2026/06/10

ひっそり去っていきたい

 明日の日本語コーナーで、わたしの送別会をしてくれるらしい。

さっきみたら、もうSNSに「明日の日本語コーナーはうさぎ先生の送別会をします」という知らせが流れていた。しかし、日本語コーナーに参加しているのは主に1年生と2年生であり、わたしは教えたことがない学生ばかりだ。

それで明日行ってみたら、来ている学生がほとんどいなかったらなんだか寂しいな。

それにわたしは最初にスピーチもしなければならないようだ。送別会を企画してくれたのは、うれしいが、なんだかちょっとめんどうくさい。

それに昨日、食堂で会った中国人の先生にも「うさぎ先生の送別会をしましょうね」と言われた。

わたしはお世話になった人だけに挨拶をして、ひっそりと帰国するつもりだったのに。

それにいま荷物を減らしているのに、記念品などをもらったら困ってしまうとも思った。

まだもらえるかどうかもわからないのに(笑)

〇コパさんのブログに病院の面会のことが書かれていたが、見舞いというのもありがたいのか、めいわくなのかよくわからない。

わたしが出産したときも、実家の近くの病院に入院したので、次から次へと親戚の人がやってきて、正直なところありがたいという気持ちだけではなかった。

相手ももしかしたら純粋に来たくて来たわけでもなく、義理で来た面もあるのだろう。

母が昨年なくなった時も、わたしは日本にいる間に二日続けて病院に行こうと思っていたが、いよいよもう長く持たないという話だったし、週末でもあったので、その土日には見舞いのラッシュになってしまった。

もう最後だからしかたがなかったのだけれど、その晩に病院から「病状が急変して、あと一日か二日かもしれない」と連絡があった。

息子が「おばあちゃん、疲れちゃったのかもしれないね」と言っていた。

もういずれにしろ長くなかったろうし、みんなに会えてよかったのだろうとも思ったが、いまでも思い出すと胸がうずくような気がする。

本当にこういうことはむずかしい。


3 件のコメント:

  1. 何もなくても寂しくなりますよ、たぶん。

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  2. お見舞いに普段こないような人が来た時、患者は辛いです。
    兄が最後の入院でまだ意識がある時、私は会社の帰りに夕食の時間に合わせて一日おきに寄っていたのだけれど、
    「今日○○おじさんが見舞いにきてさ、俺もう退院は無いなと分かっちゃったよ。医者が会わせたい人がいたらとか言ってたんだろうけど、本人が悟っちゃうんだから、やめて欲しいよな」
    と言ってました。
    昭和一桁の叔父は悪気なく来たのでしょう。
    哀しいかな。

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  3. 母が亡くなる前に私が中国から駆けつけて病院に行くと、母に「なぜ来たのか」と聞かれました。
    私が来たということはもうあまり時間がないということですよね。
    「ありがとう」という言葉も言いませんでした。見舞いに来ていきなりそんなことを言うのは変ですし。

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