2024/12/31

「怨女」読了 食事会

 「怨女」読了。

嫁が死んでから、銀娣はたくさん子どもを生んだ妾を息子の嫁にはしなかった。息子が望まないので、後妻もとらなかった。ついに上海も日本の侵略の影響を受けはじめ、誰もが生活に窮するようになった。そんな中、姚家の長男と三男はいずれも没落して死んだ。銀娣は息子と暮らしながら、若かったころのことを思い出しつつ生活している。

次はエイミ・タンの作品の中国語訳を読もうと思っている。ずっと昔、アメリカのベイエリアで駐妻をしていた時に、子どもたちも小さくて自由に出歩くこともままならなかったから、近所の中国系ショッピングセンターで、次々と本を買って読んでいた。その当時、いちばんおもしろかったのが、

「The Kitchen God's Wife」の中国語訳だった。たしか「灶君娘娘」という題名に訳されていたと記憶している。

ちょうど住んでいたのも、エィミタンの出身地のオークランドの近くだった。

この本は日本語訳もされているが、もはや絶版で、中国で出版された中国語訳も絶版になっている。タオバオで中古本をポチッた。きれいだといいのだけど。わたしは図書館の本も中古の本も抵抗があるのだけれど、他にないのだからしかたがない。

〇今日は朝から昼まで授業。その後、そのまま学校で宿題を見て、来週の試験用紙の印刷漏れがないか確認して(今回は何故かそれをするように言われた)、来学期、分担でする授業の打ち合わせをして、一年生のクラスの食事会に行って、帰宅した。
来週から試験週間。やってもやっても細々とした仕事がある。
明日は元日だが、今日の日付が変わる時刻が締め切りの宿題を見て、来学期の教材をシステムに登録をして、平常点の計算をする予定。今年から三年生の一学年の人数が百人を超えたので、何をやるのにも時間がかかる。システムも何のためかわからないけれど、頻繁に変わっていて、毎回手間取ってしまう。
しかたがない。明日は一日がんばるしかない。



2024/12/30

「世間胸算用」読了 次は…

 『世間胸算用』読了。

たいへんおもしろかった。現代語訳でもよくわからないところがあったが、それでもおもしろい。

大晦日に借金を返すためにてんやわんやの騒ぎになるなら、早くから計画的に生活をすべきだというのは、誰だってわかっている。しかし、それができないのが人の常。

大晦日を乗り越えるために、妻や息子を奉公に出したり、獄門覚悟で追いはぎをしようとしたり、詐欺まがいの芝居をうったり、なりふりかまわずの行動にでる。

人々が右往左往するようすは滑稽だが、その滑稽さの合間から地獄が見える。現代のように福祉があるわけでもなく、うまく世の中が渡れなければ命さえうしないかねない社会なのだ。

次は、『好色五人女』を購入してみた。通勤の行きの地下鉄の中で最初の悲恋物語を読んだ。後は毎日ぼちぼち少しずつ読む予定。

〇『怨女』も少しずつ読んでいる。

息子は成長して、三男にそそのかされて放蕩生活を送るようになる。

そこへ縁談の話。しかし、嫁入りした女性の紅蓋頭(花嫁が頭にかぶる赤い布)を取ってみると大変醜い女性だったため、銀娣は嫁の実家に騙されたと思い、嫁につらくあたり、息子夫婦の間には諍いが絶えなくなる。

嫁が病気になると、銀娣はこのままでは孫の顔が見られないと思い、家で幼い頃から使っていた下女を息子の妾にする。

こうして、嫁は家で冷遇されるようになった。医者も呼んでもらえなくなったし、欲しいものも手に入れられなくなった。病気で寝たままの嫁の部屋のドアの前に椅子を置いて、銀娣は午後中、嫁をののしるのが習慣になった。

こうして、妾は三人の子どもを生み、その後、嫁は亡くなった…。

あと10ページ。鬱展開のため、気力が失せつつあるが、あと少しなので頑張って読む。


2024/12/28

「小小的我」と「世間胸算用」

 今日は例によって昼過ぎからショッピングモールへ。

サイゼリアでハンバーグを食べてハイネケンを飲んだ。

以前、北京に住んでいた頃は10元で大瓶のアサヒドライが出たが、いまは12元でハイネケンの小瓶。ずいぶん物価があがったものだ。

その後、易烊千玺主演の「小小的我」という映画を見た。脳性麻痺の20歳の青年が母との確執やさまざまな悩みを乗り越えて、新たな道に踏み出すというストーリー。

中国人は情も深いが、障害者に対して思ったことを何でも平気で口に出してしまうようだ。そういうところは日本人とはやはり違う。

その後、家に帰ってから、kindleで井原西鶴の『世間胸算用』の現代語訳を買った。光文社の中嶋隆訳。12月11日に出たばかりの新訳だ。

ちょうど今頃読むのにふさわしく、最初に庶民の年越しの話が出てくる。年越しは当時一大事だったらしく、家財道具を質に入れ、何とか費用をねん出する。悲喜こもごも、切ないような滑稽なような庶民の姿が描かれている。

