2026/01/18

張愛玲『鸿鸾禧』

 今日は日曜日。

ちょっと食事しにでかけたり、掃除をしたりした以外にはぼんやりして一日が終わろうとしている。

明日、わたしが担当している授業の試験があり、当分はその採点にかかりきりになるので本も読めなくなるかもしれない。

『鸿鸾禧』。

邱玉清は没落した名家の娘であり、成金銀行家の息子である娄大陸と結婚が決まっている。

玉清と娄家の二人の娘はつれだって結婚式で着る衣装を買いに行く。

娄家の二人の娘は、玉清のことを痩せすぎているとか、老けているから年齢をごまかしているのだろうとか、自分のためにお金をつかいすぎるなどと言いたいように言っている。実は玉清は美しく上品な女性なのに。この二人の娘は、没落したとはいえ名家の娘らしい気品を持つ玉清に劣等感をもつがゆえに彼女を嘲笑せずにはいられないのだ。

邱家が用意してくれたお金を玉清は自分の着るものに惜しげもなく使う。結婚してしまったら、こんな贅沢はもうできないだろうから。娄家の娘はそのお金は本来結婚した後の調度品などに使うべきなのに、そうしないのは婚家の負担を増やすことになると言って腹を立てる。

家では大陸の母の娄夫人が新婦が履く靴を作っている。他にすべきことはたくさんあり、靴なんか買えばいいのにと他の家族はいうが、娄夫人は頑固に靴を作りつづける。

父の娄先生は留学経験もお金も地位も品もある男性である。

それにひきかえ娄夫人ときたら、美しくもなく、頭も悪く、頑固でかんしゃくばかり起こしている。それでも娄先生は娄夫人に対して腹を立てることもなく、耐えている。他の人たちはみななぜあんなすばらしい男性があんなつまらない女性を妻にしたのだろうと不思議に思っている。

しかし、実は娄先生の態度は他人の前でだけよいのであり、家の中ではいつも子どもたちとともに夫人のいたらない点を見つけては見下している。つまり、家の中で夫人を尊重している人は誰もいないのである。

娄先生は息子の嫁の玉清の聡明さに感嘆してみせる。でも、これは暗に娄夫人の愚かさをあてこすっているのだ。

結婚式がとりおこなわれ、そこでさまざまな人間模様が繰り広げられる。

こうして、玉清の生き生きとした人生も結婚とともに終わりを告げたのである。

…というような内容である。

つまり、邱家と娄家の結婚式の準備とその当日の様子を描いた小説である。

物語の至る所にどんなごまかしも見抜くような辛辣な張愛玲の目が光っている。

しかし、読んでも何が言いたいのか、わかったようなわからないような気がするストーリーなので、ネットにあがっている解説をいくつか読んでみた。

すると、この物語の解釈のカギは『鸿鸾禧』という題名にあるのだということがわかった。これはこの小説が書かれた当時、人口に膾炙していた豫劇の題名であり、

その内容は簡単に言えば、糟糠の妻を川に突き落として殺そうとした男の話らしい。

この物語を娄夫妻に重ね合わせて理解することで、若い頃、貧しかった娄先生を娄夫人が支えたにもかかわらず、娄先生が功成りとげた後に、妻が自分に釣り合わなくなったと感じ、見下しつつも、外に対しては思いやりのある夫としてふるまっていることがわかるのだそうだ。そして、子どもたちも、母の支えがなければこの家の今の豊かさもなかったのに、この家の歴史を知らないがために、父の側につき母を見下している。

『鸿鸾禧』という題名に隠された張愛玲の意図が理解できれば、この小説の残酷さを読み取ることができるが、もしそうでなければ、娄家の子どもたちのように、紳士的な夫と不釣り合いな妻のような表面しか見えないというわけらしい。

さすが、張愛玲、手が込んでいますね。

1 件のコメント:

  1. こわっ! 結婚すると皆、年とって容姿は衰え、世間知らずのヒステリーばばあになり、夫や子どもたちに疎まれるのでしょうか?

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