2022/01/31

「山外的彩虹」と「湘女萧萧」

 昨日も夕方に食料品を買いに行った以外はひきこもり。

YOUTUBEで映画を2本見て、夜になってから、「喜福会」を少し読む。

見た映画は「山外的彩虹」と「湘女萧萧」。

「山外的彩虹」は雲南省の山地の子どもの話。母は四年前に村の貧しさに耐えかねて失踪してしまい、主人公の子どもは父と二人で暮らしている。村の大人たちはみんな母の失踪を知っているのだが、その事実を子どもに教えるのは忍びないので「お母さんは北京に働きに行っている」ということにして口裏を合わせている。2008年の北京オリンピックのころの話らしいが、村にはテレビの電波も携帯電話の電波もとどかない。父にねだってテレビを買ってもらうが、村には電波が来ていないので、何も映らない。そんなある日、北京から若い女教師が赴任してきて、彼女が母への手紙を仲介してくれることになる。初めて母から手紙をもらい、子どもは大喜びするが、それは父に頼まれて女教師が母に成り代わって書いた手紙だった。しかし、その後、子どもはその手紙を書いたのが母ではないことに気づき、父の愛情を知る。…というような物語。最後に村にテレビの電波がとどいて、「村村通」という政府の通信政策の宣伝にもなっている。


「湘女萧萧」は、沈従文の小説「蕭蕭」が原作らしい。村の赤ん坊のところに童養媳として10歳年上の少女がやってくる。童養媳とは、中国に詳しい人なら知っているだろうが、自分の家の息子の嫁としてまだ幼い子どもを買って家に迎えることだ。正式に結婚する(圓房という)のはまだ後のことだが、それまではその家の働き手として使う。この映画の中の童養媳の少女蕭蕭も、将来の夫の子守をして毎日をすごしているが、そのうち、近所の作男と知り合って密通し妊娠してしまう。村では不義の交わりを持った場合、男は足を折られ、女は水に沈められる。蕭蕭もその様子を目の当たりにしておびえるが、作男は一人でどこかへ逃げてしまう。その後、蕭蕭の妊娠も発覚して売り飛ばされそうになるが、実際に男の子を出産すると、舅姑はその子を自分の家の子どもとすることにし、なにごともなかったかのように蕭蕭はその家にいられることになる。最後の場面では、夫は成長して学校に通うようになり、新しい社会の影響を受けて10歳年上の蕭蕭と結婚することに抵抗を感じているようだ。しかし、蕭蕭が作男との間に生んだ子どもの下にはまた新たな童養媳が来る。

古い因習がいつまでも続くと思っている家族と、どんどん変わっていく外の社会。

こういうことは今でもある。なんだか日本と国際社会もそんな関係かも。

2022/01/30

水晶女孩

 〇昨日はYOUTUBEで「水晶女孩」という映画を見た。

 子どもが主人公のお涙頂戴もの。実母と養母がでてきて、養母は白血病になる。というように、わかりやすく、ドラマ的な悲劇アイテムがでてくる。わかっていても、最後はこれでもかこれでもかと子どもを使って泣かせにくるので、わたしもついほろりと。

 しかし、それにしても、子どもを拾ってそのまま自分の子どもとして育てるとか、そんなに簡単にできることなのだろうか。日本だったら養子をもらうのも、審査などがあって簡単なことではないらしいのに、この映画の中では若い男性が子どもを拾ってそのまま育てるという設定だ。

 話は変わるが、仏学院で教えている子の中に、お寺で育った子がいる。一人っ子政策の下では、女の子が生まれると、この子の出生をなかったことにするためにお寺が引き取ることがあったらしい。以前にもお寺が子どもを引き取るという話を聞いたことがあり、昔のことだと思っていたが、そうでもないらしい。日本の感覚でそういうことは行政がすることかと思っていたわたしはそれを聞いておどろいたが、お寺の人の話では意外とよくあることなのだそうだ。

