2025/11/11

みんなへとへと

 学校の评估が来週から始まる。

その準備で先学期から何度も書類を提出したりして忙しかった。

なぜ同じような書類を何度も何度も少しずつ修正してシステムやSNS上のフォルダに提出しなければならないのか。しかも、どんどん内容も多く複雑になっていく。山のような書類を一つ直すと他の関連する書類もあわせて修正しなければならない。

一旦直したのに、後からまたもとの通りに直してくれと言われて、一連の書類をそれに合わせてなおし、あちらにもこちらにも提出する。そのうち、みんな混乱して、かえってミスが増えてめちゃくちゃになってしまったりした。

個々の授業について、何人もの先生が集まって改善策を出しあったりもした。でも、みんながああでもない、こうでもないと言い合ったって必ずしも授業の質があがるわけでもない。

翻訳のチェックだって何度もやったからって必ずしも質があがらないのと同じ。

授業の実際もわからない人にあれこれ言われても、どうにもならないこともある。

そういう話を学内でもちょっと地位の高い先生に言ったら(話が分かりそうな人なので)、

「みんなそう思っているんです。でも、おかしいと思っても、この船に乗ってしまったら、従うしかないんですよ」みたいなことを言われた。

そう。みんなおかしいと思っている。形式ばかりにこだわって、細部ばかりにこだわって、もうみんなクタクタだし、それをやって何がプラスになるのかもわからない。でも、誰も逆らえない。あと四週間過ぎたら、すべてが終わるでしょう。

それまでがまん。


2025/11/08

スピコンと「蜻蛉日記」

 スピコンが終わった。

結果は三等賞。この三等賞というのは3位のことではない。

特等賞2名、一等賞1名、二等賞5名、その他がすべて三等賞。

昨年の学生は二等賞だったので、今年も期待が高まっていたが、惜しかった。

テーマスピーチはよかったが、即興スピーチは考えがまとまらない感じだった。

去年の学生と今年の学生の実力は、同程度だろうと私は思っている。

むしろ、試験などをやったら今年の子のほうが上。

それに会話の練習として親や友人についての話をしていると、思わず「いい子だなあ」と心を打たれるような純真さもあった。

しかし、コンテストはそういう面を評価するものではないし、やはり本番に強いかどうかなどが作用して、

結果としては成績にかなりの差がでてしまった。

結果は結果。この二カ月の指導で会話力もあがっただろうし、挑戦したという経験もできた。そちらのほうが大事。

〇『蜻蛉日記』そのものを読む前に、手始めに田辺聖子の『蜻蛉日記をご一緒に』という本を読んでみた。

蜻蛉日記の内容だけでなく、当時の文化や政治状況など日記の背景も詳しく書かれていて、おもしろかった。

『蜻蛉日記』といえば、「どろどろした女の嫉妬が書かれている日記」のような印象だったが、田辺聖子の本を読んでみたら、印象が変わった。

私は道綱の母のように文才豊かでもないし、夫も兼家のように功成り遂げたわけでもないが、この日記に書かれている道綱の母と兼家の姿がわがことに重なって見えた。

男性は外の世界にうつつをぬかしている間には、妻のことなんか平気で忘れているし、急に思い出して機嫌をとってきても、妻のほうはそう簡単に喜ぶことができない。

喜ぶどころかどうしてわたしが必要としていたあの時やこの時にはその心遣いを見せてくれなかったのだと思ってしまうのだ。

特に、男女の間で相手のことが心に占める割合が大きく異なると、女性はつらいだろう。

現代の日本は女性も世界が広くなったからまだマシだろうが、蜻蛉日記の時代には、貴族の女性は宮仕えでもしていなければ、家の中で夫が来るのを待ったり、子どもにかまけたりするばかりの生活であり、それは鬱憤もたまるだろう。

彼女に共感するのはわたしの性格が悪いせいもあるのだろうが、わたしには「蜻蛉日記」の作者は、すなおになれないかわいい人のように思えてしまった。ただ、友だちになったらやはり面倒くさいと思うのだろうけど。


2025/11/07

今日と明日

 今日と明日がスピコン。

夕方でかけて報到して、食事して、リハーサルして帰ってくる。

明日はスピコン本番。

この日程って本当にきついよね。主催校はらくだけど。

さらに、主催校は毎年特等賞。たしかに主催校の学生は毎年優秀なのだけど。

もはや特等席が用意されているという感じがどうしてもしてしまう。

学生は純粋な気持ちで臨むけれど、結果は大人の事情で決まる。

各学生のパフォーマンスに対する点数だけで決めればいいのに、最後に審査員が協議をして受賞者を決める。

協議って何よ。毎回思う。点数の他に、何を協議する?