元日がもうすぐ来るが、こちらはたった一日の何と言うことがない祝日だ。

以前に買った豊子愷の日めくりを机の上にだして、玄関のドアには学生が書いてくれた「福」の字を貼った。たぶん、それだけがわたしの正月の準備になるだろう。

「怨女」3

 『怨女』一日10ページくらいずつしか読めない。

分家した銀娣のもとに三男がやってくる。一緒に食事をしているうちに二人の間に以前の感情がよみがえってきて、関係を持ちそうになる。しかし、その時、三男を追ってやってきた二人の借金取りが乗り込んでくる。銀娣は、三男がやってきたのはやはり金の無心のためだったのだと知り、絶望する。

…というような感じ。

年の瀬も押し迫って、期末試験が迫ってきた。

授業に対しても、試験に対しても、学校の管理が年々厳しくなってきた。

これからは教室の前後のカメラですべての授業を録画し、同時に授業で使うPPTも記録に残すそうだ。学校側は学生が後から授業の復習をするための便宜だと言っているが、授業中でさえ、隙あらばスマホを取り出そうとする学生たちがそんなに熱心に勉強するものだろうか。目的はもちろん別のところにある。それはみんなわかっている。

2024/12/26

お別れ

 今日は午前中はお寺へ。

昨日、先学期まで授業をしていたお坊さんたちから、「渡したいものがある」との連絡があった。何かと思ったら、今学期で仏学院を卒業して、それぞれ元いたお寺に戻るので挨拶に来たのだった。プレゼントをもらって一緒に写真を撮った。今年卒業の人たちは今後は日本と関係のある仕事につくことはなさそうだという。それでも、こういう出会いがあって、彼女たちはよかったと思ってくれるだろうか。わたしはよかったと思っているけれど。

みんなそれほど熱心に勉強する人たちではなかったけど、陽気で楽しい人たちだった。

              お坊さんたちからもらったもの


午後は学校で体験室の掃除。その後、みんなでお菓子を食べておしゃべり会。ミルクレープのようなケーキをごちそうになったが、あれは学生たちが御馳走してくれたものだったのだろうか。


日本ではもうそろそろ仕事納めだが、わたしたちはこれから普通の日常を過ごして、来年の第二週から試験。


〇「怨女」がなかなか読み進められないので、昨夜、ネットで映画をさがしてみてしまった。映画はだいたい小説の筋を追っているが、少し違う部分もあった。

そして残酷でホラーのような結末。

「怨女」は「金鎖記」の改作だそうだが、「金鎖記」では主人公の女性が娘をいためつけるが、「怨女」の主人公は息子の嫁をいためつける。男尊女卑の旧弊な社会の中で、女性は性格がねじくれ、不幸を連鎖させていくが、男性はどいつもこいつも我関せずと放蕩の人生を送る。そういうありがちな胸糞悪いストーリーだともいえる。

2024/12/25

『怨女』その2

 今日は授業がない日。

なので学校には行かない。家でやろうと思ってやらなかったことを少しは片付けよう。

とりあえず帰国便のチケットを買った。

『怨女』は毎日少しずつしか読み進められない。

やはり張愛玲は難しい作品は難しい。それとこの鬱な雰囲気が…。

さっさと読み終わって次に行きたい。

〇『怨女』

その後、物語の中ではあっという間に姑と夫がなくなってしまう。実際は結婚後十数年たっているのだが、物語の上ではそのあたりは描かれない。

遺産を分けて分家することになるが、銀娣の取り分は少ない。三男もそれまで家の財産を使い込んでいたので、取り分は少なかった。

分家して銀娣は大家族の確執から離れて生活することになったが、兄夫婦がお金目当てでやってくる。そこに、放蕩者の三男も金の無心にやってくる。銀娣は三男に対して以前のような好意を持っていたわけではなかったが、一度だけだと思い、いくらかの金を用立てる。その後、また三男がやってくる。二人の間に微妙な感情が生まれそうな予感が…。



2024/12/22

原書を楽しむ

 「中国語の表現から離れてストーリーやキャラクターだけで楽しむ、ってのがなかなか。」

ええ、そうなんです。

英語やドイツ語なら、それしかできないから、疑問も持たずに翻訳で楽しめる。

原書で楽しめる語学力がないから。

だけど、中国語の小説はいったん中国語で読みはじめると、もはや翻訳で読む気がしなくなる。

技術文書や契約書なら、日本語で置き換えが可能だが、文学作品の中国語の表現は日本語に置き換え不能とさえ思える。

それは当然、英語やドイツ語の翻訳だって、そうなのだけど、それは翻訳で読むしかないから、そういう次元での読書だと最初から割り切っている。

もちろん、わたしだって、日本語で読むようにすべてがよくわかるわけではない、部分的には霧がかかったようにしか理解できない箇所もある。それでも、中国語の表現は中国語の表現としてそこにあってそのものの味わいがあり、日本語に置き換えたら、ニュアンスや意味合いを過不足なく残すことはできない。

いまは翻訳の仕事をしていないが、それが幸いだと思うのは、いちいち日本語でどう表現したらいいかを考えなくてもいいこと。その差を埋めるのが楽しい人もいるかもしれないが、わたしはその埋められない伝えきれない差が心の重荷にさえなってしまいそうな気がする。

