2026/01/31

春月先生お誕生日

 昨日は春月先生お誕生日。

しかし、あいにく常磐線の架線が断線したということで、早めに家を出たのに大遅刻。

我が家の最寄り駅から取手までは常磐線が止まってしまうと代替の交通手段がない。

そこで取手までいつもよりもずいぶん時間をかけて行き、そこから常総線、つくばエクスプレスと乗り継いでやっと上京。中村屋にも予約時間を変更してもらった。

春月先生のお誕生日で、プレゼントも用意したし、中村屋にもお誕生日プレートをお願いしたのでなんとしても行かねば。

結局、おしゃべりお誕生会は一時からになったが、いつも通りたのしかった。

お誕生プレートは線香花火がパチパチしていた。こういうの、いくつになっても楽しいね。

その後、いつも通りの中村屋から中村屋。

帰りはいつも通り電車が動いていて、順調に帰った。

ねいさんからもらったケーキは一人で食べると太りそうなので、来週、娘が来たら一緒に食べよう。

2026/01/29

人形のこと

子どものころは実は人形がきらいでした。

わたしと妹にリカちゃんなどよりずっと大きなかわいくないソフビの人形があてがわれていました。

たぶんその人形があまりにも気味が悪かったので、長らく人形が苦手でした。

しかし、中国に来て、たまたまネットで市松人形を見かけてから、しばらく人形道楽にはまってしまいました。

一時帰国した時に当時娘が住んでいた名古屋から少し足を伸ばして人形師さんのところからお迎え。味岡映水作。着物はわたし作です。この撫子の布は京都の端切れ屋さんで買いました。
この子は元々は赤い絞りの袷の着物をきていましたが、絽の夏着物を自分で作りました。
その後、いくつかビスクドールを購入(アンティークもリプロダクションも)。あわせてドレスやウィッグもずいぶん購入しました。
母にもこの子に似た市松人形を購入してプレゼントしました。
しかし、最近はあまり買っていません。つい買ってしまいそうなところには近づかないようにしています。
その後、リカちゃんやイーマリーもいくつか購入し、ときどき服や着物を作っていましたが、最近は少し熱がさめています。また、気が向いたら、やると思います。
いまはしばらくペン習字と中国語原著読書と居眠りに時間を使いたいので。

2026/01/28

美容院

 午前中は美容院。

それから市役所に行って用事を済ませ、買い物して帰宅。

今日はそれだけ。美容院は空いていた。そのせいか、美容師さんがしゃべるしゃべる。

庭の草抜きの話とか、近所の神社がテレビで紹介されたので車で行ったら渋滞して帰れなくなった話とか。宝くじで10億当たったらどうする?とか。

もちろん、美容師さんも相手がしゃべらなかったら一人ではそんなにしゃべらないわけで。半年ごとにしか行かないのに、行ったらいつも話に花がさいてしまう。

そこで、セブンイレブンの鍋焼きうどんがおいしいという話を聞いたので、帰りに買って帰ろうと思ったけれど、いろいろ買い物をしているうちに忘れてしまって、セブンイレブンに寄ったのに冷凍たこ焼きしか買わないで帰ってきてしまった。

そして、家に帰ってたこ焼きを電子レンジに入れて待っている時に「あ!鍋焼きうどんを買うんだったっけ?」と思い出した。

明日買おう。忘れなかったら。

2026/01/27

新しい万年筆

 実は、まだいろいろと片づけものが終わらなくて、洗濯物もほしていないのに、

午前中に万年筆が届いたので、ペン習字をしている。

英雄牌もそんなに悪くないと思っていたが、実際に新しい万年筆で書いてみると、やはり書き味がぜんぜん違う。値段も数倍だから当然と言えば当然だけど。

軸はおもったよりも太くて、白を注文したのだけど、もったりとした白。

見た目は英雄牌のほうがきれい。

でも、英雄牌は書いている時はスラスラかけるけれど、時々少し筆圧をかけないとかすれることがある。新しい万年筆はカートリッジを入れたとたんにまったく力を入れずにスラスラかける。もう英雄牌は使わなくなるかも。

           ちょうど昨日、アマゾンに注文した
           「なぞりがき 日本の名作」も届いたので、さっそく書いてみた。
           買った万年筆はセーラー万年筆のプロフィット21。
           在庫がなくなったら廃版になるらしい。 


帰国しました

 夜10時ごろに家に着きました。

近所のスシローに行って食事をしようと思ったけれど、行ってみたらラストオーダー10時15分、10時半閉店。たしか以前は11時閉店だったと思うけど。

しかたがないので、家に荷物を置いてからココスに行った。10時半ごろ。

こんな時間に一人で食事をする人なんてわたしぐらいだろうと思ったが、

女性一人で食事をしている人が二人いた。あとは数人でおしゃべりしている人たち。

子どもが小さいころはこんな時間に一人で出歩くことなんかなかったが、いまは自由。

そんな時間に出歩けるのも自由だからなのだろう。

夜遅いのにカキフライ定食とドリンクバー。

ぜいたくな食事ではないけれど、それでもやはり日本の食事はいいな。

どうしても飲みたかったので、アイスコーヒーを飲んでしまった。

それから家に帰ったら、10月の夫が日本の家に帰ってきたせいで、浴室のシャンプーもないし、ティッシュもない。明日買いに行かないと。


2026/01/25

映画『我的朋友安德烈』

 昨日で仕事が終わったので、午前中に掃除と洗濯をして、午後から食事と映画。

映画は『我的朋友安德烈(ぼくのともだち安徳烈)』。

この映画は途中までよくわからなかった。たぶん、見ている人はみんなそうだろう。

見終わっても、わからない部分がある。そのようにできているのかもしれない。

青年李黙は父の葬式に行くために飛行機で瀋陽に向かう。

機上で旧友安徳烈によく似た青年を見かけて話しかける。

「ぼくは李黙だよ。君は安徳烈だよね」

しかし、その青年は「たしかに自分は安徳烈だし、李黙という友人がいたが、君ではない」と言う。

そして、その青年安徳烈も李黙の父の葬式に行くのだという。

飛行機は大雪のため瀋陽に着陸できず長白山に着陸する。

そこから彼らふたりはレンタカーで瀋陽に向かうことにする。

かみ合わない会話をしながら、李黙は中学時代のことを回想する。

安徳烈は李黙と同じクラスにいた少年で、奔放で自分をまげない性格だったため、教師に嫌われていた。

李黙は両親の不仲や成績不振のために暗い学校生活を送っていたが、いっしょにサッカーをしたことから安徳烈と友人になる。そして、安徳烈が父親から暴力を受けており、自分よりも悲惨な境遇にあることを知る。

