2022/01/24

覚書としては使えない

 春月ねいさんの例の事件のことから考えると、ブログは覚書としては使えないことがわかった。いちいちバックアップをとるのも面倒なので、ブログとはそんなものだと考えたほうがいいのだろう。

〇このところ、寒くて天気も悪いので、どこにもいかない。

前学期の仏学院の授業で学生さんたちに中国の寺についての文章をたくさん訳してもらったときに、「杭州にもこんなに見るべきところがあるのか、今度時間ができたら行ってみよう」と思ったのだが、そとの寒々とした天気を見ると行く気がしなくなってしまう。ここは夏も暑すぎるし、なかなかお出かけ日和で、かつ時間があるというような日はない。

天気予報を見ると、当分、悪い天気が続くようだ。

〇そこで昨日も一日でかけずに家で読書。蘇童の「離婚指南」を読み終えて、次は「一九三四年的逃亡」という本を購入して、半分くらい読んだ。

「離婚指南」では、結局、この男性は離婚しない。離婚の動機は愛人ができたことだったが、この愛人も妻と同じように厄介で気性の激しい女性で、その板挟みになって、さんざんな目に遭い、進退窮まってしまう。この本は、男性に同情しているような書き方をしているが、私にはそんなふうには思えなくてしらけた。これはどうみても妻が被害者だろう。

次の本は、主人公(=著者かどうかはわからない)の祖父・祖母の代からの苦しい家族の歴史を振り返る本。何となく余華の「活着」に似た雰囲気。こういう貧しげで不潔な描写が多い小説は少し食傷ぎみ。これを読んだら、蘇童はしばらくお休みしよう。

2 件のコメント:

  1. 結局読み終えたのですね( ̄∇ ̄)
    高校生の頃、文学史に出てくるような本を読もうと、「細雪」などという本を手にして、途中で読むのをやめた記憶が蘇りました。

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  2. ここ、何かが勘違いされても自動的に削除、、となるようなので
    覚悟はしておかないと…と思いました。
    前のブログは放置していてもずっと残っているので時々覗いているのですが。。

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