今週末には中国に戻るので、美容院に行ったり、腕時計の電池を変えたりのために出かけて行った。
美容師さんには「白髪なんてほとんどないじゃないですか?」と言われたが、そんなことはない。家の洗面台では上からライトがあたるようになっているが、そうしてみるとあちこちに白い毛が見える。ヘアマニュキュアをしてもらい、あとは次に来るときまで自分でリタッチする。もう何年もそうしているように。
その後、またキネマ旬報シアターに映画を見に行こうと思ったが、暑いのでパス。
見ようと思っていたのと同じ映画をアマゾンでレンタルして家でみた。
「タレンタイム」。だいぶ前のマレーシア映画。
多民族多宗教のマレーシアの高校でタレンタイムという芸能コンテストが開催される。
その開催発表から開催当日までの物語。
ヒンズー教の聴覚障害のインド人の男の子とムスリムのマレー人の女の子の初恋。
それと不治の病のお母さんをもつマレー人の男の子と彼の優秀さをねたむ中国系の男の子の間に友情が芽生えるまで。
その二つのストーリーが絡み合って進んでいく。
いくつもの言語が使われ、いくつもの宗教をもついくつもの民族がいる社会。
そういう社会ではそれぞれの間にかならず強い軋轢がある。(何だかわたしが働く学校みたい)
マレー人の男の子と中国系の男の子の間にはめでたく友情が芽生えるが、
インド人の男の子とマレー人の女の子の恋ははたして成就したのだろうか。
母親の前に息子が跪くような家庭では、母が強く反対すればそれに従わざるを得ないのかもしれない。中国だって親が強く反対すれば、その反対を押し切って結婚することはできないことが多い。そういうところは日本とはやはり違う。民族の壁、宗教の壁は日本人が想像できないくらい高いのかもしれない。
この二人がその後どうなるかをはっきりと描かないのは、監督も観客もそれが現実には難しいことを知っているからだろう。誰もが彼らの幸せを願いながら見ているが、それを安易にかなえてしまえば、瞬時に映画はやすっぽい絵空事になってしまう。
それにしても、登場人物たちの瑞々しくも切ない青春の日々に、久々に胸がきゅんとした。
映画の最後、タレンタイムの当日に、中国人の男の子がそっと母を亡くしたマレー人の男の子の傍らにゆき、寄り添うように二胡を奏でる場面は本当によかった。二人とも民族衣装を着ていることが、民族を超えた友情がめばえたことを象徴しているように思えた。
でも、そういうことは現実にはなかなか難しいからこそ、感動的なのかもしれない。
だって、そうでしょう?わたしが中国で生きるときも、国籍を超えて心が通い合う時もあるけれど、同じものをあちらから見るのとこちらから見るのとでは違う姿に見えるように、こえられないものがあるのに気が付いて愕然とすることがやはりあるのだから。
おはよううささん♪
返信削除身近なことだからうささんのハートに響いたのかな。
素敵な映画ですね。
同じ国の人でもどうしようもなく分かり合えないこともありますし。
返信削除いい映画でした。もうすぐ日本でも上映権が切れるらしいです。見てよかった。
返信削除Apple TVにもありますね。観ようかな。
返信削除おすすめです。
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