2026/01/31

春月先生お誕生日

 昨日は春月先生お誕生日。

しかし、あいにく常磐線の架線が断線したということで、早めに家を出たのに大遅刻。

我が家の最寄り駅から取手までは常磐線が止まってしまうと代替の交通手段がない。

そこで取手までいつもよりもずいぶん時間をかけて行き、そこから常総線、つくばエクスプレスと乗り継いでやっと上京。中村屋にも予約時間を変更してもらった。

春月先生のお誕生日で、プレゼントも用意したし、中村屋にもお誕生日プレートをお願いしたのでなんとしても行かねば。

結局、おしゃべりお誕生会は一時からになったが、いつも通りたのしかった。

お誕生プレートは線香花火がパチパチしていた。こういうの、いくつになっても楽しいね。

その後、いつも通りの中村屋から中村屋。

帰りはいつも通り電車が動いていて、順調に帰った。

ねいさんからもらったケーキは一人で食べると太りそうなので、来週、娘が来たら一緒に食べよう。

2026/01/29

人形のこと

子どものころは実は人形がきらいでした。

わたしと妹にリカちゃんなどよりずっと大きなかわいくないソフビの人形があてがわれていました。

たぶんその人形があまりにも気味が悪かったので、長らく人形が苦手でした。

しかし、中国に来て、たまたまネットで市松人形を見かけてから、しばらく人形道楽にはまってしまいました。

一時帰国した時に当時娘が住んでいた名古屋から少し足を伸ばして人形師さんのところからお迎え。味岡映水作。着物はわたし作です。この撫子の布は京都の端切れ屋さんで買いました。
この子は元々は赤い絞りの袷の着物をきていましたが、絽の夏着物を自分で作りました。
その後、いくつかビスクドールを購入(アンティークもリプロダクションも)。あわせてドレスやウィッグもずいぶん購入しました。
母にもこの子に似た市松人形を購入してプレゼントしました。
しかし、最近はあまり買っていません。つい買ってしまいそうなところには近づかないようにしています。
その後、リカちゃんやイーマリーもいくつか購入し、ときどき服や着物を作っていましたが、最近は少し熱がさめています。また、気が向いたら、やると思います。
いまはしばらくペン習字と中国語原著読書と居眠りに時間を使いたいので。

2026/01/28

美容院

 午前中は美容院。

それから市役所に行って用事を済ませ、買い物して帰宅。

今日はそれだけ。美容院は空いていた。そのせいか、美容師さんがしゃべるしゃべる。

庭の草抜きの話とか、近所の神社がテレビで紹介されたので車で行ったら渋滞して帰れなくなった話とか。宝くじで10億当たったらどうする?とか。

もちろん、美容師さんも相手がしゃべらなかったら一人ではそんなにしゃべらないわけで。半年ごとにしか行かないのに、行ったらいつも話に花がさいてしまう。

そこで、セブンイレブンの鍋焼きうどんがおいしいという話を聞いたので、帰りに買って帰ろうと思ったけれど、いろいろ買い物をしているうちに忘れてしまって、セブンイレブンに寄ったのに冷凍たこ焼きしか買わないで帰ってきてしまった。

そして、家に帰ってたこ焼きを電子レンジに入れて待っている時に「あ!鍋焼きうどんを買うんだったっけ?」と思い出した。

明日買おう。忘れなかったら。

2026/01/27

新しい万年筆

 実は、まだいろいろと片づけものが終わらなくて、洗濯物もほしていないのに、

午前中に万年筆が届いたので、ペン習字をしている。

英雄牌もそんなに悪くないと思っていたが、実際に新しい万年筆で書いてみると、やはり書き味がぜんぜん違う。値段も数倍だから当然と言えば当然だけど。

軸はおもったよりも太くて、白を注文したのだけど、もったりとした白。

見た目は英雄牌のほうがきれい。

でも、英雄牌は書いている時はスラスラかけるけれど、時々少し筆圧をかけないとかすれることがある。新しい万年筆はカートリッジを入れたとたんにまったく力を入れずにスラスラかける。もう英雄牌は使わなくなるかも。

           ちょうど昨日、アマゾンに注文した
           「なぞりがき 日本の名作」も届いたので、さっそく書いてみた。
           買った万年筆はセーラー万年筆のプロフィット21。
           在庫がなくなったら廃版になるらしい。 


