2025/07/30

映画「国宝」

 昨日は映画「国宝」を見てきた。

少し前に娘が見に行って「よかった」というので、やっと学校の資料を作りおえたので行ってきた。

二人の少年が成長し、歌舞伎界の女形の頂点を目指す。

兄弟同様に育ちながらも、二人の境遇が違い、友情をはぐくみながらも、ライバルでもあり、転落と復活を繰り返しながら1つしかない頂点を争うという関係は、見ていると苦しくなる。

しかし、とにかく豪華絢爛、イケメン揃い。

この映画を見て、「藤娘」よりも「道成寺」のほうが難度が高いのだとか、新しい知識も得た。

最後に二人が共演する曽根崎心中は、今年の初め頃せっせと読んだり動画をみたりしていたので内容がよくわかって、感動もひとしおだった。やはり知識ってあるのとないのとでは、まったく受け止められるものが違う。

先日、南京で名所旧跡をめぐりながら、知識が足りないわたしは「これからは勉強しよう」と思ったのだが、家に帰った途端にそういう気持ちがなくなってしまった。

いつもこれだな、どうしようもないな。

2025/07/29

明け方まで夜更かし 映画「芳華」

 昨日も学校に提出する資料を作っていたら、娘から微信で連絡があり、

長話。そのあと、深夜になってから、YOUTUBEで映画「芳華」を見始めた。

長い映画なので途中で見るのを休んだりしていたら、見終わった時にはもう未明。

たしかこの映画は中国の映画館で封切時に見た。もう7年か8年前のこと。

今回、再度見てみて、こういう映画だったのかと改めて思った。

後半部分はかなり忘れていた。

特にこれといって一貫したストーリーがあるのではなく、1970年代の解放軍文工団の人々の青春の日々を描いた映画だ。

原作は厳歌玲。

最後に中年期をすぎた主人公二人が再開して、ひっそりと寄り添う。人生の大半がすぎさった今、数多くの登場人物の中では、この二人は社会的には成功したとは言い難い境遇にある。

しかし、そこには確かな幸せがあるのだという結末である。

人の幸せは名声や経済力とは関係のないところにある。

わたしだって、こういう人生はいいなあと思うのだが、わたしだったら、バカだからきっと自分の境遇に不満を感じて幸せなんか味わえないだろう。


2025/07/28

映画「こちらあみ子」

 昨日、一応、学校が提出をもとめている資料は作成した。

しかし、わたしが作ったような資料が学校が求めているものと一致しているかどうかは

わからない。提出してダメと言われたら、やりなおそう。


そういう何をどう書いたらいいかわからない書類なので、集中して作成できず、

すこしやっては動画を見たりしてしまう。そうしているうちに妹からLINEがあり、そこで「こちらあみ子」という映画の話がでてきた。

妹はずっと障害児教育をしてきた人なので、一般人のわたしがみてどう思うのかを聞きたいということだった。

というわけで、見た。

見たのだが、どういう気持ちでみたらいいのかわからない映画だった。

ただ、「変な子」のあみ子が子どものうちは、まだ「ちょっと変わった子」として周囲の人の中で生きていけるが、成長するにつれて、家族も周囲の子どもたちも離れていく様子が見ていてつらかった。

子どもってまだ自分自身が「規範化」されていないから、なんとなくいろいろなものを受け入れるけど、だんだん自分が世の中の規範を学んで内面化していくと規範化されないものが受け入れられなくなる。

