子どものころ、何かを読んでいてよくわからなかったことは、著者が方言で書いていたのが原因のこともあるのかもしれないといま思い当たった。
小学生のころ「別れのクリスマス」という映画をノベライズした本があって、「さらのノート」という言葉がでてくるのだが、いったいそれは「さらなのか、ノートなのか」、何を意味するのか謎だった。親に聞いても、子ども用の国語辞典で調べてもわからなかった。いまのようにすぐにネットで調べられる時代ではなかった。
それと、「べルサイユのばら」のオスカルさまが「庶民はこんなに始末しているのか」(←このままではない)というような台詞をいうのも、なんだかよくわからなかった。
20代のなかばごろ、本社が大阪にある会社の東京支社に転職したが、そこでも、わかったようなわからないような気分で関西から来た人たちの言葉を聞いていた。いま、中国でわかったようなわからないような気分で中国人が話しているのを聞いているみたいに。
さら、、新しいと言う意味で、、皿ではありません。^^
返信削除新しい皿は 「さらのさら」 になりますね。 ぷぷ
「始末している」は、節約しているという意味ですね。私は使いませんが。
方言というのは、ネイティブ?にしかわからないニュアンスがあって、真似して使ってみても理解しているかどうかわからない。 外国語も同じですね。
オスカル様が「始末」って、著者の年齢を感じさせます。
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返信削除池田理代子先生だから('ω')ノ
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