帰国しました

 夜10時ごろに家に着きました。

近所のスシローに行って食事をしようと思ったけれど、行ってみたらラストオーダー10時15分、10時半閉店。たしか以前は11時閉店だったと思うけど。

しかたがないので、家に荷物を置いてからココスに行った。10時半ごろ。

こんな時間に一人で食事をする人なんてわたしぐらいだろうと思ったが、

女性一人で食事をしている人が二人いた。あとは数人でおしゃべりしている人たち。

子どもが小さいころはこんな時間に一人で出歩くことなんかなかったが、いまは自由。

そんな時間に出歩けるのも自由だからなのだろう。

夜遅いのにカキフライ定食とドリンクバー。

ぜいたくな食事ではないけれど、それでもやはり日本の食事はいいな。

どうしても飲みたかったので、アイスコーヒーを飲んでしまった。

それから家に帰ったら、10月の夫が日本の家に帰ってきたせいで、浴室のシャンプーもないし、ティッシュもない。明日買いに行かないと。


2026/01/25

映画『我的朋友安德烈』

 昨日で仕事が終わったので、午前中に掃除と洗濯をして、午後から食事と映画。

映画は『我的朋友安德烈(ぼくのともだち安徳烈)』。

この映画は途中までよくわからなかった。たぶん、見ている人はみんなそうだろう。

見終わっても、わからない部分がある。そのようにできているのかもしれない。

青年李黙は父の葬式に行くために飛行機で瀋陽に向かう。

機上で旧友安徳烈によく似た青年を見かけて話しかける。

「ぼくは李黙だよ。君は安徳烈だよね」

しかし、その青年は「たしかに自分は安徳烈だし、李黙という友人がいたが、君ではない」と言う。

そして、その青年安徳烈も李黙の父の葬式に行くのだという。

飛行機は大雪のため瀋陽に着陸できず長白山に着陸する。

そこから彼らふたりはレンタカーで瀋陽に向かうことにする。

かみ合わない会話をしながら、李黙は中学時代のことを回想する。

安徳烈は李黙と同じクラスにいた少年で、奔放で自分をまげない性格だったため、教師に嫌われていた。

李黙は両親の不仲や成績不振のために暗い学校生活を送っていたが、いっしょにサッカーをしたことから安徳烈と友人になる。そして、安徳烈が父親から暴力を受けており、自分よりも悲惨な境遇にあることを知る。

ある日、李黙の母が家を出て行き、李黙は父との生活から抜け出したいと思うようになった。そして、学年で一番の成績をとればシンガポールに留学できることを知り、安徳烈の協力の下で勉強に励み、優秀な成績を収める。

しかし、シンガポールに行けたのは李黙ではなく、別の女子学生だった。教師が不正に成績を改竄したためである(こういうの、中国あるある)。李黙は教室で泣き崩れる。

その後、全校生徒の前で安徳烈は教師の不正を告発し、学校にポスターを貼る。

このことから、安徳烈は放校となり、父親に折檻され、揉みあううちに熱湯を全身に浴びてしまう。李黙はその様子を物陰から泣きながら見ていた。

その後、しばらくして、年越しの夜に李黙は父と外で花火を見ているときに安徳烈に出会い、家に呼んで父が作った餃子を一緒に食べるが、父には安徳烈が見えないようだった。(つまり、安徳烈は熱湯を浴びて死んだのだ)

映画のシーンは現在に戻り、いつのまにか車の中には李黙ひとりになっている。

瀋陽に到着した李黙は、かつて安徳烈と遊んだ廃工場の鉄扉の前に立つ。すると、鉄扉の中から、中学生のままの安徳烈が出てきて「なぜいまになってやっと来たの?」と微笑みかける。

最後のシーンはまた学校での回想。中学生たちが並んで合唱している。その列の中にいた李黙が後ろを振り返ると、安徳烈がひとり窓際に座ってこちらを笑顔で眺めている。

〇このようなストーリー。原作の小説があるらしい。会話はまたしても東北方言で、李黙の父が話している言葉などは字幕を見なければよく聞き取れないし、時には字幕を見てもついていけない。

それにストーリーにもよくわからない点があった。

李黙はもともと安徳烈が中学時代に死んでしまったことを最初から知っていて、飛行機の中で出会った青年になった安徳烈との旅は、すべて想像の中のできごとだったのだろうか。