2024/12/20

歌ってきた

 昨年は空き教室だったのだが、今年は学校の古い校舎のほうにあるホールで。

ふだん授業では緊張しないが、ステージでは緊張するかもしれないなと思っていたが、普通に歌った。年を取ると神経も太くなるらしい。

意外と楽しかった。どうせ家にいても暇だから。

     けっこう学科からお金がでたらしく、このようなものをもらった。
花は歌わなかった先生にあげようとしたら、「いえいえ」と遠慮されてしまったので持ち帰り。むりに渡しても他の人にも都合があるだろうし。幸いきらいなタイプの花はなかったので、以前、ポトスを入れていたガラス容器にいけた。


2024/12/19

『怨女』1張愛玲

 今日は午前中は寺。午後は学校で日本語コーナー。

昨日から『怨女』を読んでいる。今日はぜんぜん読めなかった。

これは今まで読んだ中でも少し難しくて、昨日一日だらだら読んでやっと60ページくらい。

話は題名通り、鬱展開。

『金鎖記』の改作らしい。主人公の名前も違うし、設定もいくらか違う。

『怨女』の主人公の名は銀娣。

油屋を営む兄夫婦と同居している。もう婚期がすぎかかっているので、兄夫婦は早くこの妹を嫁に出したいと思っている。彼女が思いを寄せているのは向かいの薬屋で働いている小劉だが、彼はおとなしい男性で銀娣に気があるのかないのか、積極的な行動をとらない。そうこうしているうちに、姚家の次男に嫁ぐという縁談が持ち込まれる。姚家は金持ちで、長男と三男はもうすでに良家の娘と身を固めているが、次男だけは独身なのだ。なぜかというと、次男は盲人でくる病で、喘息もちだからだ。しかも、銀娣が嫁ぐとしても、彼女の家柄がよくないので、実質は正妻だが妾の形になる。しかし、兄夫婦は妾として嫁ぐほうがお金がかからないので、その縁談を歓迎している。

銀娣は小劉と結婚したとしても、おとなしい彼が出世するとも思えないし、将来は農村で姑をささえて貧しい生活をすることになるだろうと考え、姚家の次男を選ぶ。

しかし、いくら相手が金持ちだとはいえ、そうした結婚が幸せなはずはないのである。

銀娣に子どもが生まれても兄夫婦は祝いを出すお金もない。銀娣はこっそりと兄がもってきた重箱に自分の装飾品を入れて渡し、それを質に入れた金で祝いの品を買ってこさせる。そうこうするうちに三太太の部屋で装飾品の盗難があり、銀娣が重箱に入れて兄に渡したのではないかと疑われる。実はそれはプレイボーイの三男が遊ぶ金のために持ち出したのだった。

障害者の夫に愛情が持てない銀娣にイケメンの三男が次第に接近してきた。ある日、家族で祝い事のため寺に出かけた時に、人気のない場所で銀娣は三男に関係を迫られる。そのとき、銀娣は生まれたばかりの子どもをそばの座布団の上に放置したため、子どもは病気になり、夫は銀娣がこんなに小さな子どもを連れて外出したからだと激怒する。

…このあたりまで。

それにしても、夫が探している念珠をみつけた銀娣が夫のそばでクルミを割っているのだといいながら、ペンチで念珠を一つ一つ潰すエピソードは怖かった。


2024/12/17

『五四遺事』張愛玲

 相変わらずの生活をしている。

昨日と今日で張愛玲の『五四遺事』を読んだ。五四運動に関係があるストーリーかと思ったら、そうでもない。民国時代の恋愛物語。しかし、ロマンチックではない。舞台は杭州。

杭州に二組のカップルがいる。男性二人は詩人気取りの教師である。

それぞれ杭州に恋人がいるが、実は故郷に妻がいるのである。

その二人の男性の一人である羅は恋人のミス范と結婚するために、故郷の妻と離婚しようとする。当時の小説などによくあるように、故郷の妻は親が決めた妻なのである。さんざんもめた末に、ついに離婚するが、そのころ、羅はミス范が親の勧めで別の男性と見合いをしたことを知る。そこで、羅はミス范との結婚をあきらめ、王という別の女性と結婚するが、その後、ミス范の縁談は破談になったことを知る。

周囲の人たちの計らいにより、羅とミス范は再会した。ミス范は以前と少しも変わることなく、美しいままだった。羅はミス范と結婚するために、これも散々もめた末に王と離婚する。やっとのことでミス范と結婚し、西湖湖畔に小さいが美しい新居を設ける。しかし、いざ結婚してみると、ミス范は身なりにも気を遣わないだらしない女性になり、あっという間に容姿も衰えてしまった。二人の間には口論が絶えなくなる。周囲の勧めにより、いったんは離婚した王を家に迎え入れることになる。その後、周囲の人が「王を家に迎え入れたのに、一番最初の妻を家に迎え入れないのは不公平だ」というので、最初の妻も家に迎え入れることになる。

