2021/10/27

何も思わずに過ぎる毎日

 この半年くらい、同僚の中国人の先生(男性)が書いた散文の添削をしてあげている。

その人は、とても繊細で感じやすい人らしく、花が咲くのをみたり、風が吹くのを感じたりするたびに、荘子だの、徒然草だのを思い出して、いろいろな物思いにふけるらしい。日本語の表現を直してほしいといわれて、そういう文を読むたびに、それにひきかえ自分はなんと何も感じずにあわただしく生きているのだろうと思ってしまう。とても内気そうなその先生と、その添削が縁となって、世間話をするようになった。彼によると、今年はなぜか秋にも桜が咲いたり、キンモクセイの時期が遅れたりしているらしい。「ほら、学校の正門の脇の桜も今少し咲き始めたでしょう?キンモクセイもいつもは国慶節のころに匂いはじめるのに、今年はやっといまになってから匂いはじめましたね」と言われても、私はいつも正門を通って学校に来るのに、その脇に桜があるのさえ気づいていなかった。毎年、キンモクセイが匂う時期も特に注意を向けたこともなかった。匂ってくれば、「ああ、キンモクセイの時期か」と思うだけで、例年に比べて早いとか遅いとか、そんなことは意識に上らなかった。いつもさっさと教室に行き、さっさと帰ることばかり考えていたから。わたしのような人生に比べて、その先生のような人生は、同じ一度の人生でも、受け取るものの多さがまったく違うのだろう。そう思うと、自分が馬齢を重ねてきてしまったようにも思えたが、その先生の書いたものを読むと感じやすい人の人生もまた切ないものなのだと思ったりもする。どちらのほうの人生がいいかはわからないが、それは自分で選べるものでもないのだろうし、このまま生きていくしかないのだろう。


(その先生がわたしに送信してくれた季節外れのサクラの写真)


2 件のコメント:

  1. おはよううささん♪
    本当に桜だ。
    寒さで勘違い?
    みんなちがってみんないい。ということよね。

    返信削除
  2. わーい、桜だ。韓国も桜がたくさん植わっているみたい。

    返信削除