李黙が安徳烈が死んだことを知ったのはいつなのだろう。

それと、レンタカーでの移動中、どこで安徳烈は消えたのだろう。

もしかしたら、ちゃんと映画の中で描かれていたのかもしれないが、一度見ただけではよくわからなかった。

2026/01/24

採点終了

 昨日で採点とそれに伴う事務が終わり、今学期の仕事が終わった。

なぜか知らないが、採点後に成績表に添付して提出する書類が年々増えて、答案に採点結果を記入してから、さらにいろいろな仕事がある。

はっきり言って、同じような書類を少しずつ内容を変えて何種類も出す意味がわからない。

それに、わたしが採点した答案を中国人の先生にチェックしてもらい、すべての答案にその人のサインをもらわなければならないのだが、わたしが早めに渡したにもかかわらず、昨日大学に行ったら、「まだ答案を見ていない」と言われた。「来学期に提出すればいいでしょう」と言うのだが、主任からは昨日までに出すように言われている。

こういうことが多すぎていやになる。他にもここには書かないけれど、いろいろと納得できないことがあった。

わたしに対しては「期限を守ってください」というのに、他の人が協力しないとか、期限前に急に変更しろと言われたりとか。いつものことだが、そういうことがあっても、意外と中国人は平然としている。

逆に、期限を守って提出して、「あら、あなたもまじめね」などと言われることもある。

昨日も事務に試験の採点資料をもって行ったら、他の中国人の先生がちょうど事務室のスタッフに採点資料を提出するところだった。そこでかなり待たされたのだが、それはその先に来ていた先生がちゃんと資料を指定されたように整えてこなかったからだった。

そのあとわたしの順番が来たが、あっというまに提出。

言われた通りにしない人が多いから、指示が厳しくなるのだと思った。

そういうところがいつまでも適応できないところだ。

2026/01/21

ペン習字 一冊終わった

 ペン習字、一冊終わった。

あとで別のを買いに行く予定。

書かないでいると万年筆によくないらしい。

使うから万年筆を買ったのではなく、万年筆を買ったから用事を作っている。

わたしが買った英雄牌の万年筆はずっと書いているとよく書けるが、

外出先にもっていって書こうとするとよく書けない。

ペン先を上にして持ち運んでいるからかもしれない。

そこで、わたしが日本に着いたら家に届くようにセーラーの万年筆を買った。

名前も入れてもらった。

来月から大幅に値上げするらしい。駆け込みで買ったので得した気分。

2026/01/19

試験

 今日の午前中は自分の科目の試験監督。

試験監督をした他の先生から「今回の試験問題は少し簡単すぎないか」と言われた。

試験に先立って平常点をつけたが、それが存外よくなかったので、期末試験の問題はやさしめに作ったが、今日採点してみてわたし自身も少しやさしすぎたかなと思った。

わたしの試験はノートなどの持ち込み不可だが、記述問題のテーマは事前に教えてある。たぶん学生はAIなどを使って文章を作って覚えてきているので、評論家顔負けの文を書いてくる。授業の感触では、学生のレベルは確実に低下しつつあるのにである。

自分でぎこちない文章を書いてくる子とAIで難しい内容の自然な文を書いてくる子では、どちらを評価すべきか。…みたいなことを考えていると採点するのがいやになる。

先生の中には、「これからはAIの時代だから、それを利用して高レベルの答案がだせるのならそれはいいんじゃないですか?」という人もいる。そういう人は躊躇することなく、試験問題もAIで作る。つまりAIが作成した問題に、AIで作成した答案を書く。

だったらもう大学いらないんじゃね? 