あみ子はずっと「規範化」されないから、変わらないのに、あるいは変われないゆえに、だんだん世の中から排除されていく。

痛ましいともいえるが、自分がその場にいたら?と考えると、殴りつけてでもあみ子を自分の周囲から排除した「のり君」の気持ちもわかる。

レビューを見てみると、意外とこの映画の評価は高いようだ。

あみ子の純粋さに感動したという感想もあった。

でも、わたしには見た後の感情をどう表したらいいのかわからない。

成長しないあみ子は天真爛漫なのかもしれないが、痛ましくて、怖い。かわいそうだと思うが、近づきたくない。


まあ、いずれにしても、こういう「何か得体のしれない感情」を呼び起こすことができれば、映画としては成功なのだろう。





2025/07/27

烏龍事件 

 昨日の午前中は郵便局に書留を取りに行った。

そのあと、郵便局の斜向かいの店で、服を買う。

そこで財布を出してクレジットカードで支払い、買ったものと財布をリュックへ。

そのあとマツモトキヨシで買い物しようとしたが欲しいものがなかったので家へ。

家に帰って書留を開け、中に入っていた銀行カードをスマホアプリに登録。

それを財布に入れようとしてリュックを開けたが、財布がない。ない。ない。ない。

玄関まで戻り、家の中を探したがない。リュックもひっくり返してみたけれどない。

マツモトキヨシでリュックからタオルを出したから、あの時、落としたのかも?と思い、

マツモトキヨシに電話してみたが「お届けはありません」のとのこと。

昨日と今日は地域の祭りで人がたくさんいたから、いまさら来た道を探しに行ってももうないだろう。

財布に入っていたのは、現金5万円くらい、クレカ、マイナカード。

とりあえずアプリでクレカを一時停止。

それから、警察に電話して遺失物届をした。なんだか警察にしては妙にフランクな口ぶりの人が出た。

その後、ネットで調べてみると、日本の場合、落とした財布が出てくるのは6割程度らしい。そうかもしれない。わたしは生涯のうちで二度財布をなくしたことがあるが、一度は誰かが届けてくれたが、一度はでてこなかった。

