2025/07/05

路遥「在困難的日子里」読了

 暑い。いくところもないので、家にいる。

こうしているうちに筋肉が弱ってなくなってしまうかも?

「在困難的日子里」は読み終わった。

主人公の馬建強の窮状を見かねて、クラスの優等生である亜玲は国慶節に調理場に手伝いにいく学生として建強を指名する。その日に調理場に手伝いに行けば、たくさん料理を食べられるという特典があるからである。しかし、このことで建強はクラスメートたちから嘲笑され、彼は亜玲を恨み、調理場の手伝いを終えた後、何も食べずに調理場を去る。

その後、建強はいつも食べ物を隠しておく場所で二度も続けてお金と糧票を拾う。彼はそれで空腹を満たそうと一度は思ったが、拾ったものを自分のものにしてはいけないと思い、担任の教師に渡す。

そのお金と糧票も実は亜玲が建強を助けようとして、彼に拾わせたのだった。

建強がどうしても彼女の好意を受けようとしないため、亜玲は父が所属する武装隊でアルバイトをさせることによって彼を救おうとする。二人は休日に武装隊で働くようになり、建強はようやく学校の食堂の食券や衣類を買えるようになる。武装隊の工賃はとても多かったが、実はそれは亜玲がこっそりと自分の分も彼に渡していたからだ。また、彼女の計らいにより、わずかだが奨学金ももらえるようになる。

しかし、こうしたことから、二人のことをあれこれ噂する者が出始める。亜玲には以前からボーイフレンドの大衛がいたからだ。

亜玲はこうした学内の噂をものともしなかったが、大衛はひそかに苦しんでいるようだった。建強は自分が彼らを苦しめているのだと思い、退学して農村に戻ろうとする。

しかし、彼の能力を惜しんだ担任の先生の計らいで別の町の中学に転校することになる。

誰にも気づかれないように、早朝に建強は学校を発つ。しかし、飢えで身体が弱っていた彼は路上で倒れてしまう。そこに大衛と亜玲、そして彼をいじめた文明がやってきて、彼を介抱する。文明は建強に謝罪する。建強はこうして彼らに付き添われて元の学校に戻り、復学する。

後半のあらすじはこういうものだ。

亜玲や大衛は、ともに有力者の子だが、おごることなく、むしろ恵まれた家庭環境ゆえに育まれた度量と正義感を兼ね備えている。それに比べて、建強は貧しい中でも人としての尊厳を守ろうと努力して生きているが、農村の出身ゆえか、まずしさゆえか、心の中に多くのわだかまりを抱えている。(こういうところが本当に残酷だよねえ)

たしかに恵まれた環境で育った人が、おおらかだったり、まっすぐな正義感をもっていたりすることは多いのだろう。全部がそうとも言えないが。

はるかむかし、わたしが地元の進学校に進学した時も、有象無象に満ちた中学に比べたら、性格もものわかりもよい生徒が多く、すごしやすいなと思ったものだった。

2025/07/04

路遥 「在困难的日子里」

 昨日は朝から本を読んだり動画を見たりしてすごした。

昼頃、ショッピングモールに行って買い物して食事をして帰宅。

映画は見たいものがなかった。


路遥の「在困難的日子里」を読んでいるが、これはもしかしたら以前途中まで読んだかも。

主人公の少年は貧しい農村の出身だが、町の中学に二番の成績で合格する。

時まさに1961年の大飢饉のころで、彼は町の学校の寮に入るが、他の学生と違って食堂で食事をするお金もなく、こっそりと野草などを食べて空腹を満たしている。

なまじ入学試験の成績がよかったので、優秀な学生ばかりのクラスに入れられてしまう。するとそこは町のエリートたちの子どもばかりで、ぼろを着て飢えに苦しんでいるのは彼だけだった。彼は心を閉ざしてしまう。

