2024/09/23

「野孩子」

 日曜日はまたショッピングセンターで買い物と映画。

「野孩子」という映画を見た。内容は「富都青年」と似ている。

中国社会の底辺で生きる血のつながりのない兄弟の話。この映画の場合、弟はまだ幼い子供だ。兄は親に捨てられ、弟は祖母と祖父はいるが、祖母は病気で寝たきり、祖父は子どもの面倒をみない。そのうち、この二人は行動を共にするようになる。兄は生きるために悪事に手を染めながらも、弟をまっとうな道に進ませようとする。その結果、弟は最後には保護されてきちんと学校に通うようになるが、兄は収監される。

…という話。

そして、今日の午前中は授業。一クラスの人数が多くなってぜんぜん顔が覚えられない。昨年のクラスは三クラスとも全く反応がなくて授業がしにくかったが、今年は昨年よりは少しはマシなような気がする。しかし、日本の凋落とともに、日本語学習の熱意もなくなって授業の活気も失われたような気がする。

語学学習はもうすでに不要のものと思われているようでもあるし、中国は日本人にとって住みにくい場所になってきたし、この仕事もそろそろ潮時かもしれない。

2024/09/21

「富都青年」

 もらった月餅をぼちぼち食べている。

いただきものなので、けなしてはいけないが、毎年食べてもう飽きた。


              このように立派な包装
              8つ入りだが、いくつか食べた


                中身はこんなふうに素朴なもの
                皮の部分も餡もパサパサしている

日本で売っている月餅はたいてい広東風でこれとは違う種類の月餅だと思う。
このお寺から毎年もらう月餅は江南地方の月餅。

今日は買い物に行って、また映画を見てきた。
「富都青年」。マレーシアを舞台とする血のつながらない中国人の兄弟の物語。
二人とも事情により、マレーシアの身分証明書をもっていないため、合法的に仕事につくことも銀行口座を作ることもできず、社会の底辺で危ない橋をわたりながら生活をしている。ある人権団体の女性スタッフが彼らが正式な身分証明書を取得できるように奔走し、弟のほうの父親を見つけ出した。父親のサポートがあれば身分証明書がとれるのだという。しかし、弟は自分を捨てた父へのわだかまりからその申し出を拒否し、そのいざこざの中で女性を殺してしまう。
 兄弟は逃亡するが、兄のほうは途中で引き返して警察に出頭し、弟の罪をかぶって死刑になる。
(もしかすると兄が最後に女性の息の根を止めたのかもしれないが、それが現実だったのか夢だったのかは映画を見る限りではわからない。)

…という悲惨なストーリーの映画だった。見たら少し鬱っぽくなった。
このところ、気持ちが沈むニュースばかりでそれでなくても鬱っぽい気分だったので、見なければよかった。

2024/09/20

開学季

 お寺の授業が木曜日から始まり、私が勤めている大学の授業が今日から始まった。

木曜日は午後から大学の入学式もあったので、大雨の中、お寺から大学までタクシーで行った。木曜日の午後に入学式があるという連絡がきたのが水曜日の夜。いつもぎりぎりで連絡が来る。お寺では、例の霊隠寺の月餅を二箱持たせてくれた。賞味期限が意外と短いのに、ひとりでこんなにもらっても…。しかし、これはこのあたりでは結構人気の月餅なのだ。

学校について、会った人に月餅を上げ、一箱はそれでなくなった。めでたし、めでたし。

一箱は家に持って帰ってきたが、食べる気がしないので、スーパーで「黒豚鮮肉月餅」を買った。これはおいしい。普通のあまい餡が入った広東式月餅も食べたかったが、もう中秋節がすぎてしまったので、いつも行くスーパーでは売っていなかった。

