け加えられていたのは、このような胸糞の悪い後日談だった。
それでも彼女は「自分は愛のために生きた」というのだし、「夫はわたしには愛を与え、実子には金を与えたのだ」と言っている。まあ、本人がそう思って幸せならそれでいいのでしょう。
〇しかし、そのあたりについては、YOUTUBEなどに数多くの動画があがっていて、「彼女は夫に金のなる木として利用されたのだ」と言い立てている。
また、瓊瑤は自分の略奪婚について、都合のよいように美化して自分の作品に書いているのであって、前妻が年老いてから書いた著作『往時浮光』には前妻や実子たちから見た別の姿が描かれているのだと言っている動画もあった。これはおもしろそうだ。
というわけで、その本を注文したら、今日届いた。
しかし、今日からは試験週間でそんなに本ばかりも読んでいられなくなった。
さっさと先に仕事をしよう。
昨日、最後の授業が終わった。
後は試験監督と採点作業。
今学期は3年生4クラスの授業を担当した。
そのうちの2クラスの授業が昨日あった。
昨日最初の授業は、授業中いちばん無反応なクラス。
送別会にも誰も来なかった。
何を話してもみんな下を向いて何かをしている。今学期はわけあってテキストは電子版でもよいことにした。だから、みんな下を向いてタブレットやスマホを見ている。
でも、たぶん見ているのはテキストではない。
いつものようにほぼ無反応・無気力が感じのままで、心が折れそうになりながら、授業を終えた。
片付けをしていると、一人の男子学生が「送別会には行けませんでした。でも、お礼を言いたいです」と言いに来た。この子のためだけでも、授業をしてよかったと思うことにした。
次の授業は、最前列に座っている女の子たちは優秀で熱心。
だけど、それ以外はみんな下を向いて何かをしている。テキストを見ずに、PPTや黒板を見てほしい部分でも顔をあげない。
最後に何人かの女の子たちが個人的なプレゼントや手紙を持ってきた。
泣きそうな顔で「ありがとう」というのを見たら、こちらも涙が出そうになった。
何か言わなくちゃと思っているうちに、行ってしまった。
こんなふうにクラスごとに最後の授業の様子はさまざまだった。
この学校で九年間仕事をしたが、年々学生の意欲が低下していて、わたしもだんだん授業をする気力を失い、授業もつまらないものになりつつあった。それでも、そんな最後の学期にありがとうと言ってくれた子たちに、謝罪も感謝もしなければならないと思った。
先週の金曜日、送別会をしてもらった。
文化体験室に意外と多くの学生が集まった(40~50人くらい?)
わたしは今の一二年生に教えたことがないし、四年生は今忙しい子が多いらしいので、
あまり人が来ないかと思っていた。
学生の挨拶、同僚の先生の挨拶、わたしの挨拶。それから写真をたくさんとって、歓談。
最後には「送別」をみんなで歌った。
学生が作ったPPT。わたしってこんな顔?