ある日、李黙の母が家を出て行き、李黙は父との生活から抜け出したいと思うようになった。そして、学年で一番の成績をとればシンガポールに留学できることを知り、安徳烈の協力の下で勉強に励み、優秀な成績を収める。

しかし、シンガポールに行けたのは李黙ではなく、別の女子学生だった。教師が不正に成績を改竄したためである(こういうの、中国あるある)。李黙は教室で泣き崩れる。

その後、全校生徒の前で安徳烈は教師の不正を告発し、学校にポスターを貼る。

このことから、安徳烈は放校となり、父親に折檻され、揉みあううちに熱湯を全身に浴びてしまう。李黙はその様子を物陰から泣きながら見ていた。

その後、しばらくして、年越しの夜に李黙は父と外で花火を見ているときに安徳烈に出会い、家に呼んで父が作った餃子を一緒に食べるが、父には安徳烈が見えないようだった。(つまり、安徳烈は熱湯を浴びて死んだのだ)

映画のシーンは現在に戻り、いつのまにか車の中には李黙ひとりになっている。

瀋陽に到着した李黙は、かつて安徳烈と遊んだ廃工場の鉄扉の前に立つ。すると、鉄扉の中から、中学生のままの安徳烈が出てきて「なぜいまになってやっと来たの?」と微笑みかける。

最後のシーンはまた学校での回想。中学生たちが並んで合唱している。その列の中にいた李黙が後ろを振り返ると、安徳烈がひとり窓際に座ってこちらを笑顔で眺めている。

〇このようなストーリー。原作の小説があるらしい。会話はまたしても東北方言で、李黙の父が話している言葉などは字幕を見なければよく聞き取れないし、時には字幕を見てもついていけない。

それにストーリーにもよくわからない点があった。

李黙はもともと安徳烈が中学時代に死んでしまったことを最初から知っていて、飛行機の中で出会った青年になった安徳烈との旅は、すべて想像の中のできごとだったのだろうか。

李黙が安徳烈が死んだことを知ったのはいつなのだろう。

それと、レンタカーでの移動中、どこで安徳烈は消えたのだろう。

もしかしたら、ちゃんと映画の中で描かれていたのかもしれないが、一度見ただけではよくわからなかった。

2026/01/24

採点終了

 昨日で採点とそれに伴う事務が終わり、今学期の仕事が終わった。

なぜか知らないが、採点後に成績表に添付して提出する書類が年々増えて、答案に採点結果を記入してから、さらにいろいろな仕事がある。

はっきり言って、同じような書類を少しずつ内容を変えて何種類も出す意味がわからない。

それに、わたしが採点した答案を中国人の先生にチェックしてもらい、すべての答案にその人のサインをもらわなければならないのだが、わたしが早めに渡したにもかかわらず、昨日大学に行ったら、「まだ答案を見ていない」と言われた。「来学期に提出すればいいでしょう」と言うのだが、主任からは昨日までに出すように言われている。

こういうことが多すぎていやになる。他にもここには書かないけれど、いろいろと納得できないことがあった。

わたしに対しては「期限を守ってください」というのに、他の人が協力しないとか、期限前に急に変更しろと言われたりとか。いつものことだが、そういうことがあっても、意外と中国人は平然としている。

逆に、期限を守って提出して、「あら、あなたもまじめね」などと言われることもある。

昨日も事務に試験の採点資料をもって行ったら、他の中国人の先生がちょうど事務室のスタッフに採点資料を提出するところだった。そこでかなり待たされたのだが、それはその先に来ていた先生がちゃんと資料を指定されたように整えてこなかったからだった。

そのあとわたしの順番が来たが、あっというまに提出。

言われた通りにしない人が多いから、指示が厳しくなるのだと思った。

そういうところがいつまでも適応できないところだ。

2026/01/21

ペン習字 一冊終わった

 ペン習字、一冊終わった。

あとで別のを買いに行く予定。

書かないでいると万年筆によくないらしい。

使うから万年筆を買ったのではなく、万年筆を買ったから用事を作っている。

わたしが買った英雄牌の万年筆はずっと書いているとよく書けるが、

外出先にもっていって書こうとするとよく書けない。

ペン先を上にして持ち運んでいるからかもしれない。

そこで、わたしが日本に着いたら家に届くようにセーラーの万年筆を買った。

名前も入れてもらった。

来月から大幅に値上げするらしい。駆け込みで買ったので得した気分。

2026/01/19

試験

 今日の午前中は自分の科目の試験監督。

試験監督をした他の先生から「今回の試験問題は少し簡単すぎないか」と言われた。

試験に先立って平常点をつけたが、それが存外よくなかったので、期末試験の問題はやさしめに作ったが、今日採点してみてわたし自身も少しやさしすぎたかなと思った。

わたしの試験はノートなどの持ち込み不可だが、記述問題のテーマは事前に教えてある。たぶん学生はAIなどを使って文章を作って覚えてきているので、評論家顔負けの文を書いてくる。授業の感触では、学生のレベルは確実に低下しつつあるのにである。

自分でぎこちない文章を書いてくる子とAIで難しい内容の自然な文を書いてくる子では、どちらを評価すべきか。…みたいなことを考えていると採点するのがいやになる。

先生の中には、「これからはAIの時代だから、それを利用して高レベルの答案がだせるのならそれはいいんじゃないですか?」という人もいる。そういう人は躊躇することなく、試験問題もAIで作る。つまりAIが作成した問題に、AIで作成した答案を書く。

だったらもう大学いらないんじゃね? 