今日は午前・午後と授業があり、何人かの先生にあって、いろいろな話を聞いた。

怪我をした人や病気をした人など。この夏が何事もなくすぎた私はラッキーだったのかな。

2024/09/18

「出走的決心」

 夫は上海に帰って行った。

最近は上海と周辺都市を結ぶ高鐵のチケットがとりにくいと複数の人から聞いた。

それで目と鼻の先の上海まで帰るのに乗り継ぎで帰るそうだ。

わたしはといえば、昼頃からイオンモールへ。台風の間、家にある食べ物はほぼ食べつくしたので買い出しに。

まずサイゼリアで食事してから、日用品を買い、その後、映画二本連続で見る。

一本目は「祝你幸福」。わたしにとってはあまりおもしろくなかった。息子を亡くした老父母が弁護士をやとって、息子が残した凍結受精卵を手に入れようとするとか、少しも共感できない。その凍結受精卵を育てて子どもにするということでもないのに、手に入れてどうする?と思ってしまった。そういうものをめぐる湿っぽい感情などがたぶん中国人は好きなのだろうなと思った。

二本目は「出走的決心」。これはよかった。実在の女性をモデルにしているらしい。

若い頃には女性だからということで大学進学をあきらめさせられ、一生、下働きの生活をしてきた主人公。彼女はけなげに家族のために尽くして生きるが、夫はそれが当然と思い、文句ばかりを言う。数十年ぶりに故郷の同窓会に行くことになり、楽しみにしていたが、娘が双子を妊娠して入院することになったことから、帰郷を断念しなければならなくなる。次のチャンスも転職する娘のために子どもを見なければならなくなって断念。必死にがんばって運転免許をとったり、車を買ったりするが、夫は彼女を家族をささえる存在としか見ていないために、そうした行動に冷淡な態度をとる。そして、懸命に支えてきた娘までが子どもの世話について彼女に文句を付けた時に、ついに堪忍袋の緒が切れて、彼女は家族を振り切って、車を運転して故郷成都へ向かう。時はまさにコロナのころで道路は封鎖されているが、山道なら通れる。彼女の車が走る道の両側に山地の瑞々しい風景がどこまでも広がる。そしてやっと長年の願いがかなって、ずっと前から同窓会で着ようと思っていた赤いワンピースを着て、友人たちと再会する。

彼女はいまでも夫のいる町には帰らず、自動車で旅する日々をネット配信して生活しているらしい。

家族のケアにあけくれて、自分の人生をいきられない女性は日本にもたくさんいるに違いない。というか、結婚して子どもを産んだ女性の大半がそうだろう。一度きりの人生、ずっと自分を後回しにして人のケアばかりをして終わるのはつまらない。一歩踏み出せれば、そこには別の人生が開けている。

映画鑑賞中、自分の人生を重ねながら、ずっと彼女を応援しつづけた。途中、切ない展開が多くてつらかったが、最後は実在の彼女の笑顔がスクリーンに映し出されて、わたしも笑顔になった。一歩踏み出すって大切よ。


              昨晩窓から見えた中秋の月


2024/09/16

林彪行宮

 夫が上海からやってきたので、一緒にレストランで食事をしたり、焼肉屋に行ったりした。

「日本にいる間は特別」と思って好きなように食べ、中国に戻ったら少し体重管理に精を出さないとと思っていたのに、すっかりわたしのダイエット計画は出鼻をくじかれた。

今日は台風で大雨が降りそうだったので、どこへも行かなかったが、

昨日は林彪行宮に行ってきた。ここはガイドブックなどにも載っていない。

林彪の地下指令センターだったところだ。シェルターでもあるらしい。

杭州はこういう連休はどこに行っても人が多いが、ここはそうでもなかった。

              林彪の地下壕(704工程)入口

地下会議室
                通信室

                

               地上には妻と住んだ居室やプールなどがある


近くに茶葉博物館があるが、そこはもう閉館時間を過ぎていたので、入らなかった。
 
帰宅途中で夫が「じいさんの思い出がある黄龍洞に寄っていきたい」というので行ってみた。数年前にわたしが一人で来た時には、中の売店などもなくなっていて、少し往時よりも寂れた感じだったが、いまは夜間も開放していてライトアップしているらしい。
しかし、入口の警備員によれば、台風のため今日明日は開放していないということだった。残念。でも、今学期中に、一人でも行ってみよう。