 というわけで、中国はまだまだわたしにとっては未知の国なのだ。

2022/01/29

昨日と今日

 昨日はYOUTUBEで何か映画を見ようと思ったが、いくつも途中でつまらなくなって挫折。

ようやく「鳳凰 わが愛」という中井貴一が主演する中国映画を最後まで見た。中井貴一はなんと中国人かと思うような中国語を話すのだが、あとで調べたらこれは吹き替えだそうだ。ストーリーは、監獄内で知り合った男女の数十年に及ぶラブストーリー。こういうのが好きな人もいるのだろうが、テンポが遅くて途中で少し寝てしまった。最後の部分で、足元の氷が割れて主人公が水の中に落ち、それを追うように女性が水に飛び込んで、そのまま水中で手を取り合って、そのあとたぶん絶命する。主人公が水に落ちる様子や手を取りあう前になにやら変な手つきをするのが、コントのようにも見えたが、そういう意図はないのだろう。

この映画のサイトを見ると、「鳳(雌)は凰(雄)を求める」という言葉が書かれている。これでは「鳳」と「凰」が反対ではないのかと思って、調べてみると、やはり「鳳」が雄で、「凰」が雌であった。

司馬相如 琴歌【鳳求凰】--------陳濬寬琴歌彈唱 - YouTube

〇そのあと、「鳳凰情」と言う映画もみた。題名は似ているが別の映画である。これはストーリーも中国語もわかりやすい。

田舎に住んでいる寡婦が、足を怪我して倒れている男性を助ける。彼は強姦の濡れ衣を着せられて指名手配中の男性であった。本当の犯人が誰かを知っているのは被害者の女性だけなのだが、彼女はショックで記憶喪失になってしまう。寡婦と男性は愛し合うようになり、寡婦は何とか被害者女性の記憶を回復させ、男性の無実の罪が晴れる。こうしてようやく二人が結婚にこぎつけそうになったとき、寡婦は犯人とその仲間に殺されてしまうというストーリー。

なんだかこの映画の中では、やたらに村の中を強姦魔がうろうろしているのである。中国の農村はこんなに恐ろしいところなのだろうか。

〇読書はおやすみ。


2022/01/28

何をしたら楽しいかな

 昨日はやはり午前中ぐずぐず。

午後からボランティアのネット会話(50分)があって、

そのあとでかけた。昨日も外は雨で薄暗かった。

近くで買物をしようと思っていたのだが、歩いているうちに気が変わって地下鉄にのってイオンモールへ。いつものように映画を見て、サイゼリアでいつものようにサーモンの焼いたものを食べて、イオンで買物して帰宅。

見たものは「一年単位の恋愛」という映画で、つまらなかった。若い二人が知り合って、その後、些細なことで別れてしまうが、再会して結ばれるという何の変哲もないストーリー。その後、イオンモールで食べ物を買おうと思ったが、持って帰るのも重いのでそれほどたくさんは買わなかった。キノコ類と鍋のもと。海底捞のキノコ味の鍋のもとはおいしい。日本でもAmazonで買えるがかなり高い。今日は家でその鍋のもとでキノコ鍋をするつもり。

家に帰る途中、娘から電話があって「あーつまらない、つまらない」という話を聞いた。わたしも「そうだね、つまらないね」と。こういうときこそ、本を読みましょう。今日も「ジョイラッククラブ」の続きを読もう。


2022/01/27

昨日も家でぼんやり

 結局、昨日もでかけなかった。

したことといえば、YOUTUBEで田壮壮の「蓝风筝」を見て、それから「喜福会」を少し読んで、それから紀伊国屋ウェブショップで「脱日本入門」という本を購入して読んだ。

「蓝风筝」のような古い映画を見ると、テンポが遅くて合間にSNSなどを見たくなってしまう。SNS中毒気味。こういうのはわたしだけじゃなくて、学生もそうらしい。聞くところによると、ネット授業なども倍速でみているらしい。対面授業は倍速ができないから、こっそりとスマホを盗み見ているのだろう。人と話をしているときにSNSをみたりするのは、日本だとまだ失礼な感じがするようだが、中国ではそういうことをする人は多い。なんだかなと思うが、それが失礼でないなら、こちらも気楽なものなので、人と会っているとき入ってきた連絡を話をしながら見たりする。