そんなことを思うと、ますますわたしのやる気もなくなってしまうのである。

〇読書は地下鉄の中で張愛玲の『红玫瑰与白玫瑰』を半分くらい読んだ。

なんとなく知っている内容だとおもったので、家に帰ってから調べてみると、この小説は映画になっていて、わたしは以前にそれを見たことがあるのだった。たしかそんなにおもしろいとは思わなかったような気がする。妻が便秘でトイレで苦しんでいるようなシーンしか思い出せない。小説のほうは、これまで読んだ張愛玲の作品の中ではマイルドな不倫物語。

2026/01/18

張愛玲『鸿鸾禧』

 今日は日曜日。

ちょっと食事しにでかけたり、掃除をしたりした以外にはぼんやりして一日が終わろうとしている。

明日、わたしが担当している授業の試験があり、当分はその採点にかかりきりになるので本も読めなくなるかもしれない。

『鸿鸾禧』。

邱玉清は没落した名家の娘であり、成金銀行家の息子である娄大陸と結婚が決まっている。

玉清と娄家の二人の娘はつれだって結婚式で着る衣装を買いに行く。

娄家の二人の娘は、玉清のことを痩せすぎているとか、老けているから年齢をごまかしているのだろうとか、自分のためにお金をつかいすぎるなどと言いたいように言っている。実は玉清は美しく上品な女性なのに。この二人の娘は、没落したとはいえ名家の娘らしい気品を持つ玉清に劣等感をもつがゆえに彼女を嘲笑せずにはいられないのだ。

邱家が用意してくれたお金を玉清は自分の着るものに惜しげもなく使う。結婚してしまったら、こんな贅沢はもうできないだろうから。娄家の娘はそのお金は本来結婚した後の調度品などに使うべきなのに、そうしないのは婚家の負担を増やすことになると言って腹を立てる。

家では大陸の母の娄夫人が新婦が履く靴を作っている。他にすべきことはたくさんあり、靴なんか買えばいいのにと他の家族はいうが、娄夫人は頑固に靴を作りつづける。

父の娄先生は留学経験もお金も地位も品もある男性である。

それにひきかえ娄夫人ときたら、美しくもなく、頭も悪く、頑固でかんしゃくばかり起こしている。それでも娄先生は娄夫人に対して腹を立てることもなく、耐えている。他の人たちはみななぜあんなすばらしい男性があんなつまらない女性を妻にしたのだろうと不思議に思っている。

しかし、実は娄先生の態度は他人の前でだけよいのであり、家の中ではいつも子どもたちとともに夫人のいたらない点を見つけては見下している。つまり、家の中で夫人を尊重している人は誰もいないのである。

娄先生は息子の嫁の玉清の聡明さに感嘆してみせる。でも、これは暗に娄夫人の愚かさをあてこすっているのだ。

結婚式がとりおこなわれ、そこでさまざまな人間模様が繰り広げられる。

こうして、玉清の生き生きとした人生も結婚とともに終わりを告げたのである。

…というような内容である。

つまり、邱家と娄家の結婚式の準備とその当日の様子を描いた小説である。

物語の至る所にどんなごまかしも見抜くような辛辣な張愛玲の目が光っている。

しかし、読んでも何が言いたいのか、わかったようなわからないような気がするストーリーなので、ネットにあがっている解説をいくつか読んでみた。

すると、この物語の解釈のカギは『鸿鸾禧』という題名にあるのだということがわかった。これはこの小説が書かれた当時、人口に膾炙していた豫劇の題名であり、

その内容は簡単に言えば、糟糠の妻を川に突き落として殺そうとした男の話らしい。

この物語を娄夫妻に重ね合わせて理解することで、若い頃、貧しかった娄先生を娄夫人が支えたにもかかわらず、娄先生が功成りとげた後に、妻が自分に釣り合わなくなったと感じ、見下しつつも、外に対しては思いやりのある夫としてふるまっていることがわかるのだそうだ。そして、子どもたちも、母の支えがなければこの家の今の豊かさもなかったのに、この家の歴史を知らないがために、父の側につき母を見下している。

『鸿鸾禧』という題名に隠された張愛玲の意図が理解できれば、この小説の残酷さを読み取ることができるが、もしそうでなければ、娄家の子どもたちのように、紳士的な夫と不釣り合いな妻のような表面しか見えないというわけらしい。

さすが、張愛玲、手が込んでいますね。

2026/01/17

映画『飛行家』

 今日は昼から食事兼映画鑑賞のために外出。

映画は『飛行家』。物語は70年代のハルビンから始まる。

李明奇は勤め先に無断で、飛行用のロケットを開発している。

パラシュートで飛び降りる時に使う、速さや方向を変えるための背中に背負うロケットである。しかし、ある時、そのロケットで義弟(妻の弟)に怪我をさせてしまい、義弟は障害者になる。会社はこの事故を起こした二人を懲戒処分にする。

そこで、明奇は義弟夫婦とともにダンスホールを経営することを考えるが、明奇を恨んでいる義弟はその話に乗ってこなかった。

ダンスホールは紆余曲折を経て繁盛するが、義弟の差し金で明奇は店を手放さざるを得なくなり、日雇い労働者になる。

その時、義弟の息子が心臓病で手術を受けなければ長く生きられないことがわかる。

手術代は10万元。それを工面するために、明奇は高さ600mの塔の上からロケットを背負って飛行するという命がけのショーを請け負うことにする。

そしてそのショーは成功。

…という物語。

こういうストーリーで最後のショーが失敗するわけないのだが、そこは演出のおかげで最後に「やったー!」というカタルシスがあり、気分がよく映画館を後にできた。

でも、ハルビンが舞台のこの映画は、たぶん話されている言葉に北方の方言やなまりが含まれているせいで、わたしには会話を理解するのが難しく、ストーリーについていくのがやっとだった。

