今日は美容院に行った。
この間、ショッピングセンターを歩いていたら日本式の美容院があったので入って予約だけとったのだ。
それで今日行ってみた。
北京では近所の適当な美容院に行っていた。
南方に引っ越してきてからは中国の美容院には行っていなかった。
半年ごとに日本に帰るのでそのときに行って、あとは適当にやりすごしていたのだ。
しかし、今回はまだ当分、日本に帰れそうもない。前回、髪を切ったのは10月ごろ。
近所にもいくつか美容院はある。しかし、中国の美容院だと前の人が使ったようなものを首に巻かれたりして、
なんとなくいやだったのだ。しかも、いまはコロナの時期だし、できれば避けたいなと。
どうせ切るだけなのだし、多少高くたって知れている。…というわけで日本人が経営しているところに
行ってみた。
切ってくれたのは中国人だったが、ていねいで親切だった。
うまく話がつうじなければ日本人の老板から伝えてもらうこともできるらしい。
次からもそこにしよう。海外にまできて日本人の店に行くのはどうかと考えるむきもあるかもしれないが、
それでなくてもいろいろとストレスが多いのだし、それくらいはいいだろう。
〇「小姨多鹤」は読み終わった。
小環は中国人女性の典型であり、多鶴は日本人女性の典型と書いてある読後感もあったが、
わたしは多鶴には共感も親近感も感じなかった。
中国人からみた多鶴は中国語もあまり話せなくて、何を考えているのかわからない女性ということになっているが、
わたしのような日本人からみてもなんとなく共感しにくい。
ドラマはどうかしらないが、この小説をみると、小環のほうがずっと魅力的な人物にみえる。
おおざっぱで、けんかっぱやくて、率直で、世間ずれしていて、でも、愛情深い。
それに対して、多鶴はどうなんだろう?
もともと張倹に対して愛情がなかったのに、張倹がにわかに彼女に愛情を持つようになると、なぜか同時に彼女も張倹を愛するようになって、
ところかまわず愛欲に溺れるとか、その常軌を逸した感じがもう何がなんだかわからない。
多鶴はガラス窓も床も毎日磨きこみ、家族の服にぴしっとアイロンをかけ、でしゃばらず、おじぎばかりをし、夫(正式にはそうでないが)が返れば跪いて靴を脱がせ、いつもにこにこしている。
多鶴の謎にみちた背景や悲惨な経歴、それに敵の日本人を愛するという背徳感が刺激になって、夫の会社の後輩の
男性ふたりがあわよくば多鶴とどうにかなろうとするのだが、多鶴もはっきり拒絶するわけでもなく、隙が多すぎる女性という感じがする。
なんだか、こういうのが日本人女性のステレオタイプなのかと思うと辟易してくる。最近、わたしは妙にそういうことが気になるのである。
また、この小説はなぜかこまごまと食べ物や衣服の説明をしているかと思うと、肝心なことがさらりと書かれていたりする。
最後のほうで、日中国交正常化にともなって、多鶴が日本に帰国することになる。多鶴は張倹を日本に連れて行って治療を受けさせるために、正式な妻としての届けをを出す。こういう小環にとっては残酷なことがさらりと記述されている。結局、多鶴が日本につれていった夫が死に、娘家族と息子の一人が多鶴の呼び寄せで日本に移住し、もう一人の息子も遠くに住むことになって、あんなに家族につくした小環はひとりで最後に残される。犬だけが話し相手である。
この結末は心に刺さった。なんだか、わたしの現実に重なって…。