しかし、そんな貧しい中にあっても、彼には彼なりの自尊心の高さや正義感があり、他人から施しを受けることや不正を嫌い、自分と同じように貧しい母子にわずかな食べ物も与えてしまう。飢えに苦しみながらも勉学に励み、ついに試験で一位となり、周囲の学生や教師にも一目おかれるようになる。

…昨日読んだのはそのあたりまで。あまりの貧しさとあまりの格差の残酷さに読んでいて胸がつぶれる思いだ。しかし、この主人公のような厳しい環境にあっても高い志を持ち続ける姿が路遥の小説の魅力だろう。学校などで推薦図書になるのも納得できる。

ちなみに路遥の小説(この本ではなく「人生」だとされている)に心を打たれたことが、アリババの創業者馬雲を奮起させ、それが成功への道を歩むきっかけになったらしい。



2025/07/03

猛暑

 昨日、学校に行って試験の資料一式を提出した。

これで例年なら夏休みなのだが、今年からこのあと二週間の小学期が始まる。

朝、学校の門のところにはバスがずらりと並んでいた。あのバスに乗ってどこかに「見学」に行く学生もいるのだろう。

事務室でペラペラと「今学期の試験の後処理が終わった」と話していたら、

他の先生たちに「早いですね。では来週のイベントのPPTの作成はうさぎ先生にお願いしてもいいですか」と言われる。余計なことはペラペラしゃべらないのが一番だ。

昼過ぎに学校の外に出ると、ものすごく暑く、家に帰るまでにヘトヘトになってしまう。

しばらく家でゴロゴロしてから、PPTを作成し、夜になって少し路遥の「在困难的日子里」を読む。すぐに疲れて読むのをやめたが。

今週末から杭州は最高気温が40度を超える日が続く。このあたりの40度は乾燥した北方の40度とは体感温度と身体への負担が全く違う。夏休みだし、観光にやってくる人も多いのだろうが、西湖周辺を散策したりするのは常人には耐えがたい暑さだろう。

来週月曜日まで少し時間ができたが、だからと言って外に行く気にもなれない。やはり本を読んですごそう。

2025/07/01

路遥「人生」読了

 「人生」の後半は一気に読めた。

加林と高校時代の同級生亜萍は恋に落ちたが、加林に巧珍がいるように、亜萍にも恋人がいた。亜萍の恋人の克南も加林や亜萍の高校時代の同級生である。亜萍と克南は双方の両親も認める仲で、家族ぐるみで親しく付き合いをしている。

あるとき、亜萍の父が南京に転勤することになり、亜萍も南京に行くことを考える。亜萍は「大都会に行けばさらに活躍の場が得られるから、一緒に南京に行こう」と加林を誘う。

加林は派手好きで奔放な亜萍にいらだちながらも、農村の日常生活しか話題のない巧珍にももはや魅力を感じなくなっていた。加林は大都会での亜萍との生活を夢見て巧珍を捨て、亜萍も克南に別れの手紙を書く。

村には加林に捨てられた巧珍を蔑む者もいたが、それでも巧珍と結婚したいという農村の青年と巧珍は結婚する。いっぽう、息子の結婚相手を奪った加林に腹を立てた克南の母が「加林は忖度によって不正な手段で記者の職を手に入れたのだ」と党委員会に告発する。

こうして、加林は職を追われ、亜萍とも引き裂かれて、失意の中で村に帰って農民に戻ることを余儀なくされる。巧珍は加林と別れた後も彼を恨むことなく、有力者である姉の舅のもとに行き泣きながら加林に教師の職を与えてくれるように頼んでいた。そのことを知って、加林は自分にとって本当に大切な女性であった巧珍を失った悲しみに暮れる。


後半のあらすじはこういうものなのだが、意気揚々と成功の道を邁進しているときに過去の行状が暴かれて一気に転落するストーリーがなんとなく「赤と黒」に似ているし、加林と亜萍の性格もジュリアン・ソレルとマチルダに似ている。作中にもジュリアンソレルの名前がちらりとでてくる。ネットで調べてみると、やはり「『人生』は『赤と黒』を参考にしたに違いない」と書いている人もいて、そうなのだろうと思った。

