2025/02/27

連絡があった

昨日と今日は家の片づけをするつもり。

昨日もやったが、肩が痛いのと怠け心から少し家事をするとすぐに休みたくなってしまう。

わたしは日本にいる間はあまり料理をしないので、台所の収納の中などはあまり見ない。

しかし、昨日、台所のあちこちを拭き掃除していて収納をあけたら、10年以上前に買った未開封の調味料や洗剤などをたくさん見つけてしまった。もうどれも使えないだろうと思ってプラスチックの容器に入っているものは中身を捨てて、今朝ゴミに出した。しかし、瓶はもう今回の滞在中には捨てられないので、瓶入りの調味料は次の帰国時にすてることにした。

それに未使用のカセットボンベも三本。これも10年以上前に購入したものなので放置しないほうがいいだろう。今日、外で中身を抜いて、缶は燃えないゴミとしてまとめておくつもりだが、ガス抜きはしたことがないので怖い。

今になってあれもこれも洗いたくなってきたが、もう時間がない。

〇今回の帰国時にも帰国してすぐに中国人のお坊さんに「食事でもしましょう」と連絡し、「休みになったら連絡をします」という返事が来て以来、何の連絡もなかったのだが、昨日になって連絡があった。二月の下旬に時間ができたら会おうと思っていたのだが、一人のお坊さんが目を悪くして入院したので、連絡ができなかったとのこと。次回の帰国時にまた連絡を取り合うことになった。まだ若い人なのに目を悪くしたというのはどうしたのだろうと心配になった。夏にはお互い元気な姿で会いたいものだ。

2025/02/26

眼科

 昨日は午後から眼科へ。

ずっと左目の不調を感じていたので、一度検査しておいたほうがいいかもしれないと思って、近所の評判の良い眼科へ行ってみた。午後二時から診療があるのでそのころ行ったらすごい行列。まず視力検査があった。17年前にレーシックをした時の視力を言ったら、いまもその時と変わらない視力があるし、メガネも度があっているという。

その後、瞳孔を広げる点眼薬をつかって瞳孔を広げて医師による診察があった。

左目は白内障。10年くらい前に北京で検診をした時にも若干白内障があるといわれたが、それが進行していた。レーシックで見えるようになっていても、目自体は強度近視の目のままなので、早く白内障になりやすいそうだ。これは様子をみてもいいが、さらに視野の検査などをしないと緑内障などがないと断定できないので、次回はその検査をしましょうとのこと。

「もうすぐ中国に戻るので検査はその後でもいいですか」と聞くと、それでもいいと言われ、

半年分の白内障予防の点眼薬をもらって帰宅。結局、半日かかって、外に出たらすっかり暗くなっていた。

これから毎日朝昼晩と点眼し、半年ごとに検査をしなければならない。

年齢より若く見えるとよく言われるが、頸椎は悪くなるし、目は悪くなるしで、身体は正直に衰えを表している。やりたいことはやれるうちにやらないと。

〇それにしても美容室で洗髪する時も、眼科で検査をする時も、肩と腕が痛む姿勢をとらなければならなくてつらかった。はやくすっきり直らないかな。

2025/02/25

美容院

午後から美容院へ。ヘアマニュキュアとカット。

予約できない美容院だが、空いていたのですぐに呼ばれた。

どうしてほしいかをざっと伝えてシャンプー台でサッと洗髪してもらう。

それからいつものようにカットして、マニュキュアを髪の毛に塗布してもらい、しばらく放置して、またシャンプー台へ。

このところ、少し「痛たた…」と言いながら、普通に生活できていたのに、シャンプー台に乗ったら激痛が。がまんしていたが、耐えられなくなって「背中が痛いので、休ませてください」と言ったら、後は手短に急いですすいでくれた。「肩や首が痛いとおっしゃるお客様は多いんですよ」とのこと。

