2025/12/31

大晦日

 大晦日だが、特に特別なこともしない。

午前中は通常の授業。でも、早めに帰る人が多いようで、わたしが学生のノートを採点して帰宅しようとしたときには日本語学科の先生はもう誰もいなかった。

明日から4日間休み。でも、金曜日はもともと休みなので正月休みは実質一日だけ。

帰りにブックセンターによって、張愛玲の『伝奇』を購入。

最近次々と本を買っては、途中までしか読まずに放りだしているのにまた買ってしまった。

家に帰って読みかけの『白鹿原』を放り出して『伝奇』の中の『傾城之恋』を読みだしてしまう。『白鹿原』はなんだかえげつない内容ばかりなので、少しいやけがさしてしまったし。

しかし、『傾城之恋』だって女性たちの皮肉や悪態がこれまたすごいのだ。でも、汚い内容などは出てこない。

書店でこの本を買う時に蘇童の新作がでているのをみつけた。それも買いたかったが、とにかくいま積んである本を少しでも読んでから買うことにした。


というわけで、何ということもなく今年も終わろうとしている。

明日は元日だが、今年母が亡くなったので、わたしは正月を祝わない。

しかし、みなさま、来る年もまたここでお付き合いお願いします。

2025/12/29

カポーティ『ティファニーで朝食を』 

 日曜日は食事と買い物のためにでかけていった。

地下鉄の中で『ティファニーで朝食を』を読む。

『クリスマスの思い出』を読むためにこの本を買ったので、なんとなく。

むかし読んだことがあるのに、あまり覚えていなかった。

これも「お金に困らない生活」をしている女子の話。

若くて何も分からない14歳の頃に田舎で父のような年齢の男性と結婚してしまったホリー。

そこから都会へと逃げ出して多くの男性と曖昧な関係をもち「お金に困らない生活」を始める。たとえばトイレに行くといって50ドルもらい、タクシーに乗るといってまたお金をもらう。

そういう生活を送るうちに麻薬組織の連絡係をしたという嫌疑で逮捕され、その後、ブラジルへ密出国し、音信が途絶える。いまはアフリカで相変わらずの生活をしているらしい。

大人から見ればケシカラン生活を送っている奔放だが純粋な女性。…みたいな感じでしょうか。なんとなく『ライ麦畑でつかまえて』の少年と似ていると思うのは、わたしの理解がたりないのかもしれないが。

それと同じ本に収録されている『ダイヤモンドのギター』も読んだ。

こちらのほうもたぶん高校生くらいの時に読んだのだが、内容は覚えていた。

99年の刑期で刑務所に入れられていた初老の男ミスター・シェーファーは、ある時、刑務所にやってきた若い金髪碧眼の甘ったるい風貌の嘘つき男ティコにたぶらかされて、ともに脱走を図る。ティコはもともとシェーファーが自分について脱走できるとは思っていなかったのに。

冷静沈着で老成したシェーファーがティコのような信用ならない男にたぶらかされたのは、胸の中深くに押し込めてきたもう見ることのない外の広い世界へのあこがれがかきたてられてしまったからだろうなと思ったら切なかった。

この二作品を読んでから、陳忠実『白鹿原』を少しずつ読み始めた。

主人公の嘉轩が結婚した四人の女性はなぜか次々と死んでしまう。

次いで父も病気で亡くなり、嘉轩はしばらくしてから次の結婚しようと考えていた。

しかし、母が早く結婚して跡取りをもうけてほしいというので、五人目の妻を迎えるが、これもほどなく死んでしまう。

…というところまで読んだ。

『沉重的翅膀』は4割くらい読んで挫折。

最初のほうで意味ありげに描かれていた女性記者とその養子は、小説の中で姿を消してから一向に再登場しない。かわいそうな美容師の女性も最初のほうにでてきたきりで、一向に再登場しない。あの人たちは何だったのか。結局、たくさんの登場人物がどういう役割で出てくるのかわからなくなって、読む気がしなくなってしまった。

