2021/04/01

みなさんはどう思いますか。

 「そばを食べる時に音を出すのはおいしいと思っていることを伝えるためだ」と北京大学出版社のテキストに書いてあります。私は同じ大学の日本人の先生や留学生の何人もにこのことを聞いたことがありますが、たいていの人は「麺を食べるときにそんなことを考えていない」との答えでしたが、みなさんはどう思いますか。


2021/03/31

作文の添削

 昨日、熱水器の修理の人が来て、なんとなく作文の添削をやらなかったので、

今日は朝早く学校に行き、授業前に1クラス分、終わってから1クラス分の添削をした。

中国の有名人についての作文なのだが、だいたいいつも出てくる名前は決まっている。

魯迅、郎平、袁なんとかというハイブリッド米の人、アリペイのジャックマー、ノーベル賞学者の屠 呦呦。去年から書く人が増えた鍾南山。今年はなんと肖戦を書いた作文もあった。あと、これまであまりなかった毛沢東が2名。

今年の学生は出来が悪い人が少ないので、作文を見るのも楽だ。

明日は1限からの授業があって終わるのが9時40分。その後は学校のバスを待たずに路線バスで帰って、途中で買い物する予定。毎週毎週同じようなスケジュール。




2021/03/30

住みやすくなった中国

 今日、熱水器の修理が来た。

家に来ると、まず修理屋さんのウィチャット上のバーコードをスキャンするように言われる。

そうすると、そこにミニプログラムがあらわれて、それに修理屋さんが熱水器のメーカーや容量や故障箇所を入力すると、修理請求額が表示される。

「この金額ですが、いいですね」

どうせ学校が支払うので、「はい」と答える。

修理中、わたしはすることがないので、ソファに座ってそのミニプログラムを見てみた。

修理に来た人の名前や連絡先や顔写真や、何時に家に到着したかなどの進捗状況を見ることができる。このプログラムでアフターサービスや評価もすべて管理できるらしい。

修理が終わって微信でお金を払い、支払先(わたしの場合は学校)の情報を入力すると、一両日中にわたしのアドレスに発票(領収書)が届くのだと言う。

わあ、便利便利。

二年半前にここに引っ越してきた時に家電をいくつも修理したが、そのときとはもうぜんぜん違う。

以前、北京でガス器具を修理したときにぼったくられたことがあったが、あの時、微信でこのようなことができれば、騙されることもなかっただろう。

中国はどんどん安心で住みやすい場所になっているような気がする。


〇わたしがいる大学では、毎日の健康状態の報告がなくなったし、それを示すコードを見せるために校門のところでいったん通勤バスを降りる必要もなくなったし、食堂のテーブルのしきりもなくなった。まだ外国人は対象外だが、社区でも学校でも希望者は無料でワクチンが打てる。

日本が手をこまねいて、第四波が到来かなどと言っているうちに、中国は確実に先へ進んでいくのである。本当に日本、がんばってくれよ。こんなことをしていると、経済面で大きく遅れをとって、将来、何もかも中国に買われてしまうよ。本当に泣きたい思いである。日本人が上に対して忖度するいい子であればあるほど、日本は後退していくのに気が付かないんだろうか。いまだに中国を上から目線で見ている人も多いが、日本だってそんなに威張れるような国なのだろうか。

オリンピックだって、まだやるつもりらしい。聖火リレーだって始まった。

客観的に見れば絶対まともな開催はむりなのに、精神主義で突き進む。正気かよ。

なんだか太平洋戦争末期みたいになってきたな。


2021/03/29

昨日のつづき

 このセリフがジェンダー平等は自明の事で、社会にあっては当たり前の事なのに、それを政治家がスローガン的にしか表明できない政治状況を揶揄・皮肉っている、いわばアイロニー(皮肉)的文脈上にあることはまず間違いはないのではないか。(古谷経衡)