そうだろうなと思った。都内はともかく郊外で美容院に来るのは 高齢者が多いだろう。

そのあと、夫が購入を検討している家があるから見に行ってくれというので、都内まで見に行く。駅ちかで割安だというのだが、見れば一目でなぜ割安なのかはわかるものだ。

家はきれいだが、昔の下町らしいゴチャゴチャした場所に無理やり立てたような家。ガレージはあるが、周辺は車が行き来するのもたいへんそうだし、同じような三階建ての家ばかり建っているので日も差さない。

たしかに便利な場所で割安だが、今の家を出てここに住み替えて老後をすごしたいような魅力がない。

写真といっしょに夫に「買いたくない理由」を大げさに書いて送った。

わたしが買いたい予算内のマンションがあるのだが、それは夫に却下されている。

こんなではたぶん意見が合うことはないだろう。

2025/02/22

40年ぶり

 昨日は春月ねいさんと池袋で食事するつもりだったが、目当ての店は定休日でもないのに休み。そのままねいさんの家付近に行き、イタリアンの店で食事した。都内でも繁華街以外はお店に入りやすい。そのあたりは母校の寮があったところで懐かしかった。

ねいさんは自宅がずっとそこにあったということなので、当時、同じ商店街や同じ駅ですれちがったかもしれない。商店街は当時と一見同じように見えたが、よく見ると当時よりもすたれた感じだった。個人商店には厳しい時代なのかもしれない。

寮があった場所は大規模マンションが建っている。わたしはここを購入したらどうかと昨年夫に言ったのだが、夫が定期借地権のマンションは期限が近付いたら建て替えも売却もできなくなるからという理由で却下したところ。そのマンションの周りをねいさんとグルグルまわってみてみた。

その後、ねいさんの家に長居していつものようにベラベラ話す。

本当に老後はどうしようね。わたしは子どもも育って人生の放課後で、子どもの心配もしていないし、後は自分が気が済むように生きればいいだけ。わたしよりも厳しい条件の人はいくらでもいるだろうから、不満を言ってはいけないが、それでもやはり誰にでも迷いはある。

ねいさんは三月に中国に行く予定とのことだが、自分の家だし、雇い主だし、家政婦には負けないでしょう。北京の春はあっという間に来てあっという間に去ってしまう。いい時期にあたるといいですね。三月はまだ寒いかな。


           わたしは土産に干し芋と落花生をもって行ったが、
           ねいさんからもらったのはこんなおしゃれな和三盆。


2025/02/20

OSK三銃士

 今日は銀座博品館劇場にOSK「三銃士」を見に行った。

まだ肩や腕が痛いけれど、なんとか大丈夫だった。明日もでかけるけどたぶん大丈夫でしょう。



2025/02/19

「都挺好」見終わった

 感動的なラストということだが、わたしにとっては納得できない結末だった。

父は子どもたちを呼び寄せて遺言を告げる。「自分は母親とちがってひいきはしない。娘がいちばんお金をかけてもらわなかったので一番たくさん遺産をもらうべきだ。次男は今までたくさん家のお金を使ったのだから、もらえる遺産はいちばん少ない」と言った後で、「娘は金持ちだからはした金をもらってもしかたがないだろう。次男がいちばんお金に困っているから、遺産は次男に全部渡す」という。なにそれ? 真人間になった次男は後からその金を返すのだが、父は何を考えているのだろう。

さらに、長男には妻子があるし、次男は分かれた妻とよりを戻すためにこれから海外に行ってこれまでの出遅れを挽回しなければならないからということで、父は娘の家で娘の世話になることになる。

アルツハイマーを患った父を放って置くことはできないので、娘はせっかく会社の社長の座まで上り詰めたのに仕事をやめて、ボーイフレンドのレストランを手伝いながら父の世話をすることにする。

娘の上司は「仕事はやめるな。父の面倒を見る人を雇えばいい」というのだが、「金では解決できない。やはり家族がそばにいて交流し支えることが大切なのだ」という結論になる。