いつかそのうち読むかも…。いや、もう読まないだろう。

2025/12/28

日本語劇コンテスト

 昨日はうちの大学と他のもう一つの大学が主催するコンテストを見に行った。

これも昨年に比べると参加大学が激減している。

そこそこおもしろく見たが、こういうものはスピーチコンテストなどと違って学校がどれくらい支援してくれるかが大きくできばえに反映されていて、あまり支援がない学校のチームは少しかわいそうだと思う。

それにしても、主催大学の顔をたてるためか、主催大学(わたしのいる大学ではないほう)の作品がたいしてよくなかったのに特等賞の一つに選ばれていたのには納得がいかなかった。別の大学のある作品のほうがいいとわたしも思ったし、隣に座ってみていた先生もそう言っていた。こういうことをしていると、参加大学の減少に拍車をかけることになってしまうのではないかと思った。

夜は家でトルーマン・カポーティの『クリスマスの思い出』を思い出してkindleで買って読んだ。

もうクリスマスは過ぎているけれども。そとで騒ぐよりも、こういう本をひとりで読むほうが好き。

恵まれない質素な人生だったけれど、子どものように純真な自分の世界で生きてきた老いた従姉。いつまでも主人公の心に残る彼女とすごした最後のクリスマスの思い出の話。

2025/12/27

ナンシー関『信仰の現場』と枇杷 かな子『今日もまだお母さんに会いたい』

 昨日、この二冊をkindleで購入。

ナンシー関の本のほうは、今日学校に行って日本人の同僚の先生がおもしろいと言っていたので、購入。

たしかにナンシー関はおもしろい。登場する過去の風景や物がなつかしい。

それはそうだ。だって、彼女はもうとうの昔になくなったんだもの。

でも、彼女は東京で成功し、ずっと一人で家族とも離れて生活してきた人であるせいか、

なんとなく市井の人の日常生活のすったもんだを冷めた目で上から眺めているような気がした部分もあった。

それと『今日もまだお母さんに会いたい』。

母が亡くなってから、この手の本(漫画)を見かけるとつい買ってしまう。

そして、ふーんという感じで読む。

なぜかというと、なぜわたしは母が亡くなったのにぼんやりとした感情しかもてないんだろうということが今もわたしの心の中で大きな疑問になっているから。

わたしだって、漫画の中と同じような母子のふれあいがあったと思うのに。


2025/12/26

『ビー・ジーズ栄光の軌跡』

 今日は昼すぎに帰宅したのに、疲れてそのまま長い昼寝。

そのあと、『ビー・ジーズ栄光の軌跡』という映画をプライムでみた。

最近、YOUTUBEで彼らのまだ子どものころのかわいい動画を見て、すっかり気に入って、このところ毎日見ていた。それで思い出して、この映画を見てみたのだった。あんなに成功しても、試練や悲しみが付きまとう人生だったのだ。才能があるがゆえの兄弟間の不和。成功したがゆえの迫害。幸せだけの人生なんてないものらしい。

そのあと、少し字を練習したが、今日はまだ読書はしていない。

『沉重的翅膀』…。もうやめちゃう?

2025/12/24

読み進められない本『沉重的翅膀』

 今日はクリスマスイブだが、今年は学校から学生に「中国には優秀な伝統文化があるのだから、クリスマスに関する活動は厳禁」というお触れが出て、学校では小雨が降るのに中国の無形文化遺産に関するイベントをやっている。無形文化遺産は中国語では「非物质文化遗产」、略して「非遺」という。最近、この「非遺」という言葉は流行しているらしく、土産物屋や小籠包の店の看板など、なんでもかんでもに「非遺」と書かれている。

それにしても、クリスマスイベント禁止とは、まったく狭量になったものだ。中国の「非遺」のイベントをやるのと同時に、学生が少しクリスマス気分を味わったからって、それが「優秀な中国伝統文化の継承」に何か影響するのだろうか。

わたしがこの学校に来た頃には、外国人の先生のために学校がクリスマスのポットラックパーティをやったり、教員アパートにサンタクロースの飾りをつけたりしていたが、そういうこともできない雰囲気になった。同僚の日本人の先生は「戦中の日本みたい」と言っていたが、そういう感じである。だんだん中国も息苦しいところになってきた。