こうして、すでに名目上は一夫一婦制の社会になっているのに、羅は三人の妻とそれぞれの子どもと使用人と乳母を養うことになる。彼はこれまでの離婚裁判で二人の妻に少なからぬ金を払ったうえに、こうした大家族を養うことになり、その負担も並大抵ではない。しかし、周囲の人たちには「西湖畔の家に三人の妻と住んで結構な身分ではないか」と言われるのである。


この小説は邦訳も出ていて、その題名は『中国が愛を知った頃』というらしいが、そこから思い浮かべるような甘美なストーリーでは全くない。五四運動後の新しい時代の風を受けて、ロマンチックな自由恋愛に目覚めたはずが、すったもんだの末、古い時代の一夫多妻制のような、しかもたいして幸せでもない生活をするようになる。このように読む人の甘いストーリーへの期待をさらりとかわして皮肉な結末に導いていくのがさすが張愛玲なのかもしれない。


2024/12/15

『小艾』読了

 今日やったこと。

1.タオバオで買ったコートが来たので取りに行った。

もう服は買わないつもりだったけど、最近ダウンのものものしいコートをなぜか着たくなくなってきた。ウールのコートはもう持っているが、何だか寒い。そこで、裏がキルティングになっているウールのコートをもう一枚買った。お寺から翻訳チェックのお金をもらったら、急に「これで買おう」という気になってしまった。少し足して購入。

2.お寺の期末試験問題を作成。

3.張愛玲の『小艾』の残りを読んだ。

小艾は印刷所につとめる金槐という男性と知り合い、結婚する。

もともと小艾がいた家では、三姨太は旦那様の寵愛を失い、新しい愛人と一緒になった旦那様は没落して漢奸になり、暗殺される。五太太は貧困の中で病没。

小艾は三姨太に蹴られて流産したことが祟って、病気がちである。金槐は印刷所の移転にともなって単身で香港へ。その後、抗日戦争の影響で金槐は香港を離れ、各地を転々とする。

小艾は金槐を待ちながら姑と暮らしていたが、そこへ金槐の兄弟が田舎から次々とやってきて同居するようになる。経済的に行き詰まった小艾はまた住み込みの使用人として働き、夫の家族を支える。その後、使用人をやめて運び屋としてさらに多くの金を稼ごうとするが、その無理がたたって病気に倒れる。夫が数年ぶりに家に戻り、小艾を医者に連れていくと手術を勧められるが、その費用は払えない。実の子どもを持つことをあきらめた二人は養女を迎える。新中国になって、夫は印刷所で働くようになり、その会社の福利厚生により、小艾は治療を受けることができた。小艾も印刷所で働くようになり、妊娠したことに気づく。

…というハッピーエンドだった。

わたしが購入した紙製の本では、小艾が子どもの時に使用人をしていた家を恨みながら病院に行くところまでしかなかったが、ネット上の電子書籍にはその先の希望を感じさせる結末までが書かれていた。

次は何を読もう。

2024/12/14

『雄獅少年2』仰天大笑出門去

 やっと一日フリーの日がやってきたので、映画を見に行った。

以前にもここに書いた「雄獅少年」の続編「雄獅少年2」が今日封切なので、それを見た。

シネコンの一番大きなスクリーンが割り当てられていたが、週末だというのに私を含めて三人しか観客がいなかった。

前回のラストは阿娟が上海にでかせぎに行くシーンで終わったので、今回の舞台は上海。豫園あたりの風景がよく出てくる。そこで今回は阿娟がボクサーとして頂点を目指すストーリーなのだが、もちろん映画のストーリーなのでそう簡単にいくはずもなく、途中で大きな挫折がある。そしてもちろん最後には夢がかなう。

阿娟がどんなことにも耐えるのは、自分のためでもあるけれど、何より故郷の父を上海に呼んで怪我の治療を受けさせる費用を稼ぐためである。こういう家族の物語が中国人の琴線に触れるのである。

(そういうことを思うと、春月ねいさんのブログに出てくる横暴家政婦が「孤独な老人がかわいそう」と金科玉条のように言うのは、共感はできないにしても、中国の雰囲気としてはよくわかる。もう何も考えなくても、そういうふうに口をついてでるのだろう。)

上海で戦う主人公の少年阿娟の心の支えは、故郷の家族であり、獅子舞の师傅であり、李白の詩でもある。

これはこれでいい映画だった。けれども、わたしはやはり前作のほうがよかったと思う。

広東の田舎の貧しくものどかな風景で友人たちと成長する姿もよかったし、そこから一転して、発展する広州の底辺で孤独と貧困と重労働に耐えながらも夢を持ち続ける姿もよかった。こういう多面性こそが中国なのだとも思えたから。


2024/12/13

スマホ中毒

水曜日は授業がなかったのだが、学校にでかけていった。

病気のため今学期は日本で療養していた先生が一週間の予定で来杭したから。

日本に送金する方法を知りたいというので、その説明が書いてある学校が配布したガイドブックをもって行った。その人がこの学校に赴任した時にはもらわなかったそうだ。

その後、学生をまじえて何人かで昼食をとって、さらに少し雑談して帰ってきた。

木曜日はいつものように午前中は寺。午後は学校で日本語コーナー。

日本語コーナーは自由参加なので、誰が出席するのも歓迎だ。

よその大学の学生や他学科の学生も受け入れている。それなのに、うちの大学の日本語学科の学生がそれほど出席しないのは残念だ。しかも、その少ないうちの大学の学生のうち二名はずっとスマホを見ている。だったら、なぜ来るのだろうと思ってしまう。