花は苦手だけど、もらうのは嬉しかった。 いろいろな子がくれた贈り物、寄せ書きノート、手紙…。明日の日本語コーナーで、わたしの送別会をしてくれるらしい。
さっきみたら、もうSNSに「明日の日本語コーナーはうさぎ先生の送別会をします」という知らせが流れていた。しかし、日本語コーナーに参加しているのは主に1年生と2年生であり、わたしは教えたことがない学生ばかりだ。
それで明日行ってみたら、来ている学生がほとんどいなかったらなんだか寂しいな。
それにわたしは最初にスピーチもしなければならないようだ。送別会を企画してくれたのは、うれしいが、なんだかちょっとめんどうくさい。
それに昨日、食堂で会った中国人の先生にも「うさぎ先生の送別会をしましょうね」と言われた。
わたしはお世話になった人だけに挨拶をして、ひっそりと帰国するつもりだったのに。
それにいま荷物を減らしているのに、記念品などをもらったら困ってしまうとも思った。
まだもらえるかどうかもわからないのに(笑)
〇コパさんのブログに病院の面会のことが書かれていたが、見舞いというのもありがたいのか、めいわくなのかよくわからない。
わたしが出産したときも、実家の近くの病院に入院したので、次から次へと親戚の人がやってきて、正直なところありがたいという気持ちだけではなかった。
相手ももしかしたら純粋に来たくて来たわけでもなく、義理で来た面もあるのだろう。
母が昨年なくなった時も、わたしは日本にいる間に二日続けて病院に行こうと思っていたが、いよいよもう長く持たないという話だったし、週末でもあったので、その土日には見舞いのラッシュになってしまった。
もう最後だからしかたがなかったのだけれど、その晩に病院から「病状が急変して、あと一日か二日かもしれない」と連絡があった。
息子が「おばあちゃん、疲れちゃったのかもしれないね」と言っていた。
もういずれにしろ長くなかったろうし、みんなに会えてよかったのだろうとも思ったが、いまでも思い出すと胸がうずくような気がする。
本当にこういうことはむずかしい。
だらだらと生活している。
やっと今日「九成宮醴泉銘」の字帖が終わった。
これからは「蘭亭序」(行書)に入る。
やっと字の形を覚えたのに、また違う字体の練習をすることになるが、そういうのは他の人は気にならないのだろうか。日本でなぞり書きの本を何冊か買ったが、その時も本ごとに字の形が違っていて、どうしたものかと思った。とにかくあれだのこれだの書いていけば、いつかはマシな字が書けるようになるのだろうか。
この数日で張天翼の『宝葫芦的秘密』を読み終わった。
最後に宝葫芦に「これからは勉強もする必要がない。友だちとだって付き合う必要がない」と言われて、宝葫芦の秘密や苦しみを誰にも打ち明けることができずに、王葆が追い詰められていく様子は大人の私が読んでもきついものがあった。このあたりが中国やディズニーの映画でさらりと終わってしまうのは、原作通りのストーリーにすると重い内容になってしまうからかもしれない。
結局、最後に王葆の怪しい行動に友人だけでなく先生も父親も気づいて騒ぎとなり、王葆が秘密をみんなに打ち明ける。でも、宝葫芦がどこからか持ってきてしまったものはどうやって元の持ち主に返そうか…。というところで目が覚めて、すべてが夢だったことがわかる。
これと並行して通勤の地下鉄の中で余華の『一个地主的死』も読んだ。
ある地主の放蕩息子の王香火は日本兵にとらえられて、日本軍の道案内をすることになる。王香火は日本軍に案内するように言われた場所ではなく、孤山に案内していく。その途中で、自分と日本軍が通りすぎたら孤山へと続く橋を壊すようにこっそりと村人たちに伝える。
最後に戻ることも進むこともできなくなった日本軍の兵士たちに王香火は惨殺される。
王香火が自分を犠牲にして日本兵たちを村から遠ざけたことを下男から聞いた後に、父の地主も死ぬ。
というストーリーで、余華らしく容赦なく残酷なシーンや気持ちの悪いシーンが描かれているので、読みすすめるうちにぐったりした気分になった。でも、わたしはそういうのも好きである。読んだ手ごたえがあるので。
次は琼瑶の『我的故事』を読むつもり。これは30年くらい前に読んでまた読みたくなったので、タオバオで注文した。明日配達予定。
おとといからまったくVPNが使えなくなった。
そうなると、このブログもYOUTUBEも見られなくなる。
おそらく六四の影響かなと思ったのだが、それが終わっても相変わらず少しもつながらない。