2026/01/16

張愛玲『封鎖』

 家で使っているマウスの調子が悪くなってきたので、新しいものをタオバオで注文した。

それが来るまで少し不便だ。

『封鎖』。

登場人物は呂宗楨と呉翠遠。

舞台は日本占領時の上海。日本軍によって区画の封鎖が行われ、停止した路面電車内のわずかな間のできごと。

宗楨は銀行勤めの会計士、35歳。妻子があるが、この時代の小説によくあるように妻は親が決めた相手である。毎日の仕事にも妻にもうんざりしている。

翠遠は大学で英語を教える教員。25歳。優等生の彼女は親の言う通りに勉学に励み、当時の女性としては異例の職業についている。しかし、そうなってみると彼女の親は彼女がよい相手と結婚することにしか興味を持たなくなる。すべての人に自分は尊重されていないと思っている。

この現状に不満をもつ二人が閉鎖された電車の中で出会い、あれこれの話をしているうちに、お互いに惹かれあうようになり、結婚の話にまで発展する。とはいえ、宗楨は妻子がある身で経済的な余裕もないし、離婚することは考えていない。

翠遠は良家の娘であり、妾になることは親がとうてい許さないだろう。翠遠の心は揺れ、涙が目からあふれる。

別れ際に翠遠は電話番号を伝えるが、宗楨はペンを見つけることができない。翠遠は赤鉛筆を持っていたが、もし宗楨が電話番号を書き留められなかったことでそれを忘れてしまうなら、それまでの愛情なのだと考えて、鉛筆を貸さなかった。

電車が動き出し、宗楨は人ごみの中に去っていく。

しかし、翠遠は、電車をおりたと思っていた彼がもともと座っていた離れた席に座っているのを見つけ、彼にとってこの恋がゆきずりのものであったことに気づく。(こういう描写が切ない。)

車窓から見える次々と去って行く光景が、彼女にとって「死んだもの」となっていくのと同様に、この恋も終わったのだ。

…というような内容。

「封鎖」とは、電車の中の状態のことを指すのだろうが、同時に、彼と彼女が

抜け出せないでいる現実の生活のことも指しているのかもしれない。

わずか一時間にも満たないつかのまの恋は、彼らの真情のふれあいだったのか、それともお互いに幻想をなげかけたものだったのか。どちらなんだろう。

そんなことを考えさせるような余韻が、張愛玲の作品にはある。

2026/01/15

来学期の話

 昼に学校で来学期についての会議。

それが終わったら、寺に行ってまず今学期の成績表を事務の法師に渡してから、

日本語科の法師といろいろな話をした。

法師は東北生まれのピリピリした人だったが、しばらくぶりに会ったら、

疲れているのか、年齢のせいかわからないが、ずいぶん性格が丸くなったような気がした。

来いというから行ったのに、いつものようにそれほど用事もなく、ながながと世間話。

今日は一月なのにうらうらと春のような暖かさだった。

そういう日にお寺のような落ち着いた場所にいるのはそれなりにいい気分だった。

帰りに麺を食べてから、パンを買って帰宅。

そのあと、なんとなく動画を見たりしてこんな時間。

ペン習字は午前中にやった。あとはこれからストレッチをするが、本は読むかどうかわからない。

            お寺でこんな馬をもらった。
            午年だから。



2026/01/14

張愛玲『花凋』

 『花凋』。

これは何とも残酷で痛ましい話だった。

鄭家は清朝から続く名家であるが、すっかり没落している。

鄭先生と鄭夫人と4人の娘と3人の息子。いずれも容姿端麗である。

豪華な家に住み、娘たちは外ではみんな良家の令嬢らしくしとやかである。

しかし、家の中は実はめちゃくちゃだ。

鄭先生はろくでなしの道楽者で、金があるときは家庭の外で子どもを作り、ない時は家庭の中で子どもを作る。

鄭夫人は長年の心労で精神が不安定になっている。

家具だって借り集めてきたもので、娘たちがねるベッドでさえ満足にない。

やたらな贅沢をする一方で、子どもたちの成長に必要なお金も工面できない。

こんな家のおとなしい四女である川嫦が主人公である。

この小説は、21歳で死んだ彼女の墓の描写とそこに書かれた文から始まる。

「安らかに眠れ、あなたを愛する人の心の中で。あなたを知る人であなたを愛さない人は一人もいなかった」

しかし、彼女の人生はこんな言葉とはかけ離れたものだったのだ。

おとなしく善良な彼女は、この大家族の中でずっとないがしろにされ続けてきた。

長女、次女、三女が嫁に行ってしまい、次は川嫦の番だが、父は彼女の結婚については何も考えなかった。娘を嫁にやるのもお金がかかるからである。

しかし、長女が留学帰りの若い医者、章雲潘を川嫦に紹介した。雲潘は見た目はぱっとしないが善良な男性だった。

しばらくは家族ぐるみの付き合いが続く。

中秋節になり、鄭家は章雲潘を家での食事に招く。しかし、客の前でも川嫦の両親はかんしゃくをおこし、鄭夫人は章雲潘に愚痴を言い続ける。それを見ていた川嫦は気分が悪くなる。雲潘はそれでも鄭家の人たちを疎ましく思うこともなく、川嫦は雲潘との将来に夢を膨らませる。

その後、川嫦は肺病に罹る。もともと家族にないがしろにされてきた川嫦を気遣うものはなく、彼女は母が着古した服を着て、長いこと入浴もできず、シーツも替えていないベッドに横たわって雲潘の診察を受ける。川嫦はそんな薄汚い姿で雲潘に会うことを恥ずかしいと思う。

しかし、誠実で優しい雲潘は「ぼくはずっと待っているからね」というのだった。

こうして二年が過ぎたが、川嫦の病気は快復しなかった。彼女よりも7~8歳年上の雲潘は家族から早く身を固めるようにと迫られ、別の女性と婚約する。家族がそのことを川嫦に知らせると、川嫦はその相手に会ってみたいと思うのだった。そこで、雲潘は婚約者の女性を伴って見舞いに訪れるが、その女性は太っていて美しくもないくせに、平気で雲潘に文句をいうような女性だった。川嫦はショックを受ける。

雲潘は新しい処方箋を川嫦のために書いたが、父は薬代を惜しみ、母もへそくりをしていたことがばれてしまうのでお金を出そうとしなかった。両親は雲潘に何とかお金を用立てさせようとするが、川嫦は新しい婚約者の手前、雲潘に頼ってはいけないと思う。

