息子がきて暑いなか、食事に出かけて行って、食事をしたり、スウィーツを食べたり、ドライヤーを買ったりした。
家に帰ったら、ぐったり。
家に送り付けられていた山のような郵便物を息子にチェックしてもらう。
必要なものと不要なもの。たいていは不要なもの。
中に、東洋文庫ミュージアムの割引券が入っていた。
次の「お嬢様会」には、ここに行きませんか。おしゃれな小岩井農場のレストランも付設されているらしいです。
〇ほかには、わたしはいったことないけど、文明堂のカフェもおすすめらしいです。
息子がきて暑いなか、食事に出かけて行って、食事をしたり、スウィーツを食べたり、ドライヤーを買ったりした。
家に帰ったら、ぐったり。
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中に、東洋文庫ミュージアムの割引券が入っていた。
次の「お嬢様会」には、ここに行きませんか。おしゃれな小岩井農場のレストランも付設されているらしいです。
〇ほかには、わたしはいったことないけど、文明堂のカフェもおすすめらしいです。
朝、パソコンの電源をいれたら、すぐに動作がおかしくなった。
たぶん、部屋が暑すぎたから?
その後、午後に来るはずだったエアコンの取り付けが午前に来ることになって、
エアコンが使えない部屋で新しいパソコンを使って壊してしまうのではないかと心配だったので、ブログの更新もできなかった。
エアコンはすぐに設置できると思ったが、外の配管がまっすぐに取り付けられないことと、
以前のエアコンよりも性能が高いので、コンセントも取り替えなければならなくなったりして、追加料金を8800円払う。電気工事やは、エアコンを返品して、前のと同じコンセントを使えるものを買いなおしてもいいのではないかと言っていたが、暑いのにまたでかけていってエアコンを選びなおすものたいへんなので、コンセントの容量を変えてもらった。
これで24年前に買ったエアコンともさようなら。
うちのリビングは20畳以上あるので、この部屋で一人でエアコンを使うのはもったいないが、それでも24年前のものよりも電気代は安くなるはずだと店の人に言われた。
いろいろ考えるとこの家に一人で住むのは、無駄でしかないのだけど、とりあえずはしかたない。この夏はエアコンなしでは、死ぬかもしれないし。
〇昨日は、3年ぶりに春月ねいさんとお食事。
新宿中村屋。息子と芝居を見るときにいくレストランは、たいてい中村屋。ビルの下の店だったり、サザンシアターの入っているビルのほうだったり。
八階のレストランに前回来たのは、2020年の10月。ゴーツーイート利用で、息子と
ディナーしたのだった。
値段の割には、落ち着けて穴場だと思う。客層は高齢者が多いみたい。そうよね、平日昼間からこういうところに来るのは、そういう人に決まっている。わたしたちも?
昨日も予約を取っていった。席はけっこう埋まっていて、そこそこ混んでいた。
メニューはいろいろあるけど、わたしもねいさんも「恋と革命の味」のカレーを注文。独立運動の闘士ボースが日本に伝えたあのカレー。
ランチは150分いられるらしいので、そこで150分。そのあと、伊勢丹のカフェにいって時間達成(達成って何?わたしはわからなかったけど、ねいさんがそう言っていた)
まあ、悩み多き年ごろのわたしたちはよくしゃべった。ほんとうにそれぞれの年代で悩みってあるものなの。でも、それは悩みなのだけど、きっと世間的に見たら、わたしもねいさんも別に不幸じゃないんだろう。思い通りにならないことが多いだけで。
次は谷中銀座なんかどうでしょう。ほかのかたももしよかったら、ごいっしょに?
