2021/02/03

金陵十三釵(小説)①

 昨日から「金陵十三釵」を読み始める。

 設定がいろいろと映画と違う。
 映画では主人公だったアメリカ人の納棺師がそもそも出てこない。
 アメリカ人の納棺師は死んだ神父を葬るためにやってくるのだが、その神父が死なずに
 教会の統率者となっている。
 「単騎なんとか」がそうであるように、張芸謀はこういうやり方で外国人の有名な俳優を戦略的に使うのだろう。そうすれば、海外でも話題になるし。中国映画はあまり日本では上映されないが、「単騎なんとか」が日本で上映され親しまれたのは高倉健が主演だったからだろうし、「金陵…」がアメリカで上演されたのもアメリカ人の俳優が出演したからだろう。張芸謀は商売上手なのである。

〇「初恋がきた道」は、結局、まだアクがでていなかった章子怡のかわいらしさが売りの映画だったのだと思う。ストーリーだって単純だし。当時は中国映画というと単に娯楽のために見るのではなく、知識人とかマニアとかが中国の特殊な雰囲気を感じとったり、何かのメッセージを得たりするために見るものという感覚がまだあったような気がする。それが陳腐ともいえる恋愛映画だったので、「それだけ?」と思ったのだ。当時、大学時代のクラスメートと食事したときに、「あれ見て、それだけ?と思った」という話をしてうなずきあったのを覚えている。たぶん、章子怡のかわいらしさに胸がキュンとした人だけが感動したような気がしたのだろう。

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