警察の話では、もしでてきたとしても、係から連絡があるのは来週月曜日以降だろうとのこと。「いやだな、こんな宙ぶらりんのまま土日をすごすのは」と思った。

とりあえず家の前あたりを見てみようと思って、外に出たら、ドアのところに落ちていた。

最近、長財布をやめて手の平くらいの小さい財布を使っている。たぶん、カギを出した時に一緒に落ちたのだろう。大きな財布だったら落ちた時に気が付くのに。

恥ずかしかったが、また警察に電話をかけて遺失物届を取り消した。さっきと同じ人がでて、「あ、見つかったんですか。なによりです。」とのこと。

こういうわけで、忙しいのに、半日をこれでつぶしてしまった。

ああ、今日も仕事しなくちゃ。何もないといいな、今日は。


2025/07/26

帰国していろいろ

 21日に帰国しました。

でかいビスクドールを持ち帰ったので、次の日には筋肉痛。

日本に帰ってから家の片づけ。わたしが留守の間に夫が何回か日本に戻って家に泊まっているので、いろいろと片付けがある。

一度、「何でも私に片付けさせる気か」とどやしつけたら、その後はマシになったが、

風呂や台所の排水溝や冷蔵庫の中などには気が回らないらしい。

だから、わたしが日本に帰ったらやはり片付けなければならない。

一日目は片付けや敷物などの洗い物と草抜きをしたが、それでもやろうとしたこと全部はできなかった。

二日目は美容院。その後、買い出し。重い物はまとめてネットスーパーに頼んだ。

三日目は相続の手続きのために実家へ。家に帰ってきたらぐったり。

四日目の昨日は体調を崩して一日ごろごろとしていた。

帰国前には中国の家を片付け、戻ってきたら日本の家を片付け。

中国でも日本でも外にいけば猛暑。疲れがたまっていたようだ。

しかし、今になっても、まだ十分に家の中が片付いていない。

それに学校に作るように言われた書類もまだ作っていない。

学校はなぜ必要なのかわからない書類作成が毎年毎年増えていく。

大学の评估があるからなのだというが、他の学部ではそんなに増えていないようだ。

それに一度増えた仕事は评估が終わってもなくならないかもしれないし。



2025/07/20

映画「南京照相馆」

 昨日はショッピングセンターで昼食をとった後に映画。

「南京照相馆」。南京事件の映画だ。

幼い少女まで強姦して殺す内容も含まれ、見るのがかなり精神的にきつい。

最近はまたTIKTOKなどでも日本の侵略を非難する内容が増えてきた。

それに月末の7月31日には映画「731」の上映もはじまり、こちらも大々的に宣伝が行われている。

9月3日には抗日戦争勝利80周年記念のイベントが各地で行われる。

こうした歴史には、日本人として真摯に向き合うべきだと思うが、中国での生活や学校での仕事にさまざまな影響があらわれるのではないかと危惧している。

前回の戦勝70年の時は、このような映画は次々と上映されなかったと記憶している。

中国で生活するのもそろそろ潮時かも。

2025/07/17

灼熱南京旅行

 数日間、家でぼんやりしていていたが、急に思い立って南京に行ってきた。

主な目的は以前から行きたいと思っていた科挙博物館(江南貢院)に行くことだった。

南京には以前に夫と行ったことがある。その時は総統府や中山陵などには行ったが、江南貢院には行かなかった。ここで明代・清代に江南地方の科挙(郷試)が行われた。

前日にホテルと高鐵を予約し、火曜日の朝、出発。

10時半頃に南京に着いたが、杭州と勝るとも劣らない暑さ。

地下鉄で夫子廟へ行く。駅のすぐ近くに博物館はあった。

              科挙博物館

            殿試の様子。人形の表情が動くしくみになっていて少し怖い。
            科挙を受けた部屋も再現されている。
        

その後、夫子廟と園を見てから地下鉄とバスを乗り継いで中華門へ。

            夫子廟で。「学而不厭」。春月ねいさんみたい。

            わたしには耳の痛い言葉です。

               園。こういう額がかかっていたけど、

               よくある江南の庭園。中に太平天国の博物館がある。

暑さの中、中華門に登ってみた。中華門の中は展示室になっていた。いちばん上まで登ったが、暑くてすぐに下に降りてきた。

               


そこから玄武湖の近くのホテルへ。

二日目は最初に玄武湖へ。暑いので観光車に乗って一周する。

ちょうど蓮の花の季節だが、暑いせいか、平日のせいか、人はそれほど多くなかった。

            玄武湖の蓮の花

その後、鶏鳴寺。南京最古の寺で「南朝四百八十寺」の筆頭だそうだ。それほど大きな寺でもなく、周囲も霊隠寺のようにたくさん店などがあってにぎやかなわけでもなかった。

寺は中国の寺によくあるように山の斜面に沿って階段を上って奥にいく様式になっていて、しかも山頂に出口があるので、汗をかいて登って行った。

               鶏鳴寺。灼熱の中をずっとこうして登っていく。

日も高くなり、暑くなってきたので、朝天宮へ。明代に文武百官がここで朝廷での礼儀を学んだ場所だそうだが、現在はその建物が南京市博物館になっている。


             南京市博物館(朝天宮)。ここにも孔子様。

             はいはい、勉強します。

そこで二時間余りをすごしたが、まだ高鐵の時間まで三時間弱ある。そこで明故宮に行ってみた。小さい無料の博物館があったが、そこは五分で見終わってしまった。後ろに広い遺跡公園があるが、特にこれと言ってみるものもなく、そのまま南京南駅へ。


灼熱の南京、一泊二日の短い観光だったが、とても疲れた。

帰宅してから学校の連絡用SNSを見ると、外国人教師の一人が熱中症で入院したとのこと。そんな暑さの中、三大火炉の一つに行って無事に帰還できてよかった。



2025/07/12

無駄な仕事

 一応、学校が終わったので、昨日はネット証券でいろいろお金をいじったり、ビデオを見たりした。それで、少しプラチナと銀を買った。

うちの大学では今年から学期が終わった後「小学期」というイベント週間を設け、その間に学内コンテストや文化体験イベントや講演や施設見学などを行うようになった。

学生だって試験が終わったら早く帰省したいのである。それなのにこんなことをやらせるものだから、コンテストの提出作品なども準備不足のものが多かった。

それはそうだろう。学生の気持ちもわかる。試験が終わってすぐにまたイベントの準備をしたり、レポートを書かされたりするのだから。

しかし、気になることもあった。

中国人の先生たちは、コンテストなどの審査の他に、通常のさまざまな学期末の仕事もあり、わたしたちよりもさらに忙しいのだろう。それにしても、学生の作品もきちんと見ずに採点したり、コンテストの時も最前列でみんなスマホを見ていたり。なんだか学生がかわいそうになった。

こんな学生も先生もやるきがなく、手間ばかりふやすイベントなんか何の意味があるのだろうと思わずにいられなかった。とにかくいろいろ写真にとって、国際的なイベントに力を入れている学校として、あちこちに宣伝することが大切なんだろう。

2025/07/09

今日も無駄な仕事と路遥「一生中最高兴的一天」

 今日も無駄な仕事のために灼熱の中を学校へ。

ほんの短い小説だが、路遥の「一生中最高兴的一天」を読んだ。

あらすじはこういうものだ。

村の学校の教師をしている「私」は春節の休みに学校のラジカセを家に持ち帰って保管することになる。当時、農村ではラジカセは貴重品であり、誰もない休暇中の学校にはおいておけないからだ。

