2025/04/30

短かったのか、長かったのか

 コパさんのブログを読んだ。

たしかにあっという間の一か月だったのような気がする。

あわただしく休講の相談をして飛行機に乗った四月の初めのことは昨日のことのように思える。

しかし、その後に思いがけないほど早く母の容態が変わってしまった。私が最初に病院に行った日とその次の日には意思疎通ができ、「五月にまた来るね」と言ったらうなづいていた。二日目の晩に病院から電車で家に帰ろうとしたときに、兄から「医者が今日明日までということもありうると言っている」との連絡がきた。次の日に行った時にはもう意識がなく、翌日の早朝には血圧が下がってきたという連絡があってみなが駆け付け、その日の昼になくなってしまった。

それから通夜・葬式。学校に戻ってから、あわただしく休んだ分の仕事を片付け、瞬く間に一か月。

しかし、一か月前と今とでは、母がいなくなるというわたしにとっての大事件が起こったわけであり、日常は何も変わらないが、心の中の風景はまったく変わってしまった気がする。

それを思うと、一か月前のことはとても遠いことのように思える。

いまでも、悲しいのか、驚いているのか、それとも何も感じていないのか、何なのか、自分の気持ちがわからない。

母の臨終の瞬間にうちの子どもたちが泣くさまや、母の葬儀の時に母の友人たちが泣き崩れるさまをドラマを見るようなぽかんとした気持ちで見ていた。

その人たちのような突き刺すような悲しみはわいてこなかったし、どんなかかわりがあればそんな悲しみを感じるのだろうと思った。

母が死んだのだから何か大きな感情の動きを感じなければならないような気がするが、いまでもぽかんとした気分でいるのである。なぜなんだろう。本当はどういう悲しみを感じなければならないのだろうか。

2025/04/28

まだまだまだ忙しい

 今日は午前中に補講もふくめて5コマ、午後にお寺で3コマの授業。

天気が良いせいか寺付近は昼頃でもすごい渋滞。帰るころにはさらに渋滞。

日本ではもうみんなGWを楽しんでいる頃でしょう。

少ししたら中国のGWも始まるけれど、学生の卒論の修正などでおわるでしょう。

GW後の土日はもう一人の先生と湖州に出張に行くことに。最初、気軽に引き受けてしまったが、後から話をよく聞くと結構ハードな日程だった。断ればよかったかもと少し後悔した。

でも、湖州は近くだけれど行ったことがないし、こういう機会でもなければきっと行かないだろうから、まあ、いいか。

2025/04/26

まだまだ忙しい

 娘から電話あり。

今日から日本は長期休み。宝塚かどこかへ遊びに行くらしい。

中国では明日は振替出勤。GWは実質二日しかないし、その二日も卒論の修正をすることになる。

それとは別に昨日、母校の学科の同窓会からメール。S先生の訃報だった。

ああ、そうだったんだ。時代はどんどん移り変わって、わたしの思い出の中にいる人たちも去っていくのね。


2025/04/22

あわただしく過ぎた一週間

 先週、中国に戻ってからあわただしく一週間がすぎた。

何コマかの授業は他の先生が代講してくれたが、学校と寺の通常の授業に加え、補講もあるし、なんだかんだの事務処理もあって忙しい生活がもどってきた。

時々、通勤の地下鉄の中などで、ぼんやりと「母が死んだんだなあ」と母のことを思い出したりする。他の人たちは気遣ってくれるが、当のわたしはそんな感じ。

2025/04/15

母を見送ってきました

 4月4日に母を見舞いに急遽日本に帰国しましたが、その後、病状が一変して花祭りの日に母は旅立ちました。

思うところはいろいろありましたが、心の中にしまっておきましょう。

土日に母の通夜と葬儀を終え、月曜日の夜の便で杭州に戻る前に上野で春月ねいさんとお茶をしました。悲しみだけでないさまざまな思いを打ち明けて、心が軽くなりました。ありがとう。

今日は一週間仕事を休んだので、その後片付けをします。


2025/04/02

R先生

 大修館書店の漢字文化資料館というサイトに既刊ピックアップというページがあって、そこでL先生の『中国文学館』やR先生の『説文入門』が紹介されている。

大学卒業後、幾星霜。

それでも、こうした著作を読みこなせるようにはならなかったわたし。

老後が長いなら、こういうものを読むのもよいでしょう。

おもしろかったのは、『説文入門』の紹介のページに、編集者がR先生に会いにわが母校を訪れた時のこと、時正に卒業式の当日で、R先生は編集者氏に「もうすぐ終わって、ぞろぞろ出てきて写真を撮ったりするから、ぜひ見ていきなさい、とてもきれいだから」とおっしゃったというエピソードがあることだ。

へえ!ふーん!

真面目一徹にみえたR先生も、女子大生の袴姿を見るのを楽しんでいたとは意外だった。

ねえ、そうでしょう?春月先生。