〇鶏むね肉は、新学期が始まったら学校にもっていって引き出しにでも入れておこうかと思っている。食事をしそびれたときの常備食として。それとも、家においておいて非常食にしようか。たぶん、コパさんがおっしゃるようにして食べれば胸肉はおいしいのだろうが、中華な味付けがされているので、それもできないし。洗ったら味がおちるだろうか( `ー´)ノ

2022/01/26

家でぼんやり

 外は薄暗くて雨が降り続いている。週末には雪になるらしい。

タオバオでダイエット食セットを買って、食事をするのが面倒な時にはそれを食べようと思っていたが、食べたいものから箱から抜き出して食べていたら、まずい「ローストチキン」だけが残った。鶏むね肉を焼いたものをレトルトパウチしたものだが、中国風の味付けがなんだかまずくて、それだけが箱に20個くらい残っている。でも、もう食べたくない。

家の中には、冷凍餃子が袋に半分と、ソーメン、インスタントみそ汁、無印のレトルトカレー1つ、冷凍みかん6つしかない。どれもなんとなく食べたくないものなので、夕方に買い物に行くかも。最近は何でも家に届けてくれるが、実際に見に行かないとどうも気が済まない。


〇おとといの夜、「1934年的逃亡」を読み終えて、その後、谭恩美の「喜福会(ジョイラッククラブ)」を読みはじめる。これはずっと前に最初の部分だけ読んで放ってあったもの。映画も見たことがあるが、やはり映画とは個々のエピソードが少し違っている。もともとが英語で書かれた著作であるせいか、読みやすい。この小説はサンフランシスコのチャイナタウンが舞台となっている。30代のころ、夫の駐在に帯同して西海岸に住んでいたことがあるので、知っている風景が出てきて、ちょっとなつかしい。サンフランシスコのチャイナタウンになる中文図書館にも行って本を借りたことがある。本はすごく汚くて気持ち悪かったが。

「1934年的逃亡」は最後は例によって凄惨な内容になる。男性の無責任と横暴によって、女性の凄惨な争いが生じるというのは、よく蘇童の小説にでてくるパターンのようだ。

それと、YOUTUBEで「摇呀摇 摇到外婆桥」を見た。これも前にも見たことがある。

こんなふうに半日くらいぼうっとして午後になってから、ダラダラと本を読んだり、ビデオを見たりする怠惰な生活をしているが、これ以外にほかの生活のしようもないので、しかたがないと思っている。


2022/01/24

すごくおすすめ

 今日、小雨が降る中をでかけて映画を見てきました。

ぜんぜん予備知識なしでみた「雄狮少年」という映画。CGアニメの映画です。

これ、すごくすごくよかった。


なんと、これ、「雄狮少年 少年とそらに舞う獅子」という名で、2月1日(火)・2日(水)の二日間、都内のグランドシネマサンシャイン池袋で上映されるらしいです。

これから見る人がいるといけないから、内容についてはここには書きませんが、かなりおすすめです。


〇しかし、「電影祭」のサイトをみても、上映時間が書いてない…。

覚書としては使えない

 春月ねいさんの例の事件のことから考えると、ブログは覚書としては使えないことがわかった。いちいちバックアップをとるのも面倒なので、ブログとはそんなものだと考えたほうがいいのだろう。

〇このところ、寒くて天気も悪いので、どこにもいかない。

前学期の仏学院の授業で学生さんたちに中国の寺についての文章をたくさん訳してもらったときに、「杭州にもこんなに見るべきところがあるのか、今度時間ができたら行ってみよう」と思ったのだが、そとの寒々とした天気を見ると行く気がしなくなってしまう。ここは夏も暑すぎるし、なかなかお出かけ日和で、かつ時間があるというような日はない。

天気予報を見ると、当分、悪い天気が続くようだ。

〇そこで昨日も一日でかけずに家で読書。蘇童の「離婚指南」を読み終えて、次は「一九三四年的逃亡」という本を購入して、半分くらい読んだ。

「離婚指南」では、結局、この男性は離婚しない。離婚の動機は愛人ができたことだったが、この愛人も妻と同じように厄介で気性の激しい女性で、その板挟みになって、さんざんな目に遭い、進退窮まってしまう。この本は、男性に同情しているような書き方をしているが、私にはそんなふうには思えなくてしらけた。これはどうみても妻が被害者だろう。