〇最近『沉重的翅膀』という本を少しずつ読んでいる。これも『平凡的世界』と同じく「茅盾文学賞」受賞作。以前、ブログつながりだった人がブログで「熱中した」と書いていたので購入したのだが、わたしには合わないのかなかなか読み進められない。

文革後の工場改革の話。硬直した古い制度にしがみつく抵抗勢力に、意欲に燃える改革派が挑む。そのころの政治的な状況は当時の人にとっては「あるある」だったのかもしれないけれど、わたしにとっては何がなんだかよくわからない部分も多い。

それに、ストーリーにどういう関係があるのかわからない人物が入れ代わり立ち代わりバラバラと現れ、読み進めるうちに主なストーリーとのかかわりが次第に明らかになるという書き方だというのも、しんどい。この人はいったいどういう人?と思って読んでいると、いきなりまた新しい人物が現れて、その人の話になり、前に登場した人が再登場した時には、「あれ、この人なんだっけ?」という感じ。

ネットで調べると、いまはあまり読まれていないようだ。なぜあのブログの人はこれに熱中したんだろう。

そうこうするうちに3分の一くらい読んだ。このあと、止めるか読み続けるかまだわからない。


2025/12/22

练字

 万年筆を買ったが、わたしはほとんど字を書かない生活をしているので、

使い道があまりない。学生のノートを直す時には赤ボールペンを使っているし。

そこで、硬筆の練習本を買った。毎日、一文を書くことになっているのだが、

一日分が多いので、気が向いたらやりたいだけ書くことにした。

書き始めてみると、わたしの万年筆が重いせいか、すぐに疲れてしまう。

それに薄く印刷してある字をなぞるだけなのだが、それが案外難しい。

ペン先や自分の頭が影になってよく見えないから。

いつまで続くかわからないけれど、安かったから、気軽にやって飽きたらやめればいいと思っている。

2025/12/21

『得閑謹製』

 今日は映画を見てきた。『得閑謹製』。女の子に人気の肖戦主演の抗日映画。

1937年に南京が陥落して、首都が重慶に移る。

青年得閑は祖父とともに船で南京を脱出する。宜昌で下船して、船上で知り合った娘と結婚して男児を設ける。

しかし、そこにも戦火が迫り、得閑は妻子と祖父をつれて町を出る。

途中で廃墟となった村をみつけて、そこに大砲をもった十数名の防空軍とともに定住することにする。

数年後、そこに三人の日本兵がやってくる。彼らは村のありかをつきとめ、後から来る大軍にそれを知らせるためにやってきたのだ。なんとか二人を殺すが、逃した一人が大軍を手引きして戻ってくる。

ここから、てんやわんやの死闘が始まる。防空軍や村人は大半が戦死してしまうが、日本軍はやっつけた。

その中で得閑と妻子と祖父はからくも生き残る。

…という話。

『得閑謹製』というのは、得閑が日本兵に命じられて作った旗竿に書いた言葉だ。日本兵はその旗竿を使って旗を揚げることで、後から来る大軍に村のありかを教えようとしたのだ。

防空軍はなんだか頼りないし、日本兵もなんだか変で、少し喜劇調だが、最後の死闘は酸鼻を極める。しかし、砲弾や銃弾が飛び交う中で、好き勝手に動き回る祖父や幼児の息子が生き残るのはご都合主義で現実感がない。

あまり悲惨な映画にすると、肖戦めあての若い女の子たちが見に来なくなるからだろうか。

最後に流れるのは「恭喜恭喜恭喜你呀」という春節などに聞く歌で、調べてみたら、これは抗日戦争勝利を祝う歌らしい。


恭喜恭喜—Congratulations(中華民國抗日戰爭勝利歌曲)