   

2024/09/13

中国にもどった

 昨日の夕方、成田のホテルに行き、

今日の午前中の飛行機で杭州へ。到着したのはちょうど12時ごろだった。

去年の夏もこの飛行機だった。家につくと2時ごろ。少し休んで派出所に住宿登記に行った。

こちらもまだ暑くて今日の最高気温は35度だそうだ。歩いて20分くらいのところなので、いつも歩いて行っていたが、あまりに暑いので初めてバスに乗って行った。

「10月に三日間だけまた日本に戻るのだけれど、その時もまた住宿登記が必要ですか」と聞いてみると、「その時、システムの中にあなたの情報があれば来なくてもいい。でも、必ずしもそうとは言えないから、中国に戻ってきたらわたしに電話してくる必要があるかどうか聞いてほしい」と(例の春月先生に似ている)警察官に言われた。

どういう時にシステムの中の情報があって、どういう時になくなるのか。よくわからないけど、とにかく彼女に電話して聞けばいいらしい。

その後、家に帰ったら荷物の片付けをしなければならないし、それにアパートの下の部屋から内装工事のドリルの音が響いてくるので、家に帰る気がしなくて、マクドナルドに行ってアイスコーヒーを飲んでアイスクリームを食べ、食べ物を少し買って、書店ビルをうろついて帰ってきた。

結局、それからもなんとなく疲れて、荷物は片付けなかった。キャリーケースから必要なものだけを出して、後はそのまま玄関に放り出してある。家の中も何か変な臭いがこもっているが、暑いので換気もせずにエアコンをかけている。

明後日、上海から夫が来るらしいので、明日、荷物を片付けないと。

それに台所の網戸も破れているので直さないと。

とりあえず今晩はもう寝よう。

2024/09/10

もうすぐ中国へ

 今週末には中国に戻るので、美容院に行ったり、腕時計の電池を変えたりのために出かけて行った。

美容師さんには「白髪なんてほとんどないじゃないですか?」と言われたが、そんなことはない。家の洗面台では上からライトがあたるようになっているが、そうしてみるとあちこちに白い毛が見える。ヘアマニュキュアをしてもらい、あとは次に来るときまで自分でリタッチする。もう何年もそうしているように。

その後、またキネマ旬報シアターに映画を見に行こうと思ったが、暑いのでパス。

見ようと思っていたのと同じ映画をアマゾンでレンタルして家でみた。

「タレンタイム」。だいぶ前のマレーシア映画。

多民族多宗教のマレーシアの高校でタレンタイムという芸能コンテストが開催される。

その開催発表から開催当日までの物語。

ヒンズー教の聴覚障害のインド人の男の子とムスリムのマレー人の女の子の初恋。

それと不治の病のお母さんをもつマレー人の男の子と彼の優秀さをねたむ中国系の男の子の間に友情が芽生えるまで。

その二つのストーリーが絡み合って進んでいく。

いくつもの言語が使われ、いくつもの宗教をもついくつもの民族がいる社会。

そういう社会ではそれぞれの間にかならず強い軋轢がある。(何だかわたしが働く学校みたい)

マレー人の男の子と中国系の男の子の間にはめでたく友情が芽生えるが、

インド人の男の子とマレー人の女の子の恋ははたして成就したのだろうか。

母親の前に息子が跪くような家庭では、母が強く反対すればそれに従わざるを得ないのかもしれない。中国だって親が強く反対すれば、その反対を押し切って結婚することはできないことが多い。そういうところは日本とはやはり違う。民族の壁、宗教の壁は日本人が想像できないくらい高いのかもしれない。

この二人がその後どうなるかをはっきりと描かないのは、監督も観客もそれが現実には難しいことを知っているからだろう。誰もが彼らの幸せを願いながら見ているが、それを安易にかなえてしまえば、瞬時に映画はやすっぽい絵空事になってしまう。

