2025/02/22

40年ぶり

 昨日は春月ねいさんと池袋で食事するつもりだったが、目当ての店は定休日でもないのに休み。そのままねいさんの家付近に行き、イタリアンの店で食事した。都内でも繁華街以外はお店に入りやすい。そのあたりは母校の寮があったところで懐かしかった。

ねいさんは自宅がずっとそこにあったということなので、当時、同じ商店街や同じ駅ですれちがったかもしれない。商店街は当時と一見同じように見えたが、よく見ると当時よりもすたれた感じだった。個人商店には厳しい時代なのかもしれない。

寮があった場所は大規模マンションが建っている。わたしはここを購入したらどうかと昨年夫に言ったのだが、夫が定期借地権のマンションは期限が近付いたら建て替えも売却もできなくなるからという理由で却下したところ。そのマンションの周りをねいさんとグルグルまわってみてみた。

その後、ねいさんの家に長居していつものようにベラベラ話す。

本当に老後はどうしようね。わたしは子どもも育って人生の放課後で、子どもの心配もしていないし、後は自分が気が済むように生きればいいだけ。わたしよりも厳しい条件の人はいくらでもいるだろうから、不満を言ってはいけないが、それでもやはり誰にでも迷いはある。

ねいさんは三月に中国に行く予定とのことだが、自分の家だし、雇い主だし、家政婦には負けないでしょう。北京の春はあっという間に来てあっという間に去ってしまう。いい時期にあたるといいですね。三月はまだ寒いかな。


           わたしは土産に干し芋と落花生をもって行ったが、
           ねいさんからもらったのはこんなおしゃれな和三盆。


1 件のコメント:

  1. でもびっくりするほど小さかったわね、やっぱり実物を見て買わないと、と思いました。東京でも杭州でもつくばでも、すれ違っていたなんて、不思議な縁ですよね~。

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