この「不自由がない生活をしていたとしても、息子や娘など家族が世話をしない老人はかわいそう」という考えは何度もこのドラマの中で繰り返され、結局は「あること」から父の思いを知った娘が父を愛するようになり、この考えの通りの行動をとる。

納得できますか。しかも、いちばん虐げられた娘がそういう結論を出して自分の前途を犠牲にする。そして何だかわからないが、家族みんなの心が通じ合って大団円となる。それが「感動の結末」だそうだ。

このドラマの主張とは、つまるところ、春月ねいさんの悩みの種の家政婦の主張と同じではないか。ということは、あの家政婦がいうことは中国人の共通認識なのだろうか。

しかも、以前ヒットした「我的姐姐」という映画のように、こういう中国のドラマや映画では「女性が家族のために自分を犠牲にする」ことが美談だと思われているような気がする。

わたしはこのドラマの主人公のように心がきれいではないので、ボケた父が「お前のことを思っていた」と言っても、「どうしてその時にそれを行動に移してくれなかったのか。いまさら言ってどうする?」と冷たく思ってしまいそうだ。結局、父は娘には遺産をやらずに息子にやったし、自分の世話をするという負担を息子には背負わせずに娘に背負わせるという判断をしたではないか。そんなじいさん、どうなったってかまわないから、山にでも捨ててやればいいのに。なぜ冷徹な娘が最後に甘々になってボロ泣きして父を受け入れてしまうんだろう。

なんだか胸糞悪くなってきた。春月ねいさん、ぜひ見てみてください。「老人をたぶらかし食い物にする家政婦」も出てくるし、興味深く見られると思います。


「都挺好」あと少し

休み中に来学期のためにやらなければならない仕事がいくらかあるのだが、
ぜんぜんやっていない。腕が痛むからというのもあるが、「都挺好」を見てしまってからやろうと思っているからというのもある。
あと4話くらい。ドラマに出てくる父親がほんとうに頑固で頭がわるくて自己中心的でイライラする。
見ていると、わたしの父のいやなところを思い出したり、中国のじいさんのいやなところを思い出したりする。そういう「じいさん」にありがちないやなところを集めて煮詰めたような人物なのだ。この父は63歳という設定らしい。中国だと日本より人が早く老けるような気がするが、63歳でこんなになってしまうのだろうか。
やりての妻がこんなどうしようもない男と結婚したのは、農村出身の妻が「都市の戸籍」を狙ったからだ。そして、一生、尊重もされず、食い物にされてきたということがわかる。
妻が死んだら、投資話で食い物にされ、家政婦に食い物にされ、そのたびに子どもたちが振り回される。
「もうそんな父はほっておけ」と思うのだが、そこはそうできないのが「百善为先」の中国なのだ。見ているとイライラしっぱなし。

とはいえ、先が気になって、これを先に見終わってしまわないと、他に何もできない。さあ、続きを見なくちゃ。

2025/02/18

出雲旅行と頚椎症 その二

 二日目はもちろん出雲大社。

           ↑よくガイドブックなどに写真が載っている出雲大社神楽殿


ぶらりと適当な時間にホテルをチェックアウトして駅につくと出雲大社へ。

ガイドブックに書いてあるモデルルート通りに、出雲大社、命主社、稲佐の浜、古代出雲博物館と見た。稲佐の浜はすさまじく寒かったので、写真をとったら一目散に退散。途中に出雲阿国の墓があったのでそれも見た。夜は玉造温泉で温泉旅館らしいごちそうを食べた。島根の郷土料理らしいものはここでほとんど食べることができた。