「私」は家に持ち帰ったラジカセで老いた父の声を父亡き後まで残したいと思う。

そこで父に「一生のうちでいちばん嬉しかった日」のことを語ってもらう。

父が語った「一生のうちでいちばん嬉しかった日」の話はこういうものだ。

ある年の春節に父は家族のために豚肉を買って帰ろうと思ったが、もう店は閉まっている。

そこで有力者の親戚だと嘘をついて店を開けてもらって肉を買う。父は四元持っていて、そのうちの半分で肉を買い、あとの半分で家族への土産を買うつもりだったが、有力者の名を騙ってしまった以上、ケチケチした態度を見せるわけにもいかず、四元すべて出して肉を買う。

肉をもって帰途を急いでいると、知り合いの高に会う。高は病気の妻と多数の子どもを抱えて身なりは乞食のようである。高は、「年を越すためにやっと金を借りたのだが、肉が買えなかったので、その肉を半分売ってくれないか」という。

父が四元で半分売るというと、高はその言い値で肉を買っていった。

父の手元には肉を買ったのに、もとからもっていた四元がそのまま残った。

その金で家族への土産も買えた。これが父の一生のうちでいちばん嬉しかった日である。

…という話。

生活に窮している知り合いに自分が買った価格の二倍で肉を売るのはあまりにもあこぎではないか。

この後、物語は村の春節のにぎやかな風景をふんわりと描いて終わってしまう。

どのようにこの物語を解釈すべきなのかと思って、ネットにある「解读」を聞いてみたが、「父が愛する家族への贈り物を十分に買えた喜びを描いた物語」と解釈しているのである。

なんだか納得できない。そういう物語なのだろうか。

無駄な仕事と路遥「卖猪」

 二年分の試験の答案の二次チェックを行うので、学校にくるようにと連絡。

事務に提出する前に別の先生がチェックしている。それをまたチェック。

さらに一年分の試験の各大問の得点状況をExcelで表にするようにと。

さらに月末までに今学期の平常の授業についてのクラスごとのレポートを出せと。

もうすぐ评估があるからなのだけど、こうした書類は一度作成することが決まるとずっと作成することになりそうな気がする。

朝、家を出る時に大学の国際部から「台風が来るから外出を控えましょう。学校は常にみなさんのことを気にかけています」みたいな連絡が。しかし、学校は気にかけても学部は気にかけていないのだから、どうしようもない。

〇急に忙しくなったので、昨日は少ししか本は読まなかった。

路遥の「卖猪」という短編を読んだ。

病気の夫のために大事に育てていたブタを売りに行く女性の話。

途中で別のブタを拾ったが自分のものとせずにきちんと持ち主に返すような正直な女性だったのに、自分のブタは買った時よりもさらにやすい統一価格でむりやりに取り上げられ、その代金さえもなくしてしまうというかわいそうな話。


2025/07/07

路遥「黄叶在秋风中飘落」

 今学期の成績表にサインしなければならないため、寺に行ってきた。

今日も暑くなりそうだし、人出も多そうなので、早めに家を出た。

寺には九時前に到着したが、もう暑かった。事務の法師(いつもブログに出てくる日本語学科の法師とは別の人)のところにいくと、事務室のパソコンが壊れたので、一階のパソコンで提出書類を印刷しましょうという。

「そりゃそうだよね」と思った。去年もそうだったが、この法師はいつも室温40度の部屋でもエアコンをつけずに仕事をしている。別に修行をしているから「心頭滅却すれば火もまた涼し」というわけでもないようだ。だって、他の坊さんたちは「暑い暑い」と言っているから。

室温40度の部屋ではパソコンが壊れるのは当たり前だろう。

法師の後について一階の部屋に行き、書類をプリントしてもらうのを待っているうちにも、汗が滝のように滴り落ちる。法師はわたしをみて「あら、どうしたんですか?」と。この人はこの暑い日に三枚も重ね着をしてどうして平気な顔をしているのだろうか。いつも不思議に思う。

とにかく書類を出して、来学期のことについて少し話して寺を後にした。今学期はこれで終わり。

〇昨晩、「黄叶在秋风中飘落」を読了。

高の元妻である麗英は、高と夫婦であるときには高にあたり散らかしていたが、若琴の兄である若華に対しては優しく気が利く妻になろうと努めていた。麗英にとっては高は実直だが不器用で木偶のぼうのように見えたが、若華はうまく立ち回って教育局の指導者になりあがり、彼女に良い生活をさせてくれたからである。