次の本は、主人公(=著者かどうかはわからない)の祖父・祖母の代からの苦しい家族の歴史を振り返る本。何となく余華の「活着」に似た雰囲気。こういう貧しげで不潔な描写が多い小説は少し食傷ぎみ。これを読んだら、蘇童はしばらくお休みしよう。

2022/01/22

映画を見に行った

 頭痛がするのは家にこもっているせいかもしれないと思って、午後からでかけた。

雨が降っているのでイオンモール。「李茂扮太子」という映画を見て、それからサイゼリアでコーヒーとケーキを食べて、ザルと野菜を買って帰る。とりたててどうということのない一日。イオンモールはもうすっかり春節らしく真っ赤な飾りが溢れていて、春節らしい音楽がかかっていた。まだ、一週間あるのに。

映画はコメディ。庶民の李茂と太子は容姿がそっくりなので、それぞれの思惑のため、こっそり相手と入れ替わる。太子は李茂に利用されたと言って李を責めるが、最後に李が太子の身代わりとなって身を挺して自分の妻と太子を救ったので、みんな無事で仲良しになってめでたしめでたしという大団円。

わざわざ映画館で見るような映画でもなかったと思ったが、そこそこ楽しかったし、ほろりとさせられるところもあった。

それにしても、まだ映画が終わらないのに、掃除用具を持ったおばさんがはいってきて、ドアをあけっぱなしにするというのは、なんなんだろう。いままでも、エンドロールが流れている最中にもうライトをつけて掃除をしはじめることはあったが、今日の場合はまだエンドロールが始まるずっと前なのにもうドア開けっぱなしで、でたりはいったり。中国のシネコンは最近すごく立派になったが、こういうところがどうも。

〇やめようと思ったが、今日も「離婚指南」を三分の二くらいのところまで読んだ。その後、妻が狂言自殺を図ってますますいやな展開。でも、もうここまで来たら続けて読むと思う。

〇评弹を見るとわかるけど、日本の琵琶と中国の琵琶はずいぶん音も弾き方もちがう。

中国の琵琶は音が澄んでいて爪弾くが、日本の琵琶は音が重くて撥で弾く。中国の琵琶はいまでも習っている人がかなりいるが、日本の琵琶は「耳なし芳一」などむかしばなしの中に出てくるイメージで習っている人はごく少ない。


読書挫折しそう

 昨日は大半の時間をネットを見ながらダラダラすごしてしまう。

このあたりの冬は、曇りか雨が多いので、外もいかにも寒々としてみえ、でかける気もしない。

夕方から蘇童の「離婚指南」を読んだ。三分の一くらい読んだが、読めば読むほど気分がわるくなる小説なので、挫折しそう。特にこれといって、何かがあったわけでもないのに夫が妻の何もかもがいやになり、ある朝とつぜん離婚を切り出すというストーリー。妻はもちろん激高し、あれやこれやの騒ぎになる。妻にしてみれば、子どももいるのに何言ってんだというところだろう。妻が会社に乗り込んでくるところまで読んで、もういやになった。


わたしはこういう男女の感情がもつれる陰惨なストーリーが意外と好きなのだが、なぜかこれはだめ。文学的な「遊び」や「非現実」の部分がなく、隣の夫婦喧嘩をのぞき見しているような生生しさがあるからなのかもしれないけど、なぜかこれはだめ。

他に読みたい本を探そう。

〇その後、もういちどYOUTUBEで「紅粉」を見てみたが、これもやっぱり陰惨な話だし。

でも、评弹がそこここで流れて、江南の雰囲気がなかなかすてき。


映画で出てくる曲じゃないけど、これとかもいい。春月ねいさんはもちろん知ってるでしょうけど、わたしも大学の時にこれを読んだ。あ、これも男女が分かれる話?

