2023/10/21

とりあえずよかった

 スピコンに出場する学生の指導をしているのだが、

とりあえず録画による予選に通った。とりあえず、よかった。

あと二週間で本番。

学内で選ばれた子はおとなしいけど、肝が据わっている。

普段、とても内向的に見えるのに、本番になると人が変わったように腹が据わる子っている。

今学期は他の大学よりも始まるのが遅くて、準備が出遅れたけど、なんとかなるかも?

結果はともかく、終わったときに「自分として納得がいく」ことが大切。

以前、他の先生が指導した学生で、即興スピーチで何も話せなくて、泣きながら帰った子がいるけど、そんなふうにならないように頑張らないと。

〇たくにいさんもこけてしまったんですね( ;∀;)

この年になると、こけて「イタタタタ…」だけではすまなくなることもありますから、お互いに気を付けましょう。お大事に。


2023/10/20

焦る

 夏に日本で新しいパソコンを買って、こちらに持ってきた。

そのパソコンを家で使うことにし、それまで家で使っていたパソコンを学校に持って行った。学校で使っていたパソコンは廃棄した。

昨日の晩になってから、寺から電話が入り、学生が研修に行ってまだ戻ってこられないので、金曜日の授業はオンラインにしてくれという。

オンライン授業なら何度かやっていたので、「いいですよ」と答えたのだが、

夜、家に帰って、新しいパソコンで釘釘(ディントーク)を開いてみたら、以前と画面が変わってしまっていて操作方法がよくわからず、不安になった。夜のうちに試してみようと思って、いろいろいじっているうちに間違って大学の関係ない学生に電話をかけてしまったりした。その後も、ネットで調べたりしたが、実際に誰かにつなげて試してみないとわからないことが多いので諦めて寝た。でも、そのまま朝になって、仏学院の学生と釘釘がつながった後にビデオ会議をやってみたら、なんとかできた。

しばらくビデオ会議を利用していないうちに変更があったのか、前のパソコンと今のパソコンの釘釘のバージョンが違うのかわからないが、こういうものは少し間が開くともう乗り遅れてしまう。

〇そんなことを思っていたら、ついに春月ねいさんが北京に行く日が近づいてきたのだとねいさんのブログに書いてあった。ねいさんが数年ぶりでいく北京はどんなだろう。

わたしももう思えば5年くらい行っていない。5年ぶりで行ったら、何もかもかわっているのだろうな。もうすっかり変化に乗り遅れているかもしれない。

2023/10/18

烏龍事件

 うっかりしてした失敗を「烏龍事件」というらしい。


今日の私の「烏龍事件」は、お店をでたところで転んで、スマホとスマートウォッチを壊したこと。

スマートウォッチはガラスにヒビが入っただけで、見た目を気にしなければまだ使えそうだが、スマホは電源が入らなくなってしまった。

そんなに高いスマホではないから、修理しても新しいのを買っても、費用はそれほど変わらなそうだったので、ネットで同じものを見つけて買った。今年の初めに購入した時よりも300元くらい値下げになっていた。明後日に届くらしいが、明日と明後日は以前に使っていたスマホを使うつもり。バッテリーがだいぶヘタっているので、充電器も持って行って、昼休みに充電しないといけないかもしれない。

私はとても安いスマホを使っているが、こういうこともあるから、やはり高いものを買わないほうがいいのかも。

急に思いもよらない出費になったが、転んでケガをしなくてよかった。

自分の身体が何より大切。

2023/10/15

入学式が終わった

 アジア大会があったため、今年の入学式はいまごろやっと行われた。

授業も始まった。今年はアジア大会があり、そのボランティアに参加する学生が多いため、今学期の授業の二週間分を七月にやったが、もう学生はみんなその時の授業の内容を忘れているようだ。やっと国慶節もアジア大会も終わって授業がはじまったのに、アジア大会の後は「残奥会(パラリンピック?)もあって、それのボランティアに行く学生も多く、授業がなりたたないし、学生のやる気もない。

