2021/03/22

春らしくなりました そして次に読む本

 近所の(どぶ)川沿いに植えられている桜が満開になった。学校へ行くバスからも工業大学の桜が見える。ちょうど東京あたりの桜も満開らしい。

〇「活着」読了。映画では、最後に小さい子どもを囲んで食事をし、未来へのささやかな希望が暗示されて終わるのだが、原作は悲惨。

映画の最後のシーンに出てくる人物のうち、主人公の福貴以外はすべて次々と死んでしまう。

娘婿の二喜はコンクリート板に押しつぶされ、福貴の孫であり、二喜の息子である苦根も豆の食べ過ぎで死ぬ。最後に一人残された福貴が自分のような老牛を買い、農地を耕しながら余生を生きる様子で終わり。

みんなの喜びであり、生きることの意味であった子どもが死ぬことは絶望でしかない。生きることの意味とは、この場合、それはとりもなおさず、「香火を絶やさない」こと、つまり代々後継ぎを残していくことである。残されたものたちは、子どもの中に死んだ娘の面影を見て泣くが、つまり、そういう形で先に逝ったものたちがこの子の中に生き続けるということでもある。しかし、その子さえもあっさりと死ぬ。

それでも、彼は生きていく。映画はおおまかに小説のストーリーをなぞっているように見えて、かなり違うメッセージを残している。

前日に読んだ車屋長吉の本に書いてあったように、「不運な人は不運なりに生きていけばよく、それを覚悟したところから真の人生が始まるのであり、愚痴も小言も言わないのが尊敬できるのだ」ということなら、この福貴はそういう人を具体的に描いた人物像なのかもしれない。

〇次はエイミタンの「奇幻山谷」。最初のほうは説明的な文章が続いて少し疲れてきたが、もう少し辛抱すれば、きっとおもしろくなるはず。




 学校も春らしくなりました。




3 件のコメント:

  1. 「活着」ってそんな小説だったんですね、すごいね。

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  2. おはようございます!

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  3. 「活着」、そんなに長くないので、一度いかがですか。
    中国語版、紙でも電子辞書でもAmazonJapanからでも買えます( `ー´)ノ

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