近些年最火爆的苏州评弹《钗头凤》,游客点唱率最高,陆游作词! - YouTube


2022/01/21

ボランティアの相手をするボランティア

 昨日はボランティアの相手をするというボランティアをした。

学校の取り組みとして「学生が外国人教師や留学生に中国語を教える」というボランティアがあるらしい。今年は留学生もいないので、ボランティアをしようにも相手がいない。そこで、「学生たちのボランティアの相手をする」ボランティアをすることになり、ネット会議で中国語を教えてもらうことになった。わたしは中国に住んでいるが、それほど毎日中国語で話す機会があるわけではない。しかし、中国語が話せないと生活上いろいろと困難が生じるので、学生と世間話をして雑談力を鍛えるのもいいのではないかと思って、そのボランティアを受けることにした。

そこで、ふたりの一年生の子たちと話しをすることになった。

話題もこれといってないので、昨年の作文の授業で何人かの学生が「わたしのいちばんの親友はネットで知り合った友だちで、一度もあったことがない人です」というものがいくつもあったが、そういう状況について理解できるかと尋ねてみたら、みんな口々に「理解できる」と言う。「だって、実際に会わないほうが、衝突もおきないし、気楽だから、かえって思っていることを言える」というのが理由らしい。

そういうのを見ると、中国人も変わったんだなと思う。若い子たちはたいていとても内向的だ。中国でよく見かけるおばあさんたちのように誰にでも平気で何でもいう、人付き合いが好きな中国人はだんだん過去のものになりつつある。それにつれて、コミュニケーション能力も低下してくるのは必定だろう。

同僚の中国人の女性の先生の中には子どもがいる人も何人かいるが、そういう人はたいてい夫の両親と住んでいて子育てや家事をやってもらっている。実はみんなそういうことでいろいろなストレスを抱えているのだと、若い女性の先生が言っていた。それもそうだろう。わたしだってそういう環境で、仕事をしたり、子どもを生んだりできる自信がない。最近の中国の若い女の子たちもとても繊細に見えるし、自分で生活していけるなら、結婚したり出産したりしないだろう。そういうこともたぶん中国の少子化の原因だろう。

2022/01/20

次に生まれてくるときには

 ふと思う。

なぜわたしはここにいるんだろう。

なぜこんな仕事をしているんだろう。

ほんとうにここに好きでいるわけでもないのに。

ほんとうにこの仕事がすきだったんだろうか。

もともとわたしは若い頃からずっと同じ仕事をしてきた人じゃない。

なりゆきで、こういう生活をし、こういう仕事をしている。

それならば、ほんとうは何がしたかったんだろうな。

次に生まれてくるときには、お針子になりたいかも。

そういえば、私の母方の祖父は仕立て屋だった。T大の近くに店を構えて、人もたくさんつかっていたらしい。母も母の姉妹も学校を出てから勤め人になったが、みんな洋裁学校に通って、結婚してからはミシンを踏んで子供服を作ったり、小銭稼ぎをしたりしていた。(実は母が作る服はぜんぜん気に入らなかったのだけど)

いつになるかわからないけど、日本に帰ったら、少しずつ習って練習して、ちくちく自分やお人形さんの服を作りたい。だから、頸椎と目がこれ以上悪くなりませんように。


やることもやらないで

 どこにもいけない休みとはいえ、やることはそれなりにあるのに、だらだらと本を読んだりビデオを見たりしてすごした。

本は蘇童の「妻妾成群」と「紅粉」。それと、YOUTUBEで「紅粉」の映画を見た。

「妻妾成群」はあの巩俐の「大紅燈籠高高挂」の原作。映画は日本語では「紅夢」といったと思う。「大紅燈籠高高挂」は台湾で作られたドラマもあって、これもYOUTUBEで見られる。どちらもかなり重い内容なので、きらいな人もいるだろう。特にドラマは映画よりもなまなましくて、複雑な内容になっている。原作も映画もドラマも「女って怖いな」と思わされる内容だが、その怖さは女性がその当時の社会で抑圧されていたからこそ生まれる怖さである。むかし、なにかで「日本の幽霊や怪談の主人公は女性が多いが、それは女性が抑圧されていたからこそである」というような内容の文章を読んだことがあるが、それにも通じるものがある。