なんとなく茨城空港のHPを見てみたら、神戸まで片道一万円くらいで行けることがわかった。息子に電話して家に来るのかと聞いてみたら忙しいというし、水曜日にエアコンの設置がすんだら、一人で旅行にでも行こうと思っていたら、また息子から連絡があり、木曜日から家にくるとのことで、神戸行きはとりあえずやめた。しばらく様子を見てまた考えよう。
わたしは兵庫県には何度も行ったことがある。宝塚ばっかり。関西は観光でしか行ったことがないので、ぜんぜん土地勘がない。じゃあ、一人で行ってみる?と思った。
神戸空港から奈良に行くのって遠いのかな。最近、いろいろ中国のお寺で勉強してたら、唐招提寺と法隆寺に急に行ってみたくなった。神戸から奈良にどうやって行くのか、これから調べてみよう。
〇以前に娘と奈良の遷都祭に行ったら、暑かったな。
ホテルから歩いていく途中でおじさんに道を聞いたら、「この暑いのに遷都祭なんて遠くからわざわざくるほどのものなの?」と聞かれた。地元の人からみたら、そんな感じだったのだろう。
日本に帰ってきてから数日すぎた。
いままで使っていたパソコンは中国においてきて、日本で新しいパソコンをもう一台買った。
そうしたら、中国でロゴインしていたパソコンでログアウトしないと、新しいパソコンでログインできないというようなメッセージが出て数日間どうにもできないでいたのだが、今日、またいじっていたら、なんだかわからないけど、ログインできた。
先週火曜日の昼過ぎにやっと水漏れ修理の人が来て、トイレの便器を設置しなおした(とその人が言った)。それが一時ごろのこと。コーキングが乾くまで六時間は便器を使うなと言われた。本当は夕方涼しくなってから家を出て空港のホテルに行こうと思っていたのだが、トイレが使えなくなったので、暑いさかりに家を出た。空港についたら、昨年とは全く違った新しくて広い空港になっていた。たぶん、秋にアジア大会があるから、空港も拡張したのだろう。以前は、右と左に分かれていて、一方が国内線、もう一方が国際線になっている小こじんまりとした空港で、国内線と国際線をつなぐ通路も短かった。しかし、今回は、地下鉄を降りて前の人たちについて空港に入ってから、わたしが乗る飛行機のチェックインをする第四ターミナルまで歩いて10分以上もあった。そのターミナルに隣接したところにホテルがある。次の日の朝が早いので、前日にチェックインカウンターや安全検査の場所などを確認しておいた。ホテルの部屋に入ると、「ルームサービスで食事を注文するとロボットが運んでくる」と部屋の中にあった冊子に書いてあったのでスマホで書いてある通りにやってみたが、なぜかわからないがうまくいかなかった。そこで夕食は適当に空港内のローソンで買って食べた。翌朝8時20分の飛行機にのって成田に昼頃ついた。杭州の新しい空港から成田についてみると、なんだかとてもしょぼく見えた。そのまま電車に乗って帰宅。
家についたら、夫が帰国したときになにもかもやりっぱなして帰ったらしく、家の中は荒れていた。外も草ぼうぼう。リビングも二階の寝室も散らかっていた。風呂場も掃除したようすもない。疲れ果てて帰宅して、そのありさまを見てイラっとしたので、微信の家族のグループチャットでさんざん文句を書き込んだが、夫からは何も返事がなかった。腹が立つ。
その後、美容院に行ったり、新しくエアコンを買ったり、生垣の刈込を業者に予約したり、必要なものを買いにいったりした。しかし、いまだに家の中はそれほど片付いていない。
帰国して少しも楽しいことがないうちに、もう疲れ果てましたね。
もう少し片付いたら、あとはだれにも気兼ねする必要もないし、散々やりたいことをやろう。
洗面所の床の修理は昨日の昼に再度来ることになっていたが、
直前に電話がかかってきて「今日はいけなくなった。明日の11時ごろに行く」とのこと。
というわけで、まだ水漏れは直っていない。直らなかったら、便器の水栓を閉めていくからいいけど。
昨日は昼から、寺の法師に呼ばれていたので、寺に行くことにした。先に教務処に書類を取りに行ったが、担当の法師が外出中だということでドアの前で待たされた。教務処のドアの前は図書室になっているが、そこは地獄の暑さ。やっと書類を受け取って、日本語学科の法師のもとへ。
サインをしてさっさと帰ることができると思ったが、試験の採点の始末について法師が前回言ったのとは違うことをまた言い出し少し面倒なことになる。やっとそれが片付いたら、世間話をするような感じになった。少し話を聞いてから、「帰国の準備があるので」と言って席をたつ。外に出るとたちまち大雨が降ってきた。家に帰ったらなんだかくたくた。