とはいうけど、「ジェンダー平等は自明の事で、社会にあって当たり前」の状況は日本にあるのだろうか。「子どもを育てながら、働ける」職場はあるにはあるが、多くの女性がそういう職場から締め出されて、非正規雇用として働いているではないか。ジェンダー不平等のせいでそこにたどり着くことさえできていないではないか。それに、「子どもを育てながら働ける」のが、ジェンダー平等のゴールではない。いろいろな意思決定の場にもっと女性が出られるようにするとか、先はまだ遠いのである。さらに、たとえ、ある程度ジェンダー平等が達成されたように見えても、それでも問題点があるのではないかと検討するのがジャーナリズムの役割ではないか。世界に後れを取っている現状を見ずに、「日本、よくやっています。パチパチ」なんていう御用報道番組は何のためにあるのか。


…と思ったのでした。


〇今日は午前中授業。

明日はやっぱりまともに動かない給湯器の修理が来るので、午前中の授業が終わったら、さっさと帰宅します。


2021/03/28

忖度CM

 報ステのCMは報ステが批判精神なんかなくて、政府に対して忖度する報道をする番組ですよ、ということを伝えている気がする。


「同僚が職場に連れてきた赤ちゃんがすごくかわいい」→こういうふうに思って女は子どもを生めよ。

「国の借金が増えている」→もう10万円はあげられません。消費税も増税も、しかたないだろ。

「化粧水なんたら」→女の興味なんてしょせんそんなもの。

「ジェンダー平等時代遅れ」→青筋たてて平等にしろというなんてかっこ悪いから黙っておれ。

全体の支離滅裂な雰囲気→若い女なんて、こうやって受け売りする程度の知能だろう。


こう受け取りました。

読解力なさすぎでしょうか。

2021/03/27

昨日とは打って変わって雨降り

今日はまた天気が悪い。この土地らしい湿った空気がもどってきた。

今日は家で読書。

炎上しているらしい報道ステーションのCMをYOUTUBEで見た。

これはダメでしょう。

「ジェンダー平等を掲げるなんて時代遅れ」。

日本はジェンダー平等では時代遅れの国になっているのに、それにとりくむのは時代遅れだというのだろうか。つまり、こうして声を上げることを「野暮なこと」だと言って言いにくい雰囲気を作ろうとしているのだろうか。

わたしが小娘だったころから、男性社会に受け入れられて生きていくために、うるさがられることは言わないであたりさわりなく生きていくのが「大人女子の対応」だと思っている女性が多かったがその結果が今の日本だと思う。

わたしだって、ついそういう流れに押し流されてきたことも多かった。それがいま、わたしたちの娘たちが世の中に出る時になっても、こんな「ジェンダーギャップ指数121位」の日本にしてしまったのだ。


大学時代、クラスに才色兼備と言われた友人がいた。彼女は外務省専門職の試験におちたとき、「女子の社会進出なんて卒業する」とわたしたちに言った。その「卒業する」という言葉が気に障った。ほんとうは彼女にとってそれは挫折だったはずなのに、自分に嘘をついているような気がしたからだ。それに、少しでも能力を生かせる職業につくために必死になっているわたしたちを鼻でわらうような口ぶりでもあった。

結婚してから彼女はずっと専業主婦として、たいへんに優秀な夫や息子たちの社会的活躍を支えているらしい。つまり「女の成功」をした人だ。でも、本当の気持ちはそれでよかったのかと思うことがある。勝気だから、本当の気持ちなんか言わないだろうけど。

2021/03/26

茶摘みの季節らしい

 今日はお寺の授業。

お天気がいいせいか、気分もよい。先週、大雨の中でなかなか来ない車を待っていたのがうそのように、今日はあっという間に車がつかまり、渋滞もなく寺につく。

まだ朝早いのに、黄色い袋をさげた参拝客が何人もいた。朝が早いお坊さんたちはもうすっかりたくさんのふとんや洗濯物を干していた。

授業の合間に世間話をするが、お寺の生活のようすなどおもしろいことが多い。

学生は若いお坊さん(女子)だが、男のお坊さんはいやになったら還俗ができるが、女のお坊さんは還俗できないそうだ。男子は出たり入ったりする機会が7回あるが、女子は一回しか機会がないからだという。一人の子は母親も出家したという。そういう人なら結婚も出産も育児も経験したわけだから、両方の経験ができたわけだし、後悔することもないのだろうが、こんなに若い子たちは後から考えが変わったりすることはないのだろうか。