「紅粉」は中国の解放(中華人民共和国の成立)によって遊郭がつぶされ、そこで働いていた二人の娼婦が新しい世の中でどう生きていくのかという物語である。没落した上流家庭の道楽息子にこの二人の女性がからむようにして話が進んでいくのだが、一人は最初はこの男性に頼って一緒に暮らすが、その後、出家したり、寺から追い出されたりして、最後は地位も金もなさそうなしょぼい別の男性と結婚する。もう一人はその道楽息子と結婚して子どもを生むが、貧しさに負けるように二人は喧嘩ばかりの生活を送るようになる。この後、映画と小説とでは理由が異なるのだが、道楽息子は公金を横領して死刑になる。女性ふたりは分かれてそれぞれの道を行く。

しっちゃかめっちゃかな二人の女性は、社会の底辺に属しているのに、泣いたり騒いだりしながら、妙にしたたかに生きていく。それにひきかえ、男性のほうはもともと上流階級の出身で金で女性を買う立場だったのに、妙にお人よしで女性に振り回されて死んでしまう。

映画のほうは、話しがさりげなく展開していってしまうので、ぼんやり見ていると筋が追えなくなる。地味すぎる映画なので、一応、日本でも上映されたようだが、張芸謀の「紅夢」みたいに話題にならなかったのかも。

次は「離婚指南」というのを買ったので、それを読んでみることにする。

こんなことをやっているといつまでもやらなければならないことができないのだけど。


2022/01/19

旅行も禁止

 昨日、学校から正式に重大な理由がないかぎり省外に行くなという連絡があった。

もともと後から面倒なことがあるといけないし、行くための手続きも面倒なので、北京へは行かないつもりだったが、これで晴れていけなくなった。そうなれば、むしろ気持ちがラクである。

それにしても、行くところもなく、長い冬休みを授業の準備などをしながらすごすのもつまらない。

〇昨日は、寺に行った。法師が「テキストの作成について相談したい」と言ってきたからだ。

行ってみるといつものようにほとんど世間話。いつも思うが、寺の中の人間関係はわたしの大学の日本語学科よりもやっかいそうだ。出家してああいうところで生活していたら、泰然と生きていけるものなのだろうと思っていたが、どうもそうでもないらしい。

とにかくわたしはテキストの作成に協力することで思ったよりもたくさんのお金をもらうことになったので、呼ばれたらでかけていかないわけにもいくまい。わたしも暇だし、ほかに会う人もいないので、かまわないんだけどね。



2022/01/15

会食は中止

 昨日は学科で会食をする予定だったが、直前に中止になった。会食する予定のショッピングモールの近くでコロナの感染者がみつかったらしい。

この一年間、そういう会食はまったくなかったので、会食自体よりも、会食ができるようになったということがうれしかったが、また一歩後退してしまった。


こうなると、今回の休みもこれという予定もなく、ひきこもってすごすことになりそうだ。


 CHANGE.ORGから連絡がきた。私は2020年6月に月間会員になったそうだ。三か月分の会費は払い戻されるという。しかし、メールボックスを見ても、普通の場合ならそういうときにある確認メールはなかった(CHANGE.ORGのサイトでは確認メールがあって、そこからも退会できると書かれている)。ただ、6月末に「○○さん、ようこそ」というメールがあって、そこに「会員の皆様」のような言葉が書かれている。もちろん、私が会費を払う会員になったということがわかるようなことは何も書かれていないし、退会云々も書かれていない。たぶん、追究されたら、これが確認メールだというつもりなのだろう。こうやって曖昧な方法でワナにかけ、曖昧なメールを出したからというギリギリの言い逃れをする団体なのだろう。「あなたに覚えがなくても、あなたが間違って登録したのだ」と言われれば、証拠がないから、そうだと言われれば自分が間違ったのかもしれないと思う人も多いだろうし、登録していないと確信していても反論のしようがないので、みんな泣き寝入りするしかないだろう。ネットで見ると同じ被害に遭う人は何年も前からいるのに、そういう状態を放置しているのだから、故意なのだと思う。