川嫦は家族がいない隙に人力車に乗って、自殺のための睡眠薬を買いに行ったが、彼女の手持ちのお金では足りなかったし、購入に必要な処方箋も持っていなかった。彼女は最後に上海の風景を見収めようと思い、レストランで食事をし、映画を見た。

街を行き交う人々はそんな病みやつれた川嫦に同情を示すどころか、まるで怪物か何かを見るような恐ろしそうな眼で見るのだった。

家に帰った川嫦は自分の容姿が醜くなったことを母の前で嘆く。

その後、しばらく天気がよく、彼女にとって気分がよい日が続く。彼女は希望を取り戻した。ある日、母が彼女に新しい靴を買ってきた。川嫦は布団の中から足を伸ばし、その靴を履いてみる。

「この革は丈夫そうだから、きっとニ三年は履けるわね」

しかし、その三週間後に彼女は死んだ。


張愛玲はこういう悲劇を容赦なく描いていくのである。

性格もよく、容姿もよく、恋人との幸せを夢見る少女が、そのささやかな幸せさえ取り上げられて、極限まで朽ち果てていく。

最後に一瞬の夢を見させるところが、さらに不幸の味を際立たせる。

そしてまた、読み終えて『花凋』の冒頭に書かれた川嫦の墓に添えられた綺麗ごとの文の内容に立ち返ってみると、ここまでの我が子の悲惨な人生があったのに、その墓をたてた彼女の両親でさえ、彼女の苦しみや孤独に寄り添おうとしなかったのだということを意味しているような気がする。


昨日、ちょうどおりよく、ある人がわたしに坂口安吾の文を送信してくれた。「救いがないということ自体が救いであり、私はそこに文学のふるさとを見る」と書いてあった。

この坂口安吾の文の意味をどう理解すべきだろうか。それはわたしにもはっきりとはわからない。

でも、まさに張愛玲はそういう作家のようだ。

うそまやかしの甘さなんか書かないのだ。



2026/01/13

張愛玲『年轻的时候』

 昨日読んだ作品。

『年轻的时候』。

主人公は潘汝良という医学生。

彼はいつも本の余白に外国人の横顔の絵を描いている。

彼は自分の家族も含めて俗っぽい中国人は嫌いだった。

あるとき、夜に通っている外国語学校でロシア人の若い女性沁西亚(シンシア?)に出会う。

彼女はなんと彼がいつも描いているその人だった。

汝良と彼女は何度かデートを重ねる。汝良は自分の中のファンタジーの女性像を彼女に重ね合わせるようになり、彼女に求婚する日のことを思い浮かべる。

しかし、ある日、彼女は汝良に「ロシア人男性と結婚することになったから、結婚式に来てね」と告げる。うろたえる汝良。

汝良は沁西亚の結婚式に参列する。彼女の夫は幼馴染のぱっとしない男性だった。沁西亚はぱっとしない結婚式の中で懸命に自分の美しい思い出を作ろうとしているかのように思えた。

その後、彼女は経済的に恵まれない結婚生活をし、病気になる。

汝良が見舞いに行くと彼女は危険な状態を乗り越え、憔悴した様子だった。

その後、彼が本の余白に横顔の絵を描くことはなくなった。

…というストーリー。

若い日の妄想のような恋がラストで終わり、現実に引き戻されたということだろう。

2026/01/12

張愛玲『心経』

 昨日、張愛玲の『心経』を読んだ。

『心経』とは、日本と同じく「般若波羅蜜多心経」の略称だと思うが、

この小説のストーリーと般若波羅蜜多心経にどういう関係があるのかわからない。

とにかく読んだあと、どのように解釈したらよいのか、気持ちをどのように整理したらよいのかわからないようなストーリーだった。

主要な登場人物は5人。

許小寒 主人公の女子大学生 数え年20歳になったところ。

    父を愛しすぎるあまり、いつまでもこどものまま家にいたいと考えている。

小寒の父 40歳に満たない年齢らしい。お金も地位もある男性。

小寒の母 存在感がない女性。小寒も父も母の存在を無視して生活しているように見える。

绫卿         小寒の友人。父を早くに失くし、母との関係も悪い。容姿が小寒に似ている。

海立   モテモテの医学生。小寒に片思いをしている。


小寒にとって、父は最愛の人であり、父の話ばかりしている。

成長した娘に父も恋人に対するような感情を持っているようだが、このような父と娘の関係を続けてはいけないとも思っている。

小寒は海立が自分を愛していることを知っているが、彼女の最愛の人は父なので、自分に容姿が似ている绫卿を海立に引き合わせる。

绫卿は自分の家族に失望しており、とにかく早く誰かと結婚して家を出たいと思っていた。一方、海立も大学卒業後、他の土地で仕事をすることが決まっており、家族に早く身を固めることを期待されていた。そこで、绫卿と海立は婚約する。

故郷を後にする前に海立が小寒を訪ねてくる。そこで、海立の口から、绫卿が海立と別れ、小寒の父の愛人になったことを知る。ショックを受けた小寒は海立の求婚を受け入れる。

その後、父に嫉妬させるために、「海立と婚約した」ことを告げると、父はあっさりと賛成する。さらに絶望する小寒。

父は绫卿と一緒に住む家を探して、家族を捨てて出ていく。

母は「あの人はわたしもあなたも愛していないの。あなたは愛してもいない海立と結婚するのはやめて、しばらく親戚の家に行きなさい。わたしはここであなたを待っているから」と小寒に言う。母と小寒の心が通じ合う。

…という話。気持ち悪いわー。小寒の父って何?

結局、娘に女性としての愛情を感じていたけど、娘にそういう感情を持つのは都合がわるいから、娘に似た若い女性を愛人にしたということ?

