『花凋』。
これは何とも残酷で痛ましい話だった。
鄭家は清朝から続く名家であるが、すっかり没落している。
鄭先生と鄭夫人と4人の娘と3人の息子。いずれも容姿端麗である。
豪華な家に住み、娘たちは外ではみんな良家の令嬢らしくしとやかである。
しかし、家の中は実はめちゃくちゃだ。
鄭先生はろくでなしの道楽者で、金があるときは家庭の外で子どもを作り、ない時は家庭の中で子どもを作る。
鄭夫人は長年の心労で精神が不安定になっている。
家具だって借り集めてきたもので、娘たちがねるベッドでさえ満足にない。
やたらな贅沢をする一方で、子どもたちの成長に必要なお金も工面できない。
こんな家のおとなしい四女である川嫦が主人公である。
この小説は、21歳で死んだ彼女の墓の描写とそこに書かれた文から始まる。
「安らかに眠れ、あなたを愛する人の心の中で。あなたを知る人であなたを愛さない人は一人もいなかった」
しかし、彼女の人生はこんな言葉とはかけ離れたものだったのだ。
おとなしく善良な彼女は、この大家族の中でずっとないがしろにされ続けてきた。
長女、次女、三女が嫁に行ってしまい、次は川嫦の番だが、父は彼女の結婚については何も考えなかった。娘を嫁にやるのもお金がかかるからである。
しかし、長女が留学帰りの若い医者、章雲潘を川嫦に紹介した。雲潘は見た目はぱっとしないが善良な男性だった。
しばらくは家族ぐるみの付き合いが続く。
中秋節になり、鄭家は章雲潘を家での食事に招く。しかし、客の前でも川嫦の両親はかんしゃくをおこし、鄭夫人は章雲潘に愚痴を言い続ける。それを見ていた川嫦は気分が悪くなる。雲潘はそれでも鄭家の人たちを疎ましく思うこともなく、川嫦は雲潘との将来に夢を膨らませる。
その後、川嫦は肺病に罹る。もともと家族にないがしろにされてきた川嫦を気遣うものはなく、彼女は母が着古した服を着て、長いこと入浴もできず、シーツも替えていないベッドに横たわって雲潘の診察を受ける。川嫦はそんな薄汚い姿で雲潘に会うことを恥ずかしいと思う。
しかし、誠実で優しい雲潘は「ぼくはずっと待っているからね」というのだった。
こうして二年が過ぎたが、川嫦の病気は快復しなかった。彼女よりも7~8歳年上の雲潘は家族から早く身を固めるようにと迫られ、別の女性と婚約する。家族がそのことを川嫦に知らせると、川嫦はその相手に会ってみたいと思うのだった。そこで、雲潘は婚約者の女性を伴って見舞いに訪れるが、その女性は太っていて美しくもないくせに、平気で雲潘に文句をいうような女性だった。川嫦はショックを受ける。
雲潘は新しい処方箋を川嫦のために書いたが、父は薬代を惜しみ、母もへそくりをしていたことがばれてしまうのでお金を出そうとしなかった。両親は雲潘に何とかお金を用立てさせようとするが、川嫦は新しい婚約者の手前、雲潘に頼ってはいけないと思う。
川嫦は家族がいない隙に人力車に乗って、自殺のための睡眠薬を買いに行ったが、彼女の手持ちのお金では足りなかったし、購入に必要な処方箋も持っていなかった。彼女は最後に上海の風景を見収めようと思い、レストランで食事をし、映画を見た。
街を行き交う人々はそんな病みやつれた川嫦に同情を示すどころか、まるで怪物か何かを見るような恐ろしそうな眼で見るのだった。
家に帰った川嫦は自分の容姿が醜くなったことを母の前で嘆く。
その後、しばらく天気がよく、彼女にとって気分がよい日が続く。彼女は希望を取り戻した。ある日、母が彼女に新しい靴を買ってきた。川嫦は布団の中から足を伸ばし、その靴を履いてみる。
「この革は丈夫そうだから、きっとニ三年は履けるわね」
しかし、その三週間後に彼女は死んだ。
張愛玲はこういう悲劇を容赦なく描いていくのである。
性格もよく、容姿もよく、恋人との幸せを夢見る少女が、そのささやかな幸せさえ取り上げられて、極限まで朽ち果てていく。
最後に一瞬の夢を見させるところが、さらに不幸の味を際立たせる。
そしてまた、読み終えて『花凋』の冒頭に書かれた川嫦の墓に添えられた綺麗ごとの文の内容に立ち返ってみると、ここまでの我が子の悲惨な人生があったのに、その墓をたてた彼女の両親でさえ、彼女の苦しみや孤独に寄り添おうとしなかったのだということを意味しているような気がする。
昨日、ちょうどおりよく、ある人がわたしに坂口安吾の文を送信してくれた。「救いがないということ自体が救いであり、私はそこに文学のふるさとを見る」と書いてあった。
この坂口安吾の文の意味をどう理解すべきだろうか。それはわたしにもはっきりとはわからない。
でも、まさに張愛玲はそういう作家のようだ。
うそまやかしの甘さなんか書かないのだ。
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