本人たちは「つまらないからスマホを見よう」と思ってみているわけでもないようだ。帰る時に「また来るね」と笑顔で帰って行く。

もはや彼女たちは、スマホ中毒とでもいうべき状態であり、自分でそれがいいとかわるいとか意識することさえなく、呼吸をするようにスマホを見てしまうのだと思う。

もちろん、前で先生が話しているのに、そんなことをしたら失礼なのではないかなどとも思わないようだ。

たいして大切な用事もないだろうに、そうやって若い大事な時間を無駄にしてしまうなんて気の毒とすら思う。しかし、これまでだって漫然と漫画やパチンコなどで時間を無駄にしてすごしてしまう人と言うのはいたのだから、それと同じなのだろうか。

2024/12/10

次から次へと

 昨夜、連絡があり、今日の午前中のわたしの授業に「评估」のために外部の査察が入ることを知らされた。なぜわたし?

授業をするときにあれやこれやを注意するようにとのことだったが、今更何かをしてもどうしようもないだろう。しかも今日の査察が入る授業は一番できがわるいクラス。

夜のうちに学生に「きちんと予習するように」と連絡した。

そして、今日、調査の女性がやってきた。二コマ見るのかと思ったが一コマで帰って行った。特にいつもと変りなく授業をしたが、学生は主任の先生などからも連絡をうけていたらしく、いつになくきちんと授業を聞いていた。

どのように評価されるのかわからないが、とにかく終わった。

それにしても、先週から次から次へと気が抜けないことばかりだ。

明日は授業も行事もないので、掃除して、買い物に行こう。

〇あと10日たったら、学生が主催するカラオケ大会にでるのだが、実はそちらのほうが緊張しそうだ。

2024/12/08

コンテストの結果

 今日も朝まだ暗いうちに家を出てコンテスト会場へ。

学生には体調が悪いのだから、無理をせずにタクシーで行くようにいった。

その後、午前中にテーマスピーチ。あらかじめ用意したスピーチを行う。

うちの大学の学生はちょっととちったところもあったが、まあまあ普通にスピーチを終えた。

あまり練習できなかったので、何となく呂律が回らないような発音の箇所がいくつもあった。

お昼休みには、いつのまにか他の大学の男の子となかよくなったらしく、わたしとうちの学生とその男の子の三人で食事をした。

午後は、その場でテーマを与えられて話す即興スピーチ。

何となくため口のような話し方だったが意外とスラスラと答えていく。他の大学の学生は、話す前後にきちんと挨拶をしたりするが、うちの大学の学生はこれまで書いたような事情により、そんな練習もできなかった。

そして結果は、34人出場のうち、第4位(二等賞)。

これまでのうちの大学の出場選手の中では一番いい成績だった。

本当に本人が言っていたように本番では力が出せる子だったんだな。

わたしもついでに優秀指導教師賞をもらった。

今回は大した指導もしなかったのに、これまでになく疲れた。

まあ、終わりよければすべてよし。


〇昨日、あれから考えたのだが、五太太というのは五人目の妻という意味ではなくて、彼女の夫が五老爺だから、その妻を五太太と呼ぶのだろうか。

五太太は「填房(後妻)」だと書かれているから、妻は一人で、三番目の妾が三姨太なのだろうか。こういうところや、家族の呼称などが、中国の小説は難しすぎてよくわからない。

2024/12/07

コンテスト一日目

 今日は行って报到して、食事をして、その後、説明会があって、簡単なリハーサルがあった。

スケジュールでは午後9時半終了となっていたが、説明会はささっと終わり、リハーサルは一番先にさせてもらって、その後、タクシーに乗って帰宅して7時過ぎ。

思ったよりもずっと早く帰れてよかった。日程表をもらったときに文句を言ったから、早く帰れるようにしてもらえたのかな。それとも、もともとそう早く帰れるようにしてくれるつもりだったのに、わたしが文句のメールを入れたのだろうか。

まあ、いいや、考えても仕方がない。

〇「怨女(張愛玲)」の中の中編小説「小艾」を読み始めた。


旦那様と五太太と三姨太が(五太太は姨太太ではないのか。こういうところはよくわからない)いっしょに住み、旦那様のお気に入りは三姨太のほうだ。五太太と三姨太は特にいさかいも起こさずに暮らしていた。主人公の小艾は子どもの頃に買われてきて、五太太の下女になった。あるとき、旦那様が小艾に手を付け、小艾は妊娠する。理屈から言えば、小艾は被害者だが、この時代のことだから、そのことで、五太太や三姨太から折檻を受ける。五太太にも三姨太にも子どもはいない。三姨太は五太太が小艾をたきつけて旦那様を誘惑させたと思い、小艾の腹を蹴り、流産させる…。