それにしても、登場人物たちの瑞々しくも切ない青春の日々に、久々に胸がきゅんとした。

映画の最後、タレンタイムの当日に、中国人の男の子がそっと母を亡くしたマレー人の男の子の傍らにゆき、寄り添うように二胡を奏でる場面は本当によかった。二人とも民族衣装を着ていることが、民族を超えた友情がめばえたことを象徴しているように思えた。

でも、そういうことは現実にはなかなか難しいからこそ、感動的なのかもしれない。

だって、そうでしょう?わたしが中国で生きるときも、国籍を超えて心が通い合う時もあるけれど、同じものをあちらから見るのとこちらから見るのとでは違う姿に見えるように、こえられないものがあるのに気が付いて愕然とすることがやはりあるのだから。

2024/09/09

プラネタリウム

 昨日は娘と前から行きたかったコニカミノルタプラネタリウムに行った。

首都圏に何か所かあるようだが、行ったのは有楽町のプラネタリウム。

プログラムは時間によっていくつかあるが、「イタリア星空散歩」というのを見た。

そのあと、シャンテの栗原はるみの店でパフェを食べた。

これでこの夏、娘に会うのは最後。

2024/09/05

めんどうくさい

 前回帰国時にiPadの電池を交換したのに、電池のもちがわるいので、iPadは予備にして、ふだんはkindlefireをもってでかけることにした。

二回りほど小さいが、格段に軽いし、これならでかけるときにいつもリュックを背負わなくてもよくなるだろう。

しかし、中国でも使うとなると、VPNをいれなければならない。それにkindleにはGooglePlayがはいっていないので、それもいれなければならない。

そういう面倒なことを先延ばしにしてきたが、だんだん中国に戻る日も近づいてきたので、重い腰をあげてネットを見ながらやってみた。

なんとかそれはやることができたが、実際にVPNがちゃんと使えるかどうかは中国に戻ってみないとわからない。でも、たぶん大丈夫だろう。

さらにiPadで使っていた日本の銀行アプリ二つも、新しいスマホに移さなければならない。

一つはすぐにできた。しかし、もうひとつがいろいろやってみたが堂々巡りになってしまい、できなかった。まず電話番号が古い電話番号のままなので認証ができない。電話番号を変えるには、郵送でおこなうか、身分証明書類をuploadして顔の写真と照合する必要があるらしいが、それができたのにその先に進めない。何がなんだかわからなくなったので、駅前の支店に行って聞いてみることにした。

すると、「90分待ちになります。もし名前を呼ばれたときにいないと番号をとるところからやり直しになります」という。

しかたがないので、腹を決めて待っていると、途中で男性の行員がきて、カウンターの隅で手続きをしてくれるという。そこで電話番号も変えてもらい、新しいスマホでログインできるようにしてもらった。結局、それでも銀行についてから一時間くらいかかった。

その後、家に帰ってもしかたないので、電車に乗ってキネマ旬報シアターに行き、映画「福田村事件」をみた。とても重い内容だったので、見終わった時には消耗した。

映画の中の1923年の日本はもう今の日本とは別世界のようにみえた。しかし、こうした人々の弱く卑劣な面はいまでも同じように存在するのではないかと思った。特に、SNSなどでは、ヘイトやデマが横行していて、それに人々の不安や不満でいつでも火が付きそうな気配がある。

水道橋博士が扮する軍人は、なかでも俗っぽさいやらしさを感じさせる人物だが、加害を煽り立てた本人が最後に皆を守るためにやったのにと言わんばかりに被害者のように泣き崩れる姿は醜くて衝撃的だった。しかし、これも戦後、加害者であったことを忘れて被害者としての回想ばかりをしている日本の姿のような気もした。わたしも同じ状況なら他人事ではないかもしれない。

2024/09/02

なかなか決まらない

 先日見に行った大規模マンションは何期にも分かれて完成し分譲するもので、前回は新築のものを見に行ったが、夫が築浅で一階部分の中古があってそれがいいというのでその内覧のためにでかけていった。