高は一人で麗英との子ども兵兵を育てていたが、ある時、兵兵が病気になり入院する。そこへ麗英もやってきて何日も泊りがけで看病をする。兵兵はやはり麗英にとっても大事な息子だったのだ。

麗英が兵兵のために家を何日も空けたことについて、若華は前の家庭のほうが今の家庭よりも大切なのかと言って激怒し、麗英と若華は離婚する。

最後に麗英と高は再婚し、兵兵も母と暮らせるようになる。

…うまく要約できなかったが、こんなあらすじである。

しかし、麗英も若華も、結婚相手の条件が自分につりあわないと思うとあっさりと態度を変える。若華は美しい麗英が自分の妻になったことを自慢に思っていたが、一方で、自分のような大卒の町の幹部が学のない女を妻にしてやったのだから、万事自分が優先されるべきだと思い、傲慢にふるまうようになる。

いまの学校に来てから中国人が想像以上に「门当户对」ということを重視するのだと気付いた。路遥のいくつかの小説でもつりあいがとれない男女は最後には破綻する。

日本人はそこのところは曖昧に考えているが、案外、人の心を左右する重要なことなのかもしれない。

2025/07/06

路遥「姐姐」と「黄叶在秋风中飘落」

 相変わらず人生だらだら。

キッチンを大掃除して不用品を断捨離したいが、キッチンには冷房がなくて朝から晩まで暑いのでやろうと思いながらしていない。

なのでほぼ一日ごろごろしながら、動画を見たり本を読んだりしている。

昨日は「姐姐」を読了。これは短い。

文革期に農村の美女が町から下放されてきた知識青年と恋に落ちる。青年は両親がスパイの嫌疑で監獄に入れられているので、一人だけいつまでも町に帰れないし、村の人たちも近寄ろうとしない。農村の美女がそんな彼の世話をこまごまとしてあげたのに、文革が終わって青年の両親が元のように有力者に戻り、青年が町に帰っていくと、両親に反対されたことを理由に美女は捨てられてしまうという話。

こんなことはよくあることだったんだろう。「城南故事」もそうだけど、農村と都市の男女はなかなか結ばれない。

次に「黄叶在秋风中飘落」を読み始めた。

中年男性教師(高広厚)のいる農村の学校で、大学に落ちた女の子(若琴)が臨時の教師をすることになる。高の妻は夫と幼い子どもを捨てて若琴の兄と結婚する。若琴は同情から彼と彼の子を助けるうちに周囲の悪意を持った人たちに二人の仲を噂されるようになり、窮地に陥る。

三分の一くらいまで読んだ。


2025/07/05

路遥「在困難的日子里」読了

 暑い。いくところもないので、家にいる。

こうしているうちに筋肉が弱ってなくなってしまうかも?

「在困難的日子里」は読み終わった。

主人公の馬建強の窮状を見かねて、クラスの優等生である亜玲は国慶節に調理場に手伝いにいく学生として建強を指名する。その日に調理場に手伝いに行けば、たくさん料理を食べられるという特典があるからである。しかし、このことで建強はクラスメートたちから嘲笑され、彼は亜玲を恨み、調理場の手伝いを終えた後、何も食べずに調理場を去る。

その後、建強はいつも食べ物を隠しておく場所で二度も続けてお金と糧票を拾う。彼はそれで空腹を満たそうと一度は思ったが、拾ったものを自分のものにしてはいけないと思い、担任の教師に渡す。

そのお金と糧票も実は亜玲が建強を助けようとして、彼に拾わせたのだった。

建強がどうしても彼女の好意を受けようとしないため、亜玲は父が所属する武装隊でアルバイトをさせることによって彼を救おうとする。二人は休日に武装隊で働くようになり、建強はようやく学校の食堂の食券や衣類を買えるようになる。武装隊の工賃はとても多かったが、実はそれは亜玲がこっそりと自分の分も彼に渡していたからだ。また、彼女の計らいにより、わずかだが奨学金ももらえるようになる。

