2024/04/28

だるい

 この数日で手元にある仕事をさっさとやってしまって、どこにも行く予定がない五一の休みだけど、ゆっくりすごそうと思っていた。

しかし、木曜日の夕方にクタクタになって帰宅して以来、どっと疲れが出てしまって、金曜日に早めに帰宅したのに何もしなかったし、昨日も一日仕事をしなかった。昨日はひさびさにイオンモールに行って、サイゼで食事して、マッサージ機でマッサージして、映画を見て、買い物をして帰った。

映画は「年少日記」という香港映画を普通話に吹き替えたものをみた。昨年、日本でも何かの映画祭で上映されたらしい。学業がふるわない小学生が両親(主に父)に追い詰められて自殺するストーリーで見たら、見たら余計に疲れが出た。

泣ける映画らしいが、別に泣けなかった。こういう映画は香港の実情をそのまま映しだしたものなのだろうか。だとすれば鬱すぎる。中国の大陸のほうでもありそうな話だ。

学校の雇用契約はどうやら更新できそうな感じだ。更新してもっとここで働きたい気もするし、もう疲れて日本に帰りたいような気もする。わたしがここに来たころと職場の環境も中国の雰囲気も変わったし。

〇とりあえずまだ中国にいることになりそうなので、春月ねいさん、今度また中国で一緒にどこかに遊びに行きましょうね。

2024/04/26

あれから

 このところずっと忙しいが、合間を縫って群ようこの「母のはなし」という小説を読んだ。

小説の形をとっているが、これは群ようこの母の子どもの時から、老年期までを描いたものだ。父を早くなくして、不幸な結婚をした母は、子どもが成人になったら離婚しようと思いながら、いろいろな仕事を転々としながら子ども二人を育て上げる。それなのに、そうやって育てた子ども二人はいつも母を冷ややかな目でみて特に感謝をしてくれるわけでもない。娘が作家として大金を稼ぎ出すようになると、母は勝手に娘のお金を当てにして数百万円単位の衣装道楽をし、十分な収入がある弟も自分も姉を当てにしなければ損だとばかりにギターや車を強請り取る。母と弟はさらに姉をあてにして 勝手に家を買う画策を始める。

…という「老いとお金」そのままのストーリーだ。姉は終始母を冷たい目で見ているのだが、そのわりにはなぜか母の言うなりになってお金を出す。「老いとお金」を読んで、わからなかったところは、小説を読んでもわからなかった。母がそれまでの貧しかった生活の反動で浪費家になるという理屈なのだが、それにしても、普通は了承も得ずにデパートの外商で何百万の買い物なんかしないだろう。

夫も娘も息子も冷血人間のような中で、母だけがけなげに生きているように思えたが、最後には大きく崩れた生き方をする。子どもたちとの間にも心が寒くなるようなやりとりしかない。この小説の中の娘のアカネは群ようこ本人がモデルなのだろうが、それにしても、このアカネも何を考えているのかよくわからない。小説よりも「老いとお金」のほうがおもしろかったような気がする。

〇今日は午前中にお寺に行って授業をし、その後、MUJIカフェで唐揚げカレーを食べてから、建設銀行に行った。銀行カードが5月で失効してしまうから、新しいカードに換えてもらうためだ。もう一枚持っている工商銀行のカードは日本では引き出しができないので、建設銀行のカードをこれまでとは違うタイプのカードにされてしまうと困る。そこで、先にそう言ったら、新しいカードもこれまでと全く同じ機能のカードになると言われて一応安心した。思ったよりも速く、20分くらいで手続きは終わったが、新しいカードが受け取れるのは5月7日以降だという。ずっと以前にカードを再交付してもらったときは、その日のうちに発行してもらったが、最近は日本と同じように何日かあとに発行されるようになったらしい。以前、カードを発行してもらったころは、現金で何の支払いでもしていたが、最近は電子化して現金を引き出したりすることも減ったから、即日発行する必要がなくなったのかもしれない。

 それに、今日行ったのは、パスポート番号が変わったときに行ったのと同じ支店だが、以前行ったときには「規定がかわったので、英文名でサインする時には、姓名の順で書いてください」と言われたのに、今日、その通りの順で書いたら「名前を先に姓を後に書くように」と言われた。いつのまにまたそうなったんだろう。どこでも、変更ばかりが多くて、何がなんだかさっぱりわからない。