三日目は松山。

三日目だけが晴れ。松江城に行って、堀川で船に乗って観光。堀川観光はよかった。周辺の景色も春めいてよかったし、座ったままの観光で楽だったから。

それから小泉八雲ミュージアムや旧居、武家屋敷などを見た。半日程度でガイドブックにあるところはほとんど見られた。夜は松江駅の近くでまた出雲そばを食べて、飛行機で羽田へ。国内線はもう6年か7年乗っていないので、とまどった。11時ごろに家に着。

              松江城


出雲観光はとてもたのしかった。しかし、キティ展で二時間も待ったあたりから背中の痛みでて、石見銀山や出雲の寒さでどんどん悪化した。月曜日を待って整形外科を受診。

整形外科ではやはり頸椎から来る神経痛だろうということだった。レントゲン写真を見ながら丁寧に説明してもらった。ストレートネックではあるが、それほどひどい状態ではないとのこと。痛みはがんなど深刻な病気からくるものではないので、鎮痛剤を服用してしばらく安静にして様子を見るようにとのことだった。

今日になってやっと普通にいろいろできるようになったので、やっと部屋にかけたままにしてあった着物を片付けたり、布団を干したりした。でも、まだ腕と肩が痛い。

冬の旅行はやはり暖かいところに行くべきだった。


出雲旅行と頚椎症 その一

 先週の月曜日から娘と島根に旅行に行った。

娘がまえから乗りたいと思っていた夜行特急サンライズ出雲で。

夜行列車に乗るまでの昼の時間は東京で遊ぶことにした。

まずずっとご無沙汰していた築地本願寺。しかし、数十年ぶりに行った本願寺は工事中できれいな写真は撮れなかった。お寺のカフェで昼食をとって、上野へ行き、ハローキティ展。

娘があらかじめチケットをとってあったので、月末にキティ展が終わるまでに見なければならない。しかし、行ってみると130分待ち。寒風吹きすさぶ中で二時間程度待って入ったが、たいしておもしろくなかった。(人によってはおもしろいかもしれないが)

都内の銭湯でひと風呂浴びて、東京駅構内で食事をして、サンライズ出雲に乗った。



                                  ↑個室内
翌日10時出雲着。そのままローカルな電車とバスを乗り継いで石見銀山へ。雪が積もってものすごく寒かった。まず世界遺産センターへ。
ガイドさんに一人500円で龍源寺間歩という銀山坑内まで案内してもらった。
ここでガイドを頼んだのは正解だった。娘と二人だけで行ったら、銀山の坑内はただの洞窟にしか見えないだろう。世界遺産なのに人気がないのは、何も知らずに行くとただの洞窟にしか見えないからだろうとガイドさんが言っていたが、その通りだろう。
その後、ガイドさんと別れて娘と古い町並みを見た。飛騨高山のような風情のある街並みだが、寂れてしまったのかそれとも休日の翌日だから定休日だったのかわからないが、どこも閉館・閉店していた。街並みにはそれほど見るものもなく、小雨が降る中、なかなか来ないバスを長時間待って、出雲市へ。出雲そばを食べてホテル着。一日目の石見銀山観光は寒さで過酷だった。


2025/02/10

物干し竿が折れる

 夫が先週中国に戻ったので、夫が使っていた毛布やシーツを洗った。

それをベランダの物干しに干したとたんに物干し竿が途中からグシャリと折れてしまった。

新しい物干し竿は近所のホームセンターで購入したら、890円でとてもやすかった。

それを冷たい北風がピューピュー吹く中を家に持って帰った。

それで、古い物干し竿はどうしよう。市のサイトを見てみたところ、粗大ごみに含まれることはわかったが、引き取りにいくらかかるのかはわからなかった。粗大ごみの三辺の最大長さで料金が決まると書いてあるが、その通りなら3000円近くかかることになる。

ネットで調べてみると、多くの人はパイプカッターや金属用のノコギリで短く切って、燃えないゴミとして出しているようだ。

家の中を探してみると、夫の工具箱の中に金属も切れるという糸鋸があった。それで切ってみようと思ったが、かなりの時間をかけていくらか切れ目が入っただけだった。このようすでは、物干し竿を燃えないゴミに出せるような長さに切るには一日かかるだろう。しかも、外は風も強いし寒い。