そんなことを思うと、ますますわたしのやる気もなくなってしまうのである。

〇読書は地下鉄の中で張愛玲の『红玫瑰与白玫瑰』を半分くらい読んだ。

なんとなく知っている内容だとおもったので、家に帰ってから調べてみると、この小説は映画になっていて、わたしは以前にそれを見たことがあるのだった。たしかそんなにおもしろいとは思わなかったような気がする。妻が便秘でトイレで苦しんでいるようなシーンしか思い出せない。小説のほうは、これまで読んだ張愛玲の作品の中ではマイルドな不倫物語。

2026/01/18

張愛玲『鸿鸾禧』

 今日は日曜日。

ちょっと食事しにでかけたり、掃除をしたりした以外にはぼんやりして一日が終わろうとしている。

明日、わたしが担当している授業の試験があり、当分はその採点にかかりきりになるので本も読めなくなるかもしれない。

『鸿鸾禧』。

邱玉清は没落した名家の娘であり、成金銀行家の息子である娄大陸と結婚が決まっている。

玉清と娄家の二人の娘はつれだって結婚式で着る衣装を買いに行く。

娄家の二人の娘は、玉清のことを痩せすぎているとか、老けているから年齢をごまかしているのだろうとか、自分のためにお金をつかいすぎるなどと言いたいように言っている。実は玉清は美しく上品な女性なのに。この二人の娘は、没落したとはいえ名家の娘らしい気品を持つ玉清に劣等感をもつがゆえに彼女を嘲笑せずにはいられないのだ。

邱家が用意してくれたお金を玉清は自分の着るものに惜しげもなく使う。結婚してしまったら、こんな贅沢はもうできないだろうから。娄家の娘はそのお金は本来結婚した後の調度品などに使うべきなのに、そうしないのは婚家の負担を増やすことになると言って腹を立てる。

家では大陸の母の娄夫人が新婦が履く靴を作っている。他にすべきことはたくさんあり、靴なんか買えばいいのにと他の家族はいうが、娄夫人は頑固に靴を作りつづける。

父の娄先生は留学経験もお金も地位も品もある男性である。

それにひきかえ娄夫人ときたら、美しくもなく、頭も悪く、頑固でかんしゃくばかり起こしている。それでも娄先生は娄夫人に対して腹を立てることもなく、耐えている。他の人たちはみななぜあんなすばらしい男性があんなつまらない女性を妻にしたのだろうと不思議に思っている。

しかし、実は娄先生の態度は他人の前でだけよいのであり、家の中ではいつも子どもたちとともに夫人のいたらない点を見つけては見下している。つまり、家の中で夫人を尊重している人は誰もいないのである。

娄先生は息子の嫁の玉清の聡明さに感嘆してみせる。でも、これは暗に娄夫人の愚かさをあてこすっているのだ。

結婚式がとりおこなわれ、そこでさまざまな人間模様が繰り広げられる。

こうして、玉清の生き生きとした人生も結婚とともに終わりを告げたのである。

…というような内容である。

つまり、邱家と娄家の結婚式の準備とその当日の様子を描いた小説である。

物語の至る所にどんなごまかしも見抜くような辛辣な張愛玲の目が光っている。

しかし、読んでも何が言いたいのか、わかったようなわからないような気がするストーリーなので、ネットにあがっている解説をいくつか読んでみた。

すると、この物語の解釈のカギは『鸿鸾禧』という題名にあるのだということがわかった。これはこの小説が書かれた当時、人口に膾炙していた豫劇の題名であり、

その内容は簡単に言えば、糟糠の妻を川に突き落として殺そうとした男の話らしい。

この物語を娄夫妻に重ね合わせて理解することで、若い頃、貧しかった娄先生を娄夫人が支えたにもかかわらず、娄先生が功成りとげた後に、妻が自分に釣り合わなくなったと感じ、見下しつつも、外に対しては思いやりのある夫としてふるまっていることがわかるのだそうだ。そして、子どもたちも、母の支えがなければこの家の今の豊かさもなかったのに、この家の歴史を知らないがために、父の側につき母を見下している。

『鸿鸾禧』という題名に隠された張愛玲の意図が理解できれば、この小説の残酷さを読み取ることができるが、もしそうでなければ、娄家の子どもたちのように、紳士的な夫と不釣り合いな妻のような表面しか見えないというわけらしい。

さすが、張愛玲、手が込んでいますね。

2026/01/17

映画『飛行家』

 今日は昼から食事兼映画鑑賞のために外出。

映画は『飛行家』。物語は70年代のハルビンから始まる。

李明奇は勤め先に無断で、飛行用のロケットを開発している。

パラシュートで飛び降りる時に使う、速さや方向を変えるための背中に背負うロケットである。しかし、ある時、そのロケットで義弟(妻の弟)に怪我をさせてしまい、義弟は障害者になる。会社はこの事故を起こした二人を懲戒処分にする。