しかし、こうしたことから、二人のことをあれこれ噂する者が出始める。亜玲には以前からボーイフレンドの大衛がいたからだ。

亜玲はこうした学内の噂をものともしなかったが、大衛はひそかに苦しんでいるようだった。建強は自分が彼らを苦しめているのだと思い、退学して農村に戻ろうとする。

しかし、彼の能力を惜しんだ担任の先生の計らいで別の町の中学に転校することになる。

誰にも気づかれないように、早朝に建強は学校を発つ。しかし、飢えで身体が弱っていた彼は路上で倒れてしまう。そこに大衛と亜玲、そして彼をいじめた文明がやってきて、彼を介抱する。文明は建強に謝罪する。建強はこうして彼らに付き添われて元の学校に戻り、復学する。

後半のあらすじはこういうものだ。

亜玲や大衛は、ともに有力者の子だが、おごることなく、むしろ恵まれた家庭環境ゆえに育まれた度量と正義感を兼ね備えている。それに比べて、建強は貧しい中でも人としての尊厳を守ろうと努力して生きているが、農村の出身ゆえか、まずしさゆえか、心の中に多くのわだかまりを抱えている。(こういうところが本当に残酷だよねえ)

たしかに恵まれた環境で育った人が、おおらかだったり、まっすぐな正義感をもっていたりすることは多いのだろう。全部がそうとも言えないが。

はるかむかし、わたしが地元の進学校に進学した時も、有象無象に満ちた中学に比べたら、性格もものわかりもよい生徒が多く、すごしやすいなと思ったものだった。

2025/07/04

路遥 「在困难的日子里」

 昨日は朝から本を読んだり動画を見たりしてすごした。

昼頃、ショッピングモールに行って買い物して食事をして帰宅。

映画は見たいものがなかった。


路遥の「在困難的日子里」を読んでいるが、これはもしかしたら以前途中まで読んだかも。

主人公の少年は貧しい農村の出身だが、町の中学に二番の成績で合格する。

時まさに1961年の大飢饉のころで、彼は町の学校の寮に入るが、他の学生と違って食堂で食事をするお金もなく、こっそりと野草などを食べて空腹を満たしている。

なまじ入学試験の成績がよかったので、優秀な学生ばかりのクラスに入れられてしまう。するとそこは町のエリートたちの子どもばかりで、ぼろを着て飢えに苦しんでいるのは彼だけだった。彼は心を閉ざしてしまう。

しかし、そんな貧しい中にあっても、彼には彼なりの自尊心の高さや正義感があり、他人から施しを受けることや不正を嫌い、自分と同じように貧しい母子にわずかな食べ物も与えてしまう。飢えに苦しみながらも勉学に励み、ついに試験で一位となり、周囲の学生や教師にも一目おかれるようになる。

…昨日読んだのはそのあたりまで。あまりの貧しさとあまりの格差の残酷さに読んでいて胸がつぶれる思いだ。しかし、この主人公のような厳しい環境にあっても高い志を持ち続ける姿が路遥の小説の魅力だろう。学校などで推薦図書になるのも納得できる。

ちなみに路遥の小説(この本ではなく「人生」だとされている)に心を打たれたことが、アリババの創業者馬雲を奮起させ、それが成功への道を歩むきっかけになったらしい。



2025/07/03

猛暑

 昨日、学校に行って試験の資料一式を提出した。

これで例年なら夏休みなのだが、今年からこのあと二週間の小学期が始まる。

朝、学校の門のところにはバスがずらりと並んでいた。あのバスに乗ってどこかに「見学」に行く学生もいるのだろう。

事務室でペラペラと「今学期の試験の後処理が終わった」と話していたら、

他の先生たちに「早いですね。では来週のイベントのPPTの作成はうさぎ先生にお願いしてもいいですか」と言われる。余計なことはペラペラしゃべらないのが一番だ。

昼過ぎに学校の外に出ると、ものすごく暑く、家に帰るまでにヘトヘトになってしまう。

しばらく家でゴロゴロしてから、PPTを作成し、夜になって少し路遥の「在困难的日子里」を読む。すぐに疲れて読むのをやめたが。

今週末から杭州は最高気温が40度を超える日が続く。このあたりの40度は乾燥した北方の40度とは体感温度と身体への負担が全く違う。夏休みだし、観光にやってくる人も多いのだろうが、西湖周辺を散策したりするのは常人には耐えがたい暑さだろう。