一度読んだだけだと、何だかよくわからないことが多すぎたし、『心経』という題名の意味もわからない。でも、もう一度読むのはなんだか気持ちが悪い。

これまで読んだ『金鎖記』や『怨女』や『茉莉香片』などの心をヒリヒリさせるような病んだ人物の物語なら好きなのだけど、こういう病み方は苦手だ。


2026/01/11

張愛玲『六月新娘』『琉璃瓦』

 昨日の午前中は学生の平常成績の表を作った。

午後はぼんやり動画を見て、それから近所へ買い物に。

家に積んである本もあるのに、また本を購入。張愛玲『六月新娘』(ジューンブライド)。

ビニールがかけてあったので書店では中が見られなかったが、家に帰ってみてみると戯曲集だった。

YOUTUBEに映画『六月新娘』があったので、本よりも先にそちらを見てしまった。

ここのところいくつか読んだ張愛玲の作品は陰惨なものが多かったが、これは上流階級の恋愛物語でハッピーエンド。

落ちぶれた実業家汪卓然は娘の丹林とともに船で香港に向かっている。丹林は数日後に香港で婚約者である南洋のゴム王の御曹司董季方と結婚するのだ。

船上で丹林はフィリピン生まれの華僑のALMONDと出会い、ALMONDは丹林を愛するようになる。

そのころ、季方はダンスホールでダンサーの白錦に別れを告げていた。

「これからぼくは結婚するが、きみもいい人を見つけてほしい」と。

そのダンスホールで酔っ払って暴れる男がいた。船員の麦勤である。彼は14年の間、外洋で働き、金をためて香港に帰ってきたのだが、結婚しようと思っていた相手は彼を待っていてはくれなかった。

季方は大金をもっている麦勤が悪人に襲われることを心配して自分の家に連れて帰る。

翌日、季方は麦勤の話を聞き、恋人を失った彼に白錦を紹介しようと思いたつ。そこで、白錦に電話してすぐに季方の家に来るように言い、麦勤を浴室につれていき、身なりを整えるように言う。

そのあと、婚約者丹林が父を伴ってやってくる。汪卓然と季方は外に食事に行き、

部屋には丹林だけが残される。そこへ白錦がやってくる。「婚約者には別の女性がいたのだ」と思ってショックを受ける丹林。白錦も驚いて帰って行く。

その時、身なりを整え終えた麦勤が部屋に戻ってくる。麦勤は丹林をみて、季方が紹介すると言っていた女性だと勘違いする。美しい丹林を見てすっかり気に入った麦勤。二人は酒を飲み、丹林は酔いつぶれる。

そこへ父と季方が帰ってきて、父はホテルに娘を連れて帰る。

翌日、丹林は父と結婚式の衣装を買いに行く。丹林の衣装も父の衣装も代金は大金持ちの季方が支払うのである。さらに、婚約者の父だからということで、季方は見込みのない丹林の父の事業に投資もしている。丹林は「これでは私は金で買われていくようなものではないか」と考え、結婚式直前だというのに婚約破棄を決意する。

麦勤とALMONDは、丹林と結婚するチャンスが自分たちに巡ってきたと考える。

そこで、麦勤とALMONDと季方が順番に丹林とデートをして、彼女の考えを見極めようということになった。

最初に麦勤が丹林と「ローマの休日」ならぬ「香港の休日」を楽しむ。

こうして、一日がすぎたので、この日、デートができたのは麦だけとなった。

麦勤は丹林が愛しているのは季方だけなのだと確信する。夜、丹林は父が待つホテルに帰らず、友人の何小姐の家に泊まる。

翌日が結婚式だというのに、相手に逃げられてしまった季方は白錦に電話して、求婚する。こうして急遽、季方は白錦と結婚することになる。

結婚式当日、客も集まり、白錦が新婦の支度を終えたところに、麦勤がやってきて季方に「丹林が愛しているのは季方だけだ」と告げ、麦勤と白錦は車に乗って、丹林を探しに行く。

そして、やっと丹林を見つけて、式場に連れて帰る。客たちは始まらない結婚式にしびれをきらして好き勝手なうわさ話に花を咲かせていたが、こうしてめでたく季方と丹林は結婚式をあげる。

どうやらこのさわぎで麦勤と白錦はお互いを気に入ったようであり、ALMONDも何小姐と付き合うことになるらしい。こうして三人の男性はみんな伴侶を得てめでたしめでたし。

…という話である。どたばたラブコメディー。映画だけだとよくわからない点があったので、後で原作も読んでみるつもり。

『琉璃瓦』は短編小説。

姚先生には七人の美しい娘がいる。「琉璃瓦」とはこの美しい娘たちのことだ。

姚先生は自分の仕事に利益をもたらしそうな相手を長女の結婚相手に選び、長女に「もし何かあったら自分が責任を取るから」と言って結婚させる。しかし、長女はその後、父を恨んで疎遠になる。

このことを反省した姚先生は、次女の結婚は次女に任せることにする。次女は仕事先の稼ぎのよくない男性を選び、結婚後も姚先生が生活の援助をしなければならなくなった。

このことを反省した姚先生は、三女の結婚相手にはどうしてもよい人を見つけなくてはならないと思う。三女を相手に合わせるために宴会を開いたが、三女はその場にいた別の男性を気に入ってしまい、その人と結婚してしまう。

そこへ、長い間疎遠だった長女が夫に愛人ができたから離婚したいと実家に戻ってきて、

「お父さん、この結婚に何かあったら責任を取るって言ったでしょう?」と姚先生を責めるのだった。

姚先生にはまだ四人の娘がいて、夫人はまた出産しようとしている。今度もきっと女の子だろう。疲れ切った姚先生はもう自分の人生は長くないと思う。

…という話。何だか少し「屋根の上のバイオリン弾き」に似ている。

子どもの結婚は親の思い通りにはならないものなのである。


2026/01/09

新年见面会

 昨日で今学期の最後の授業が終わった。

午後は外国人教師の新年会。いろいろな報告や挨拶があって、記念撮影。

「必ず出席してください」と学校からのメールには書かれていたが、学期末のせいか来ていない人も多かった。そのあと、食堂で餃子を包むパーティがあるということだったが、それには出席せずに帰ってきた。