2025/12/20

年末の楽しみと悲しみ

 怪我で休んだ同僚の代講が週二コマあり、お寺の授業も再開したので、

今週も忙しい。

昨日の午後、その代講があった。

一年生の授業で、前のほうに積極的に話したい男子が何人も座っていて、楽しかった。

ふだんのわたしの授業は三年生ばかりで、それまでにすっかり落ちこぼれてやる気がない学生も多い。

一年生の授業でも後ろのほうに枯れたように座っている学生もいて、そういう子たちを無視して授業をするわけにもいかないし、そこが工夫のしどころだ。

それでもとにかく、代講1回目はまあまあ順調に終わった。

夜は学校の中の小さい講堂で、学科の先生と学生の年末恒例カラオケ大会(任意出場)。

それもまあまあもりあがって、わたしも歌ったのだけれど、そこでショックなことを聞いた。

以前にここにも書いたが、わたしにドラゴンのスタンプをくれた学生。

もう卒業しているが、わたしは彼女にこの夏から秋にかけて二度、地下鉄の中で会った。

むこうからわたしをみつけて声をかけてきたのだが、一度目は少し元気がなく、「仕事を探しているところ」だと言っていた。二度目に会った時には「仕事が見つかった」と。

「よかった。がんばってね」とわたしは言い、それから、いまの学校の様子などを話して、握手して別れた。

彼女がいつも会いたいと言っていた中国人のA先生にカラオケ大会で会った。

A先生は彼女の在学中に担任だった人だ。東北人によくいるような懐が深く、心が熱い人。

「彼女に最近会ったのですが、A先生に会いたいって言ってましたよ」と話したら、

A先生はさっと顔を曇らせて、微信での彼女とのやりとりを見せてくれた。

最近決まった仕事をすぐやめたこと。二度自殺未遂をして入院したこと。

両親とは疎遠なこと…。

そして、最近はA先生とも連絡を絶ってしまったのだと。

もう卒業してしまった子だし、何もわたしたちにはできない。

そんな会話をした後、カラオケ大会が始まり、わたしもなんとなくその雰囲気の中で楽しんで帰ってきた。夜、遅くに帰宅して、ろくな食事もせずに就寝。

朝、重苦しい気持ちで目を覚ました。

地下鉄の中で最後に握り合った手を思い出しながら。

いまの中国は、日本の就職氷河期と同じような環境になった。彼女が降りていった地下鉄の外は、彼女にとっては氷まじりの風が吹きつけるような場所だったのかもしれない。



2025/12/14

ドラマ『平凡的世界』ざっとみた

寝ても寝ても眠い。

半分眠りながら、とばしとばしドラマを最後までみた。

やはりドラマは大筋では小説のストーリーを追っているが、かなり違う趣のものとなっていて、原作にはないエピソードも多い。

〇ネットでかなり前から話題になっている「みいちゃんと山田さん」という漫画をアマゾンで読んでみた。一冊目だけが無料で読める。一冊目だけでも胸糞わるかったのだが、「おもしろい」というレビューも多い。なぜ、そんな感想になるんだろう。境界知能の女の子がいいように食い物にされていく話にしか思えないのだが。本人が自分がおかれている境遇や自分の能力をまったく理解できていないところも、読んでいて胸が痛くなる。二冊目は読まないと思う。

 

2025/12/13

ロバ

 やっと大学の评估が終わった。

それで中国人の先生たちはお互いにお祝いを言い合ったりしているようだが、わたしはこの間のさまざまなできごとで、すっかり気分が憂鬱になり、不信感が増した。

「平凡的世界」でも、無意味な政策に振り回される悲喜劇が描かれているが、まさにそれと同根のことが起こった。

 中国人の先生の中には、こういうことに積極的に力を注いで、自分の出世など狙う人もいるし、こっそり手を抜いている人もいるし、いいように仕事を押し付けられて不機嫌そうな人もいる。

ある中国人の先生が「自分は牛馬どころか、ロバみたいなものだ」と言っていたが、

わたしたち外国人教師こそ「ロバ」である。中国人の先生たちはここで頑張れば、将来「当官」の道も開けるだろうが、わたしたちには何もない。何か成果を出しても、手柄は何もしない中国人の先生の名前で発表される。

