2025/11/28

次に読む本と相続の話

 次に読む本として「長恨歌」(王安憶)と「人世間」(梁暁声)を購入した。

「長恨歌」は和訳も出版されていて、アマゾンの紹介文を見ると「上海の街を舞台に、美しき主人公・王琦瑶(ワン・チーヤオ)の青春から死に至る四十年を描く長編小説」と書かれている。しかし、読めども読めども「弄堂」や「流言」などについてのエッセイのような文が続き、美しき主人公・王琦瑶の人生の物語がなかなか始まらないので、疲れてしまった。それで、この本はとりあえず後回しにして、「人世間」を読もうと思ったが、これは「平凡的世界」に勝るとも劣らないほどの大作。やっと「平凡的世界」を読み終わったばかりのわたしは、やはり一息ついてからこれを読みたい。

そこで、アマゾンで柚木麻子の「BUTTER」を買って読んだ。なにしろこの作品は海外でもたいそう高い評価を得ているらしいから。しかし、中国のあまりにも骨太の小説「平凡的世界」を読み終わったばかりのせいか、こうした現代女性の細かい心のひだを表現したような小説はあっさりと感慨もなく読み終えてしまった。主人公の心の変遷はわかった。それよりも、容疑者梶井は本当に殺人を犯したのかという問題ばかりが気になってしまったわたしは文学を味わうコードをもっていないのかもしれない。

〇相続というものは揉めるものらしい。

しかし、最近母を亡くしたわたしたち兄妹は、もともと仲がいいわけでもないのに、もめなかった。

母は相続についての遺言を書き残していた。遺言がなければ均分相続になるのだが、母が遺言を書いたということは、それはとりもなおさず兄に多くを残したいという意志の表れである。

最後に「兄妹なかよくしてください」と書いてあったが、「妻にも子どもにも見放された兄を見放すな」という意味にわたしは解釈した。

わたしも妹もだまってハンコをおしてハンコ代をもらった。

兄はこれで家と預金の大半を手にしたが、将来、負動産になるかもしれない家と、兄の次は跡取りのない墓の始末も兄の仕事になったわけである。

兄の子どもたち二人はもはや兄とは連絡もとりあっていないらしい。賢い人たちらしいから、この先もわざわざ兄と連絡をとりあって、面倒を背負いこむことはないだろう。

親もなくなったし、親の財産のほとんどを兄が手に入れたのだから、わたしももう実家のことにはかかわらないつもり。「兄妹仲良く」しなくてごめんね、お母さん。でも、いがみ合うよりはいいでしょう?

2025/11/24

『平凡的世界』読了しました

 二カ月かけて路遥『平凡的世界』を読み終えました。

切ない結末でした。

極貧の農民孫玉厚の二人の息子少安と少平を中心に数多くの人物の山あり谷ありの人生を描いた作品。

最後に兄少安は農民起業家として成功し、地元の小学校を立て直し、人生の頂点を迎えるが、それと同時に妻を失う。

少安は炭鉱労働者となり、部下を助けるために重傷を負い、顔に大きな傷痕が残るが、亡くなった上司の妻子とささやかな幸せを手に入れる。

誰の人生にも光の当たる面と闇の面がある。重い余韻を残す結末だった。




〇それと同時に日本語の本も数冊読んだ。どれも重い内容のものばかりだったので、次はもっと軽い内容のものを探して読むつもり。


2025/11/21

仕事が終わらない

 评估が始まって、急に短時間でやらなければならない仕事が飛び込んでくるので、

昨日は学生のノートを見終えることができなかった。

しかたがないので、月曜日の午後にやる予定。

〇今週、授業で「避ける」は「さける」と読む場合と「よける」と読む場合があって、

「よける」と読むときには近くにあるものに接触しないようにすることだと説明して、造句をしてもらったところ、何人かの学生が「雨をよけるために傘を持って行きなさい」という文を書いていた。

これ何だか変じゃありませんか?そこでこの文は正しくないと書いたのだが、何人もの学生がまったく同じ文を書いたということはたぶんどこかに例文として載っているのかもしれない。

こんな言い方を普通するのだろうか。

〇ここ数日、コメントが送信できません。すみません。

2025/11/19

暗雲立ち込めてきた

 当分、大学と家との往復以外は外出しないほうがいいかもしれない。

あっという間に抖音も日本を批判する動画ばかりになった。

(少し前は、黒人と結婚するとこんなに不幸になるよという内容のAI動画が多かった)

うちの大学で主催するコンテストもできるかどうかわからなくなったそうだ。

そうなったら、おそらくネット上で開催することになるのだろうが、

まったく盛り上がりが違うだろうし、がんばってきた学生もがっかりするに違いない。

こういうことは数年ごとに繰り返されてきたが、今度は2012年の再来といえるくらい深刻な状況になるかも。



2025/11/11

みんなへとへと

 学校の评估が来週から始まる。

その準備で先学期から何度も書類を提出したりして忙しかった。

なぜ同じような書類を何度も何度も少しずつ修正してシステムやSNS上のフォルダに提出しなければならないのか。しかも、どんどん内容も多く複雑になっていく。山のような書類を一つ直すと他の関連する書類もあわせて修正しなければならない。

一旦直したのに、後からまたもとの通りに直してくれと言われて、一連の書類をそれに合わせてなおし、あちらにもこちらにも提出する。そのうち、みんな混乱して、かえってミスが増えてめちゃくちゃになってしまったりした。

個々の授業について、何人もの先生が集まって改善策を出しあったりもした。でも、みんながああでもない、こうでもないと言い合ったって必ずしも授業の質があがるわけでもない。

