大学でも大学院でも中国語を習ったのに。
そして、長い間、中国語で仕事をしてきたのに。(わたしは結構優秀な方だったと思う)
ああ、それなのに、それなのに、いまだによくわからない中国語。
それは中国語がお互いの常識の上に理解がなりたつ言語だから、習った文法だけでは判断できないことにある。
たとえば、
1.「胜」と「败」は反义词(反対語)だが、下の文の意味は同じになる。
中国队打败了美国队。
中国队打胜了美国队。
えええ、どうして?
2.たいていの場合、「他走了」と言ったら、彼はすでに去ってしまってここにはいないが、「我走了」と言ったら、私はまだここにいる。これから「行きますよ」という意味。
同じ形なのに、どうして?
3.妈妈给孩子吃蛋糕。
妈妈给孩子买蛋糕。
これは同じ形で動詞が違うだけの文だが、上の文だと「吃蛋糕」の動作主は「孩子」だが、下の文だと「买蛋糕」の動作主は「妈妈」になる。これも、文の背景にある「常識」から判断したもので、その常識に照らし合わせて、異なる文法解釈になる。
3.中国語の文の解釈は語順に依存すると言われるが、
一锅饭吃十个人。
十个人吃一锅饭。
この二つの文の語順は逆だが、どちらも「十人で一つの鍋の飯を食べる」と同じ意味になる。
ほかにも「走了三个人」「 三个人走了」や「妈妈死了」「死了妈妈」など多数。(ニュアンスは違うが、どちらも成り立つ)
4.名詞の格が文に現れないが、それも「常識」に基づいて解釈。
晒太阳
晒被子
上の文は「日に当てる」、下の文は「布団を干す」。「太阳」「被子」は格が違うがそれは文には現れない。
卖苹果
卖五块钱
これもそう。上の文は「りんごを売る」。下の文は「5元で売る」。日本語の場合は、格は「を」や「で」などの格助詞で表されるが、中国語ではなくてOK。
こういうことは中国人に言うと、「ああ、ほんとうだ。おもしろいね。いままで気づかなかった」と言われることが多い。これらの文法的解釈をしてくれる中国人もいるが、わたしが言いたいのはそこではなく、形が同じなのになぜ文法的解釈が異なるのかというところだ。
中国語のふしぎなところは、ほかにもたくさんあるが、もう疲れたのでここまでにします。
なるほどですうささん♪
返信削除不思議なところ、また気が向いたら教えて下さい。
日本語も不思議、といいだしたら止まらない、鴨。
そうなんですよね。ワンパターンの中であれこれ言おうとすると、そういう例も多々出てきますね。前後の文脈で判断するとか、言うけど。
返信削除今日は存現文をやって、「日本語に訳すと同じになっちゃうけどね」という話でした。補語も訳しづらいのがあるし。
漢和辞典を引いても、敗る・敗れる、走る・走らせるなど受動・使役の意味も持っている語がありますね。吃(喫)も「くう、のむ」の他に受動の「うける、こうむる」の意味もあるので「くわせる、のませる」としても使えそうです。
返信削除白菜牛乳雑煮のだしはコンソメです。
返信削除ほー。フクロウさんの勝ち。かな?
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