というわけで、金属用ノコギリで切ることはあきらめた。ネットで見ると、Daisoで500円程度でパイプカッターが買えるらしい。いちばん近いDaisoは歩いて10分程度だが、行ってみると売っていなかった。次にそこから20分程度歩いて駅ビルの中のDaisoにも行ったがそこにもなかった。物干し竿を買ったホームセンターに行くと、パイプカッターは売っていたが、一番安いのでも2000円。

買わずに家に帰ってネットで870円の一番安いパイプカッターを注文した。しかし、これで自分で切れるかしら。

こうして、一日が物干し竿のことでつぶれた。このあいだは一日がパソコンのことでつぶれたし、やりたいこともやれずに無駄に日が過ぎていく。

夜になったら、今年度の有給休暇消化のために休みを取った娘がやってきて、夫が帰った後にやっと片付けたリビングがまた散らかり放題となった。まったく疲れることばかり。

2025/02/08

今日も中村屋

 今日は朝から着物を着て、中村屋へ。

息子とその奥さんと会食。土日は平日より少し高いけれど、品数も少し多いみたい。

いろいろお土産ももらった。今日もらったマグカップなどは日本の家で使うことにしよう。

いままでなんとなくどこかでもらった販促品のコーヒーカップをずっと使っていた。

会社名みたいなものがドカドカっとかいてあるやつを。

それと、久々に着物を着て草履をはいて歩いたら、そんなに歩いていないのに足の裏にマメができて、すごく疲れた。わたしよりも年齢が上で着物を着て遠出ができる人はすごいわね。

〇妹に勧められて「それでも家族」という中国のドラマを少しずつ見ている。

何かの有料チャンネルで見られるようだが、YOUTUBEで日本語字幕が付かないものが見られるのでそれで。中国語の題名は「都挺好」という。

妹が勧めてくれた理由がわかった。見ると心がざわつく。たぶん、春月ねいさんもこれをみたらそうだろう。


2025/02/07

パソコン来たらどうしよう

 昨日は、夜、渋谷のシアターオーブでミュージカル「ケイン&アベル」を見に行く予定で、午前中は家でのんびりしていた。

パソコンで「ケイン&アベル」の情報などを見ていたら、突然フリーズ。

サインアウトしようと思ったがそれもできなかったので、電源ボタンを長押しして強制終了したら、それっきり電源が入らなくなってしまった。

ボタンをおしてもライトもつかないし、起動する時の音もしない。

kindlefireで電源が入らない時にどうしたらいいか色々調べて、放電してみたり、筐体の裏のリセットボタンを押してみたりしたが、コトリとも動かず。

まだ購入して一年半のパソコンなのに。ネットで富士通の公式サイトを見てみると修理に60000円以上かかるようなことが書いてある。

メーカー系ではないパソコン修理業者もいろいろあるが、レビューを見るとあまり評判がよくない。三月に適当な業者にiPadの電池交換をしてもらって後悔したので、パソコン修理業者は選択肢からはずした。

60000円以上かかるなら、一年半も使ったことだし新しいのを購入したほうがよいのかと思い、ミュージカルを見るのにはまだ早かったが家を出て、途中駅でおりてビックカメラに行ってみた。パソコンはAsusなどを除くとどれも以前よりもずっと高くなっていた。

今回故障したのと同等のものは20万円以上。妥協して12~13万円のを買おうかと思った。店員に「新しいパソコンを購入したら、故障したパソコンは回収してもらえるのか」と聞いてみたが、故障しているものはだめらしい。ただハードディスクを破壊するサービスはあるという。