一晩たって、今日は適当に部屋と荷物をかたづけた。完璧にやる必要もないし、水、ガス、電気をとめて、戸締りして、なまものを捨てておけばOK。
コロナの時のように突然戻れなくなることはもうないでしょう。
早くもっと気楽に往来できるようになるといいな。
昨日、修理してもらったのに、今日見てみたらまだ水漏れしていた。
どうやら便器と床の間にコーキング剤を充填していったらしいが、そこからまだ水漏れしている。学校の事務に微信で連絡したが、返事がこないので、自分で昨日来た人に連絡してみたら、明日の昼の来るという。明日の午前中は寺にいくことになっていたが、寺の付近はこのところいつも渋滞しているので行ったら昼までに帰って来られるかどうかわからない。
法師に明日午後から行くと連絡したが、今日は別の寺に仕事があっていっていると言っていたし、そのせいか返事が来ない。
同じアパートに住む同僚の先生の家に連絡すると、その人のところとその隣の部屋にも同じ修理の人が来る予定だという。だったら、わたしのところにもついでに来られないかと思ったのだろうか。いずれにしても、もう帰国の日が迫っているので次にはちゃんと直してほしい。
昨日の正午前に修理の人が来た。
洗面所の中でいろいろ調べていったんは道具をとりに帰って行った。
その後、もう一度来て、洗面所でなにやらやっていた。
床板をはがさないと直らないのではないかと思っていたが、すぐに直りましたというので、洗面所に行ったら、床板をはがしたりした様子はなかった。どこをどうしたのかわからないが、とにかく直ったんだろう。コーキングをはがしたような破片がバラバラと落ちていた。
修理の人が帰ったあと、しばらく様子を見ていたが、ちゃんと水漏れは止まっているようだ。
意外とかんたんに直ってよかった。
昨日は学校の会食に行った。
コロナが終わってから初めてで、久しぶり。
〇この数日で「城南旧事」(北京の想い出)の原作を読んだ。映画のほうは、以前は中国語学習者の間で人気の作品だったと思う。
でも、この作品も映画と原作ではかなり印象が違った。映画は、「古きよき北京で過ごした幼い日の懐かしくちょっと切ない想い出」のような内容だが、原作はもっと苦みのある内容だった。
原作には「蘭姨娘」と題する章があって、この部分が映画化される時に省かれたことで、映画の印象も、英子の父母の印象も大きく変わったと思う。
たとえば、映画では、英子の父は知的で清廉な人物として描かれているが、原作では、蘭姨娘という女性が登場することによって、かなりクズな人物としての一面が描かれる。蘭姨娘は幼いころに親に売られて、年の離れた男性の妾をしていた女性である。そして、その家から逃げ出してきたのを、英子の父が家に置いてやるのである。もちろん、そこには男性としての下心があり、母もそれを感じとっている。ある日、母が妊娠して大きなお腹で汗をかいて料理をしているとき、父と蘭姨娘は一緒にベッドに寝転がってアヘンを吸っていた。そのとき、たまたま部屋に入っていた英子は父が姨娘の手を握ろうとしたのを目にしてショックを受けるのである。
英子の母は、映画とは違って、次々に子どもを生み、家に使用人を置いているとはいえ、負担の多い生活をしている。父は女性とはそういうものと考えて、妻を人間としていたわる気持ちがない当時の男性の一人として描かれているのである。
この小説に出てくる男性は、弟のために盗みをしている泥棒を除いて、たいていろくでなしである。最初のエピソードにでてくる妊娠した秀貞の元にもどってこなかった学生も、映画では思想犯として捉えられたことになっているが、原作ではどうも故郷の母に反対されて秀貞を捨てたようであるし、英子の弟の乳母の夫も、乳母として働く妻に子どもの養育費をせびりにくるが、実はすでに二人の子どものうち一人は売り払い、一人は死なせてしまっているのを隠しているのである。原作では、乳母は英子の母の勧めに従って、またそのひどい夫の元に戻っていくのである。(←この経緯も映画とは違う)
映画とは違い、原作のほうは、そのように「女性の哀しさ」を鮮明に描いた作品だった。中国語のサイトに「映画のストーリーは原作をほぼなぞっている」と書かれていたが、わたしの読後感は決して映画のようにほのぼのとしたものではなかった。
〇とはいえ、映画を見た時にはわからなかったが原作を読むことで理解できた点がいくつかあって、原作は原作なりに興味ぶかかった。
