2021/04/04

挫折 挫折

 エイミタンの自伝は紙の本なので持ち歩けないし、寝ながら読むのもよみにくい。

わたしは家ではベッドのヘッドボードにアイパッドを挟めるスタンドをとりつけて寝ながら本を読んでいる。紙の本だと手で持たなければならないし、電気スタンドからの光の当たり具合にも気を付けなければならない。電子書籍に慣れてしまうと紙の本は読みにくい。しかし、後からまた読みたい箇所を見つけるときには紙のほうがみやすい。

こうしてエイミタンの自伝はつんどくになった。

その後、前から読んでみようと思っていた馮驥才の「三寸金蓮」を読もうとしたが、

子どもの足に纏足を施すくだりのあまりにも痛々しい記述に心が折れて、これも挫折。読んでいると、気のせいか自分の足まで痛くなりそうな気がするのだ。

その後、余華の「兄弟」。これも最初のところで、トイレで女性の尻を盗み見る話が延々とつづき、やっとそこを読み切っても、そのあとも胸の悪くなるようなできごとや表現が続いてげんなりしたが、その先に感動の物語があるようなので、いまがんばって読み進んでいるところである。

〇先日の北京大学出版社のテキストにある「日本人が麺を音をさせて食べるのはおいしいと伝えるため」という記述について、これまで同僚の日本人の先生、日本人の留学生、家族などいろいろな人に聞いたが、やはりこれに賛同しない人が多いようだ。わたしは、この説はネットに中国人が書いて、コピー&ペーストを繰り返す内に中国人の間で日本のマナーとして「常識」になったものだと思うのだ。しかし、このテキストの編集には日本人の日本語教師も参加している。この人はこの記述を見たのだろうか。日頃から学生には「レポートを書くのに誰かの説を参考にする時には、誰がどういう根拠で言っているかをきちんと確認するように」と指導している。しかし、北京大学出版社と「ただのおばさん」である」私では、どちらが「権威」があるかと人に聞いたら、当然、みな北京大学出版社と答えるだろう。困ったものである。


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