来週月曜日まで少し時間ができたが、だからと言って外に行く気にもなれない。やはり本を読んですごそう。

2025/07/01

路遥「人生」読了

 「人生」の後半は一気に読めた。

加林と高校時代の同級生亜萍は恋に落ちたが、加林に巧珍がいるように、亜萍にも恋人がいた。亜萍の恋人の克南も加林や亜萍の高校時代の同級生である。亜萍と克南は双方の両親も認める仲で、家族ぐるみで親しく付き合いをしている。

あるとき、亜萍の父が南京に転勤することになり、亜萍も南京に行くことを考える。亜萍は「大都会に行けばさらに活躍の場が得られるから、一緒に南京に行こう」と加林を誘う。

加林は派手好きで奔放な亜萍にいらだちながらも、農村の日常生活しか話題のない巧珍にももはや魅力を感じなくなっていた。加林は大都会での亜萍との生活を夢見て巧珍を捨て、亜萍も克南に別れの手紙を書く。

村には加林に捨てられた巧珍を蔑む者もいたが、それでも巧珍と結婚したいという農村の青年と巧珍は結婚する。いっぽう、息子の結婚相手を奪った加林に腹を立てた克南の母が「加林は忖度によって不正な手段で記者の職を手に入れたのだ」と党委員会に告発する。

こうして、加林は職を追われ、亜萍とも引き裂かれて、失意の中で村に帰って農民に戻ることを余儀なくされる。巧珍は加林と別れた後も彼を恨むことなく、有力者である姉の舅のもとに行き泣きながら加林に教師の職を与えてくれるように頼んでいた。そのことを知って、加林は自分にとって本当に大切な女性であった巧珍を失った悲しみに暮れる。


後半のあらすじはこういうものなのだが、意気揚々と成功の道を邁進しているときに過去の行状が暴かれて一気に転落するストーリーがなんとなく「赤と黒」に似ているし、加林と亜萍の性格もジュリアン・ソレルとマチルダに似ている。作中にもジュリアンソレルの名前がちらりとでてくる。ネットで調べてみると、やはり「『人生』は『赤と黒』を参考にしたに違いない」と書いている人もいて、そうなのだろうと思った。

しかし、ある時期の濃厚な中国の雰囲気があって、決して「パクリ」のようなものではなく、これはこれでなかなか傑作だと思う。

次は何を読もう。読みやすいからまた路遥にするかもしれない。

7月 路遥「人生」

 もう半年が過ぎた。

試験も終わって、後処理も済んだ。あとは主任のサインをもらって提出するだけだが、

いつ主任が学校に来るのかの連絡がない。

うちの学部は試験の後処理などの事務処理がだんだん複雑になり、もはや常人が処理できないレベルになってしまっているのではないかと同じアパートに住む先生に言ったら、その人もそう思うと言っていた。いったい何なんだろう、これ。


路遥の「人生」を半分くらいまで読んだ。中国に来たばかりのころ一度買って読み始めたのだが、途中までしか読まないうちになくしてしまった。

農村の秀才、高加林は町の高校を卒業してから(農村なのでそれでも高学歴)、村で学校の教師を務めていたが、地元の有力者のたいして優秀ではない息子にその職を奪われる。こうして、不本意ながら加林は農民となる。村娘の巧珍はかねてより加林に思いを寄せていたが、学校に行ったこともない自分は教師である加林にふさわしくないと思っていた。しかし、加林が農民となったので、思い切って加林に接近を試みて、二人は恋に落ちる。

巧珍は字も読めない娘だが、村の金持ちの娘である。父親が農村の女には学校に行く意味がないと考えていたために聡明であるにもかかわらず学校に行けなかったのだ。

いっぽう、加林は優秀ではあったが、加林の家はまずしく、巧珍の家よりも村では格下とされていた。そのような二人の交際を巧珍の父親はゆるさず、村でも注目の的となったが、加林と巧珍は周囲の咎めるような眼をものともせず、交際を続けた。

その後、軍人であった加林の叔父が村に戻ってきて有力者となったため、加林は村の指導者たちの忖度によって町で記者の仕事を得て、巧珍を残して村を出る。加林は存分に文才を発揮してたちまち気鋭の記者として注目を集めるようになる。かつての高校の同級生であった才色兼備の女性アナウンサーが加林を訪ねてきた。彼女は村娘の巧珍とはちがい知的で加林とは話があう。こうしてこの二人は惹かれあうようになる。

…というところまで読んだ。日本でもそうなのだろうが、中国は今も昔もこういう忖度ばかりで理不尽な国柄。今はそれでも少しはよくなったのかな。そうでもないか。