もうここまでで、何だか疲れた。

2024/12/06

次の読書

 今日は午前と午後合わせて4コマ授業。

年々、学生の反応は薄くなっていく。「今やっている課から期末試験の記述問題50点を出題します」と言った時だけ、学生がざわついた気がした。こういう授業はわたしも消耗する。

その後、スピコンの練習。ちょっとトチッたが、元気そうでようかった。

学生は気分の浮き沈みが激しい子だが、機嫌がよさそうな時は無邪気そうなかわいい笑顔をする。他の学科から途中で移ってきたので、他の学生よりも二歳年上だが、中学生くらいにも見える。こんな雰囲気で行ければ、大きな穴はあけなくて済むだろう。

ただ、練習不足は練習不足なので、最初に考えていたように二等賞以上は難しいかも。

明日は一日目の活動に参加するために三時ごろまでに会場に行く。

〇「半生縁」を読み終わったら「怨女」を読もうと思ってネット書店で購入。しかし、来たら、すぐに読みたいとは思わなくなった。「ルポ国威発揚『再プロパガンダ化』する世界を歩く」(辻田真佐憲著)という今日発売の本をkindleで買ったのでとりあえず今日と明日くらいでそれを読む。

2024/12/05

今日は…

 今日は午前中にお寺に行った。午後からは大学で、3時から日本語コーナー。

空いた時間はぼんやりと過ごす。モバイルハードディスクをもって行けば学校でもやることがあったのだが、わざわざ朝、リュックから出していった。

日本語コーナーは楽しかった。でも、ずっと土日のコンテストのことで憂鬱。

G大学は市内の参加大学には宿舎を提供しない。うちの大学は市内と言っても一時間半以上かかる。学内でも歩くから実際はもっと時間がかかる。

それなのに、G大学は土曜日のスケジュールは夜9時半終了、日曜日は会場に7時45分までに来るようにと連絡してきた。これは昨年と同じスケジュール。昨年、抗議したら、「来年は考慮します」と言ったが、まったく考慮されなかった。

今年は昨年よりも一か月実施が遅いので、朝は寒い。天気予報では日曜日の朝は3度程度になるらしい。うちの大学の学生は何度も書いたが、体調不良。

スケジュールが届いてすぐに、G大学に抗議のメールを送った。

昨年と同じように、土曜日にいくらか早く帰れるようにするという回答。それでも7時半くらいだと思う。学生が大学に戻れるのは9時すぎだろう。翌日は6時すぎに出発。

G大学は学生が学内に住んでいるから自分たちは何も困らない。

あ、これはもう以前に書いた内容だ。でも、本当にあの大学の横暴さには腹が立つ。

2024/12/04

『半生縁』5とスピコンと瓊瑤

『 半生縁』読了。今日は胃痛がしてなかなか読み進めることができなかった。

曼桢は心の底から憎んでいた姉の夫と結婚する。姉の遺志を叶えることができるし、自分が産んだ子どもの世話をすることができるし、かつて姉が「姉の夫が曼桢に惹かれているのは、他の女性と違って彼女を尊敬しているからだ」と言った言葉を思い出したからだ。このころ、姉の夫の事業はまた上向きになっていた。

しかし、結婚してみると、夫は曼桢が着飾ることもないし愛想もないので、だんだんに興味を失う。家庭内は口論が絶えず、夫は曼桢にも子どもにも冷たくあたるようになる。ある日、曼桢は夫が愛人とその連れ子と家族のように過ごしていることを知り、離婚を決意する。

一方、世钧は南京の事業をたたんで上海で働きはじめた。妻との間に一男一女をもうけたが、気難しくて虚栄心の強い妻はいつも何かと世钧に当たり散らしている。

そうしているうちに叔恵が十年ぶりに帰国した。

その後、紆余曲折があり、ついに世钧は曼桢と再会する。二人はお互いにこれまでの経緯を話す。世钧はこれからの二人の関係に希望をつなぐが、曼桢は「もう元へは戻れないのだ」と告げる。

その同じ時、叔恵と翠芝も別の場所で食事をともにしている。叔恵は彼女にアメリカでの結婚と離婚の経緯を語り、翠芝は今後二人は結ばれることはないのだと彼に対する執着を捨てる。

〇今日はやっとスピコンの練習をした。

学生は新しいスーツを着てやってきた。

顔色が悪いような気がしたが、原稿を暗唱させてみると、まあまあのできだった。

もうコンテスト本番の日が迫っているので、いまからいろいろな注文をしないほうがいいだろう。とりあえず、最初の挨拶と最後の部分はもっと元気よく話すこと、途中にあるセリフの部分はもっと感情を込めることの二点だけ注意するように言った。

その後、いくつかの即興スピーチのテーマをめぐって雑談のような感じで会話してみた。学生はこういう練習は好きらしく、機嫌よさそうにあれこれと自分の高校時代や家族について話した。この子は日本には行ったことがないらしいが、よく話せる。

体調が悪くならなければ、そんなにいい成績がとれなくても、これまでのうちの大学の学生くらいにはなるかもしれない。体調さえ悪くならなければいいのだけど。


〇瓊瑤自殺のニュース。ロマンチックな恋愛小説を書いて中華世界であれだけ一世を風靡した人だから、超高齢になって老醜を晒す前にこの世を去りたかったのだろうか。

2024/12/03

『半生縁』4とスピコンどうなる?

