感動的なラストということだが、わたしにとっては納得できない結末だった。
父は子どもたちを呼び寄せて遺言を告げる。「自分は母親とちがってひいきはしない。娘がいちばんお金をかけてもらわなかったので一番たくさん遺産をもらうべきだ。次男は今までたくさん家のお金を使ったのだから、もらえる遺産はいちばん少ない」と言った後で、「娘は金持ちだからはした金をもらってもしかたがないだろう。次男がいちばんお金に困っているから、遺産は次男に全部渡す」という。なにそれ? 真人間になった次男は後からその金を返すのだが、父は何を考えているのだろう。
さらに、長男には妻子があるし、次男は分かれた妻とよりを戻すためにこれから海外に行ってこれまでの出遅れを挽回しなければならないからということで、父は娘の家で娘の世話になることになる。
アルツハイマーを患った父を放って置くことはできないので、娘はせっかく会社の社長の座まで上り詰めたのに仕事をやめて、ボーイフレンドのレストランを手伝いながら父の世話をすることにする。
娘の上司は「仕事はやめるな。父の面倒を見る人を雇えばいい」というのだが、「金では解決できない。やはり家族がそばにいて交流し支えることが大切なのだ」という結論になる。
この「不自由がない生活をしていたとしても、息子や娘など家族が世話をしない老人はかわいそう」という考えは何度もこのドラマの中で繰り返され、結局は「あること」から父の思いを知った娘が父を愛するようになり、この考えの通りの行動をとる。
納得できますか。しかも、いちばん虐げられた娘がそういう結論を出して自分の前途を犠牲にする。そして何だかわからないが、家族みんなの心が通じ合って大団円となる。それが「感動の結末」だそうだ。
このドラマの主張とは、つまるところ、春月ねいさんの悩みの種の家政婦の主張と同じではないか。ということは、あの家政婦がいうことは中国人の共通認識なのだろうか。
しかも、以前ヒットした「我的姐姐」という映画のように、こういう中国のドラマや映画では「女性が家族のために自分を犠牲にする」ことが美談だと思われているような気がする。
わたしはこのドラマの主人公のように心がきれいではないので、ボケた父が「お前のことを思っていた」と言っても、「どうしてその時にそれを行動に移してくれなかったのか。いまさら言ってどうする?」と冷たく思ってしまいそうだ。結局、父は娘には遺産をやらずに息子にやったし、自分の世話をするという負担を息子には背負わせずに娘に背負わせるという判断をしたではないか。そんなじいさん、どうなったってかまわないから、山にでも捨ててやればいいのに。なぜ冷徹な娘が最後に甘々になってボロ泣きして父を受け入れてしまうんだろう。
なんだか胸糞悪くなってきた。春月ねいさん、ぜひ見てみてください。「老人をたぶらかし食い物にする家政婦」も出てくるし、興味深く見られると思います。
あいやー。姉さんの大学費用がほぼ不要になったので、大学費用積立金どうする?無事卒業するまでは手元に置いとくけれども、とか、スマホ買い換え費用は親か本人ボーナス払いか、を超越する内容。
返信削除ひょえ~、無理っぽ、ぽぽぽーい!
返信削除大学のための積立金は、親の老後資金にすればいいと思います。
返信削除娘が大学院時代にスマホを買い替えた時には、費用は自分でださせました。しかし、ばかな夫が社会人になった子どもたちにいまだにお金をやっています。あほー。
「あらすじ」を探して読んで、家政婦に食い物にされている第40話をちょっと見たら、心臓バクバクしてきたので、やめまちた。
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