しかし、ある時期の濃厚な中国の雰囲気があって、決して「パクリ」のようなものではなく、これはこれでなかなか傑作だと思う。

次は何を読もう。読みやすいからまた路遥にするかもしれない。

7月 路遥「人生」

 もう半年が過ぎた。

試験も終わって、後処理も済んだ。あとは主任のサインをもらって提出するだけだが、

いつ主任が学校に来るのかの連絡がない。

うちの学部は試験の後処理などの事務処理がだんだん複雑になり、もはや常人が処理できないレベルになってしまっているのではないかと同じアパートに住む先生に言ったら、その人もそう思うと言っていた。いったい何なんだろう、これ。


路遥の「人生」を半分くらいまで読んだ。中国に来たばかりのころ一度買って読み始めたのだが、途中までしか読まないうちになくしてしまった。

農村の秀才、高加林は町の高校を卒業してから(農村なのでそれでも高学歴)、村で学校の教師を務めていたが、地元の有力者のたいして優秀ではない息子にその職を奪われる。こうして、不本意ながら加林は農民となる。村娘の巧珍はかねてより加林に思いを寄せていたが、学校に行ったこともない自分は教師である加林にふさわしくないと思っていた。しかし、加林が農民となったので、思い切って加林に接近を試みて、二人は恋に落ちる。

巧珍は字も読めない娘だが、村の金持ちの娘である。父親が農村の女には学校に行く意味がないと考えていたために聡明であるにもかかわらず学校に行けなかったのだ。

いっぽう、加林は優秀ではあったが、加林の家はまずしく、巧珍の家よりも村では格下とされていた。そのような二人の交際を巧珍の父親はゆるさず、村でも注目の的となったが、加林と巧珍は周囲の咎めるような眼をものともせず、交際を続けた。

その後、軍人であった加林の叔父が村に戻ってきて有力者となったため、加林は村の指導者たちの忖度によって町で記者の仕事を得て、巧珍を残して村を出る。加林は存分に文才を発揮してたちまち気鋭の記者として注目を集めるようになる。かつての高校の同級生であった才色兼備の女性アナウンサーが加林を訪ねてきた。彼女は村娘の巧珍とはちがい知的で加林とは話があう。こうしてこの二人は惹かれあうようになる。

…というところまで読んだ。日本でもそうなのだろうが、中国は今も昔もこういう忖度ばかりで理不尽な国柄。今はそれでも少しはよくなったのかな。そうでもないか。


2025/06/29

もうすぐ七月

 毎日とても暑い。きまって夕方になると大雨が降るが、それで涼しくなるわけでもなく、夜は蒸し暑い。これから長い夏が来る。

今年から試験が終わった後の二週間は、各種のコンテストやイベントを行うことになり、その分、夏休みが減ることになった。うちの大学は夏休みも給料がでるので(でない大学も多い)、特に手当などが出るわけでもない。

その後、さらに一週間後に日本に帰るチケットをとったので、この一週間に旅行でもしようかと思っていた。しかし、もうその時期には北方でもかなり暑い。近場に一泊か二泊の旅行をするだけにしようかと考えを変えた。

日本に帰っても暑いだろう。夏休みが来ると言ってもなんだかゆううつ。

2025/06/21

もうすぐ試験

 今学期の授業が終わった。

このニ三年で学生のレベルが急激に落ちたような気がする。

わたしの感覚では、去年の卒業生くらいまでがまあまあまともだった。

今年の卒業生くらいから急に授業をしても反応がなくなってやりづらくなった。

今年の三年生はこれまでで一番よくない。

先学期の期末テストも一割程度の落第がでたが、明日からの試験もどうだろう。

ネットで見ると、日本はどうかわからないが、中国では英語を含めて語学専攻の学科は定員を減らしたり、学生の募集を停止したりしているようだ。語言大学の日本語翻訳・通訳の修士課程も確か10年くらい前にできたばかりだが、もうなくなるらしい。