半生縁、続き。

世钧は上海で豫瑾が結婚したという噂を聞く。曼桢も曼桢の家族も姿を消しているから、きっと豫瑾の結婚相手は曼桢であり、家族ともども田舎に引っ越したのだろうと考える。その後、曼璐を訪ね、豫瑾と曼桢は結婚したのかと尋ねると、曼璐は否定しなかった。世钧は失意のうちに南京に帰る。

一方、かつて世钧の母が世钧と結婚させたいと思っていた金持ちの親戚の娘である翠芝と叔恵はひそかに好意を持ち合うようになっていた。翠芝は積極的に叔恵との距離を縮めようとしたが、叔恵は相手の家が金持ちであり、自分とは釣り合いがとれないことから、あまり親密にならないようにしていた。

お互いに愛する人とは結ばれない世钧と翠芝は妥協の結婚をする。しかし、これは周囲から見れば釣り合いの取れた手堅い良縁なのである。

妊娠した曼桢は出産まで曼璐の家に監禁される。難産のために病院に運ばれ、そこで知り合った夫妻の手を借りて、病院を抜けだす。世钧に手紙を出したが返事はなかった。世钧の母と兄嫁に握りつぶされたのである。その後、曼桢は叔恵から世钧が翠芝と結婚したと聞く。叔恵は奨学金を得てアメリカに留学する。

曼桢は教師の職を得て、教員アパートに住むようになる。そこに、ある日、母が訪ねてくる。母は「いまは曼璐の夫の援助に頼って家族みんなが蘇州で何不自由のない生活をしている。曼璐のおかげで、曼桢は正式な妻として曼璐の夫と結婚できるのだから、こんなところで教師をしていないで早く結婚しなさい」と言う。曼桢は当然拒絶する。

その後、今度は曼璐が子どもを連れてやってくる。「夫は今でもわたしをないがしろにして、外で女と遊んでいる。わたしは重篤な病で余命幾ばくもない。わたしが死んだら、この子は別の女の手に渡って不幸になってしまうだろう。早くわたしたちの元に来て、夫と結婚してほしい」と言う。しかし、曼桢は二度もその手に乗るものかと思い、拒絶する。

しかし、今度はウソではなかった。曼璐は死ぬ。曼璐の夫は落ちぶれて、路地に引越しをする。

ある日、曼桢は路地を通りかかり、自分の子を見かける。心にいとしさがこみ上げる。

その後、子どもが病気になり、曼桢はその家に通って看病をする。曼璐の夫は、かつての曼璐や曼桢への仕打ちを反省している様子だった。

…とそこまで。


〇コンテスト指導、その後。

昨日、学生は体調不良を理由に練習に来なかった。しかし、今日学校に行って聞いた隣の席の先生の話では、試験の話をするために彼のところにはやってきたのだという。その人に、わたしは今までの経緯を散々ぐちってきたので、その人は学生に「無理だったら、コンテストに出なくてもいいんだよ」と言ったらしい。すると学生は「原稿は覚えたし、コンテストに出たい」言っていたのだそうだ。

体調不良だったのは本当だろうが、だったら、わたしのところに来て、スピーチ原稿を一度か二度くらい暗唱して見せてもよかったのではないか…と思った。

昨日、主任が中国人の指導教師に連絡をとってくれた。その人にも今日学校であった。

その教師は今度の土日は出張があるので、同行できないそうだ。でも、やはり学生に聞いたら、原稿は覚えたから、コンテストには出たいと言っていたとのこと。

しかし、わたしには何の連絡もない。とりあえず、「明日、練習しましょう。当日、着ていく服のことも考えなければならないし。」とわたしからSNSで連絡したが、今までのところ未読。

中国人指導教師には、「もし次の練習もできないと学生が言ったら、もうコンテスト参加は無理だからやめるようにと伝えようと思う」と連絡したら、それでもいいとのことだった。

しかし、練習もしないで、コンテストに出るって?

学校でも暗唱できないのに、G大学の大講堂では緊張しないと思うって?

どうしたら、そんなふうに思えるのか、理解できない。

2024/12/02

『半生縁』3とスピコンその後

『 半生縁』、いよいよ佳境に入った。

世钧は上海の仕事を辞めて、実家に戻って父の事業を引き継ぐことを決心した。

曼桢はそれを聞いて、なぜそれほど重要なことを自分には言わずに決断したのかとわだかまりを感じる。世钧は自分の両親に曼桢を引き合わせたいと考える。しかし、自分の結婚相手として会わせると両親は曼桢を厳しい基準で見ることになるだろうと思い、叔恵とともにかつての同僚として実家に招くことにした。そのほうが、両親は自然に曼桢のよさに気づくだろうから。しかし、世钧の父はかつて彼が上海で知り合ったダンサーに曼桢が瓜二つであり、姓も同じであることから、曼桢はあのダンサーと姉妹だろうと考える。そして、姉妹であるなら、どうせこの娘もいかがわしい仕事をしていたことがあるのだろうと疑うのだった。

