茶室になった子久草堂はこんな感じです。
三月にお坊さんたちに紹興の柯岩景区を案内してもらったことを夫に話したら、「行ったことがない」というので、次の日に行ってみた。むかしはそのあたりは「小地方」だったから、行ってみようと思わなかったそうだ。
三月に行った時には、あまり人がいなかったが、この国慶節の休みには観光客であふれていて、食事をする場所もないほどだった。あちこちの舞台で越劇をやっていて、珍しい土地の食べ物などを売る店もあった。そういうものは夫には懐かしいようだった。
↑水上の舞台で越劇をやっている
公園の中で、いろいろ見て回ってから、出口まで船に乗って戻った。
その後、バスにのって魯迅故里の方向に行き、もう夕方だったが、小雨の中を秋瑾故居まで行った。もう閉館しているのはわかっていたけれど、義母の実家がそのすぐ近くにあったらしいが、行ったことがないので行ってみたいと夫が言うので、行ってみたのだ。以前に一人で秋瑾故居に行って場所を知っていたわたしが得意になって夫を案内していく。
義母の生家があった通りはもうそのころとは違う名前になっていたが、秋瑾故居にいた警備員に聞いてみるとその人は古くから紹興に住んでいる人だということで、その通りの場所を教えてくれた。もう暗くて雨も降っていたのでそこには行かなかったが、夫はそれで気が済んだらしかった。
その後、魯迅故居の近くで紹興料理を食べて帰宅。
次の日は、また義兄とその奥さんといっしょに、鍋を食べに行った。その後、そこから歩いて富義倉や香積寺を通って大関橋のほうに抜けて家に帰った。香積寺の裏から大関橋にかけておしゃれな店がならぶ「なんとか歴史街」ができていた。こういう新しい「古い街」は最近どこにもたくさんできつつある。以前に一人で来た時にはまだ建設中の店が多く、閑散としていたが、この休みは人でいっぱいだった。この日も、今年の冬に一人で出歩いて道を覚えた外国人のわたしが本地人の夫を案内した。「一人でさんざん遊んでいたんだな」と夫は言っていた。
そして、今日は午前も午後も寺の授業。昼にも、新しく入る学生の面接に駆り出された。
帰宅してからは、大学のコンテストに出る子の指導のために原稿を直したり、今後の指導のスケジュールを決めるために連絡のやりとりをした。急に忙しくなってきた。