女子のほうが、還俗もできないし、一般に修行も厳しいそうだ。それは仏教の世界では、女性の地位が男性よりも低いからだと一人の学生が話してくれた。あまりにも当たり前のようにそういうので、わたしのほうが面食らった。そうか、そうなのか。仏様の世界も男女平等ではないのか。

また、そのほかに食べ物についての話もおもしろかった。臭いのつよいものは食べてはいけないことになっていて、ねぎは食べてはいけないものに属するそうだ。だけど、香菜は食べてもいい。なぜかというと、その戒律が決まったときのインドに香菜がなかったからだろうということだった。

帰りはまた周囲を散歩して帰った。先週は雨。今日は晴れ。いきなり暖かくなって春爛漫の景色だった。バスの中からは龍井茶の茶摘みをしている人たちがたくさん見えた。もう何年もここにいるのに茶摘みをするのを見たのは初めてだ。寺の仕事を引き受けてよかった。






2021/03/25

夜は「マンマミーア」を見よう

 自分の母親を上座に座らせろという夫 | 恋愛・結婚・離婚 | 発言小町 (yomiuri.co.jp)


今日は昼頃に帰宅して暇だったので、久しぶりに「発言小町」を読んでみた。

他にも「母親は無償の愛で肉を食べずに息子にやるべきだ」みたいなことを言った父親が叩かれまくっているトピもすごいと思ったが、上のトピもすごい。読んで怖くなった。

トピ主夫もいやな奴だが、コメントに「自分の親を上座に座らせなかった」という理由でブンむくれて席を中座した夫の側に立つものが多かったのが意外だった。

「自分の親」を上座に座らせろ。すごいよね。マナーって相手に対して自分が配慮するもので、相手に求めるものではないと思う。それに、双方がきぶんよく過ごせるようにするのがマナーというものの意味だろう。

わたしは床の間がある和室など以外では、上座も下座もないと思っていたが、世の中に出たことがある人なら普通にわきまえているものなのだそうだ。たとえ、居酒屋やラーメン屋でも。(わたしだって、居心地の悪い席に人を座らせないように配慮はしますが)

そして、結婚したら女性の側の親が格下になるのも当然なのだそうだ。

もちろん、そうでない意見もいろいろあったが、「上座と下座を考えて座るのがあったりまえでしょーっ」というコメントが多いのにびっくりした。


本当に日本って生きにくい国だ。不平等、上下関係が伝統。それに配慮して気持ちよく過ごせるのならともかく、それを理由にして他人を責めるのなんか、何の意味があるのだろう。

気分が悪くなったので、今晩はプライムで「マンマミーア」を見よう。おばさんだって、自由に生きよう。一度の人生で自分に不利な「不平等や上下関係」に縛られて悦にいるなんて、いやじゃない?

2021/03/24

電気熱水器

 今回は意外と早く学校から連絡がきた。

学校の担当者がメーカーに問い合わせたところ、「その不具合は熱水器の下にある三角バルブをいったん閉め、三十分以上待ってまた開けると直ることが多い」とのことなので、とりあえずそれを試してみるようにとのこと。

学校でその連絡を受けたので、「はい、家に帰ったら試してみます」と返答したのだが、家に帰ったら、どれがその「三角バルブ」なのかわからない。上と下にバルブはあるが、上のバルブはどうしたら開け閉めできるのかわからない。とりあえず下のバルブを閉めて試してみることにする。これで直りますように。

最近、ぞくぞくと中国に戻ってきた外国人教師がもといたところに住めなくなって、このアパートに引っ越してきている。たぶん、そこでも問題が続出するだろうと思う。そうなったら、いっそのことまとめて設備を新しくしてもらえないかしら。

