半生縁、続き。
世钧は上海で豫瑾が結婚したという噂を聞く。曼桢も曼桢の家族も姿を消しているから、きっと豫瑾の結婚相手は曼桢であり、家族ともども田舎に引っ越したのだろうと考える。その後、曼璐を訪ね、豫瑾と曼桢は結婚したのかと尋ねると、曼璐は否定しなかった。世钧は失意のうちに南京に帰る。
一方、かつて世钧の母が世钧と結婚させたいと思っていた金持ちの親戚の娘である翠芝と叔恵はひそかに好意を持ち合うようになっていた。翠芝は積極的に叔恵との距離を縮めようとしたが、叔恵は相手の家が金持ちであり、自分とは釣り合いがとれないことから、あまり親密にならないようにしていた。
お互いに愛する人とは結ばれない世钧と翠芝は妥協の結婚をする。しかし、これは周囲から見れば釣り合いの取れた手堅い良縁なのである。
妊娠した曼桢は出産まで曼璐の家に監禁される。難産のために病院に運ばれ、そこで知り合った夫妻の手を借りて、病院を抜けだす。世钧に手紙を出したが返事はなかった。世钧の母と兄嫁に握りつぶされたのである。その後、曼桢は叔恵から世钧が翠芝と結婚したと聞く。叔恵は奨学金を得てアメリカに留学する。
曼桢は教師の職を得て、教員アパートに住むようになる。そこに、ある日、母が訪ねてくる。母は「いまは曼璐の夫の援助に頼って家族みんなが蘇州で何不自由のない生活をしている。曼璐のおかげで、曼桢は正式な妻として曼璐の夫と結婚できるのだから、こんなところで教師をしていないで早く結婚しなさい」と言う。曼桢は当然拒絶する。
その後、今度は曼璐が子どもを連れてやってくる。「夫は今でもわたしをないがしろにして、外で女と遊んでいる。わたしは重篤な病で余命幾ばくもない。わたしが死んだら、この子は別の女の手に渡って不幸になってしまうだろう。早くわたしたちの元に来て、夫と結婚してほしい」と言う。しかし、曼桢は二度もその手に乗るものかと思い、拒絶する。
しかし、今度はウソではなかった。曼璐は死ぬ。曼璐の夫は落ちぶれて、路地に引越しをする。
ある日、曼桢は路地を通りかかり、自分の子を見かける。心にいとしさがこみ上げる。
その後、子どもが病気になり、曼桢はその家に通って看病をする。曼璐の夫は、かつての曼璐や曼桢への仕打ちを反省している様子だった。
…とそこまで。
〇コンテスト指導、その後。
昨日、学生は体調不良を理由に練習に来なかった。しかし、今日学校に行って聞いた隣の席の先生の話では、試験の話をするために彼のところにはやってきたのだという。その人に、わたしは今までの経緯を散々ぐちってきたので、その人は学生に「無理だったら、コンテストに出なくてもいいんだよ」と言ったらしい。すると学生は「原稿は覚えたし、コンテストに出たい」言っていたのだそうだ。
体調不良だったのは本当だろうが、だったら、わたしのところに来て、スピーチ原稿を一度か二度くらい暗唱して見せてもよかったのではないか…と思った。
昨日、主任が中国人の指導教師に連絡をとってくれた。その人にも今日学校であった。
その教師は今度の土日は出張があるので、同行できないそうだ。でも、やはり学生に聞いたら、原稿は覚えたから、コンテストには出たいと言っていたとのこと。
しかし、わたしには何の連絡もない。とりあえず、「明日、練習しましょう。当日、着ていく服のことも考えなければならないし。」とわたしからSNSで連絡したが、今までのところ未読。
中国人指導教師には、「もし次の練習もできないと学生が言ったら、もうコンテスト参加は無理だからやめるようにと伝えようと思う」と連絡したら、それでもいいとのことだった。
しかし、練習もしないで、コンテストに出るって?
学校でも暗唱できないのに、G大学の大講堂では緊張しないと思うって?
どうしたら、そんなふうに思えるのか、理解できない。