昨日もぼちぼちと授業の準備。
なんだか思うように進まない。
PPTを作っても、「こんな内容じゃつまらない授業になるだろうな」と思ったりして、
また書き換えたり。
多くの先生が、毎年、日本語の初歩を教えているが、そういうのだったら楽だろうなと思う。
私はたまたま前学期は二外で初歩を教えたり、発音を教えたりしたけど、やはりいきなりやりなれないことを教えるといろいろとうまくいかないことがある。
それでまた今学期は上級へ。学校の要求通りにやるしかないのだけど、負担も多いし、授業の質も思うように上がらないし、前学期はさんざんだった。今学期も、他の先生が都合でできなくなった授業を肩代わりして、私がずっとやっていた科目は他の人に移った。
〇しかし、しかたがないから、前向きにやろう。
〇春月ねいさんと同じように、わたしも最新版がどれかわからなくなっていろいろミスをしてしまう。古いのと新しいのをどちらも広げて作業をしていて、古いほうに書き加えてしまったり。加えて、わたしはいらないものはすぐに捨てたいと思ってしまうので、さっさと削除して「あれ?」と思ったときにはもう遅いということがある。
本も同じで、一部の本を残してさっさと捨ててしまう。だから、電子書籍は好きなのだが、やはり紙のほうが付箋をつけてじっくり読んだりできて便利。電子書籍も付箋をつけたり、ラインを引いたりできるが、あまり活用できていない。
〇「雄獅少年」はガチなメッセージを持つ映画で、見ると「わたしもこんな心意気で生きなければ」と励まされるが、でも、実際は中国は日本以上の格差社会で、人生のスタート時点で大きく差がついているのが現実だ。だからこそ、この映画が感動的なのかもしれないが。
フィギュアスケートのアメリカ育ちの選手がバッシングされているが、それも、彼女のスタート地点が圧倒的に有利だったと多くの人が思ったからだと思う。つまり、彼女は「親ガチャ」大当たりの人なのだ。そういうことに対するうっぷんがそこここに渦巻いている。
昨日の晩、眠れなかったので、また曹禺の「日出」を見ていたが、そこでも冷酷な苦労人である李石清が同じことを言っているのだ。つまり「自分がごまをすっている奴らと自分の違いは、親ガチャがあたったか、はずれたかの違いだけなのだ」と。「日出」で描かれているのっていつの時代?たぶん、解放前で30年代くらい?
底辺であがく李石清のような者がさらに下にある人に対して冷酷だったりするところも、ものすごくリアルで、いまの日本でもありそうなことだ。
冬期の種目は、中国はまだメダルとれそうな選手が育成できてなくて、あちこちからかき集めたみたい。
返信削除日本も札幌五輪のあとなんだと思うよ、各地にスキー場やスケートリンクができて子供の頃から親に連れられて行ってた、なんて子たちの中から五輪目指すような人がでてきたから、中国もこれからだよ、という話を陳さんとしました。
そうかもね。北のほうではスケートで通学とかいうこともあったみたいだけど、
返信削除それと競技とは違うし。
わたしが北京に来た頃には、ショッピングモールの中にスケートモールとかがあって、そこでインストラクターが子どもにスケートを教えていました。
日本でも、むかしはフィギュアが弱かったけど、最近強くなったのは教えるところが教えるところが増えてきたからかも。