翻訳のチェックだって何度もやったからって必ずしも質があがらないのと同じ。

授業の実際もわからない人にあれこれ言われても、どうにもならないこともある。

そういう話を学内でもちょっと地位の高い先生に言ったら(話が分かりそうな人なので)、

「みんなそう思っているんです。でも、おかしいと思っても、この船に乗ってしまったら、従うしかないんですよ」みたいなことを言われた。

そう。みんなおかしいと思っている。形式ばかりにこだわって、細部ばかりにこだわって、もうみんなクタクタだし、それをやって何がプラスになるのかもわからない。でも、誰も逆らえない。あと四週間過ぎたら、すべてが終わるでしょう。

それまでがまん。


2025/11/08

スピコンと「蜻蛉日記」

 スピコンが終わった。

結果は三等賞。この三等賞というのは3位のことではない。

特等賞2名、一等賞1名、二等賞5名、その他がすべて三等賞。

昨年の学生は二等賞だったので、今年も期待が高まっていたが、惜しかった。

テーマスピーチはよかったが、即興スピーチは考えがまとまらない感じだった。

去年の学生と今年の学生の実力は、同程度だろうと私は思っている。

むしろ、試験などをやったら今年の子のほうが上。

それに会話の練習として親や友人についての話をしていると、思わず「いい子だなあ」と心を打たれるような純真さもあった。

しかし、コンテストはそういう面を評価するものではないし、やはり本番に強いかどうかなどが作用して、

結果としては成績にかなりの差がでてしまった。

結果は結果。この二カ月の指導で会話力もあがっただろうし、挑戦したという経験もできた。そちらのほうが大事。

〇『蜻蛉日記』そのものを読む前に、手始めに田辺聖子の『蜻蛉日記をご一緒に』という本を読んでみた。

蜻蛉日記の内容だけでなく、当時の文化や政治状況など日記の背景も詳しく書かれていて、おもしろかった。

『蜻蛉日記』といえば、「どろどろした女の嫉妬が書かれている日記」のような印象だったが、田辺聖子の本を読んでみたら、印象が変わった。

私は道綱の母のように文才豊かでもないし、夫も兼家のように功成り遂げたわけでもないが、この日記に書かれている道綱の母と兼家の姿がわがことに重なって見えた。

男性は外の世界にうつつをぬかしている間には、妻のことなんか平気で忘れているし、急に思い出して機嫌をとってきても、妻のほうはそう簡単に喜ぶことができない。

喜ぶどころかどうしてわたしが必要としていたあの時やこの時にはその心遣いを見せてくれなかったのだと思ってしまうのだ。

特に、男女の間で相手のことが心に占める割合が大きく異なると、女性はつらいだろう。

現代の日本は女性も世界が広くなったからまだマシだろうが、蜻蛉日記の時代には、貴族の女性は宮仕えでもしていなければ、家の中で夫が来るのを待ったり、子どもにかまけたりするばかりの生活であり、それは鬱憤もたまるだろう。

彼女に共感するのはわたしの性格が悪いせいもあるのだろうが、わたしには「蜻蛉日記」の作者は、すなおになれないかわいい人のように思えてしまった。ただ、友だちになったらやはり面倒くさいと思うのだろうけど。


2025/11/07

今日と明日

 今日と明日がスピコン。

夕方でかけて報到して、食事して、リハーサルして帰ってくる。

明日はスピコン本番。

この日程って本当にきついよね。主催校はらくだけど。

さらに、主催校は毎年特等賞。たしかに主催校の学生は毎年優秀なのだけど。

もはや特等席が用意されているという感じがどうしてもしてしまう。

学生は純粋な気持ちで臨むけれど、結果は大人の事情で決まる。

各学生のパフォーマンスに対する点数だけで決めればいいのに、最後に審査員が協議をして受賞者を決める。

協議って何よ。毎回思う。点数の他に、何を協議する?

そういうモヤモヤがあるので、もうそろそろこの指導の役を降りたいと思っている。

2025/11/05

晩秋

 この間までエアコンをつけていたのに、すっかり晩秋の雰囲気になった。

朝6時すぎに起きるがまだ薄暗い。

午前中に授業。昼から3時まで宿題を見たり、学生と連絡を取ったりして、

3時からコンテストの指導。5時近くに学校を出て帰宅したら、もうすっかり暗くなっている。

こうしてわたしは忙しいが、ほとんど学校で見かけない先生もいる。

いつも学校にいて忙しい忙しいと言っている人もいる一方で、

学校であまり見かけることもなく、SNSに頻繁に写真投稿をしている人もいる。

正直なところ、わたしはお金のためというより、働くためにここにいるのだから、

それでもいい。でも、少し疲れたな。

今週末はスピコン。昨年よりも、しっかりした子を代表として連れて行くので気が楽だ。

昨年の子は情緒不安定でさんざん手こずったが、本番では別人のように堂々といつも以上の力を出せる常人離れしたところがあった。

しかし、今年の子はそこそこ優秀で大人びているが、本番ではいつも通りの力しか出せないような気がする。

昨年の学生が思いがけずよい成績を収めたので、周囲の期待が高まってしまっている。

わたしは学生にあまりプレッシャーをかけないように、ケラケラ笑いながら、ゆるい雰囲気で指導しているが、吉と出るか凶と出るかは、当日になってみなければわからない。


2025/11/03

一週間たった

 一週間たって、また月曜日。

その間に学校の運動会があった。開会式しか参加しなかったが。

「平凡的世界」は三分冊のうち二冊を読んだ。

少安と少平の兄弟のうち、少平が炭鉱労働者になったあたりまで読んだ。

日本語の本にも読みたい本があるのだが、まず先にこれを読んでから。

今週末には、スピーチコンテストがあるから、二日間それに行かなければならない。

指導している学生は風邪を引いたようだ。当日までによくなってほしい。