たとえば、英子が学校の卒業式で「すずめ」の扮装をしている理由や、学校で英子が朗読する「一緒に海を見に行こう(我们看海去)」という詩がどのようにストーリーと絡んでくるのかなど。また、映画の挿入歌「送別」の意味など。
貧しい泥棒の青年は優秀な弟の学費のために盗みをしている。いつかは弟を海外に留学をさせたいのだ。「いつか弟を見送りに行く日が来たら、一緒に海を見に行こう。そうしたら、英子は海と空が見分けられるようになるだろう」という会話とこの詩はつながっているのである。
また、この小説は一つ一つの章が「別れ」を描いている。秀貞と小桂子との別れ、泥棒の青年との別れ、蘭姨娘との別れ、乳母との別れ、父との別れ。「送別」がテーマソングとなっているのもそれが理由だ。ちなみに「送別」とは日本では「旅愁」という題名になっている唱歌のことである。
他にもいろいろあったが、読みながら「そういうことか」と納得し、納得するごとに忘れてしまった。つれづれにする読書ってそういうものですね。
すぐに連絡が来ると思っていたが、いっこうに連絡がないので、こちらから学校に「いつ修理が来るのか」と聞いてみた。「今日行くかどうかわかりません」とのこと。
少したって修理の人から「明日の昼にいく」と電話がかかってきた。ずいぶんのんきなものだ。それまでに下の階には漏れないのだろうか。床下から上に上がってくる水漏れよりも、下に落ちる水のほうが多いにちがいない。
とにかく、今日は修理が来ないのだから、寺に行こうかと思ったが、今から行ったら寺は昼休みになってしまう。午後に着くようにいくとすると、一番暑い時間になるし、夜には会食にもいかなければならないから、時間的に少しきついかも。水漏れ修理が終わったら行くことにしよう。日曜日の朝早くか、月曜日にしようかな。
来週帰国予定。このところ地獄のように暑い日が続いているのに、法師から呼び出し。
しかし、昨日の夜、また洗面所の床が濡れているのに気づいた。このところ、よく濡れている。手を洗った時に水がはねたのかと何となく思っていたが、それにしては量が多いし、頻繁に濡れている。そこで、しっかりと拭き取って様子を見てみると、洗面台を使っていなくても、しばらくすると床板の隙間からジワジワと水がしみ出している。
また、こんなことに。わたしが住んでいるアパートは老朽化していて、この数年で外側はきれいになったが、頻繁に問題がおこる。
今週で学校の職員も休みに入るし、このままにして二ヶ月も留守にするわけにもいかないので、深夜に学校に連絡した。朝見てみると、「できるだけ早く回答します」という返事が来ていた。今日中にきてくれるかな。一応、わたしの帰国日も知らせて、「それまでになんとかしてください」とも伝えた。
今日は寺に行くことになっていたし、夜には会食もあるが、床の水漏れがいちばん重要なので、連絡次第では予定はキャンセルになるかも。
本当にこういうトラブルって疲れる( ;∀;)
この夏、わたしはスイカが食べられるようになった。
思えば、スイカなんて半世紀近くほとんど食べていなかった。
わたしはほとんど果物は食べない(食べられない)。スイカもこれまではスーパーに行っても食べ物として認識されなかった。しかし、今年、気まぐれからカットスイカをかってみたら、意外とおいしく食べられた。それ以来、数回、食欲がないときにカットスイカを買っている。
もしかしたら他の果物もいけるかも?と思うのだが、売場にいって桃やブドウが並んでいるのを見ても、食べてみたい気になれない。なので、他はあきらめて、とりあえず今年はスイカの夏ということにした。
先週、春学期の試験が終わり、今週から秋学期の授業を二週間してから、夏休みになる。
秋にアジア大会があり、その二週間は授業が休みになるので(学生の多くがボランティアに行くため)、その分の授業を今やっている。
コロナで留学が再開されて、留学する学生がたくさんいるため、今学期の三年生は三クラスからニクラスに再編成された。
このように三年生の授業が減ったので、このところ三年生の授業しかしていなかったわたしは、一年生の授業もすることになった。しかし、一年生はまだ入学していないので、七月は三年生の授業だけをすればよい。
中国人の先生によると、まともな子はたいてい留学してしまったので、今学期の学生の学力は前年よりも低いのではないかということだった。今日、初めて授業をして、わたしもなんとなくそんな気がした。もしかすると、授業にもこれまで以上に工夫が必要になるのかもしれない。