〇レンチもホースも届いたので、シャワーのホースは自分でもう取り換えた。

これはかんたんだった。




2021/03/23

やばいよ わたし

 学校がどんどん大きくなり、日本語学科にもこの一年で新しい中国人の先生が4人も増えた。

そのうちの一人A先生と先日、廊下で挨拶をした。名前は前から知っていたが、そのとき一度だけしか会っていないので、顔はぼんやりとしか覚えていない。

そして今日、帰りのバスの中で、女性が「うさこ先生?」とわたしに声をかけてきた(ような気がした。)そこで、見知らぬ人のように思えたが、わたしを知っているなら、A先生かと思い、「A先生ですか」というと、「いえ、違います。わたしは経営学科のものです」という。あれ、それではなぜわたしの名前を知っているんだろう。経営学科には知り合いはいない。そこで、「なぜわたしを知っているのですか」と聞くと、「え?知りません」という。「さっき、わたしの名前をあなたが言ったので、わたしを知っているんじゃないかと思ったんです」とわたし。すると、「いえ、さっき『この席は空いていますか』と聞いたんです」とその人。

あああああ。

そこで一応、説明はしたが、けっこう恥ずかしかった。

だって、バスの中で急に「なぜわたしのことを知っているんですか」って聞くわたしって変過ぎ。老人などで頓珍漢な受け答えをする人がいるが、わたしもそうなりつつあるのだろうか。もうやだな。


〇もうやだなといえば、部屋の給湯器が故障したみたいだ。学校に連絡したところ、明日以降に修理の時間を連絡すると言う。早く直してほしい( ;∀;)

2021/03/22

春らしくなりました そして次に読む本

 近所の(どぶ)川沿いに植えられている桜が満開になった。学校へ行くバスからも工業大学の桜が見える。ちょうど東京あたりの桜も満開らしい。

〇「活着」読了。映画では、最後に小さい子どもを囲んで食事をし、未来へのささやかな希望が暗示されて終わるのだが、原作は悲惨。

映画の最後のシーンに出てくる人物のうち、主人公の福貴以外はすべて次々と死んでしまう。

娘婿の二喜はコンクリート板に押しつぶされ、福貴の孫であり、二喜の息子である苦根も豆の食べ過ぎで死ぬ。最後に一人残された福貴が自分のような老牛を買い、農地を耕しながら余生を生きる様子で終わり。

みんなの喜びであり、生きることの意味であった子どもが死ぬことは絶望でしかない。生きることの意味とは、この場合、それはとりもなおさず、「香火を絶やさない」こと、つまり代々後継ぎを残していくことである。残されたものたちは、子どもの中に死んだ娘の面影を見て泣くが、つまり、そういう形で先に逝ったものたちがこの子の中に生き続けるということでもある。しかし、その子さえもあっさりと死ぬ。

それでも、彼は生きていく。映画はおおまかに小説のストーリーをなぞっているように見えて、かなり違うメッセージを残している。

前日に読んだ車屋長吉の本に書いてあったように、「不運な人は不運なりに生きていけばよく、それを覚悟したところから真の人生が始まるのであり、愚痴も小言も言わないのが尊敬できるのだ」ということなら、この福貴はそういう人を具体的に描いた人物像なのかもしれない。

〇次はエイミタンの「奇幻山谷」。最初のほうは説明的な文章が続いて少し疲れてきたが、もう少し辛抱すれば、きっとおもしろくなるはず。




 学校も春らしくなりました。




2021/03/21

ホースの水漏れ、自分で直そう

  一日でかけないで、コボで買った本を三冊次々と読む。

 コボいいぞ。AmazonKindleとぜんぜん変わりない。

 もう一週間まとまった買い物をしていないので、家にある食品もわずかになってきた。

 それが気になったが、結局、雨が降っていて肌寒い天気だったので、ごろごろしながら次々本を買っては読む。

 その後、夜は別に浴室のシャワーの水漏れが気になっていたので、タオバオでシャワーホースとモンキーレンチを購入。こういうことは学校に頼めばやってくれるのかもしれないし、自分でやってはいけないのかもしれないが、いつだって学校は反応が遅く、何度もいってようやくやってくれるのだ。ネットで調べたら、作業自体はかんたん。でも、レンチでホースを外せるかどうか少し心配。かなり固くしめてあるようで、私はこういうものを外すのに失敗した経験が何度もある。ネジなんてたいていは穴をつぶしてしまう。