最近、語学専攻の学科は「語学+何か(ビジネスや情報処理など)」に切り替わっているけれど、そのうち「何か+語学」になってさらに縮小していきそうだ。

2025/06/17

気温が上がったり下がったり

 ずっと雨ばかり降って、気温が上がったり下がったりしている。

5月中旬に風邪をひいてから、それほど悪化しないが、ずっと喉の調子が悪い。

朝起きると、倦怠感があり、声もあまりでない。

それでも学校に行って普通に授業をしている。

自分からみれば「ずっと体調がわるい」のだが、隣の席に座っている男性教師に「うさぎ先生は全然病気もしないし、歩いているときもさっさと歩いているし、ものすごく元気ですねと噂していました」と言われた。

そうなんだ。カラ元気がそんなふうに見えているんだな。

2025/06/14

最近ひっかかっていること

法師のことだ。

いまいるお坊さんの学生の中に翻訳できる力がある人は私がみるところではいない。

それなのにまったく力がない学生に翻訳をやらせてわたしに修正をなげてくる。

実際はわたしが翻訳しているに等しい。料金が発生するときもしないときもある。

それでも、学生が自分なりにできるだけがんばって翻訳して、修正された箇所を見て勉強するのなら、それも意味のあることだともいえる。

しかし、最近、他の学生によれば法師のお気に入りだという学生Aが翻訳をするようになった。

ニ三日前にAはわたしに彼女が作成した訳文を微信で送信してきた。手書きで書いたものを写真にとったもので、「これを修正してください」と書いてある。

Wordファイルにもなっていないものをどうやって修正しろと?

そこで「これでは修正できないのでWordファイルで送ってください」と言ったら、昨日、Wordファイルが送信されてきた。

しかし、まったく日本語になっていないのはもちろん、地名・人名なども間違いだらけ。

ただ、漢字と平仮名まじりの「日本語のようにみえる何か」にしただけ。

辞書も引かず適当に打ち込んで見直しもせずに送ってきたのだろう。

「無責任」という言葉が頭に浮かんだ。

こうしたものは、修正後は学生が訳したものとして公表される。

こうして、「うちの学院では学生が翻訳を担当しています。教育の成果があがっています」ということになるのだろうな。実際はわたしがやっているのに。

以前、法師はある学生Bは成績が優秀だから、大勢の前でスピーチをさせたと言っていた。

しかし、わたしが見るところではBにはとてもそんな力がない。

また、あるとき学生Cが平安時代の古語の文章を読んで論文を書いたと言っていたが、わたしが見るところではCにはとてもそんな力がない。

「そんなことはできないでしょう?」とわたしが言うと、「いいえ、できるのです」と。まったく話が通じない。

なぜだか知らない間にぬるりとわたしがすることになってしまった翻訳チェックだが、今後は断りたいと思っている。しかし、また法師に連絡すると面倒なことになるし、やれば一回一時間程度でできる仕事だし、がまんしてやったほうがいいのだろうかと思うこともある。

いろいろと逡巡して、昨夜は法師には連絡せず、学生Aに「もっときちんとやれ」という内容のコメントを送信した。


2025/06/13

帰国のチケット

 7月20日すぎのチケットをとった。

今度はANA。往復で2462元と安かった。

4月に帰国した時には6000元以上した。ちょうどあの時は日本で新学期が始まるからか、若い学生のような中国人の男の子や女の子がたくさん乗っていた。

ここから直行便で帰国するとなると、ANAかエアーチャイナかの二択になる。

最近、エアーチャイナはちゃんとした機内食がでないときがある。

前回も6000元以上したのに、中国に戻る時には紙箱に菓子パンやヨーグルトなどが入ったものを配っただけだった。深夜の到着だし、そのままホテルに行くので、飛行機でちゃんとした食事がでないと朝までろくなものも食べずに我慢することになってしまう。