そういうモヤモヤがあるので、もうそろそろこの指導の役を降りたいと思っている。

2025/11/05

晩秋

 この間までエアコンをつけていたのに、すっかり晩秋の雰囲気になった。

朝6時すぎに起きるがまだ薄暗い。

午前中に授業。昼から3時まで宿題を見たり、学生と連絡を取ったりして、

3時からコンテストの指導。5時近くに学校を出て帰宅したら、もうすっかり暗くなっている。

こうしてわたしは忙しいが、ほとんど学校で見かけない先生もいる。

いつも学校にいて忙しい忙しいと言っている人もいる一方で、

学校であまり見かけることもなく、SNSに頻繁に写真投稿をしている人もいる。

正直なところ、わたしはお金のためというより、働くためにここにいるのだから、

それでもいい。でも、少し疲れたな。

今週末はスピコン。昨年よりも、しっかりした子を代表として連れて行くので気が楽だ。

昨年の子は情緒不安定でさんざん手こずったが、本番では別人のように堂々といつも以上の力を出せる常人離れしたところがあった。

しかし、今年の子はそこそこ優秀で大人びているが、本番ではいつも通りの力しか出せないような気がする。

昨年の学生が思いがけずよい成績を収めたので、周囲の期待が高まってしまっている。

わたしは学生にあまりプレッシャーをかけないように、ケラケラ笑いながら、ゆるい雰囲気で指導しているが、吉と出るか凶と出るかは、当日になってみなければわからない。


2025/11/03

一週間たった

 一週間たって、また月曜日。

その間に学校の運動会があった。開会式しか参加しなかったが。

「平凡的世界」は三分冊のうち二冊を読んだ。

少安と少平の兄弟のうち、少平が炭鉱労働者になったあたりまで読んだ。

日本語の本にも読みたい本があるのだが、まず先にこれを読んでから。

今週末には、スピーチコンテストがあるから、二日間それに行かなければならない。

指導している学生は風邪を引いたようだ。当日までによくなってほしい。


2025/10/27

今日のこと

 午前中は大学、午後からはお寺で授業。

いま授業をしているお坊さんも早いもので开题报告の時期になったらしい。

この人は聡明そうだが、例の法師が一年半いない間に羽を伸ばしていたせいか、

日本語の成績はよくない。それなのに、法師が指導教師になってしまったらしい。

教務で「いやだいやだ。他の人にしてほしい」とごねたが、結局はどうにもならなかったと。

まあ、たいへんなことになるでしょうね。気の毒だけど。

法師はどんな人にも満足しないから。それに自分が嫌われていると知りながら指導するわけだから。

授業がおわり、すっかり冬めいてきた道を歩いてバスに乗り、暗い街頭の梧桐の木を眺めていたら、中国のじいさんのことやずっと昔の杭州のことを思い出した。いつのまにか、景色もずいぶん変わり、みんないなくなってしまったな。わたしはいつまでここにいるんだろう。

そんなことを考えながら、バスから降りて今日もベトナム麺屋で食事。

今日はレバーやエビが乗っている温かい麺を食べた。

氷を入れたビールもお気に入りになったが、肌寒いので注文する気にならなかった。

今度暑くなったらまた飲んでみよう。

2025/10/24

70周年

 うちの大学は70周年らしい。

とはいっても、以前は外国語大ではなくて教育大学だったので、今と同じ性質の大学として70年たったわけではない。

学内にテントをはっていろいろなイベントをしているが、そんなこととは関係なく仕事ばかりしている。来賓にくばる学内でつかえる食券をもらったが、それも使わないうちに期限がきてしまった。