2024/04/19

お休み

 金曜日はお寺に行く日なのだが、今週はお坊さんたちの春の旅行だそうで、授業はお休み。

最近、お寺にいくと三毛猫がいて、みんなのアイドルになっている。

お坊さんの一人が拾って育てたもので、去年の今頃はまだ小さくてかわいかったが、いまはすっかり大きくなって誰よりも偉そうにふんぞり返っている。ネコというのは、そうしていてもまたみんなにかわいがられるもののようだ。

その一方で、法師が飼っていた黒っぽいトラネコはみかけなくなった。寺では本来動物を飼ってはいけないことになっているので、法師が昨年の秋ごろにその寺を去って別のところへ行くとき、そのネコをおいていったら、主をなくしたネコはいつのまにか寺から姿を消してしまったらしい。かわいそうなことをするものだと思ったが、もしかしたら法師は自分がネコをおいていっても、ネコはそのままそこで他の人にかわいがられて生きていくだろうと思ったのかもしれない。

学校にもネコがたくさんいる。女の子たちが考えもなしに食べ物をやるからやたらと増える。でも、長期の休みになったらネコのことなんか忘れて、みんな家に帰ってしまう。そういう時にネコがどうしているのかは知らない。

中途半端に動物にかかわってはいけないものだといつも思う。

他人が飼うネコを見て楽しそうだなと思うけれど、飼ってもネコ中心の生活ができないわたしは今生は動物とは無縁だと思う。

2024/04/15

群ようこ

 このところ、地下鉄での通勤時間に群ようこを読んでいた。

群ようこはおもしろいのかおもしろくないのか、以前からよくわからなかった。

若かったころ、一冊くらいは読んだことがある。激務過ぎて脱毛症になった話とか、「本の雑誌」が好きなんですと言って椎名誠に採用された話だとかくらいしか覚えていない。

kindleで「老いとお金」「かるい生活」の二冊を購入。あわせて1000円くらいだ。

読んでみようと思ったのは、この二冊に家族の確執が書かれていると知ったから。

ろくでなしだった父が死んだあと、群ようこの家族は本人対母・弟という構図になり、

長者番付に名前が載ってから、さんざん母と弟にしゃぶりつくされ、最後には母の計略により、購入費用の三分の二を出して家を購入することになり、質屋にまで通ってローンを払うことになる。それなのに、家ができてみると、そこには弟と母だけが住み、群ようこは家のカギさえもらえない。結局、その後の長く続く悶着のすえ、弟とは絶縁することになる。

レビューを見ると、家族をあしざまに書く彼女を批判する声もあるのだが、そういう人はろくでもない家族というものを持ったことがない幸運な人たちなのだろう。わたしはそんなに収入があったことがないから、あれこれ強請られたりしたことはないが、このように一方の子どもを甘やかして、一方の子どもから搾取する親というのは珍しくないんだろう。

それに、この本に登場する弟はとんでもない男性のように書かれているが、うちの兄もこんな感じかもしれない。兄はわたしなんかと付き合いをしても得になるとも思っていないから交流らしい交流がないが、もらうだけもらって「人生もちつもたれつ」なんて微塵も思わないお殿様気質は同じようなものなのだろうと思った。

何だかいろいろと不愉快なことを思い出す読書だったが、それなりに面白かった。家族がいつも円満で、こういうことについて身に覚えがない人にはつまらないかもね。


忙しい

 最近、なんだかんだと仕事が増えて、わたしがこの学校に来た2017年当時とは体感的に二倍忙しい。それも意味が感じられない仕事も多い。まあ、しかたないかな、学校は長い休みがあるから。

2024/04/06

南宋徳寿宮遺跡博物館に行ってきた

 中国は三連休中だ。

しかし、わたしの場合、もともと金曜日は授業がなく、木曜日の授業は明日日曜日に振り替えになるので、少しも授業は減らない。

でも、とにかく三連休にずっと家にいてもしかたがないので、昨日はバスに乗って、南宋徳寿宮遺跡博物館に行ってみた。先ごろ、春月ねいさんのブログで初めてこんな博物館があるのを知った。ネットで調べたら、22年11月にオープンしたばかりらしい。アジア大会開催にあわせて建設されたものかもしれない。

杭州は南宋の都、臨安があった地だが、その高宗の住居の遺跡を中心にした博物館だ。




ふだんは身分証明書を提示するだけで無料で入れるらしいが、連休中なので、例によって微信なでの公衆号で予約が必要だった。その場で予約できたが、6日はもう予約ができず、7日は閉館のようだった。