そういうことを思えば、同じようなことを要請されても、同じようにがんばる意味はないのかもしれない。

でも、そういう立場で割り切って脱力して日々の仕事をやりすごすのもむなしいものだ。

ストレスが多い日々を過ごしたせいか、やっと一日家にいられるようになった今日は、わたしには珍しく頭が痛くて一日寝ていた。背中も痛い。

来週からは代講もあり、長く休んでいた仏学院の授業も再開する。いまのうちにしっかり寝ておくぐらいしてもいいでしょう。

2025/12/09

心が折れる

 最近、心が折れるようなことがあり、

そこへ他の人の心が折れるような話も続けて聞いて、

さらに自分の心もまた折れるという…。


〇上記の話題とはかかわりのないことだが、

最近、大学でもAIの活用ばかりがとりざたされる。

社会のいたるところでAIが使われるようになったら、わたしがいる大学の学生のような中途半端な能力しかない子たちにはできる仕事がなくなるのではないだろうか。

また、みんなが気軽に使う生成AIによって膨大な電力需要が生じ、これは原発頼みなのだという。

このAIの発展が将来、人類の破滅につながることになるかもしれないと思うと、

本当に怖い。


2025/12/07

買ってみた

 先日、学校でも中国人の先生となんとなく万年筆の話になった。

こういうものにこだわりのある人は存外おおいらしく、ちょっとしたサインをするときなどに

ボールペンではなく、万年筆を取り出すひとをよく見かける。

他人の手元にあるものは、高価なものなのか、廉価なものなのか、よくわからないが、とにかく意外と多い。

その中国人の先生は「万年筆は自分になじんでくるところがいいですよ」と言う。

そこでわたしもタオバオを覗いてみた。

モンブランは高級品。特に昨今は金が高価なせいか、金のペン先がついているものは、

何のブランドでも高い。

下は、10元以下でもある。学生がペン字の練習に使うものらしい。

中国に昔からある「英雄牌」のもある。以前、会社勤めをしていた時に、

中国人のお客から「英雄牌」のペンをもらったことがあったが、なにしろバブルの頃である。中国のブランドの万年筆は使うこともなく、そのままどこかへなくしてしまった。

ネットで見ると、英雄牌はよいものと悪いものの当たり外れがあるらしい。

最近は家電でも日用品でも中国の有名ブランドの品質もそこそこよくなったから、意外と品質がいいのかもしれない。

そこでとりあえず日本円にして5000円くらいのを買ってみた。金のペン先のものは高いのでとりあえずステンレス製のペン先のものを。

今日それがとどいて、インクを入れてみた。試し書きをしてみたが、書き味がいいとも思わなかったし、悪いとも思わなかった。しばらく使ってみて、興味がわいたら、他のブランドかまた英雄牌でもう少しいいのを買ってみようかなと思った。

              厚手の立派な箱に入っている。
              贈答用の手提げ袋もついてきた。
              もったいないけれど、とっておいてもしかたないので、
              箱は廃棄。


2025/12/05

相続

 こんな動画を見つけた。

遺産相続で「他人」になった兄弟たち。 60代・70代が直面する「争族」の現実【シニア朗読雑学】

わたしは親の介護もしなかったし、相続でもめたりもしなかった。

それに、兄はこの動画の兄に比べると、見た目は上品そうに見える。

でも、いろいろな面で似ている。

母の考え方。「仲良くしてください」という遺言の言葉(「あ、出た、この言葉」と思い笑ってしまった)。

跡取り息子に跡取りがいないところ。

兄には二人こども(成人済み)がいる。二人とも音信不通。

T大卒とK大卒の優秀な子どもたちが、それぞれの判断で連絡をたったのだ。

むりからぬ理由があったのだろう。

この二人は父(この子たちからみたら祖父)の葬式にも母(同じく祖母)の葬式にも来なかった。一人の子は葬儀会場のすぐ近くの役所で働いているのにである。たぶん結婚していなければ住んでいるところも目と鼻の先である。