父の考えを知った世钧は、曼桢に「姉のことを両親に隠して結婚しよう」と提案するが、曼桢は「自分を犠牲にして育ててくれた姉をないがしろにするのか」と怒り、婚約指輪をごみ入れに捨てる。こうして気まずい思いを抱えて、世钧は曼桢の家を後にする。

その後、姉の曼璐の家から「曼璐が危篤状態にある」という連絡が入り、母と曼桢は姉の家にかけつける。その夜、母は腰痛のためにいったん帰宅することになり、曼桢だけが急遽しつらえた寝室に泊まることになる。その夜、曼桢は姉の夫に犯される。

実は曼璐が病気だというのはウソだった。曼桢は姉と姉の夫が仕組んだ罠にはめられたのだ。曼璐は母に「夫が酒に酔って帰ってきて妹と間違いを犯してしまった」と嘘をつく。

そして、「傷物となってしまったからには、妹はもう他の男性と結婚することはできないだろう。妹を自分の夫の正式な妻にして、自分が妾となればいい。こうすれば、今後、一家はまるまる夫の援助で生活することができるし、弟も海外へ留学させてもらえる」と母を説得する。

曼璐の勧めで、世間の目を避けるため、母、祖母、弟たちは蘇州に引っ越すことになる。曼桢は曼璐の家に監禁される。もちろん世钧はこうしたことを知る由もない。彼は曼桢とけんかしたことを後悔し、曼桢を探すが見つからない。きっと曼桢は自分を避けているのだろうと思う。


昨日までに読んだのはこのあたりまで。

〇学校のスピコンの指導はどうなるのだろう。

以前書いた通り、学生は先週の水曜日に来て、「来週の月曜日までにテーマスピーチの原稿を暗記してくる」と言っていたのだが、今日の午後になって「体調不良のため今日は練習にいけない」と連絡してきた。これはもうだめではないかと思ったので、主任の先生に報告すると、先日は「体調不良なら棄権もしかたない」と言っていたのに、「原稿はたいして長くないし、一日で覚えられるから、まだ出場できるかもしれない」などと言っている。

しかし、結局、名目上の指導教師であり、担任教師でもある中国人の先生から学生に連絡して、詳しい事情を尋ねることになった。

わたしは内心、もうだめではないかと思っているが、どうなることだろう。

2024/12/01

「半生縁」2

 昨日は午前中は宿題を見て、午後は地下鉄に乗って買い物と食事をしてきた。もうすっかりクリスマスの飾りつけでにぎわっていた。

その合間に休み休み読書。

「半生縁」の続きは?

世钧と曼桢は関係を深めていき、世钧はついに曼桢に求婚するが、曼桢は弟二人が成長するまでは家を支えなければならないから、今はまだ結婚はできないと言う。

そういう状況でありながら、曼桢の母と祖母は曼桢が早く結婚することを望んでいる。

そうした中、姉のかつての婚約者だった豫瑾が上海へやってくる。彼は田舎で病院の院長をしている。母と祖母は世钧と曼桢がなかなか結婚をしないのは世钧が結婚をためらっているからだと思い、世钧を敵視している。立派に成長した豫瑾を見て、母と祖母は曼桢と豫瑾の結婚を望むようになる。曼桢の中に若い頃の曼璐の面影をみた豫瑾は彼女に求婚する。しかし、世钧を愛している曼桢はその求婚を断る。

一方、夫に冷たくされている姉の曼璐に、母は男性は子どもによってつなぎとめられるものだと話す。しかし、曼璐は過去の二度の堕胎のために子どもを生むことができない体になっている。しかも彼女は結婚したとは言っても、実は夫が正式な手続きをしてくれないため、内縁の妻でしかないのだ。かつての婚約者である豫瑾が上海に来ていると知って、一縷の望みをたくして曼璐は豫瑾に会いに行くが、豫谨にとっては曼璐はもうすでに他人に嫁いだ過去の女性となっていた。

曼璐は、妹が世钧にやきもちをやかせるために、豫瑾をたぶらかしたのだと思う。青春や結婚を犠牲にして自分が育てあげてやったのに。夫の鸿才も最近どうやら曼桢に惹かれているようだ。曼璐の心の中に妹に対する怒りと嫉妬がふつふつと沸き起こる。そうだ、妹を夫に差し出して子どもを生ませよう…。

一方、世钧は父の容態が思わしくないと聞き、急遽、南京に帰る。父の世話のいっさいは妾が取り仕切っていた。妾は自分が知らないうちに世钧の父が世钧に財産を譲り渡してしまうのではないかと気が気ではない。父は自分の事業を譲り渡す相手として世钧を信頼するようになり、妾の家を出て世钧の母の家に移る。世钧の母はよろこび、世钧は上海での仕事を辞めて南京に帰ることを考え始める。しかし、上海に住む曼桢は自分の家族を捨てて南京に来ることはないだろう…。

…というところまで読んだ。