 とにかく数日すればレンチとホースが届くだろう。どうなるかはわからないかとりあえずDTYやってみよう。


〇読んだ本

車屋長吉「人生の救い」      

 人生には救いがないということを覚悟することが救いだということのようです。

 わたしにもわたしなりにつらいことも不幸なこともあったが、恵まれていたこともあったせいか、へらへらと生きてきました。たぶん、そういうのは本当の人生を知らないということになるのでしょう。

上野千鶴子「身の下相談にお答えします」

 これも朝日新聞の身の上相談。前に買って読んだような気がする。

武田綾乃「愛されなくても別に」

 これは車屋長吉的にいえば、若いながらに本当の人生が始まってしまった女の子の話。かなりつらいです。しかし、彼女たちの会話にはうなずけることがたくさんある。愛とか、家族だとか、糖衣をまとった言葉はやっかいだぞ。そのものも麻薬みたいだ。それを若い女の子に教える本。私はバカだからそういうことに年を取ってから気づいた。若かったあのころはそういうものにでもすがらないと生きられないような気がしていたが、「愛されなくても別に」と言えれば、もっとマシに生きられただろう。いまは異郷で、どんな人とも深い交わりなしに一人で生きています。そうやっていきても別に…。

2021/03/19

kindleと楽天コボで…

 昨日の夜、もう少しで「活着」を読み終わりそうなので、次は何を読もうかと考えていた。エイミタンの自伝も買ってあるのだが、紙の本を持って歩くのはわずらわしい。

これまで、中国語の本もAmazonJapanで購入してkindleで読んでいたが、中国のAmazonなら何分の一かの価格で同じ電子書籍が買える。そこでわたしのiPadに入っているkindleのアプリで両方読めないかと余計なことを思いついてしまった。ネットで調べてみると、複数のアカウントを切り替えて、家族で一つのkindleを使っている人がそのやりかたを書いていた。そこで、わたしもkindleから日本のアカウントを削除し、中国のアカウントを入れてみた。そうしたら、中国のAmazonで購入した本をkindleで読めるようになった。やった!


しかし、困ったのはその後である。日本のアカウントに戻せなくなってしまったのである。どちらも同じメールアドレスを使い、パスワードは違うものを使っていたので、日本のパスワードを入れれば日本のアカウントが認識されるかと思ったのだが、「パスワードが違います」という表示がでてしまう。

その後、中国のアカウントにつかっているメールアドレスを変えたり、iPadの「地域」を日本にしたり中国にしたり、日本のAmazonや中国のAmazonからアプリをダウンロードしなおしたりしてみたが、結局、日本のアカウントには戻せなかった。

正確にいうと、日本のアカウントに戻す方法はわかったのだが、そのためには日本に置いてきた携帯電話に認証番号を送ってもらって二重認証をしなければならないのだった。


そこで目の前がまっくらになった。いつ日本に帰れるかわからないのに、もう日本の本が買えなくなるのか…。

大学の図書館にも日本語の書籍はたくさんあるが、前に春月ねいさんと一緒に行った北京外国語大学の図書館といっしょで誰がどういう基準で選んだのかわからない古い本しか置いていない。


そのまま泣きながら(実際は泣いていないが、そんな気分で)寝ようとしたときに、「他の電子書籍は使えないのだろうか」と思いついて、深夜に飛び起きた。中国で買ったiPadだが、思いのほか簡単に「楽天こぼ」のアプリをダウンロードすることができた。もともと楽天の会員なのでその後の手続きもカンタン。電子書籍の品ぞろえもAmazonと同じくらい。

こうして、めでたくkindleアプリで中国の書籍、楽天で日本の書籍が読めるようになった。

これまで買いだめてきたkindleの本が読めなくなってしまったのが残念だが、それは今度帰国したときに読めるようにしよう。まだ何冊か買うだけで読んでいない本もあったのだけどしかたがない。

こうしてほっとして寝たのが二時過ぎ。そして今日も朝からお寺で授業。雨降りで行きの車をなかなか捕まえられなかったが、何とか遅刻せずに着いて、今日の授業もつつがなく終えた。霊隠寺のあたりの風景は、雨ならば雨なりのうつくしさがあって、帰りは傘を差しながら散歩をして帰った。帰宅後、爆睡。今夜も夜更かししそうだな。