楽しいこともうんざりこともあったが、めんどうくさいので書かない。

大学も規模が大きくなり、外観も豪華になったが、形式ばかりにこだわり、レベルがだださがり、この先どうなるのだろうと思う。いずれにしても、これから何年もここにいることはないと思うが。

もはや泥船。うちの大学が泥船であるだけでなく、日本語教育も泥船、というか語学教育自体が泥船。

抜け出せる人は抜け出したほうがいいと思うが、逆に大学の規模は年々大きくなり、教員も学生もどんどん増えていく。

〇9月から少しずつ路遥の「平凡的世界」を読んでいる。

登場人物が多く、しかも似たような名前の人物が幾組も出てくるので、10年くらい前に読もうとしたときには挫折した。

すでに半分くらい読めたから、今回は読了できるかも。

2025/10/20

急に冬

 昨日あたりから急に肌寒くなり、

今日は出かける時に薄めのコートを着て出かけて行った。

お寺のお坊さんに会うと、「今年は秋がなかったですね」と言っていた。

今日出かける時に買ったペットボトルのお茶も冷たくて飲む気がしなかったので、

お坊さんにいれてもらったお茶を飲んだ。

こうなると、また体調を崩したといって授業を休む学生がたくさんでてきそうだ。


2025/10/17

今週が終わったが終わっていない

 周囲には暇そうな人もいるのに、私は忙しい。

今日は午後から学校へ。しかし、仕事は終わらなかった。

一部は週末に家でやってもいいと思ったけれど、家に帰ったらやる気なし。

帰宅途中でまたベトナム麺屋に。ビールを頼んだら、シンガポールみたいに氷が入ったグラスをもってきてくれた。

ここは今日の最高気温はまだ31度。まだ夏みたい。だからこういう食事がちょうどいいかも。


2025/10/13

新しいたのしみ

 お寺の授業がある日は途中下車してMUJIカフェで食事をするのが楽しみだった。

「だった」と過去形なのは、もうMUJIカフェがなくなってしまったから。

春月ねいさんと食事をした思い出のMUJIカフェ。

カフェのあった場所は普通の売り場になってしまった。以前からそのカフェでは、何も注文せずに他のところで買ったものを食べたり、ただ座っている人が多かったから、店側も売り場面積を増やしたほうが売り上げが増えるという判断をしたのかもしれない。

日本では信じられないことだが、中国のスタバなどでは何も注文しない人が座席を占拠していたりすることがある。

MUJIカフェがなくなってからしばらく寺からの帰り道の楽しみがなかったのだが、

今日、途中でたまたま通りがかったベトナム料理の店に入ってみたら、そこが案外よかった。

あじはそこそこ。値段もそこそこ。だけど、ステンレスのテーブルが雰囲気を出していて、煩い客もいないし、メニューも豊富なので、これから何回か続けて行ってみたくなる店だった。今日はベトナムの紅茶を頼んだが、次はビールを頼んでみよう。

でも、夕食時なのに客が少ないから、ここもそのうちなくなってしまうかも。

2025/10/10

田舎だけあって秋が来ても気長に暑い

 もう10月も10日を過ぎたというのに、明日も明後日も最高気温は36度らしい。

暑がりのわたしがひっきりなしにバタバタあおいだせいか、ついに扇子が壊れたので、

10月の今頃になって新しいものを購入した。

『坊ちゃん』の「田舎だけあって秋が来ても気長に暑い」という言葉を思い出す。

これだけ気長に暑い杭州はどれだけ田舎なのだろうか。


〇休み明けの木曜日は荷物が多かったので、家にたくさんある月餅を学校にもって行って誰かに押し付けるのをあきらめた。

それなのに、中国人の先生から、「うちの奥さんの故郷の月餅です」と言われ、ひとつもらった。

このあたり江南地方のパサパサした例のあれ。家にたくさんあるのと同じタイプのやつ。しかも気前よく大きい。

こうして、自分の家の月餅は減らないのに、特大のを一つもらって食べることになってしまった。これはこれでおいしくないわけでもないのだが、ねっとりした広東式の月餅が食べたい。しかし、それを買うなら、先に家にあるのを食べないと。