さらに日本の国力が落ち魅力がなくなっているせいで、日本語学科のレベルも年々低下しているらしい。授業をしている私たちのほうもだんだんやる気が保てなくなってしまっている。

他人のせいにしてもしかたがないので、なんとか楽しい授業にしたいと思ってはいるのだが。

〇対日感情も最悪なことを考えると、それでもよくこの子達は日本語学科に入ったなと思う。家族や親せきの反対もあったに違いないのに。学生たちが自分の選択を後悔させないために少しでもできることをしなければ。

2023/10/06

この数日

 茶室になった子久草堂はこんな感じです。



三月にお坊さんたちに紹興の柯岩景区を案内してもらったことを夫に話したら、「行ったことがない」というので、次の日に行ってみた。むかしはそのあたりは「小地方」だったから、行ってみようと思わなかったそうだ。
三月に行った時には、あまり人がいなかったが、この国慶節の休みには観光客であふれていて、食事をする場所もないほどだった。あちこちの舞台で越劇をやっていて、珍しい土地の食べ物などを売る店もあった。そういうものは夫には懐かしいようだった。


           ↑水上の舞台で越劇をやっている
公園の中で、いろいろ見て回ってから、出口まで船に乗って戻った。
その後、バスにのって魯迅故里の方向に行き、もう夕方だったが、小雨の中を秋瑾故居まで行った。もう閉館しているのはわかっていたけれど、義母の実家がそのすぐ近くにあったらしいが、行ったことがないので行ってみたいと夫が言うので、行ってみたのだ。以前に一人で秋瑾故居に行って場所を知っていたわたしが得意になって夫を案内していく。
義母の生家があった通りはもうそのころとは違う名前になっていたが、秋瑾故居にいた警備員に聞いてみるとその人は古くから紹興に住んでいる人だということで、その通りの場所を教えてくれた。もう暗くて雨も降っていたのでそこには行かなかったが、夫はそれで気が済んだらしかった。
その後、魯迅故居の近くで紹興料理を食べて帰宅。

次の日は、また義兄とその奥さんといっしょに、鍋を食べに行った。その後、そこから歩いて富義倉や香積寺を通って大関橋のほうに抜けて家に帰った。香積寺の裏から大関橋にかけておしゃれな店がならぶ「なんとか歴史街」ができていた。こういう新しい「古い街」は最近どこにもたくさんできつつある。以前に一人で来た時にはまだ建設中の店が多く、閑散としていたが、この休みは人でいっぱいだった。この日も、今年の冬に一人で出歩いて道を覚えた外国人のわたしが本地人の夫を案内した。「一人でさんざん遊んでいたんだな」と夫は言っていた。

そして、今日は午前も午後も寺の授業。昼にも、新しく入る学生の面接に駆り出された。
帰宅してからは、大学のコンテストに出る子の指導のために原稿を直したり、今後の指導のスケジュールを決めるために連絡のやりとりをした。急に忙しくなってきた。


2023/10/04

茶室になっていた

 北京から夫がきて、いっしょに義兄の家に行って、義兄の料理をごちそうになった。

北京の料理とちがってこのあたりの家庭料理は、あまり香辛料もつかわず、味も濃くないし、魚や野菜でだしを取ったよううなやさしい味だ。わたしも好きな味。この人の家はいつも片付いていて、落ち着いている。

どうしたらこんな生活ができるんだろうといつも思う。

そのあと、夫が行ったことがないというので、武状元坊のあたりにいってみた。

黄公望の子久草堂は、以前行った時には荒れ果てていたが、いまはキレイにして茶室として営業していた。その後、于谦祠まで歩いたが、もう閉まっていたので、湖沿いにバスにのって市街地に引き返したが、その道は行ってはいけない道だった。というのは、国慶節の休みだし、アジア大会もあって観光客が多すぎてものすごく渋滞していたからだ。龍翔橋の近くで夕食をして、また混雑した地下鉄にのって帰宅。

観光地に住んでいると、休日は近所で気軽に遊べないものなのだ。