日曜日に紹興に行って、お坊さん女子二人に会った。
彼女たちに会うまでは、法師の側の話しか聞いていなかったから、わたしも彼女たちに対して少し法師よりの考え方をしていた。
しかし、紹興に行き、彼女たちの生活に触れ、話を聞くと、法師の話はかなりバイアスがかかったものだったのではないかと思うようになった。
法師はいじわるな人ではないが、北方人特有の気性の粗さがあり、誰に対しても要求が高くて多く、言いたいことは歯に衣着せずに言う。わたしが授業をしている時も隣の部屋でその様子を聞いていて、休み時間や授業終了後にいろいろな指示をしてくる。わたしは外部からバイトで行っている教師だから、適当にかわすこともできるが、この人と一緒に生活の場も共にするのは息が詰まることだろうと思った。
また、法師は出家前には某大学で教授をしていたし、市内に一戸建ての家ももっているし、自由になる蓄えも相当にあるらしい。そういうことを今でもたいへんに誇りに思っているようすがあからさまに言葉の端々に現れる。それは彼女の人生で勝ち取ったものだから、それを誇りに思うのは当然のことなのだが、やはり他の出家者には煙たがられていただろう。
今回、会いに行った卒業生たちは、世俗で何も誇るようなものを得ていないごく若い頃にすべてを捨てて出家している。彼女たちから見たら、やはり法師が俗世間のプライドを隠そうともしないことは俗世でなら受け入れられることだとわかっていても、出家者としてはいろいろと受け入れられないものだったようだ。
世俗で得たものが多いほど、それを手放して仏道を行くのは難しくなるということらしい。
〇正直なところ、法師を見ていると、俗世間にいればよかったのにと思うことが多い。
こんにちはうささん♪
返信削除受け入れてもらえるところが安心できるところであれば一番だね。
そう、いるべきところにいないと。
返信削除受け入れてもらえていないと感じることはないのかな。
返信削除煩悩と向き合っているんですね。
返信削除昨日からおととお迎えで東京フラフラしてますが、やっぱり都会はつかれました。大きな湖と山あいの里に帰ります。
返信削除わたしもそうです。東京行くと疲れます( `ー´)ノ
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