そこで、契約しているVPNのサイトから別の方式のアプリをダウンロードしてみたら、また使えるようになった。
YOUTUBEを見ながらしていたストレッチも再開した。
昨日は午後から公安庁に停留ビザの申請に。
大学の国際処が居留証が切れる一か月前から申請できると言ったから。
しかし、それは間違いだった。それに書類も足りないと言われた。
行く前に「ほかに何か必要なものはありますか」と国際処の職員に聞いたのに。
今月中旬にもう一度行くことになった。
しかし、こんなに外国人教師が多い大学なのに、なぜ職員にきちんとした知識がないのだろう。中旬に行くときにちゃんとした書類を渡してくれるのだろうか。心配。
一応、読んだ。
よく理解できなかったのは、途中で何日か中断してしまったからかと思ったが、
やはり百度で調べたら実験的で難解な小説だと書いてあった。
まず白樹という少年が登場し、彼は少し前にあった地震を検知していた。
しかし、それを信じる者はいなかった。そして、いま新に地震警報が出され、住民たちが外にビニールのテントを作り、家から出てそこに避難を始めた。
しかし、その時はまさに梅雨の季節であり、テントの中は耐えられないほど蒸し暑く人々の情緒は不安定になる。
白樹の地震検知器には異常なデータは現れていなかったため、彼はみんなに「地震は来ない」と言ったが、相手にする者はいなかった。
白樹は県の革命委員会の主任に「地震検知器を見たところ地震は来ないはずだ」と言いに行く。主任は「地震は来ない」という知らせを出す。しかし、その後、地震が起きてしまう。
白樹は周囲の人たちからデマを流したとして、暴力を振るわれる。白樹は検知器を見ていなかった少しの間にその小さい地震の兆候が検知されていたにちがいないと思う。
その間、夫を失なった妊婦や、地震の時に子どもを見失った夫婦や、なんだのかんだのの話が語られる。
全体としてみると、地震と梅雨が人々の精神にゆさぶりをかけるというおおまかなストーリーが見えてくるが、なにしろ登場人物が多いし、現実か幻覚かわからないような場面が錯綜するし、やたらと「他」と「她」が出てきて誰が何をしているのかわかりづらいし、難解な作品だった。
百度AIに聞いてみると、多くの解釈があるので、全部理解できなくてもしかたがないというようなことが書かれていた。
ただ強烈に納得できたのは、この作品の背景になっているこのあたり(余華の出身地杭州のあたり)の梅雨の季節の不快さだ。いまちょうどまさにその季節で、学校でも挨拶のように「蒸し暑くてだるくてしかたがない」という話をしている。こういうところに、地震や何かのストレスがさらに加わったら、この作品の中に出てくる人物たちのように何が現実で何が幻覚なのかわからなくなるし、人と人がきちんとコミュニケーションをとっていくこともできなくなっていくような気がする。
ともあれ、杭州の梅雨も夏も本当に耐えがたいので、早く脱出したい。
〇ネットで見てみると、この本の次に載っている『四月三日事件』という作品も負けず劣らず難解らしい。だから、もう読まないことにした。先、行こう、先。
午前中は4コマ授業。
昼から某コンテストに出る学部生4人と大学院生2人のスピーチの指導。
スピーチはコンテストの一部分なのだが、わたしは原稿を見ながら話してもいいのかと思い込んでいた。しかし、直前の今になって原稿を見ないで話さなければならないと知って、慌てて学生たちに原稿を覚えるようにいった。
それが二日前。今日のお昼に集まってもらったら、女の子たちは原稿を見ないでも意外とよく話せるようになっていた。あと二日あるから、その間も練習すれば問題なさそうで、ほっとした。
しかし、男の子のほうは少し心配。原稿を一字一句覚えなくても、その場でなんとかなると自信満々でいうのだが、本当に大丈夫だろうか。
本番は土曜日に学校に集まってオンラインで行われるが、わたしは行かなくてもいいらしい。
これでこういう仕事も最後になる。結果が出るころにはもうわたしは中国にはいない。
〇このところ、蒸し暑くて、午前中に4コマ授業をして帰宅すると、午後はずっとだるくて何もしないですごしてしまう。
本もなかなか読めないし、ペン習字は書けば書くほど下手になってきたような気がしてきた。
以前にやった字帖を出して見てみたが、自分でも上手くなったのか、下手になったのかわからない。