そこで、明奇は義弟夫婦とともにダンスホールを経営することを考えるが、明奇を恨んでいる義弟はその話に乗ってこなかった。

ダンスホールは紆余曲折を経て繁盛するが、義弟の差し金で明奇は店を手放さざるを得なくなり、日雇い労働者になる。

その時、義弟の息子が心臓病で手術を受けなければ長く生きられないことがわかる。

手術代は10万元。それを工面するために、明奇は高さ600mの塔の上からロケットを背負って飛行するという命がけのショーを請け負うことにする。

そしてそのショーは成功。

…という物語。

こういうストーリーで最後のショーが失敗するわけないのだが、そこは演出のおかげで最後に「やったー!」というカタルシスがあり、気分がよく映画館を後にできた。

でも、ハルビンが舞台のこの映画は、たぶん話されている言葉に北方の方言やなまりが含まれているせいで、わたしには会話を理解するのが難しく、ストーリーについていくのがやっとだった。

2026/01/16

張愛玲『封鎖』

 家で使っているマウスの調子が悪くなってきたので、新しいものをタオバオで注文した。

それが来るまで少し不便だ。

『封鎖』。

登場人物は呂宗楨と呉翠遠。

舞台は日本占領時の上海。日本軍によって区画の封鎖が行われ、停止した路面電車内のわずかな間のできごと。

宗楨は銀行勤めの会計士、35歳。妻子があるが、この時代の小説によくあるように妻は親が決めた相手である。毎日の仕事にも妻にもうんざりしている。

翠遠は大学で英語を教える教員。25歳。優等生の彼女は親の言う通りに勉学に励み、当時の女性としては異例の職業についている。しかし、そうなってみると彼女の親は彼女がよい相手と結婚することにしか興味を持たなくなる。すべての人に自分は尊重されていないと思っている。

この現状に不満をもつ二人が閉鎖された電車の中で出会い、あれこれの話をしているうちに、お互いに惹かれあうようになり、結婚の話にまで発展する。とはいえ、宗楨は妻子がある身で経済的な余裕もないし、離婚することは考えていない。

翠遠は良家の娘であり、妾になることは親がとうてい許さないだろう。翠遠の心は揺れ、涙が目からあふれる。

別れ際に翠遠は電話番号を伝えるが、宗楨はペンを見つけることができない。翠遠は赤鉛筆を持っていたが、もし宗楨が電話番号を書き留められなかったことでそれを忘れてしまうなら、それまでの愛情なのだと考えて、鉛筆を貸さなかった。

電車が動き出し、宗楨は人ごみの中に去っていく。

しかし、翠遠は、電車をおりたと思っていた彼がもともと座っていた離れた席に座っているのを見つけ、彼にとってこの恋がゆきずりのものであったことに気づく。(こういう描写が切ない。)

車窓から見える次々と去って行く光景が、彼女にとって「死んだもの」となっていくのと同様に、この恋も終わったのだ。

…というような内容。

「封鎖」とは、電車の中の状態のことを指すのだろうが、同時に、彼と彼女が

抜け出せないでいる現実の生活のことも指しているのかもしれない。

わずか一時間にも満たないつかのまの恋は、彼らの真情のふれあいだったのか、それともお互いに幻想をなげかけたものだったのか。どちらなんだろう。

そんなことを考えさせるような余韻が、張愛玲の作品にはある。

2026/01/15

来学期の話

 昼に学校で来学期についての会議。

それが終わったら、寺に行ってまず今学期の成績表を事務の法師に渡してから、

日本語科の法師といろいろな話をした。

法師は東北生まれのピリピリした人だったが、しばらくぶりに会ったら、

疲れているのか、年齢のせいかわからないが、ずいぶん性格が丸くなったような気がした。

来いというから行ったのに、いつものようにそれほど用事もなく、ながながと世間話。

今日は一月なのにうらうらと春のような暖かさだった。

そういう日にお寺のような落ち着いた場所にいるのはそれなりにいい気分だった。

帰りに麺を食べてから、パンを買って帰宅。

そのあと、なんとなく動画を見たりしてこんな時間。

ペン習字は午前中にやった。あとはこれからストレッチをするが、本は読むかどうかわからない。

            お寺でこんな馬をもらった。
            午年だから。