このところ、いろいろと忙しくてブログを書く気になれなかった。
何をして忙しかったかを書けばそれなりに書くこともあるのだが、もう過ぎたことだし、書く気もしなくなった。
この土日も実は忙しくコンテストに出す学生の作文を添削していた。
私が担当するクラスの全員に書かせているのだが、今年はあることに気づいた。
成績が一番悪いクラスのこれまた成績が芳しくない子たちが、たいした内容はないながら、日本語としてはほとんど破綻のない作文を提出してくるのである。私は毎週、学生たちのノートを集めて、授業中にちゃんと課題をやっていたかどうかをチェックし、それを平常点をつける時の参考にしている。だから、学生一人一人がどの程度の文が書けるかはかなり把握している。しかし、そんな普段の課題のできからは、ありえない文章を何人もの学生が書いて提出しているのである。確か、ChatGPTは中国ではまだ提供されてないはずである。でも、それに近いものか、よくできた翻訳ソフトのようなものを使っているに違いない。
もはや、今までもあったような切ったり貼ったりとは、次元が違うできのよさなのである。
こうなったら、どこの大学もコンテストにこうしたものを出してくるであろう。たいした内容がないから、入賞するとは思えないが、作文コンテストの「日本語表現を評価する」という側面はこれからはなくなるだろう。同僚の先生は、「いままでだってみんな日本人の先生が手を入れたものを提出しているんだから」というが、いったん自分で書いたものを添削してもらってだすのと、一からソフトで作成するのとでは、やはり違う。少なくとも後者なら、一定の長さの文を書く練習になるのだから。
〇オンライン授業が普及して、一人の教師がいったんコンテンツを作れば、何年も、いくらでも多くの学生を対象にして授業ができるようになったし、こうやって語学学習自体の必要性もなくなってきたし、そのうち語学教師は、「三丁目の夕日」にでてきた氷屋のおじさんのように職を失うのかもしれないと思った。