そのまま都内に向かう電車に乗り、いろいろネットで新しいパソコンや故障したパソコンの廃棄方法などを調べる。そしてアマゾンの整備品パソコンをポチった。

しかし、その後、レビューを見ると結構あたりはずれがあるようす。

キャンセルしようと思ったが、もう発送段階にあるとかでキャンセルできなかった。

都内についてミュージカルを見て深夜に帰宅。

朝起きてからまたkindleでいろいろ調べていると、寒い部屋で使用していると電源が入らないことがあると書いてある。エアコンを付けてみて試してみたが、その時はやはり電源が入らなかった。

それからさらに部屋の温度があがり、もう一度電源コードをつないで電源ボタンを押してみたら、あらら、普通に起動した。

明後日、整備品のパソコンが着いてしまうがそれはどうしよう。

いったんこういう故障をしたということは、このパソコンはこれからも頻繁に故障する可能性があるということだろうか。それなら、とりあえず新しいのも手元に置いておこうか。

それとも、着いたら返品できるかどうか、試してみる?

どうしよう。

2025/02/05

25年ぶり

 昨日はつくばに住んでいた時の友達3人と会って食事をした。

そのうち二人は前回の帰国時にも会った人だが、もう一人は25年ぶり。

ずっとあっていない人たちのことなどについても話を聞いた。

あの頃の知り合いは、お子さんたちもなかなか立派な職業についている人が多い。

あそこに住んでいるときには普通だと思っていたが、やはり特殊な場所だったのだろう。

いまは普通の町に近づいたが、TX沿線以外は相変わらず交通が不便で、そこで働いていた人がそのまま分譲地を買って老後をすごしているらしい。

お母さんたちも知的な人が多かったが、みんなそこでボランティアや趣味などをやって長い人生をすごしてきたようだ。

彼女たちが満足な人生なのかどうかはわからない。物事を荒立ててまで自分を通すようなこともないある意味賢い人たちにも見える。それでも、日本って女性の能力をむだにしてきたのではないかと少し悲しかった。


2025/02/04

この一週間いろいろ

 先週の火曜日、春月ねいさんと食事してからもう一週間たった。

その間、何をしていたのか、もうよく思い出せない。

夫が日本に戻ってきてキッチンのガスコンロを替えるとか替えないとか。

それから夫と娘と息子で都内であって食事したり、その後、娘と映画「ベルサイユのばら」を見たり。

その次の日には妹と実家に母の様子を見に行ったり。

昨日は午前中は歯医者。午後は昼寝して、夕方買い物。

本帰国の後のことについて色々決めなければならないのだが、結局、何も進まない。

もう少し様子を見てからと思っている間に人生の時間がなくなってしまうような気もする。

去年一年、今年になってからの一か月もあっという間にすぎてしまったし。

〇「ベルサイユのばら」は上野の映画館でみた。

楽しみにしていたのだが、都内以外は上映館が少ない。

入口で原画の複製が入った大きな封筒をもらって得した気分になったが、家に帰ってさっと見たら本棚の隅に押し込む。娘も自分がもらった分をリビングのテーブルの上に置いて帰ってしまった。こういうプレゼントってそういうもの。

映画は二時間弱の間にあれだけの内容をつめこんだので、ダイジェスト版みたいな感じ。

絵やセリフは昭和の時代の池田利代子の原作のまま。今見ると、いかにも仰々しい。

でも、観客の多くが見たところ60代以上に見えた。

そういう人たちのイメージを損なわないように作ったんだろう。

見てそんなに内容がよいとも思わなかったが、劇場で見なければ後々まで心残りだったろうから、見てよかった。

〇母は8月に会った時より衰えた感じ。話が通じない。

わたしは中国に戻るので欠席するが3月に法事をやるらしく、兄がかいがいしく会食の予約などをしていたし、お茶まで入れてくれた。8月に行った時にはわたしと妹が行っても顔も出さなかったのに。相変わらずなんだかわからないが、兄がそういう感じなら、当面は大丈夫なのかもしれないと都合よく考えた。