2026/04/15

気楽に生きているように見えるらしい

 毎日、読書とペン習字とストレッチを続けている。

『撒哈拉的故事』は半分くらい読んだ。

学校でわたしが辞める話を他の日本人の先生にするとみんな少し考え込んだような顔をする。

誰もがいつかは中国での仕事を辞めて、帰国しなければならない。

しかもこの仕事は先細りである。

しかし、中国で働いている日本人教師をみると、日本での職歴があまりない人が多い。帰国してから日本語教師を続けるにしても、まともにやるなら、新しい資格をとらなければならない。わたしは日本に帰ったら日本語教師をやるつもりがないので、それについてはあまり調べていないが、かなり難しくなるようだ。

ある意味、生活を夫に頼って日本に帰国するわたしは、ともするとお気楽に思われそうなので、ついペラペラと自分のことを話してしまいそうになるが、余計なことは話さないことにした。

かつて翻訳の仕事を辞めて中国に行くときも、ブログにそう書いたら、同業者がたぶんわたしのことを「やめたいからって、サッと辞めてしまうなんて、それでもプロか」とブログに書いていた。その人はわたしのブログを読んでいたはずであり、書かれたタイミングからわたしのことを言っているのに違いなかった。

中国に来て大学院に通い始めたときにも、かつての同級生たちに話したら、「いい年をして大学院に通うなんて、お気楽でいいですね」と会うたびにしつこく言われた。

その後の中国での生活もそう思われただろう。

今回も「お気楽に」帰国する。

わたしなりにいつだって気持ちが晴れないことがあるし、お気楽に生きるには、それまでの積み重ねがあるわけで、何もずるいことをしていないのだが。


『撒哈拉的故事』はかつて日本語訳が出版されていて、Amazonを見ると「砂漠の暮らしは愉快! 痛快!」などと紹介されているのだが、最初のほうのエピソードはいかにも軽妙洒脱だが、後のほうのエピソードを読むと、自分の意志で砂漠に行ったのだとは言え、かなりギリギリにまで追い詰められたような生活を経験しているわけである。それでも「愉快!痛快!」と紹介されてしまうわけだから、

自分ではそれなりに苦労したつもりのわたしの生活も「お気楽!きまぐれ!」に見えてしまうのだろうか。 



3 件のコメント:

  1. みーつー。お気楽でいいじゃないですか~。通勤電車で「私だって苦労してるのに」って思っているけど。

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  2. 幸せに難癖付けるなんてお友達ちゃうちゃう!

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  3. ちゃうちゃうを排除していたら、わたしには友だちがいなくなりまちた…。

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