それなのに、母はこの子たちがそのうち実家の墓守をするとでも思っていたのだろうか。



傷心

 ドラマの潤葉の傷心を他人ごとのように見ていたが、

この数日、わたし自身が傷心の人となってしまった。

他人を恨まないで、自分の人生を淡々と生きていきたいけれど、黒い気持ちがわいてくる。

こんなに他の人のためによかれと思って、物分かりよく何もかも譲ってきたのに、

そうするうちに何も尊重しなくてもいい人間だと思われたらしい。

譲られた側はこちらがどんなに心を削る思いをして譲ってきたかも考えずに、

次も譲られて当然だと思う。

人間関係とはそういうものだ。わかっていたが、またそういうことに。


2025/12/04

だんだんおかしな展開に

 昨日もドラマ『平凡的世界』を見た。

原作では、少安が結婚する日、恋人だった潤葉はお祝いの品を弟の少平にわたしてひっそりと帰っていく。

しかし、このドラマでは、潤葉は少安の結婚の日に、新婦の目の前で少安に「私は叔父の政治的立場をよくするために幹部の息子と結婚するが、あなたが忘れられない」というのである。

すると、少安は「自分が愛しているのは新婦の秀蓮だけだ。君は妹のような存在なんだ」という。

すると、さらに新婦の秀蓮が勝ち誇った表情で潤葉に「あなたは少安と結婚したかったんでしょう?今日だけ少安と手をつながせてあげる」と言って、むりやり少安と潤葉に手をつながせようとするのである。

なんだこれは。この二人の女性はどういうつもりでこんなことを言っているんだろう。


ドラマの脚本家はいったい何を考えてこんな改変をしたのか、まったく理解できない。

2025/12/03

ドラマ「平凡的世界」

 6話以降を見た。

ストーリーの大筋は同じだが、やはりドラマとしての改変がなされていて、原作とはかなり違う趣になっている。

YOUTUBEのコメント欄にも書かれていたが、登場人物のイメージが台無しになってしまっている。

少安や田福軍などは原作だと高潔な人物なのに、ドラマだと、少安は何かとがなり立てる粗野な田舎のアニキ風、福軍は自分の政治的立場のために潤葉と結婚したいという少安を振り払い、その後、少安が結婚する時にそのお詫びとして金を渡す小人物になっている。潤葉の父も「どん底の農民のくせに我が娘と結婚したいとごねる」少安を陥れ、少安は走資派として批判を受けることになる。原作の少安は、「村の指導者の娘でもあり、教師をしている潤葉が自分のような身分違いの貧乏な農民と結婚して苦労をするようになってはいけない」とひっそりと身を引いて別の女性と結婚するのだが。

なんだか実に低俗な人間模様が描かれた話になってしまっている。

これはこれでおもしろいので、別の作品として最後まで見てみようと思う。

2025/12/02

ドラマ『平凡的世界』

 『人世間』と『長恨歌』の最初のほうを読みかけたが、結局、それは後回しにすることにして、『平凡的世界』のドラマを見始めてしまった。

これも長い。56話もある。一か月くらいかかりそう。

5話まで見たところ、だいたいのストーリーは同じだが、ドラマには原作にはないエピソードがいくつも織り込まれている。たとえば、少平が学校で食べ物を盗んだと疑われたり、潤葉と李向前の結婚を既成事実化するために潤葉の両親が喜糖をくばったり。

そのほか、極貧の少平が学校で小ぎれいな服を着ていたりして、何となくリアリティがない感じもした。原作だと、高級中学時代の少平はズボンの下に下着のパンツも履けないほど貧しいことになっている。それに同じく貧しくてコーリャンの黑面馍しか食べられない元地主の娘もドラマでは赤いチェックのブラウスを着ていて、イメージとは違う。

ここから先はどのようになるのだろう。まだ先は長い。


〇それにしても、少しだけ読んだ『人世間』にも言えることだが、『平凡的世界』に描かれているようにいつ取るに足らないことが「政治問題」にでっち上げられて批判されてしまうかわからない社会は恐ろしい。

最近、ややもすると中国の大学もそんなところになってしまいそうな気がしてきた。