やっぱり希望の日にチケットがとれるなら、ANAがいい。


2025/06/09

うんざり

 すみません。どうしたわけか、みなさんのコメントに返事が書けません。


この週末はどしゃぶりだった。土曜日の朝は雷が轟く音で目が覚めた。

そして今日も雨。蒸し暑くてとても不快な天気が続いている。

土日は学生の宿題を見て、ネットで映画を三本見た。

日曜日の夜になってから、洗面台などのカビが気になり、水回りにカビキラーとパイプクリーナーをどっさり撒いた。

朝になってもそのニオイが残っていて、洗面台の前でせき込む。

その後、靴を履いた時に、左の土踏まずのところに何かがあたったような気がした。

そのままアパートを出て少し歩いたところで、土踏まずのところにチクチクとした軽い痛みを感じたので、靴のベルトを緩めてその「何か」をつまみ出した。

あああああああ!つぶれたゴキブリの死骸だった。

わたしが踏みつぶしてしまったらしい。

それを触った手の指が気持ち悪かったが、もう家に戻る時間がないので、地下鉄の駅のトイレの手洗い所でゴシゴシ洗った。

学校についてから、靴を脱いで見てみたら、靴下の土踏まずのあたりがシミになっていた。

つぶれたゴキブリから出た液体で汚れたのだろう。

しかし、授業の時間も迫ってきたので、心を無にして4コマ授業。

そのあと急いで食事をして、お寺に行って三コマ授業。

結局、そのままの足で一日を過ごしてしまった。

家に帰ってから、靴下を捨ててシャワーで足を洗った。

それにしても、靴はどうしよう。ネットで見てみると、靴の中に入っていたGを踏み潰した経験がある人はけっこういて、人によっては靴を捨ててしまっている。

しかし、わたしの靴はまだ先月買ったばかりで、毎日履いているわけでもないので、そんなに何回も履いていない。

とりあえずアルコールでよく拭いて、中敷きを入れて履こうかなと思っている。


2025/06/07

何もやる気がしない

 湿気と暑さでだるい。

せっせと仕事をすると、その分だけまた仕事を増やされる気がする。


家の中でエアコンをつけているので、いつまでたっても喉の調子がよくならない。

昨日も昼過ぎに帰宅。

半日しか働かないのに疲れ果てて、しばらく寝た。

そのあと、映画「フリークス」を見て、そのあとまた映画「芳華」を見た。

「六姊妹」は飽きて見るのをやめた。

夜は夜でまた寝る。週末は学生の宿題を見ないと。

2025/06/01

韓国の「三姉妹」もあるらしい

 「お母さんが一緒」とともに妹が見るとよいと教えてくれたのが韓国映画「三姉妹」。

でも、YOUTUBEで予告編を見るだけで心が折れた。

その後、「六姉妹」の続きを見た。

四女は、結局、同じアパートに引っ越してきた男性と結婚して出産する。

五女も湯家の息子と結婚して出産。

六女は勤め先の商店の上司の息子と恋愛中。

母は三女、四女、五女、六女の相手にいちいち反対するが、結局、彼女たちは自分が選んだ相手と結婚する。

娘たちがみな結婚して家を出て行き、姑が亡くなったら、母は一人になってしまう。

長女は母の将来を心配し、母に再婚相手を紹介しようとするが、母はこれを拒絶し、

手製の漬物を売る商売を始める。

このあたりまで見て何だか飽きてきた。

小さな波風が立っても、みんなが身近な相手と順々に結婚して、出産していく。

これまでのところ、その繰り返し。今年いちばんの話題のドラマだそうだから、これから何か大きな転換点があるのだろうか。