木曜日に学校に行ったあと、次に行くのは土曜日(振替出勤)。

そのときに月餅を誰かに押し付けるのは、もう時期的に遅いだろう。

一つ一つ箱からだして、ジップロックに入れて冷凍庫へ。こうして今年も月餅はいざというときの保存食になった。

2025/10/06

西安旅行+中秋節

急に思い立って、国慶節の休みの直前にホテルと飛行機を予約して一人で行った西安旅行から、昨日の夕方戻ってきました。

覚書的に旅行の日程を書くとこういう感じ。

一日目 午後の飛行機に乗って、杭州から西安へ。空港から地下鉄でホテルへ。

ホテルに到着したらもう暗くなって夕方だったので、途中で買ったサンドイッチを食べてそのまま寝た。

二日目 まず大雁塔へ。寺に入るときに拝観料10元を払った後に、塔に上るためにはまた25元を別に支払う。登るかどうかまよったが、ここに来たからには登らなくてはと思い、登ってみた。意外と疲れなかった。最上階で町の写真を撮っておりてきた。

                 大雁塔
                 中はこんな階段で上がるようになっています。
                 〇十年前に来た時はたぶん違ったはず。


その後、隣接する西安不夜城というハルピンの中央大街のような町をぶらついてから、大唐芙蓉園という唐代をモチーフとしたテーマパークへ。ショーの料金込みのチケットを購入。中には無料で見られる噴水のショーや唐代の踊りのショーや獅子舞などもあった。最後に夢回大唐 というショーを劇場で見て、ホテルへ。

 

                 大雁塔の最上階から下を見たところ。

              大唐芙蓉園
            大唐芙蓉園の「夢回大唐」のショー。
            顔真卿の甥の顔季明が戦死する内容など。


三日目 予約してあった直通バスに乗って兵馬俑へ。兵馬俑は正月の明治神宮のような混みあいぶりで、安全検査で並び、その後、中に入る前に並び、やっと館内(一号坑)に入ると危険なほどの混雑ぶり。その後、二号坑、三号坑、博物館と見て、路線バスで華清池へ。

ここで雨が降り出す。うん十年前に行った時のことはあまり覚えていないが、かなり周囲の庭園なども整備されている印象だった。

              混雑で阿鼻叫喚状態の秦始皇帝博物院で必死で撮った写真
                華清池到着。言わずと知れた玄宗皇帝と楊貴妃の像
            悪天候だったが、きれいに整備された庭園は美しかった。
            ここに玄宗と楊貴妃に扮した人たちが行列してやってくる




四日目 午前中に半坡博物館へ。ここも数十年前に行ったことがある。以前に行った時には舗装もされていない道路をバスで行くような辺鄙な場所だったが、いまでは地下鉄で行けるかなり発展した町になっていた。ここでは6000年前の新石器時代の集落の遺跡が見られる。ここは人があまり多くなかった。




その後、西安の中心地の鐘楼へ。ここはものすごく混雑していた。並んで鐘楼に入ったが、雨降りで景色もよく見えないし、中の展示もそれほど充実していなかった。そこから鼓楼に行ったが、中へは入らず外観だけを見た。この辺りから雨が土砂降りになり、回民街を通って地下鉄の駅に戻った。傘をさしていたがずぶぬれになったので、一旦ホテルに戻って、着替えて昼寝をしてから、夕方は「唐楽宮」にショーを見に出かけた。

                 鐘楼
            鼓楼

             唐楽宮
            唐代風の長い袖を振って踊る踊りや西域風の踊りなど。


五日目 少しゆっくり朝食を食べてから早めに空港へ。夕方、杭州着。

後で写真などを載せるかもしれません。とりあえずこれだけ書いてもう少し詳しいことはあとから。

〇家に着いたら、お寺から送られた月餅が届いていた。先週、あるお坊さんから個人的に一箱もらったのも全然食べていないのに。これ以上誰もくれませんように。

2025/10/01

今日から国慶節+中秋節のお休み

 思い立って目的もなく一人で西安に来ました。

到着は夕方6時ごろ。来てみたら雨降りなので、外に行く気にもなれず、部屋でサンドイッチを食べました。

明日はどこに行こうかな。