法師のことだ。
いまいるお坊さんの学生の中に翻訳できる力がある人は私がみるところではいない。
それなのにまったく力がない学生に翻訳をやらせてわたしに修正をなげてくる。
実際はわたしが翻訳しているに等しい。料金が発生するときもしないときもある。
それでも、学生が自分なりにできるだけがんばって翻訳して、修正された箇所を見て勉強するのなら、それも意味のあることだともいえる。
しかし、最近、他の学生によれば法師のお気に入りだという学生Aが翻訳をするようになった。
ニ三日前にAはわたしに彼女が作成した訳文を微信で送信してきた。手書きで書いたものを写真にとったもので、「これを修正してください」と書いてある。
Wordファイルにもなっていないものをどうやって修正しろと?
そこで「これでは修正できないのでWordファイルで送ってください」と言ったら、昨日、Wordファイルが送信されてきた。
しかし、まったく日本語になっていないのはもちろん、地名・人名なども間違いだらけ。
ただ、漢字と平仮名まじりの「日本語のようにみえる何か」にしただけ。
辞書も引かず適当に打ち込んで見直しもせずに送ってきたのだろう。
「無責任」という言葉が頭に浮かんだ。
こうしたものは、修正後は学生が訳したものとして公表される。
こうして、「うちの学院では学生が翻訳を担当しています。教育の成果があがっています」ということになるのだろうな。実際はわたしがやっているのに。
以前、法師はある学生Bは成績が優秀だから、大勢の前でスピーチをさせたと言っていた。
しかし、わたしが見るところではBにはとてもそんな力がない。
また、あるとき学生Cが平安時代の古語の文章を読んで論文を書いたと言っていたが、わたしが見るところではCにはとてもそんな力がない。
「そんなことはできないでしょう?」とわたしが言うと、「いいえ、できるのです」と。まったく話が通じない。
なぜだか知らない間にぬるりとわたしがすることになってしまった翻訳チェックだが、今後は断りたいと思っている。しかし、また法師に連絡すると面倒なことになるし、やれば一回一時間程度でできる仕事だし、がまんしてやったほうがいいのだろうかと思うこともある。
いろいろと逡巡して、昨夜は法師には連絡せず、学生Aに「もっときちんとやれ」という内容のコメントを送信した。