無料なのにもかかわらず、中はとても立派だった。ちょっと西安の兵馬俑みたいな?兵馬俑ももう長いこと行っていないが、今どきのことだから、きっとむかしわたしが行ったときよりも立派な博物館が建っていることだろう。

見学所要時間はたぶん一時間弱。だけど、周囲の道路はたいへんな渋滞でバスが動かず、行くのにも帰るのにもとても時間がかかった。

観光地に住んでいると、休日はうっかり遊びに行くとたいへんなことになるのである。


2024/04/03

雨上がりの散策

 今日は午後から寺に行った。

早めについたので、マクドナルドでコーヒーを飲んだり、周囲を散策したりして時間をつぶした。明日から三連休なのだが、今日もすでに人が多かった。

寺の裏手の「三生石」まで、行ってみた。二人の親友のうちの一人が亡くなり、生まれ変わって再会するという伝説に縁のある石らしい。雨上がりで足元が濡れていて、滑って転ぶといけないので、注意しながらあがっていくと、「三生石」の由来を書いた石板があったが、「三生石」自体はどこにあるのかわからなかった。



             
              三生石の由来を書いた石板
              足元はこんな感じで岩と木の根で歩きにくい。

              石はもっと先にあるのかと思ったが、このように先へはいけなくなっていた。

 家に帰って調べると、三生石には赤い字で「三生石」と書いてあるらしい。数年前にドラマの中で登場人物の九尾の狐が三生石に自分と恋人の名前を刻みつけたことから、縁結びの聖地となり、石に名前を刻みつける観光客が後を絶たずに問題になっているという記事があったので、もしかしたらそのせいで石までの道をふさいだのかもしれない。

             ↑三生堂。中は茶屋になっている。以前に寺のお坊さんとここでお茶を飲んだことがある。


             お寺の脇の茶畑。笠をかぶった人たちが明前茶を摘んでいるのが見えますか。


2024/04/02

お殿様の兄

 先日、父の葬儀のために日本に帰ったら、ルーザーの兄が人が変わったようにキビキビと葬儀をしきっていて驚いた。やればできるじゃないの?

離婚して家に戻り、公務員として最低限の勤めをしながら、母をかしずかせて生活してきた兄だったのだが。これでは親戚がみたら、いつもこんなしっかりものだと思ってしまうではないか。しかし、いつまでこのやる気がつづくのだろう。四十九日がすんだあたりで、また鳩時計の鳩が時計の中にひっこむように、実家の二階の自室にひっこんでしまうのだろうか。


こういう人のすごいところは、「人生はもちつもたれつ」などとは微塵も思っていなさそうなところだ。お殿様は周りの者がかしずいても当たり前だと思っている。

これまで父の介護をしながら兄にいいように使われる母がかわいそうだと思ったこともあったが、これまでのような生活ができると兄が思ったのも、母が子どものころから特別扱いしてきたからだと思う。けっきょく、母がそうしてきたから、兄は結婚して妻も子も大切にできなかったのだ。

母は兄を跡取りだから大切だと言って甘やかしてきたのだが、今回の葬儀に兄の子ふたり(すでに成人)は来なかった。ふたりとも世間的に見たら、立派に育った人たちだから、来ないなら来ないなりの思いを兄に対して抱えているのだろう。たぶん、もうわたしの実家側とは音信不通になっているのだと思う。だから、もうわたしの実家には跡取りはいないのだ。それなのに、母はまだそれに気づいていないようだ。もう年も年だし現実が見られないのだろう。

2024/04/01

青团とカルメ焼き

 あっという間に春を飛び越えて夏になった。

外ではみんな半そでを着ている。

清明節を控え、あちこちの店で青団を売り出した。

日本語でいえば草餅。中には小豆餡を入れたものもあるし、他の餡を入れたものもある。

別に好きではないが、何となく買ってみた。

北京にいたとき、青団の話になったが、そのとき青団を知っていたのは、武漢出身の先生だけだった。北方ではあまりなじみがないもののようだ。


〇日本でも関東生まれのわたしたちが当たり前のように知っているものを関西出身の人たちがしらないことがある。先日、中国人の先生がみんなにくれたお菓子が「カルメ焼き」にちょっと食感がにていたので、その話をしていたら、兵庫県出身の先生が「カルメ焼き」を知らないという。このあいだ、父の葬儀のために帰国した時に駅ビルで売っていたので、それを買ってその先生に渡した。「へえ。これがカルメ焼き」と言って、食べるまえに写真をとっていた。関西ではカルメ焼きはあまりなじみがないものなのかな。そういえば、関東でもあまり見なくなったような気がするが。