夫は上海にいるのでわたし一人で。朝からはっきりしない天気。暑くて湿度が高い。外を歩くだけですこぶる不快だった。

その一階の部屋にはいままだ前の住人が住んでいたが、どの部屋も見ていいという。なんだかもうしわけないなと思った。家には小さい子どもと犬がいたが、私が見る限りではとてもきれいで特に傷んでいる部分はないようだった。しかし、カーテンを開けてもらって外を見た時に「あ、これはだめだ」と一瞬で思った。大規模開発なのでマンションの開発区域内に小学校を建設中で、窓のすぐ向こうに工事中の大きな校舎と体育館が見えた。

部屋の外にでて、微信でその様子を夫に伝える。夫は「リタイアしてから住むのだから一階が便利。学校があってもそんなに音がしないだろう」と言うが、眺望もわるいし、学校ができれば必ず騒音もあるだろう。わたしたちはリタイアしたら昼間から家にいるだろうし、普段からわたしよりも騒音を気にする夫は絶対に文句を言うに決まっている。

そのあと、上階のまだ売れていない中古ではない部屋も見せてもらった。学校ははるかしたのほうに見えたがそこまで騒音も届かなそうだし、窓の外も眺望が開けてすっきりしている。

やはり一階が安くてなかなか売れないのには理由があったんだなと思った。

夫にそれを伝えたが、わたしには何だか理解できない拘りがあるらしかった。

大規模開発なので、まだ新築・中古をあわせて見せてもらえる部屋はたくさんあるようだ。たぶん見ればみるほど決まらなくなるだろう。なんだか疲れてうんざりした気分で帰ってきた。微信のやりとりには何度も「うさぎがいいところでいいから」と書かれていたが、わたしが「ここがいいんじゃない?」というと必ずあとに「それは〇〇だからどうかと思う」と書いてくる。何だろうね。本帰国まであと二年。ずっとこんなことで時間を使うのだろうか。

2024/09/01

リタイアしてからの楽しみを考える

 昨日も家で何もせず。

頭痛は直ったが、夏の疲れがでたのか、台風のせいなのか、なんとなく体調不良。

一日、ぼんやり動画を見たりしていた。

ガールズチャンネルというので、笑える失敗談などをみて笑おうとしたのだが、自分のかつてのイタイ失敗を思い出してかえって居たたまれない気持ちになったりした。

夜になってから、うちで見つかった昔の写真を先日あった友人に流した。

そこから少しLINEのやりとりをして、彼女の娘が息子の結婚式に来るときに、彼女が縫った和服を着てくることを知った。和服が縫えるのってすごい。

実は、わたしはいぜんに本を見ながらわたしの市松やビスクドールに着せるために単衣の着物を縫ったことがあるのだが、和裁は図を見ても文を読んでもむずかしくて苦労した。コロナのときには暇をもてあましてDVD付の本を買って自分の単衣の着物を作ろうと思ったが、途中で何がなんだかわからなくなって挫折した。市松人形に袷の着物も作ろうとして本を買ったり、布を買ったりしたが、北京の家においてそのまま引っ越してきてしまい、果たせないままになっている。

うちの祖母は和裁の仕立てができる人で、母も祖母に教えてもらって子どもの着物を縫ったりした。うちの娘が小さい時にも浴衣や袷の着物を作って送ってくれたこともある。

しかし、仕立て屋の娘で洋裁はプロ並みにできる母に聞いても、「和裁はよくわからない」と言っていた。

ということから、和裁ができると聞くと尊敬してしまう。それも晴れの舞台に着ていけるほどの腕前とは。

昨夜はその和裁の話をしたあと、古裂の話も少しやりとりした。私も年をとってそういうものにも少し興味をもつようになった。

たぶん二年後には中国から日本に本帰国すると思うので、そうしたらそういうこともゆっくりできるだろうか。子どもは同じくらいの年齢なのだが、彼女はたぶんわたしよりも10歳くらい年長かもしれない。どうかいつまでも元気でいて、帰国後も趣味の話を聞かせてほしいものだ。