昨日は「りかさん」を読んだ。
この本はずっと以前にも読んだことがある。いつのまにかkindle版がでていたので買って読んだ。
こういう人形の話は怖いと思う人もいるのだろうけど、人形好きにとってはある種の憧れだ。
この本にも書いてあるように、人形は人の心の重荷を預かってくれる。
でも、それができるのは、力がある人形だけ。「リカちゃん」ではなくて、「りかさん」でなくてはその力がない。
わたしもお人形と暮らしているが、普通の人からすれば「散財」にしか見えないだろう。
いまの部屋には大きなビスクドールが二つと市松人形一つがある。ビスクドールは長い時間を人の間を渡り歩いてわたしのもとに来た人形で、市松人形は愛知の人形師さんのもとを訪ねて迎えた人形だ。
朝、眼がさめたら一声かけ、出かける時や帰宅した時にも一声かけることが、生活の一部になっている。
この人形たちには「力」がある(つまり魂が宿っているように見える)ので、人によっては写真だけでも怖がるが、好きな人はそこが好きなのだし、むしろその魂の気配がなければ意味がないともいえる。わたしの殺風景な部屋にも、人形と生きた時間がかもしだす何かが宿っている。
〇「りかさん」では、最後に切り落とされた桜の老木の枝を煮て、縮緬を染めるepisodeがでてくる。それで「りかさん」の新しい着物を作るのだ。
そこには人工的な染料にはないアクの色があり、それが悲しくいとおしいのだと。
人も生きていると、純粋ばかりではいられないが、それがその人が生きたかけがえのない結果であるのだという意味かもしれない。
お母さん、私のリカちゃんのママはどうなったのでしょう?
返信削除今度探してみるかな。
お人形さん、子供の頃からあまり遊んだ記憶がないんだよね~。
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