家に帰ってから何もする気がせず、給料の振り込みをアプリで確認し、日本の口座に送金するだけで、あとは特に何もせずに寝てしまう。

最近は、ペン習字、ストレッチ、読書が夜のroutineだったのだが、どれもやらなかった。

今日も何だかだるい。

2026/01/07

張愛玲『茉莉香片』と今日の仕事

 今日は午前中は大学で4コマ、昼からお寺で2コマ、それから大学に戻って

夜の試験監督。 

最近、いつもお寺の付近は渋滞しているので、場合によってはギリギリに大学に戻ってくることになるかと思ったが、案外余裕で、大学の図書館で本を読んで時間をつぶした。

〇張愛玲『茉莉香片』

「茉莉香片」とは、ジャスミンティーのことだ。略して「香片」ともいう。

そのジャスミン茶のように苦いお話だということから、この小説にこの名が付けられた。

これもまた狂いっぷりが怖い。

 聂伝慶は、女性的で憂鬱な風情の男子大学生である。

 彼は母親を早くなくし、父と継母と一緒に住んでいる。彼の父は伝慶を嫌っており、

時には暴力まで奮う。そのせいで伝慶は難聴ぎみである。

 父が伝慶を嫌っているのは、彼の死んだ母が父を少しも愛さなかったせいである。父は母への憎しみを母亡き後は息子に振り向けたのである。

 あるとき、彼は母が彼の大学の古文教師の言子夜と恋人同士だったことを知る。

 若き日の母と言子夜は家柄が不釣り合いだったために結婚できなかったのだ。言子夜は留学するときに母についてくるように言ったのだが、母には親に反対された結婚をする勇気はなかった。その後、母は伝慶の父と愛情のない結婚をしたのだった。

 伝慶は大学で履修した言子夜の古文の授業に、言の娘である丹朱も出ることを知る。

 丹朱は明るく溌剌とした女子学生で、一人も友人のいない伝慶を気にかけている。

 伝慶は、もし母が言子夜と結婚して自分を生んだのならば、自分は丹朱のように健全に成長して、彼女のように幸せになれたのかもしれないと夢想する。とすると、彼女の今の幸せは本来は伝慶が手にするはずのものだったのであり、彼の幸せを奪ったのは彼女ではないのかと伝慶は考える。

 伝慶は授業中もそのようなことを夢想していたために、あこがれていた言子夜に叱責されてしまう。そのショックから涙をこぼす伝慶を見て、言子夜はますます彼を疎ましく思うのだった。

 年末になり、大学のクリスマスダンスパーティが催される。伝慶はチケットは買ったが、パーティには行かずに夜の山の中をあてもなく歩きまわる。

 大学の近くに来たとき、丹朱を含むクラスメートたちがパーティを終えて帰るところに出会う。丹朱は「伝慶に送ってもらう」と言って、友人たちと別れる。

 丹朱は何か悩みがありそうな伝慶のことを気にかけていた。そんな丹朱に愛憎入り混じった感情を抱く伝慶。しかし、丹朱には伝慶に対する愛情はないことを知る。伝慶は「こんな山の中に二人きりになることがわかっていてついて来るなんて、ぼくが何もできないと見くびっていたからだろう」と言いながら、丹朱に暴力をふるい半死半生の丹朱を山の中に置き去りにして家に逃げ帰る。

丹朱は死ななかった。しかし、また大学の授業が始まれば、伝慶は彼女に会わなければならないだろう。

…というストーリー。この伝慶のモデルは張愛玲の弟だそうだ。張愛玲は李鴻章のひ孫にあたり、人も羨むすばらしい家柄の出身だが、そういう家庭でも幸せとは限らなかったということだろう。

 

 


2026/01/05

張愛玲『金鎖記』とわたしのしょぼい日常

 昨晩『金鎖記』読了。

主人公の狂いっぷりが怖い。

主人公の七巧は油屋の店主の妹だ。

そんな家柄なのに名家に嫁げたのは、彼女の夫が障害者で、他に嫁の来てがなかったからである。

夫は三兄弟だったが、兄の大少爺や弟の三少爺の妻たちは、いずれも良家のお嬢様である。

そんな家に嫁いだ七巧は良家にふさわしい立ち居振る舞いもできず、みんなに見下されているが、ひそかに三少爺と好意を寄せあっていた。

とにもかくにも七巧は一男一女をもうけ、その後、姑と夫が相次いで亡くなり、分家をすることになる。

しかし、その時の財産の分け方は不平等なものであり、七巧は納得ができなかった。

こうした境遇の下で、七巧の性格は歪み、誰も信用しなくなる。

兄や三少爺が訪ねてきても、どうせそれは金目当てなのだし、腹が立つだけだ。

七巧は、その当時、纏足の風習はとうにすたれていたのに、娘に纏足をし、アヘンを吸わせ中毒にしてしまう。また、娘の学校にささいなことで言いがかりを付けに行き、娘はそのために面目を失い、退学を余儀なくされる。その後、婚期を逃しかけていた娘がやっと手にした結婚のチャンスもぶち壊してしまう。

また、息子の妻をいびって病死させ、七巧が息子にあてがった妾も妻が亡くなった後に、自殺に追い込まれる。そして、七巧は誰にも嫌われて死ぬのである。

…という鬱展開。

〇先月の半ばから右の肩や腕が痛かったのだが、気が付いてみたら、あまり痛まなくなっていた。しかし、その代わりに右手が時々じんじんと痺れるようになった。

何かができないほどの痺れではないが、気持ちが悪い。

2019年に頸椎を悪くしたときも、昨年の冬に頸椎や背中が痛くなったときも、いつも痛いのは左側だった。ということは、今度は反対側にヘルニアがでたということだろうか。とにかく何だかわからないので、帰国したら念のために整形外科に行こうと思う。