願わくは、心ある団体は、こういう心ない団体を利用して署名を集めないでほしいと思う。



2022/01/13

CHANGE ORGにきをつけよう

 怠け者のわたしはずっとクレジットカードの明細メールがきても、総額しか見ていなかった。

だいたい5000円~10000円くらいであれば、「まあ、電子書籍代がそれくらいかかったのか」と思うだけで明細までみていなかった。

しかし、今日、たまたま今月の分を開けてみたら、Changeorgから3000円引き落とされている。

あれ?なぜ?CHANGE ORGは、一昨年一時帰国したときに暇だったので、何回か署名をしたり、寄付をしたことがある。しかし、このところずっと何もしていないはずなのに。

メールボックスからクレジットカードの明細を探し出して見てみると、もう一年半くらいずっと月間会費3000円引き落とされている。1回か2回スポットで寄付をしたことはあるが、会員になったおぼえはない。

ログインしてみようと思ったが、グーグルのアカウントでログインしても、私のアカウントとされるところには個人情報は何もなく、サイトに書いてある方法で会員プログラムに行って退会してみようとしたが、会員プログラムの中には退会のボタンも何もない。

やっとアカウントを取り消したが、そのときには「アカウントを取り消しても月間会員はキャンセルできない」との注意書きが。それなのに、どうしたら月間会員が取り消せるのかは書いていない。入会時に来た登録確認メールから取り消しができると書いてあったが、メールボックスの中をいくらさがしてもそんな確認メールは見つからなかった。第一、会員になった覚えはぜんぜんないし。

やっと問い合わせメールアドレスを見つけて、「会員になった心当たりがないのに、会費が引き落とされています。退会させてください。返金はしてもらえますか。」という内容のメールを出した。

こうして午後はこのことでむだに終わってしまった。

その後、夕方もう一度CHANGE ORGのサイトでログインしてみると、今度は会員プログラムのページに退会のボタンがでてきたので、退会手続きをすると、その後、退会確認のメールが来て、そこには「今後、引き落としはありません」と書かれていた。

こうして、とりあえずは、これ以上引き落とされることはなくなったが、引き落とされてしまった数万円は返金されるかどうかわからない。

〇ネットやツイッターで検索してみると、私と同様に知らない間に会員になってしまい、勝手に会費が引き落とされてしまった人や退会のしかたがわからなくて途方に暮れている人が多数いることがわかった。もう数年間、そういうことが相次いでいるのに、相変わらず改善がなされていないのは、故意にワナにはめるためだろうか。いずれにしても、近づかないほうがいい団体のようである。みなさんも、くれぐれも注意なさってください。


2022/01/06

なかなか正月がこない

 いまだに正月が来ません。

昨日は家のドアのカギを暗号キーに取り換える人が朝来ると言っていたのに、

昼近くに到着し、わたしの部屋の取り付けが最後だったので、結局、終わったのは二時半ごろ。

午前中のバスに乗って学校に行き、用事をすませるつもりだったのに、一日を棒に振った。

こんなことなら、もっといろいろ家に持ち帰っておけばよかった。

そして今日は午前中、少し採点をして、午後は試験監督。

明日は採点のために朝のバスで学校に行き、午後は学生のコンテストのリハーサル(来なくていいと言われたけれども)。

明後日はコンテスト。オンラインのコンテストなので、学校でそれを見る。


そんなこんなでまだ今学期の仕事の終わりは見えない。

〇学校で新年のプレゼントをもらいました。去年より今年のほうがいい感じ。

それと、電子マネーの心づけ。

昨年の冬休みには、学校の職員の「家庭訪問」があってそのときに新年のプレゼントをもってきたが、今年は今もらってしまったから、家庭訪問はないのかなと思い、ほっとした。

学校からもらったものには、すべて校名が入っているのですが、見えないようにしました。



2022/01/01

お正月ですね。


 しかし、わたしは一日中、学校で試験監督です。疲れて頭がいたい。

今年も正月とは縁のない私も、昨日いただいてきた霊隠寺の大和尚のありがたいカレンダーを貼りました。そのありがたいカレンダーを、時間をかけて貼ったのに、こんなふうにへたに貼れました。しかれども、ブログに貼って、みなさんにも、ありがたさをわけてしんぜよう。


注:山君というのはトラのことだそうです。