毎日やっているストレッチも効果があったのかどうかわからなかったので、きつめのストレッチに変えたら筋肉痛がひどいので、もとのストレッチに戻した。
何をやってもよくなったのかわるくなったのかわからない。
でも、やらなければ、下降線をたどっていたのだろうか。なにもかも。
この本に載っている四篇の小説のうち、最初の一篇だけを読んだ。
余華の成長過程での経験をもとにして書かれたものらしいが、善良さなどが通用しない容赦のない硬質な人間関係がテーマのようだ。つまり世の中は生易しくないということ。
余華らしく凄惨な場面はとことん凄惨に書かれている。
〇今日、居留証が切れてからの停留ビザの件で国際処と連絡をとった。
居留証が切れてから15日間は中国にいられるので、その間に片付けをする。たぶん、やることは、部屋をカラにすることと、カギを返すことと、Wi-Fiの解約くらいだろう。
読みもしなかった本やあまり着なかった服を捨てるのは心が痛む。
その話をしていたら、同僚の先生に「なぜ捨ててしまうの?学校に持ってきて学生にあげればいいのに」と言われたが、アパートから大学までは地下鉄を乗り換えて50分かかるし、学科の事務室は4階にある。重い本をそこまでもっていくことを考えたら、アパートのゴミ捨て場に捨ててしまったほうがいい。
そのほか、いつまでも夏休みにならないお寺の授業も終わらせなければならない。
今学期で辞めるということを法師に言ったらきっと次の人を紹介してほしいと言われそうなので、お寺の教務の別のお坊さんに連絡した。たぶん次の人は見つからなさそうな気がする。お寺の付近は観光客が多すぎて交通規制があるので、タクシーが行ってくれなくなってしまったし、講師料は他の半分くらいだから。ただ、ああいう世界を見てみたい人にはいいだろうけど。
あと一か月で授業も終わるが、一か月くらいあっという間に終わるだろう。
2007年公開のディズニー版。
YOUTUBEにもあるが、それは英語版だったので、ビリビリで中国語版のほうを見た。
こんな映画があったのは知らなかった。日本では公開されなかったのかもしれない。
ストーリーはだいたい同じ。舞台は現代になっている。ヒョウタンもかわいい。
違っているのは、水泳のリレーの選手になった王葆が自力でチームを優勝に導き、ヒョウタンが「これまでよかれと思って君を助けてきたが、君のためになっていなかったんだね」と悟り、王葆と握手して去っていくというラストである。
ネットで見てみると、原作はこれとも少し違うらしい。今度買ってきて読んでみよう。
小学校中学年くらいで読む本らしいから、すぐに読めそう。
昨日も昼頃まで家でぼんやりすごした。
ペン習字は相変わらずぼちぼち続けている。一文字ずつはなんとなく上手く書けたような気がしても、縦横が他の字とそろわずに滅茶苦茶になってしまう。
まだ先は長い。
昼過ぎにブックセンターに出かけて中をぶらつく。結局、余華の本を一冊買った。
帰国するまでに積読の本を捨てなければならないのに、次々と買ってしまう。
書店をぶらついている時に、張天翼『宝葫芦的秘密』が推薦図書の棚にあるのに気付いた。
これ、子どものころに少年少女世界の文学のような本に載っていて読んだおぼえがある。
本は買わなかったが帰宅してからYOUTUBEで1963年制作の映画を見た。
少年王葆は何でも願いがかなうヒョウタンを手に入れる。
ヒョウタンは願いをかなえてくれるが、他の場所から王葆が欲しいと言ったものをもってくるだけなので、次々とトラブルが起こり、王葆は窮地に立たされる。
王葆はヒョウタンを壊したり、燃やしたりしてヒョウタンの束縛から逃れようとするが、何をしてもヒョウタンは蘇って王葆の元に戻ってくる。
王葆が困り果てたところで、夢から覚める。すべては夢だったのだ。王葆はこれからはどんなことでも自分で努力してやりとげることを決心する。
こういう極めて教育的なストーリーだった。それにしても、1963年のころの中国って、こんなに裕福な感じだったのだろうか。これは上流家庭の話?
何でもやってくれるお宝に頼ると結局はそのツケが回ってくるというのは、まさにAIの多用のことを予言しているようだ。この小説はいまでも広く読まれているようだが、実際には真逆の方向にみんな突っ走って行ってしまっている。
〇ネットで調べてみたら、原作はもう少し複雑な話のようだ。今度、図書センターで買ってこよう。それに、ディズニーも映画化しているようだ。そちらはどんなストーリーになっているんだろう。