2026/01/04

家で…

 もう見たい映画もないし、土曜日は一日中、家で張愛玲『金鎖記』を読んだ。

鬱展開すぎて休み休み読む。あと少しなのだが。

『金鎖記』は昨年読んだ『怨女』を改作したもの。

どちらもそれぞれ怖すぎて気味が悪い。

夕方になって近くのスーパーに行って買い物。

例によってこれといって食べたいものがない。

スーパーにはあんなにいろいろなものが売っているのに。

今日は外は曇って寒い。たぶん今日もでかけないと思う。

2026/01/03

映画『尋秦記』と張愛玲『傾城之恋』

 家にいてもしかたないので、また映画を見に行った。

中国ではなぜか犯罪映画が多い。わたしはそういうのは好きではないので、

『尋秦記』を見た。21世紀の香港からタイムマシーンに乗って秦の時代へ行く話。

最初に行った項という男性はそのまま現代に戻らずに二人の妻を娶り、男の子を設ける。

この子が項羽になるらしい。

その20年後にこのタイムマシーンの開発者だった男性も秦の時代へ行き、秦王を殺して自分が皇帝になろうとする。最後には、項と秦王が勝利し、いったんは現代に戻るものの、また秦に戻っていく。

「歴史を改変してはならない」ということがテーマになっているようだが、21世紀から秦に行った人の息子が項羽になるのはいいのだろうか…

また、あとから秦に行った人たちが先に秦に行った項たちから現代にもどるための機器を奪おうとするだが、後から行った人たちのほうがずっと科学技術が進んでいる時代から自分の意志で過去に行ったのに、なぜ現代に戻るための機器を持っていないのだろうかとか。

あまりSFが好きではなく途中で集中できなくなってしまったせいか、よくわからないところがあった。

家に帰ってから張愛玲『傾城之恋』を読了した。

民国時代の上海の良家の六小姐である白流蘇は28歳。離婚して実家に戻ってからすでに7~8年がたっている。ある日、元婚家から元夫が亡くなったという知らせが来る。

実家は没落しているうえに兄たちは流蘇が持ち帰ったお金もすっかり使い尽くしてしまっていた。彼らにとってはすでに流蘇は厄介者だったので、「元婚家に戻って未亡人として食べさせてもらったら」というのである。

そうしているうちに、親戚の徐太太が流蘇の妹の七小姐に縁談をもってくる。流蘇にもついでに縁談をもってくるがろくでもない男である。みんな妹の縁談には熱心だが、流蘇のことなどどうでもいいと思っている。

結局、妹の縁談の相手である英国育ちの范柳原は妹には興味を示さなかった。

その後、徐太太に誘われて流蘇は香港に行くことになる。実は流蘇を気に入った柳原が徐太太に流蘇を連れてくるように頼んだのである。

柳原は流蘇と結婚する気もなく、責任を負うつもりもないのに、別の女性と一緒にいるところを流蘇に見せつけたり、夜中に意味深な電話をかけたりして、流蘇の心をもてあそぶ。

結婚できる見込みもないので、流蘇は一人で上海の実家に帰るが、当然、実家の人たちは冷ややかな目で流蘇を見る。

その後、また柳原から連絡があり、流蘇は香港に行くが、言ってみると柳原は「一年か半年か、香港を留守にするから待っていてくれ」というのである。

流蘇は香港で柳原を待つが、そのうちに戦乱に巻き込まれる。そこに柳原も戻ってきて、その戦乱を乗り越え、廃墟となった香港で協力しあってみずから食事を作り、家を片付ける。

そうしているうちに、本当の愛情が生まれ、柳原と流蘇は正式に結婚する。

柳原にとってはもはや流蘇は「自己人」なので、気の利いた言葉などは言わない。

柳原はそういう言葉は他の女性に言うのである。流蘇は浮かない気分になる。

…というストーリーである。

これを読んで、わたしは柳原という男が好きになれなかった。

実家にも帰れず、他に結婚のあてもなく、こんな恋愛に希望を託すしかない流蘇の心を故意にかき乱そうとしているようにしかみえなかった。この小説の最後に、「彼女の結婚を成就させるために、一つの大都市が傾き、おびただしい数の人々が死に、苦しむことになったのかもしれない」と書かれているが、その割にそうやって得た妻の座もたいして幸せそうでもないというのも張愛玲らしく皮肉っぽい結末だった。

2026/01/01

映画『过家家』

 朝、冷蔵庫に入っていた冷凍ワンタンを食べたら、何も食べるものがなくなってしまったので、イオンモールへ。

お正月のセールをやっていたので、ユニクロで下着を買い、その後、サイゼリアで食事をして、映画を見た。休日といえば、このところいつもいつもこのパターン。

映画はジャッキーチェン主演の『过家家』。「ままごと」という意味だ。

若者不凡は住居・食事付の仕事を見つける。雇い主と一緒にアパートへ行き、そこで大家の男性任じいさん(ジャッキー)に会う。

しかし、任じいさんはアルツハイマーを罹患していて、不凡を自分の息子だと思い込む。

かつて重量挙げの選手だった息子は、山火事で子どもを救助しようとして亡くなったいたのに。

不凡はなりゆきで彼の息子を演じ、任じいさんに重量挙げを仕込まれる。

任じいさんは自分の息子は世界チャンピオンだと言っていたが、不凡と周囲の人たちは本当は息子は二位であり、それが任じいさんの心残りになっていることを知る。

不凡たちは周囲の人々に呼び掛けて不凡が優勝する偽物の世界大会を開催して、任じいさんに見せることにする。このあたりから、現実の記憶と偽物の大会が任じいさんの意識の中で入り混じる。

本当の息子はじいさんの期待に応えられずにじいさんの怒りを買って、去っていったのだ。そのことをじいさんはずっと悔やみ続けてきた。

そうこうするうちにじいさんは死に、残されたビデオを不凡たちは見る。じいさんは一人一人にこれまでの礼を言い、本当の息子ではない不凡が自分への思いやりから息子を演じていたことにも感謝の言葉を伝えた。じいさんは不凡が自分の息子ではないことを知っていたのだ。

…というような内容。(うまくまとめられない)

簡単にいうと、年老いた親が失った子供に向ける切ない愛情の話だ。

それにしても、ジャッキーの年老いた姿がショックだった。映画の中では、アクションっぽいところもあって、実際はまだ元気なのだろうが、老人っぽい演技がそれなりに板についていた。

それから、家に帰って、ぼちぼちまた『傾城の恋』の続きを読んだ。

プレイボーイ范柳原が結婚する気もないのに手練手管を弄して流蘇の気を引こうとするのに鼻白んでしまい、休み休み読んでいる。でも、まあ一両日中には読み終わるだろう。